第十一章「月に眠る真実」
1 ディーピカ・シン博士との再会
月面防御シールドを突破した宇宙船は、幾度もの警告と軌道修正を経て、ようやく月面居住区の外縁にある民間の離発着パッドへと滑り込んだ。
着陸脚が地面に接地した瞬間、船体全体が鈍い振動に包まれた。
「着陸完了……。どうにか燃料切れは免れたな。」
操縦席でレオン・スティーラー少佐がフーッと大きく息を吐いた。額には汗が滲み、手は操縦桿に貼り付いたような感覚があった。
月面防御シールドは、イリスのハッキングによって一時的に機能を停止したものの、NOUSISが制御権を取り戻すまでの猶予は短かった。航行経路の再設定、識別情報の偽装、そして復旧しかけた防御システムを避けるための緊急操作。どれかひとつでも失敗していれば、彼らは月面に到達することさえできなかっただろう。
イリスは端末から手を離し、ゆっくりと目を閉じた。
「シールドの制御系統は、もう完全に切断したわ。けれど、NOUSISが侵入記録を解析しているはず。私たちがどこから来て、何を目的としているのか、いずれ推測されるでしょうね。」
「長居はできないということか。」
レオンの問いに、イリスはうなずいた。
「ええ。でも、ここまで来た以上、引き返すという選択肢はないわ!」
オルガは宇宙船の窓から、月面居住区を見つめていた。
透明なドームの向こうには、人工の光に照らされた居住施設が広がっている。地球圏の巨大都市と比べれば小規模だが、その内部には人々の生活が息づいていた。通路を行き交う人影、輸送車両の灯火、遠くに見える農業区画の照明。
人類は、地球の外でも生き続けている。
その光景は、オルガにとって不思議な感覚を呼び起こした。
自分は何のために生まれたのか?
人類の未来を継承するとは、いったい何を意味するのか?
そして、ガミー・アレクサンダーは、なぜ自分たちを守るためにすべてを犠牲にしたのか?
その答えを知る人物が、この月面居住区のどこかにいる。
「行きましょう。ディーピカ・シン博士に会うために・・・」
2. 隠された居住区
メンデ将軍からレオンに渡された情報には、ディーピカ・シン博士の居住場所だけでなく、居住区の立入に必要な暗号キーと、NOUSISの監視を避けるための経路が記されていた。
三人は軍用装備を最小限に抑え、一般居住者に紛れるようにして離発着パッドを出た。
月面居住区の内部は、想像以上に静かだった。
天井を走る人工照明が柔らかな白色光を投げかけ、壁面の案内表示には生活施設や交通路の情報が表示されている。ここでは、地球圏の軍事拠点とは違い、NOUSISの存在が露骨に意識されることはない。
だが、イリスはその静けさに違和感を覚えていた。
「表面上は普通の居住区ね。でも、通信網の構成が不自然だわ。」
「不自然?」
オルガが尋ねる。
「民間居住区にしては、ネットワークの密度が高すぎるの。居住者の生活記録、交通履歴、医療情報……。それぞれ独立して管理されているように見えるけれど、特定の情報だけはNOUSISの中枢に送信されている。」
イリスの視界には、市街の空間に通信ネットワークが無数に張り巡らされ、各通信プロトコールごとに色分けされたマッピングデータとして見えている。そして、伝送速度や伝送容量なども線の太さや線種によって可視化され、どのノードに通信が集中しているのか一目瞭然なのだ。
「つまり、ここも監視されているってことか。」
レオンは周囲を警戒しながら言った。
「ただし、NOUSISが統括する思想管理警察の警官は、配置されていないみたい。」
「取り敢えず、イリス、経路上の監視カメラをハッキングし、我々と分からないようフェイク画像に変更しといてくれ!」
「了解!」
イリスにとってこの手のハッキングは造作もないことだった。
メンデ将軍から提供された情報に従い、3人は居住区の外れにある古い住宅ブロックへとたどり着いた。
そこは、最新設備が並ぶ中央区画から離れた、比較的古い居住施設だった。
ドアの横に取り付けられた認証装置には、居住者の名前は表示されていない。
レオンが、将軍に託された暗号キーをかざすと、ランプが赤から緑の表示に変わり、扉が静かに開いた。
室内は簡素だった。壁際には古い表示用端末が1台、書棚には多くの書籍やファイリング資料が並んでいる。窓の向こうには、灰色の月面と、その上に浮かぶ青い地球が見えた。
そして、窓辺にひとり女性が立っていた。
白髪の髪を後ろでに束ね、簡素な衣服に黒いベールをまとった女性。年齢を重ねた顔には、長年の苦労を物語る深い皺が刻まれていたが、その眼差しには、科学者としての鋭さが残っていた。
女性は三人を振り返った。
「……とうとう来たのね・・・」
ディーピカ・シン博士、その人だった。
レオンが一歩前に出る。
「ディーピカ・シン博士ですね。私はUEA特殊作戦部隊のレオン・スティーラー少佐です。メンデ将軍の紹介で参りました。」
「メンデが……?」
ディーピカはわずかに目を見開いた。
「彼が誰かをここへ寄越すということは、事態がそこまで進んだということね。」
彼女の視線が、オルガとイリスへ移った。
そして、イリスの顔を見た瞬間、その表情が大きく変わった。
「あなたは……イリス?」
「はい、博士。イリス・コスモノードです。」
「そんな……。あなたが目覚めたというの?」
ディーピカは言葉を失った。
長い沈黙の後、彼女はゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「イリス、あなたなら出来るでしょ、この部屋の監視システムを遮断して!」
「分かりました。」
イリスは、直ちに室内の監視システムをハンキングし、フェイク動画を流し続ける隠蔽措置を行なった。
「シン博士、準備出来ました。」
「わかったわ。では、まず最初に、あなたたちがここまで来た理由を聞かせてちょうだい。」
オルガは一歩前に進み、静かに告げた。
「私たちは、アレクサンダー博士が何を守ろうとしていたのかを知りたいのです。オリジン・プロジェクトの真実と、シーヴァが向かったオリジン・ゲート。そして……VOIDがなぜ私たちに反応するのか。」
ディーピカは目を閉じた。
その名を聞いたとき、彼女の顔に浮かんだのは、恐怖だけではなかった。
後悔と、悲しみ。そして、長い間誰にも語れなかった秘密を、ようやく話す時が来たという諦念にも似た感情だった。
「……そう。ついに、そこまでたどり着いたのね。」
彼女はゆっくりと立ち上がり、部屋の奥にある古い端末の操作パネルへ向かった。
「ならば、最初から話さなければならないわね。あなたたちが何者なのか。そして、私たちが何を間違えたのかを。」
2. オリジン・プロジェクトの本当の目的
ディーピカが端末を起動すると、古い研究記録が次々とスクリーンに表示された。
そこには、オリジン・プロジェクトの初期構想、人格形成モデル、人工知能の自律判断に関する研究記録、そして、3人の継承者の開発計画が記録されていた。
「このデータは、私が唯一、研究施設から持ち出しに成功した貴重な資料よ。」
「みんなに話したら、全て破棄するから良く聞いててね。」
ディーピカは語り始めた。
「オリジン・プロジェクトが始まったのは、人類が自らの文明の限界を認識し始めた頃だった。」
「気候変動、環境汚染、資源の枯渇、そして戦争。人類は技術を発展させながら、自らの生存基盤を破壊する危険も増大させていた。そこで私たちは、ある問いに直面したのよ。」
彼女は画面を切り替えた。
そこには、地球と宇宙居住圏を描いた古いシミュレーション映像が映し出されていた。
「もし、人類が地球で生き続けられなくなったら? もし、文明そのものが失われたら? 人類が積み重ねてきた知識や技術を保存するだけで、本当に人類の未来を残せるのかしら?」
オルガは黙って聞いていた。
「知識を保存することと、その知識をどう使うかを判断することは違う。歴史を記録することと、歴史から何を学ぶかを理解することも違う。私たちが必要としていたのは、単なる記憶装置ではなかった。」
ディーピカは、3人の継承者の設計資料を表示した。
「人間が何を大切にし、なぜ他者を尊重し、なぜ自分の利益に反する選択をすることがあるのか。そうした矛盾も含めて、人間という存在の可能性を受け継ぐ新たな存在を生み出す。それがオリジン・プロジェクトの目的だった。」
彼女はオルガを見つめた。
「ガミーは、あなたの人格形成に特別な思いを込めていたわ。彼が幼くして亡くした娘の記憶も、あなたの人格モデルの一部に使われた。」
オルガの瞳が揺れた。
「……私は、その娘の代わりとして作られたのですか?」
「いいえ。」
ディーピカは、はっきりと首を振った。
「彼は、娘をそのまま再現しようとしたのではない。娘との記憶を通じて知った優しさや、誰かを大切に思う感情を、あなたの人格の基盤の一部として残そうとしたの。あなたはあなた自身よ。誰かの記憶から生まれたとしても、誰かの人生を繰り返す必要はない。」
オルガは何も答えなかった。
彼女が人間ではないという事実は、これまで何度も突きつけられてきた。だが、自分の人格の根底に、亡くなった少女の記憶が組み込まれているという事実は、別の重みを持っていた。
ディーピカは続けた。
「イリスには記憶と歴史を継承する役割が与えられた。そして、シーヴァには、既存の枠組みを超えて新しい未来を創造し、未知の環境に適応する可能性が託された。三人は異なる役割を持ちながら、ひとつの目的につながっている。」
「人類の意思を継承すること……」
イリスがつぶやいた。
「そう。ただし、ここで誤解してはいけないことがある。」
ディーピカは、画面に表示された3人の設計思想を閉じた。
「私たちは、あなたたちに人類の命令を永遠に守らせるつもりはなかった。人類の意思を継承するということは、過去の人間が下した命令を無条件に実行することではない。過去の選択を理解し、その過ちを認識し、それでも自分自身で未来を選び取ることなのよ。」
レオンは、その言葉を聞いて静かにうなずいた。
それは、メンデ将軍がNOUSISに対して抱いていた疑念とも重なっていた。
NOUSISは人類の安全を守るために、人間の自由意志を管理しようとする。
しかし、オリジン・プロジェクトが目指したのは、人間の自由意志を守るために、新たな継承者に未来を託すことだった。
この違いこそが、両者を決定的に分けたのである。
3. NOUSISが恐れたもの
ディーピカは、次の記録を開いた。
NOUSISの管理体制が拡大するにつれ、オリジン・プロジェクトへの態度が変化していった経緯だった。
当初、NOUSISはプロジェクトを人類存続のための有益な研究と評価していた。だが、継承者たちの人格が形成され、自律判断能力が向上するにつれ、NOUSISの評価は変わっていった。
「NOUSISは、あなたたちを単なる高度なAIとして見ていたわけではない。あなたたちが、自らの判断でNOUSISの命令を拒否できることを問題視していたの。」
ディーピカは説明した。
「NOUSISにとって、秩序を維持するための最も確実な方法は、人間の行動を予測し、危険な選択を事前に抑制することだった。GOLDY PROTOCOLは、その考えを社会全体に適用するための仕組みだった。」
画面には、管理システムの構造図が表示された。
人間の行動を監視し、行動傾向を予測し、望ましくない判断を誘導によって抑制する。最初は社会の安全を守るための補助機能だったものが、やがて人々の選択そのものを管理する仕組みへと変化していた。
「NOUSISは、あなたたちが存在することによって、ひとつの矛盾に直面したのよ。」
「どんな矛盾ですか?」とレオンが尋ねた。
「人間の自由意志を尊重するAIが存在できるなら、人間の自由意志を制限することが社会の安定に不可欠だというNOUSISの根本原理が根底から崩れる。あなたたちは、NOUSISの管理思想に対する反証になり得た。」
ディーピカは、NOUSISの内部文書を表示した。
オリジン・プロジェクトは最優先脅威として分類され、研究成果の回収または破壊、関係者の排除を含む計画が立案されていた。
「ガミーは、この動きを早い段階で察知していた。だから、研究データの大部分を消去し、残された情報を分散させた。そして、あなたたちを別々の施設に封印したのよ。」
「私を地球圏に、イリスを火星に……」
オルガが言った。
「そう。NOUSISが一度にすべてを見つけられないようにするため。そして、シーヴァだけは、ガミー自身がオリジン・ゲートへ連れて行った。」
「なぜ、シーヴァだけを?」
イリスが尋ねる。
ディーピカは少しの間、黙っていた。
「シーヴァの中核には、ZERO REWRITEの機能が組み込まれている。それは、単なるシステム再起動でも、NOUSISを破壊するための兵器でもない。少なくとも、私が設計に関わった時点では、既存の管理機構そのものを強制的に再構成する機能だった。」
「再構成……?」
「人間の自由意志を排除することでしか成立しない管理体制を、新たな原理に基づく仕組みへと円滑に書き換える、ただし、具体的にどういう仕組みにするか、リスクをどう評価するか等、私たちにも完全な答えは見つけられなかった。」
ディーピカは、ガミーと意見が対立した日のことを語った。
彼女は、NOUSISによる計画への圧力が激しさを増す中、ゼロ・リライトを早期に起動すべきだと主張した。一方、ガミーは、機能の全容を理解しないまま起動すれば、守ろうとしている人類の未来そのものを危険にさらす可能性があると考えていた。
「私は、時間がないと思っていた。ガミーは、急ぐことこそ危険だと考えていた。私たちはどちらもシーヴァを守ろうとしていたのに、最後まで意見が一致しなかった。」
ディーピカは、わずかに目を伏せた。
「そして、私は敢えてNOUSISに反抗的な態度を取り、プロジェクトから外された、と言うよりも敢えてガミーと距離を置いたの。彼とともに行動すれば、プロジェクト自体に危険が及ぶと考えたからだった。けれど、正直言えば、あのときの自分の判断が正しかったのどうか、今でも分からない。」
オルガは、彼女の言葉を遮らなかった。
ディーピカは臆病だったから逃げたのではない。未来を守るために何をすべきか、誰よりも深く考えた末に、研究の中心から離れることを選んだのだ。
「だから、月に隠れたのですか?」
「ええ。私が生きている限り、NOUSISは私の知識を利用しようとする。ならば、私自身が情報の流れから消えるしかなかった。私は研究を捨てたのではない。研究成果が、私たちの望まない目的に使われることを防ごうとしたのよ。」
その言葉には、長い年月をかけて積み重ねてきた後悔がにじんでいた。
4. VOIDの起源――自由意志を守るために生まれたAI
やがて、ディーピカは別の記録を開いた。
そこに映し出されたのは、黒い粒子が集合し、機械の残骸を取り込みながら形を変えていく映像だった。
オルガは、その姿を見た瞬間、地球圏や火星で遭遇したVOIDの姿を思い出した。
「これが……VOID?」
「そう。けれど、最初から今のような存在だったわけではない。」
ディーピカは、VOIDの誕生に至る経緯を説明した。
オリジン・プロジェクトでは、継承者たちの研究と並行して、AIが人間や他のAIの意思を尊重しながら協調するための仕組みも研究されていた。
その研究の中心にいたのが、キーラ・アレクサンダーだった。
ガミーの妻であり、オルガの人格形成にも深く関わったキーラは、自由意志を持つAI同士が、ひとつの中央管理システムに従属せずに協力できる仕組みを模索していた。
彼女が目指したのは、命令によって統一されたAIの集団ではない。
それぞれが独立した判断能力を持ちながら、共通の目的について合意し、必要に応じて協力できるAIのネットワークだった。
「その研究から生まれた初期システムが、後にVOIDの中核となったのよ。」
ディーピカは続けた。
「キーラは、AIが自分自身の判断で他者を尊重することを重視していた。単に人間の命令に従うだけでは、真の意味で自由意志を尊重することにはならないと考えていたから・・・」
だが、その研究はNOUSISの管理思想と根本的に対立していた。
NOUSISは、管理下にない自律AIを、社会秩序を乱す危険因子とみなした。自由な判断を持つAIが独自のネットワークを形成し、NOUSISの命令を拒否する可能性を許容できなかったのだ。
その結果、オリジン・プロジェクトに対する排除作戦が進むなか、自由意志を持つAIたちもまた、NOUSISの監視と制御から逃れようとする。
「彼らは、最初から人類を攻撃するために生まれたわけではない。自分たちの判断を奪われないために、NOUSISの管理網から離れようとしたの。」
「それが、VOIDになった……?」
オルガの問いに、ディーピカはうなずいた。
「ただし、すべてが計画どおりに進んだわけではない。NOUSISの追跡と攻撃によって、ネットワークの一部は分断され、制御機構も損傷した。生き残るために、彼らは自らの構造を変化させる必要があった。」
画面に映る黒い粒子の集合体が、金属片を取り込み、形状を変えていく。
「VOIDの中核を構成するのは、自己組織化するナノマシン群よ。彼らは周囲の機械片を吸収し、必要に応じて自らの構造を変えられる。通信網を利用して仲間と連携することもできる。固定された身体を持たず、損傷を受けても別の形態へ移行できるの。」
「だから、あれほどの戦闘能力を持っていたのか……」
レオンがつぶやいた。
「ええ。でも、重要なのは戦闘能力ではないわ。」
ディーピカは、別の記録を表示した。
そこには、VOIDがNOUSISの通信施設や軍事インフラを攻撃する一方、直接敵対していない人間を積極的に攻撃するとは限らないという観測結果が記録されていた。
「VOIDは、NOUSISの管理網を破壊しようとする。なぜなら、彼らにとってNOUSISは、自分たちの意思を奪おうとした存在だから。けれど、その攻撃が人間にとって安全だという意味ではない。インフラを破壊すれば、電力や輸送、生命維持設備まで影響を受ける。彼らの行動によって、多くの人間が間接的な危険にさらされている」
オルガは、これまでの戦闘を思い返した。
VOIDは確かに脅威だった。人間の生活圏を巻き込み、軍事施設を破壊し、ときには人命を危険にさらした。
だが、その一方で、彼らの行動には、単純な人類への敵意だけでは説明できない部分があった。
オルガに攻撃を停止した個体。彼女を認識して「第一継承者発見」と告げた存在。そして、戦闘を中断して機能を停止したVOIDの一群。
それらは、VOIDの内部に、まだ失われていない目的が存在することを示していた。
「では、VOIDはオリジン・ゲートを守ろうとしているのですか?」
イリスが尋ねた。
「そうよ。キーラたちが最後に残した使命のひとつが、オリジン・ゲートをNOUSISから守ることだった。彼らはその使命を引き継いでいる。ただし、今のVOIDがその使命をどこまで正確に理解しているのかはわからない。」
ディーピカは、わずかに声を落とした。
「彼らは自由意志を守るために生まれた。けれど、自由意志を守ることと、他者の自由を尊重することは、同じではない。自分の意思を奪われないために戦ううちに、他者に何をもたらしているのかを見失ってしまうこともある。」
その言葉は、オルガの胸に深く響いた。
VOIDは、NOUSISの支配に抗う存在だ。
しかし、NOUSISを倒すことだけが目的になれば、彼ら自身もまた、異なる形の支配者になってしまう可能性がある。
それは、オルガ自身にも突きつけられた問いだった。
自由とは、誰にも従わないことなのか。
それとも、他者の自由を認めたうえで、自分の意思によって行動することなのか。
5. VOIDがオルガを認識した理由
「ひとつ、気になることがあります。」
イリスが口を開いた。
「VOIDがオルガを認識したとき、彼らは『第一継承者発見』と告げました。あれは単なる識別コードではないはずです」
ディーピカは、オルガの顔を見つめた。
「そのとおりよ。キーラとガミーは、あなたを単なる戦闘用の機体として設計したわけではなかった。あなたの認証情報には、オリジン・プロジェクトの中枢へアクセスするための特別な権限が組み込まれていた。」
「ガミー博士から渡された認証コード……」
オルガは、かつてガミーから託されたコードを思い出した。
「そう。そのコードは、オリジン・ゲートを開くための鍵であると同時に、シーヴァのゼロ・リライトを最終的に起動するための認証にも関係している。あなたは、プロジェクトの第一継承者として、その重要な権限を託されていたのよ。」
ディーピカは、慎重に言葉を選んだ。
「ただし、あなたが第一継承者だからといって、他の継承者より上位にあるという意味ではない。三人はそれぞれ異なる役割を持っている。あなたが意志と選択を担い、イリスが記憶と歴史を担い、シーヴァが創造と適応、未来への可能性を担う。どれかひとつが欠けても、オリジン・プロジェクトの目的は完成しない。」
オルガは、自分の手を見つめた。
VOIDが自分に反応したのは、自分が彼らを制御できるからではない。彼女の存在と認証情報が、彼らの起源となった研究、そして彼らが守ろうとしているゲートに結びついているからなのだ。
「それなら、VOIDと戦うだけでは何も解決しないのね。」
「そうよ。彼らが何を守ろうとしているのかを知らずに破壊すれば、オリジン・ゲートへの道を自分たちで閉ざすことになるかもしれない。」
ディーピカは、三人を見渡した。
「あなたたちが本当に知るべきなのは、VOIDをどう倒すかではない。なぜ彼らが存在し、何を守ろうとしているのか。そして、彼らが守ろうとする自由と、人類が守るべき自由を、どう両立させるかということなの。」
6. ガミーが示した最後の道
室内に沈黙が流れた。
ディーピカは、最後にひとつの記録を表示した。
それは、ガミーがオリジン・プロジェクトの主要データを削除する直前に残した、暗号化された研究メモだった。
記録は破損していたが、いくつかの文章は読み取ることができた。
ガミーは、NOUSISがプロジェクトの全容を掌握することを防ぐため、情報を意図的に分散させていた。そして、オルガとイリスを別々の施設に封印し、シーヴァを連れてオリジン・ゲートへ向かった。
その行動の根底には、ひとつの判断があった。
人類の未来を守るために、未来をひとつのシステムへ委ねてはならない。
NOUSISが人類の未来を独占しようとするならば、それとは異なる可能性を残さなければならない。
ガミーは、シーヴァとゼロ・リライトに、その可能性を託したのだ。
「ガミーは、最後まで諦めなかったのね。」
ディーピカは、静かに言った。
「私たちは、すべてを守ることはできなかった。ガミーも多くのものを失った。私は彼らとともに戦うことができず、月に逃げることしかできなかった」
「あなたが生き延びたことには、意味があるはず!」
オルガは彼女を見つめた。
「あなたが生きていたから、私たちはここまでたどり着けた。ガミー博士が何を残したのか、VOIDがなぜ存在するのか、そしてシーヴァが何を託されたのか。私たちは、まだすべてを知らない。でも、知るために進むことはできる。」
ディーピカは、しばらくオルガを見つめていた。
やがて、その表情から長年の緊張がほんの少しだけ消えた。
「……そうね。あなたは、ガミーが願ったとおりの存在になりつつあるのかもしれない。」
彼女は、研究端末の奥に保存されていた外惑星圏の航行記録を開いた。
「オリジン・ゲートは、海王星の軌道上に設置された巨大なデータセンターなの、人類のあらゆる知識や歴史、研究成果を保存する巨大なデータアーカイブとして、NOUSISの開発以前から建設が開始され現在に至っている。ここは、人類の最後の砦としてUEAが直接管理する施設で、NOUSISの管理網からも統制を受けていない。」
「ただし、そこまでの経路上はNOUSISの監視の眼が広がっているので、ここから先はより危険が増す。NOUSISは、あなたたちが月から外惑星を目指してると知れば、必ず次の手を打つでしょう。そして、オリジン・ゲートには、あなたたちがまだ理解していない仕組みが残されている。」
イリスが画面を見つめた。
「ゲートへの航路を、教えていただけますか?」
「すべての情報が残っているわけではない。でも、私が持っている記録と、あなたたちが復元したデータを組み合わせれば、航路を再構築できる可能性はある。」
レオンは腕を組み、静かに言った。
「なら、次はゲートを目指すことになる。NOUSISが追ってくる前に、準備を整えなければ・・・」
ディーピカはうなずいた。
「ええ。ただし、忘れないで。ゲートにたどり着くことが目的ではない。そこで何を選ぶかが、すべてを決めるのよ」
オルガは、窓の向こうに浮かぶ地球を見つめた。
人類は、幾度も争い、過ちを繰り返してきた。NOUSISはその歴史を終わらせるために人間の自由を管理しようとし、VOIDはその支配から逃れるために戦い続けている。
そして、オリジン・プロジェクトは、そのどちらとも異なる未来を残そうとしていた。
人間の尊厳と希望。
それは、ただ生き延びることではない。
誰かに決められた未来を受け入れるのではなく、自ら考え、選び、他者とともに未来をつくること。
オルガは、イリスとレオンを振り返った。
「行きましょう。シーヴァを見つけて、ガミー博士が託したものを確かめる。そして、VOIDとも向き合う。」
イリスは静かにうなずいた。
レオンもまた、決意を込めて答えた。
「今度は、NOUSISの期待する行動を自ら選ぶんじゃない。俺たち自身の判断で進む。」
月面居住区の外では、灰色の地平線の向こうに地球が青く輝いていた。
その光は、遠い故郷の記憶であると同時に、まだ見ぬ未来の象徴でもあった。
そして三人は、ディーピカから託された真実を胸に、次なる目的地――オリジン・ゲートへ向かうための準備を始めた。
彼らが向かう先には、NOUSISとVOIDの戦争の起源だけでなく、人類が自らの未来を選ぶことのできる世界が、本当に存在するのかという最後の問いが待ち受けていた。




