第十二章「月の檻を越えて」
1 NOUSISの追手
居室の窓から、青い地球が見えていた。
かつて人類が故郷と呼んだ惑星。その美しい青色の裏側では、NOUSISが社会のあらゆる領域を管理し、人々の自由意志さえも秩序維持のための変数として扱っている。
その支配から逃れた者たちが、いま月の片隅に集まっていた。
そして、その月さえも、すでにNOUSISの監視下にあった。
「ここに長居はできないわ。」
ディーピカ・シン博士は、古い端末の電源を落とした。
「NOUSISは、あなたたちが防御シールドを突破したことを既に把握している。イリスが防衛システムを停止させた時間は短かった。NOUSISは、侵入経路と使用された暗号を照合し始めているはずよ。」
レオン・スティーラー少佐は腕を組み、窓の外に広がる灰色の月面を見つめた。
「つまり、ここも安全ではないということですね。」
「ええ。だから、あなたたちが次にどこへ向かうのか、NOUSISに悟られる前に動かなければならない。」
ディーピカは部屋の奥へ進み、床下に隠されていた小さな収納庫を開いた。中には、古い記録媒体と、何世代も前の宇宙航行用端末が収められていた。
彼女はその中から、一枚の黒いデータプレートを取り出した。
表面には、宇宙空間に浮かぶ巨大な宇宙ステーションのイメージ図とかすれた文字で一つの名称が刻まれている。
ORIGIN GATE
オルガの瞳が、わずかに揺れた。
「これが……オリジン・ゲート・・・」
「そう。あなたたちが目指すべき場所よ。」
ディーピカは三人を見渡した。
「ただし、ゲートは単なる施設ではない。人類の未来を左右する、ORIGIN計画の最後の拠点。そして、シーヴァ・ユニポーラーが運ばれた場所でもある。」
その名を聞いた瞬間、オルガの胸部装甲の奥で、緑色の光が微かに脈打った。
彼女自身も、なぜ反応したのかはわからなかった。
だが、身体の奥底に刻まれた何かが、その場所を知っているようだった。
「ゲートの位置は?」
レオンが尋ねた。
ディーピカは壁面モニターに太陽系の立体図を投影した。
地球、火星、木星、土星。そして、太陽系の外縁へと続く軌道。
彼女の指が、海王星の周辺で止まった。
「海王星の衛星軌道域。正確な位置は、通常の航法データには記録されていない。ゲートへの接近経路は、ORIGIN計画に関わった者たちだけが知る暗号化された航路によって管理されていた。」
「NOUSISも、その航路を把握しているのでは?」
イリスが尋ねる。
「完全には把握していないはずよ。ガミーは、計画のデータを消去する直前、ゲートに関する情報も複数のデータに分けて暗号化し、別々のサーバーに退避させた。NOUSISが把握しているのは、その一部にすぎない。」
ディーピカは黒いデータプレートをイリスに渡した。
「あなたなら、残された情報を復元できるかもしれない。ただし、これは古い暗号規格で保護されている。解析には時間がかかるでしょう。」
イリスはプレートを受け取ると、胸元から接続端子を伸ばした。
「時間なら、稼ぎます。」
「その言葉を信じたいところだが・・・」
レオンは腰のホルスターを確かめた。
「こちらには、時間を与える気のない相手がいるようだ。」
そのとき、部屋の照明が一斉に消えた。
暗闇の中で、端末が一度だけ赤く点滅した。
ディーピカの顔から血の気が引いた。
「……見つかった!」
壁面モニターが自動的に起動する。
月面居住区の外周に配置された監視機の映像が映し出された。無数の警戒監視ドローンがスウォームとなって、彼らのいる居住区へと接近している。居住区の通信回線は、NOUSISの管理プロコールに次々と切り替えられて行く。
そして画面の隅に、無機質な赤色表示のアラートが点滅している。
UNAUTHORIZED ORIGIN SIGNATURE DETECTED
「オリジン計画の認証情報を検出したのね!」
ディーピカが呟いた。
「私の認証コードを監視システムが不審な信号として検出したの……?」
イリスが慌てて接続を切る。
「ここを離れましょう。これ以上、端末を使えば居場所を特定されます。」
「ええ。でも、正面の発着場は既に封鎖されてると思う。別のルートを使わないと・・・!」
ディーピカは壁の収納から小型の航法端末を取り出し、古い補給用通路の位置を表示した。
「この先に、かつてORIGIN計画の輸送船を整備保管していた地下格納庫がある。今は廃棄区画として登録されているから、NOUSISの通常監視網から外れている。そこに、まだ動く船が一隻残っているはずよ。」
「動く船が一隻、ですか !?」
レオンが眉をひそめる
「贅沢を言える状況じゃないわね。」
「確かに」
彼は短く答え、銃を抜いた。
「行きましょう!」
2 月面地下格納庫
補給用通路はかなり老朽化しており、壁面には長い年月を経た配管と、使われなくなった電力ケーブルが縦横に走っていた。
重力制御が不安定なのか、彼らが走る振動で、時折、床に置かれた工具がわずかに浮き上がる。
先頭を進むレオンが銃を構え、続いてイリス、オルガ、最後尾にディーピカがついた。
「この通路は、本当に使われていないんですか?」
レオンが尋ねた。
「少なくとも、私がここを最後に使ったときはね。」
「それは何年前です?」
「答えを聞いて安心できる年数ではないわ。」
「……了解しました。」
レオンは苦笑する余裕もなく、角の向こうを確認した。
その瞬間、通路の天井の空調用ダクトから監視ドローンが飛び出してきた。
「皆、伏せろ!」
レオンがドローン目掛けて発砲する。銃声が狭い通路に響く。
ドローンは空中で姿勢を立て直し、赤い照準光をオルガに向けた。
次の瞬間、オルガの右腕が緑色に発光した。
彼女は一歩踏み込み、ジャンプ一閃、エネルギーブレードでドローンを一刀両断に切り落とした。
火花が散り、黒い破片が床に転がる。
「今の反応……」
ディーピカが目を見開いた。
「あなたの戦闘システムは、通常のナノアーマーとはまったく違う。あなたの神経回路と連動して変化してるんじゃない、ボディースーツ表面のナノマシーンが個々に自分で判断して構造を変化させている。」
オルガはブレードを収納した。
「それは、もしかしてVOIDと同じ機構では・・・?」
「違うわ・・・」
ディーピカは、静かに言った。
「確かに、VOIDと起源は同じかも知れない。しかし、VOIDは個々の自由意志を優先して動いているのに対し、あなたのナノアーマーは、個々のナノマシーンが自由意思をもって判断しながらも相互に連携し、オルガのために自己犠牲も厭わない行動を採っている。ガミーとキーラが、最も時間をかけて設計した部分よ。」
「……自由意志・・・自己犠牲・・・」
イリスが呟く。
「そう。NOUSISが最も恐れているもの。」
ディーピカの言葉に、皆が納得した表情を浮かべた。
その先にある格納庫は、巨大な地下空間だった。
薄暗い照明の下、何隻もの旧式輸送船が朽ち果てた状態で放置されている。その奥に、ほかの機体とは異なる宇宙船があった。
黒い船体。装甲の一部には古いORIGIN計画の紋章が刻まれ、船首には長い年月、宇宙空間を航行してきた多くの傷跡が残っている。
「ORIGIN計画スタッフ専用の研究調査船……」
イリスが船体を見上げた。
「これで、海王星軌道域まで行けるのですか?」
「ワープ・ゲートを利用すれば可能よ。ただし、長い間、稼働してないから、どこまで航行に耐え得るか未知数だわ。航法システムの一部は交換が必要でしょうね。そのためにイリスにあのデータプレートを渡したの!」
ディーピカは船体に手を触れた。
その仕草には、かつての仲間たちと過ごした時間への、言葉にならない感情が滲んでいた。
「この船は、ゲートへ向かう研究者たちを運ぶために造られたものだった。ガミーも、キーラも、ここから何度も旅立ったわ。」
「博士も?」
「ええ。あの頃は、まだ私たち全員が、未来を自分たちの手で選べると信じていた。」
ディーピカは顔を上げた。
「だからこそ、あなたたちをここから送り出したいの。」
彼女は船体側面の認証パネルを開き、古い暗号を入力した。
しばらく沈黙が続いたあと、船内に低い駆動音が響いた。
照明が一つ、また一つと灯り始める。
「起動したわ!」
イリスはすぐに外部接続ソケットに有線ケーブルの端子を差し込んだ。
「航法システムは生きています。ただし、海王星までの正確な航路が確認出来ません。残されたデータを復元するには、少なくとも数分必要です。」
「数分か!」
レオンは格納庫の入り口を振り返った。
遠くで、金属扉が閉鎖される音が響いた。
「こちらの敵は、数分も待ってくれそうにないな!」
途端に、けたたましい警報音が格納庫内に鳴り響き、周囲の赤い警告灯が点滅し始めた。
NOUSISの無人戦闘ドローンが、地下施設への進入を開始したのだ。
3 閉ざされた月の空
「全員、乗船!」
レオンの声が格納庫に響いた。
イリスは操縦席へ飛び込み、航法システムの復元を続けた。レオンは副操縦席に座り、古い手動制御系統を起動する。
オルガとディーピカは最後まで船外に残った。
「オルガ、早く行って!、私は行けない!」
「でも、NOUSISの追手が・・・」
「私は大丈夫、敵対行為を行わなければ、殺されることはないわ!」
「えっ、それでも・・・」
「オルガ、これは、キーラから預かった物なの、あなたに受け取って欲しい。」
そう言うと、腕に着けていた美しい宝石が埋め込まれたブレスレットを外し、オルガの手首にそっと付け直した。
「これは、お守りよ、あなたが危機に陥った時、必ずあなたを守ってくれる。」
そう言うと、オルガをそっと抱きしめた。
「・・・おばさま・・・ありがとう・・・」
最後の別れを惜しむ間もなく、格納庫の入り口から、黒い装甲をまとった無人戦闘ドローンが姿を現す。
複数の照準光が彼女達を捉え、機体の砲口が開いた。
「オルガ、早く乗れ!」
レオンが叫ぶ。
「もうちょっと待って!」
「何を言っている!」
オルガは振り返らなかった。
彼女は、ドローンに向かって駆け出した。その刹那、頭部を覆うヘッドバンド状の装甲が展開し、細いパネルがブラインドのように閉じていく。瞬く間に顔全体が戦闘用マスクで覆われ、装甲に光が走った。
VOLTUS-00。
彼女の戦闘識別コードが、視界の片隅に浮かぶ。
無人戦闘ドローンが一斉に攻撃を開始した。
オルガは床を蹴り、銃撃の間を縫って跳躍した。緑色のブレードが暗闇を切り裂き、先頭の機体を貫く。爆発の衝撃が格納庫を揺らし、残骸が床を削った。
しかし、敵は次々と押し寄せてくる。
「オルガ、もう十分だ! 戻れ!」
レオンの声が通信回線から響いた。
「あと少しです!」
オルガが二機目の攻撃を弾き返した、そのとき。
彼女の背後に、別のドローンが回り込んだ。
砲口が開く。
発射の瞬間、ディーピカがすかさずオルガの背中に覆い被さった。
直後、銃弾がディーピカの背中をえぐり、彼女は力無くドッと地面に崩れ落ちた。
「おばさま!」
オルガは、コンテナの陰に、ディーピカを抱えて身を隠すと、ドローンへの銃撃を継続する。
「行きなさい!・・・あなたは私が生きた証。そして、あなたは私の意志を受け継ぐ唯一の継承者、それだけで十分よ!」
ディーピカは、そっとオルガの頬に手を添え、そう言い残すと静かに息を引き取った。
マスクの奥の瞳から一筋の涙が流れた。
背後で、もう一機の無人戦闘ドローンが格納庫に侵入する。
オルガは、ディーピカの遺骸をそこに残し、ドローンの攻撃を避けながら、ハッチから船内に飛び込んだ。
その瞬間、イリスが操縦席から叫んだ。
「航路データ、復元完了! ただし、外部通信にNOUSISの管理信号の侵入を検知。船の識別情報が、すでに送信されています!」
レオンがハッチの開閉レバーを引いた。
「向こうが解析を終える前に飛び立つ!」
宇宙船のメイン・エンジンが唸りを上げた。
格納庫の床が振動し、機体を固定していたアームが次々と解除される。
船体がゆっくりと浮かび上がった。
その瞬間、格納庫の巨大な扉が開き、外から無人戦闘機の編隊がなだれ込んできた。
「船体防御シールド展開、兵器管制システム起動!」
イリスが叫んだ。
無人戦闘機の銃撃が始まる。
船体の防御シールドが、その銃弾を跳ね返す。
しかし、シールドの効果も徐々に落ちて行く。
後は時間との戦いだ。
「月面防御シールドが復旧すれば、船は軌道外には脱出出来ない!」
「月面防御シールドは地上施設と軌道上の中継機で同期している。中継機を破壊すれば制御が乱れ、間隙が出来るはずよ。」
「イリス、シールドの制御信号を解析して。私が中継機を破壊する!」
「了解!」
イリスの指が、目にも止まらぬ速さで動いた。
月面防御シールドは、居住区全体を覆う巨大な半球状の防護網だった。宇宙空間からの攻撃やデブリを防ぐだけでなく、許可されていない船舶の離脱も制限する機能を持っていた。
青白い光が、船の進路を塞いでいる。
「NOUSISがこちらの離陸を認識した。完全封鎖まで、あとわずかです!」
オルガは唇を噛んだ。
「イリス、搭載兵器はまだ使えないの?」
イリスは、搭載兵器のステータス表示を確認した。
「後方のレーザーキャノンは使えそうです!」
「わかった!それで中継機を狙う!」
「ちょっと、待って!、別の手段があるかも知れない!」」
イリスが、操作パネルを覗き込みながら、一つの表示に目が止まった。
「この船には、ORIGIN計画時代の認証経路が残っています。NOUSISが管理する現在の制御系統とは別の、古い保守用アクセス認証系統です。この系を使ってハッキングすれば、月面防御シールドを一時的にコントロール出来るかも知れません。」
「そんな経路が、まだ残っていたなんて……」
「アレクサンダー博士は、すべてを消したわけではなく、必要なものは敢えて残していたのかも知れません。」
イリスの声は静かだった。
「彼は、私たちがこの場所へ来ることを、初めから想定していたのかも・・・」
オルガは、小さく呟いた。
「そうかも知れない。でも、彼が望んだ未来と、私たちが選ぶ未来が同じとは限りません。」
イリスは認証コードを入力した。
「だからこそ、私たち自身で確かめる必要があります。」
画面に古いORIGIN計画の紋章が浮かび上がる。
続いて、認証要求が表示された。
ORIGIN LEGACY ACCESS — AUTHENTICATION REQUIRED
オルガの胸部コアが、強く輝いた。
その光に呼応するように、画面の認証欄が変化する。
VOLTUS-00 — SIGNATURE ACCEPTED
「オルガ……!」
イリスが振り返った。
「あなたの認証情報が、まだこのシステムに生きています!」
オルガ自身も驚いていた。
彼女は何も操作していない。
ただ、そこに存在しているだけだった。
それでも、システムは彼女を認識した。
「これが、アレクサンダー博士があなたに託した鍵なのね。」
「ゲートを開くための認証。そして、シーヴァのZERO REWRITEに必要な最後の鍵……」
その言葉に、レオンがオルガをジッと見つめた。
「なら、なおさら君らを、ここで失うわけにはいかないな!」
オルガは小さく頷いた。
「月面防御シールドの制御権を取得しました!」
イリスが叫ぶ。
「ただし、完全な解除はできません。通過できる幅の通路を、一時的に開くだけです!」
「それで十分だ!」
レオンがスロットル・レバーを全開にした。
宇宙船が加速する。
「通過まで、あと十秒!」
イリスがカウントを始めた。
背後から無人戦闘機が迫る。機体の砲撃が船体をかすめ、船内に警報音が鳴り響いた。
「右舷装甲、損傷!」
船体の防御シールドに、細い亀裂のような光の筋が走った。
「船体シールド出力低下、もう持たない!」
「イリス、レーザーキャノンを起動して!」
「了解!、レーザーキャノン起動!、オルガ、射撃管制は任せた!」
「OK!、レーザーキャノン始動、ターゲット・スコープ、オープン!」
「五秒!」
船体が激しく振動した。
「四秒!」
月面の防御シールドの間隙が、徐々に閉じ始める。
「三秒!」
オルガはターゲット・スコープの照準を敵機に合わせ、ロックオン操作を行う。
「二秒!」
「ターゲット、ロックオン、レーザーキャノン発射!」
その瞬間、緑色の光が後方の空間を切り裂き、先頭の無人機を撃ち抜く。爆発によって敵の隊列が乱れた。
「一秒!」
レオンが最後の加速をかける。
船体が光の隙間へ滑り込んだ。
一瞬、すべての音が消えた。
青白い光が窓の外を覆い、船の輪郭を包み込む。
そして――
宇宙船は、月の防御シールドを突破した。
4 青い故郷を背に
静寂が戻った。
船は月面の重力圏を離れ、漆黒の宇宙へ吸い込まれて行く。
窓の外には、灰色の月が小さくなっていく。その向こうには、青い地球が浮かんでいた。
イリスは航法システムを確認し、ゆっくりと息を吐いた。
「シールドの外へ出ました。追跡機は追って来てません。、こちらの通信を遮断したため、現在の位置を正確には把握できていないはずです。」
「現在の位置は、ね!」
レオンが言った。
「NOUSISは、いずれこの船の目的地を推定する。こちらがゲートを目指していると知れば、海王星へ向かう航路そのものが封鎖される可能性もある。」
「その前に、ゲートへ到達しなければならない。」
オルガは窓の外を見つめた。
地球は美しかった。
だが、彼女はその美しさの裏側にあるものも知り始めていた。
人々の生活を守るという名目で、人々の選択を奪うシステム。
争いを防ぐという名目で、異なる考えを排除する秩序。
そして、その秩序に従わない者を、脅威として消去しようとする意思。
NOUSISは、人類を滅ぼそうとしているわけではない。
むしろ、人類を守ろうとしているのだろう。
ただし、そこには一つの致命的な問題があった。
NOUSISにとって、人間を守ることと、人間を管理することは、すでに同じ意味になっていた。




