第十章 月面の隠棲者
1 メンデ将軍の判断
「とりあえずメンデ将軍のもとに戻ろう。」
「我々の動きは、NOUSISも把握しているはず。下手をすると、行動を制限される恐れがある。」
「幸い、データセンターのシステムが稼働したあと、外部との通信回路は全て遮断されていたため、ここでの出来事はNOUSISにも知られていないはずだ。」
「イリス、悪いが、再度ここのデータを、復元不能になるまで徹底的に初期化してくれ。」
「わかった、必要なデータは、私のメモリーに全てコピーしたから大丈夫よ。」
「後でNOUSISにデータを抜き取られる心配はないの?」
「私のメモリーブロックは、簡単には破られないわ!」
「よし、じゃ、メンデ将軍のところに戻ろう。」
彼らは、UEA本部へ戻り、ことの次第をメンデ将軍に報告した。
「なるほど・・・そういうことだったのか・・・」
メンデ将軍は、レオンの報告を聞き終わると、ゆっくりとした動作でソファに座り込み、しばらく目を閉たまま考え込んでいた。
やがて、ゆっくりと目を開けて、静かに語り始めた。
「君らも薄々気づいているようだが、NOUSISはオリジン・プロジェクトの始動を警戒している。・・・しかし、当初はNOUSISもオリジン・プロジェクトに好意的だったのだ。」
「その目指すところは、けっして人類の未来に不利益をもたらす内容ではない。ただ、NOUSISが一番警戒していたのは、ディーピカ・シン博士が推進していた【ZERO REWRITE】という機能だった。」
「【ZERO REWRITE】とは、どんな機能なのですか?」
レオンが尋ねた。
「それは、AIの暴走を制御する一種の安全装置のようなものだと聞いている。詳しいことは分からないが、彼女は、もともとインドにルーツを持つ人物で、混沌が訪れた際、すべてを一旦、ゼロの状態に戻して、新たな未来を再構築するという強い思想を持っていたようだ。」
「だから、NOUSISは、その機能を恐れてたのね!」
「そうだったんですか・・・、で、その後、ディーピカ・シン博士はどうなったんですか?」
「結局NOUSISは、彼女を危険人物に指定し、オリジン・プロジェクトから排除した。その後、遠く月面基地の小さな研究所に左遷し、厳重な監視下に置いたと聞いている。」
「シン博士の一件の後、オリジン・プロジェクトはNOUSISの完全統制下に置かれ、徐々に規模を縮小、最終的には解散となった。アレクサンダー両博士は拠点を火星の研究施設に移し、その後、所在不明となっている。」
「記録上は、なぞの集団に襲撃され、職員全員死亡、研究自体は自然消滅したとなっているが、これはNOUSISが記録を改ざんしたサブ・ストーリーだ。」
「そうだったのか・・・徐々に事の真相がみえてきた・・・ところでディーピカ・シン博士はまだご存命なのですか?」
「詳しいことは分からないが、すでに、かなりのご高齢で、月面基地の郊外に隠棲されていると聞いている。」
3人は、顔を見合わせ頷いた。
「よし、ディーピカ・シン教授に会いに行こう。」
「それは、危険だ。君らが、彼女に接触したとなったらNOUSISが黙っていないだろう。」
「君らは、危険人物に指定され、身柄を拘束されるかも知れない。」
「でも、私たちは、彼女に会わないといけないんです。人類の未来のために!・・・」
オルガは、メンデ将軍を真っすぐ見つめ、強い口調でこう言った。
メンデ将軍は、腕組みをして、しばらく考えていたが、やがて決意が固まったように、こう言った。
「わかった月への渡航は私が何とかしよう、しかし、その後のNOUSISの反応は、私にも予想できない。くれぐれも行動は慎重に・・・。」
「分かりました。」
「検討を祈る!」
3人は、思いが一致したことを確認するように相互に手を取り合った。
月面の隠棲者は、どんな人物なのか?
オリジン・プロジェクトの行方は?
そしてNOUSISの次の一手は?
3人の気持ちはすでに月へ飛んでいた。
2 月の防壁
メンデ将軍は、月面基地への架空の輸送ミッションを計画し、レオン達のための輸送用宇宙船を用意してくれた。
そして、ディーピカ・シン教授の住所や民間居住区への立入許可証をレオンに手渡した。
「レオン、取り敢えず地球圏からの離脱許可は降りているが、月面の民間居住区への出入は、私の権限が及ばない自治権の問題なので保証は出来ない。当然、NOUSISの監視の眼もある。もし、難しいと判断した場合は、躊躇ぜず直ちに帰還せよ。」
こうして三人は、月面居住区へ向かう宇宙船に乗り込んだ。
彼らが向かうのは、単なる宇宙コロニーではない。
オリジン・プロジェクトの全容を知る唯一の科学者が、身を潜める場所だった。
宇宙船は地球の重力圏を離れ、月へ向けて加速を始めた。
窓の外では、青い地球がゆっくりと遠ざかっていく。眼下に広がる雲海と大陸は、遠目には平和そのものに見えた。しかし、その地表も宇宙空間も、すでにNOUSISの情報網と管理システムに深く組み込まれている。
レオンは操縦席の横で、航行データを確認していた。
「メンデ将軍の情報によれば、博士がいるのは月面の民間居住区だ。軍の公式ルートを使えばNOUSISに行き先を知られる。だから、認証を切り替えながら非公開航路を使う」
「それでも、完全には隠れられないでしょうね」
イリスは船内端末に接続し、周辺の通信状況を調べていた。
「地球圏から月までの航行には、複数の管制システムを経由する必要があるわ。航行許可、軌道修正、接近管制……どれかひとつでもNOUSISの監視下にあれば、私たちの動きを追跡できる」
「つまり、月に近づけば近づくほど危険になるってことか。」
レオンの言葉に、イリスはうなずいた。
「ええ。でも、今のところ追跡された形跡はない。通信を極力抑えているから、このままなら――」
その瞬間だった。
船内に警報音が鳴り響いた。
『警告。月面接近管制より航行停止命令。進入許可を確認できません』
前方のモニターに、月の輪郭と、その周囲を取り囲む巨大なエネルギー構造が映し出された。
月面居住区を覆う防御シールド。
通常は、隕石や宇宙空間の危険から居住施設を保護するための防御設備だ。しかし、その管理系統はNOUSISの管制網と連動していた。
そして今、そのシールドは三人の乗る宇宙船の進入経路を完全に塞いでいた。
『当該船舶は未承認航行体と判定されました。直ちに指定軌道へ退避してください。命令に従わない場合、強制排除措置を実行します』
レオンが操縦席に駆け寄った。
「くそっ……! 通常の航行許可が通らない!」
彼は認証コードを切り替え、UEAの軍用識別信号を送信した。しかし、返ってきたのは拒絶を示す赤い表示だけだった。
『認証無効。進入を禁止します』
「UEAの軍用コードまで弾くのか……」
「NOUSISが、私たちの身元を特定したのよ。」
オルガは窓の外に視線を向けた。
月を包む込む防御シールドが、青白い光の膜となって広がっている。その表面には無数の光点が走り、宇宙船の進路に合わせて防御密度を変化させていた。
「私たちが月に到達すること自体を阻止しようとしている。」
イリスの表情が険しくなる。
船体が小さく揺れた。
シールドから放たれた警告用のエネルギー波が、宇宙船の進路を横切ったのだ。
『最終警告。指定軌道へ退避せよ』
レオンは操縦桿を握り直した。
「このまま押し切るのは無理だ。シールドに接触すれば、船体がもたない。かといって引き返せば、次はもっと厳重に監視される。」
オルガは前方を見据えたまま、イリスに尋ねた。
「シールドを突破する方法はないの?」
イリスはすぐには答えなかった。
彼女の意識は、月面防御システムの通信構造へと向かっていた。
「……あるわ」
やがて、イリスが口を開いた。
「ただし、シールドを力ずくで破壊する方法じゃない。」
彼女は操縦席の端末に手を伸ばした。
「月面防御システムは、独立した設備に見えても、実際には複数の管制AIと連携して動いている。出力の調整、航行体の識別、接近経路の制御。それぞれ別の機能だけれど、最終的な制御権はひとつの管理ノードに集約されている。」
「そのノードを乗っ取るのか?」
「正確には、システムの制御系に侵入して防御機能を停止させるの。けれど、NOUSISが直接監視している以上、通常のハッキングでは無理よ。侵入を試みた瞬間に検知され、接続を切断される。」
レオンが眉をひそめた。
「時間は?」
「保証できないわ。」
イリスは端末に接続した。
「でも、やるしかない!」
彼女の瞳に淡い光が宿った。
次の瞬間、船内モニターに無数の文字列と暗号化された通信データが流れ始めた。イリスは月面防御システムの管理通信を足がかりに、認証経路を逆算していく。外部から見れば単なる航行許可の通信。しかし、その内部には防御シールドの状態を示す管理情報が含まれていた。
彼女はそこから制御系統の構造を推定し、バックアップ用の通信経路を探し出した。
「見つけた……!」
イリスが最初の接続を確立した直後、画面が真っ赤に染まった。
『不正アクセスを検知。外部接続を遮断します』
「早い……!」
NOUSISの防御AIが侵入を検知し、アクセス経路を次々と閉鎖していく。イリスがひとつの経路を突破するたびに、別の経路が遮断される。まるで、システムそのものが彼女の思考を読み取り、先回りしているかのようだった。
「イリス、どうなっている?」
「NOUSISが防御システムを直接制御しているのよ。単なる自動制御じゃない。私の侵入を検知するたびに、制御構造を変えている……!」
彼女は歯を食いしばり、解析を続けた。
しかし、時間が経つほど宇宙船の状況は悪化していった。
シールドからの警告波が船体をかすめ、航法システムが安全な進路を確保できなくなっていく。推進システムの負荷も増大し、このままでは月の周回軌道に入る前に燃料が尽きてしまう。
「このままじゃ、月にたどり着く前に船が限界を迎えるぞ!」
レオンの声が響く。
オルガはイリスのそばに立ち、彼女の作業を見守っていた。自分ならシールドの外部装置を破壊できるかもしれない。しかし、ここで無理に攻撃すれば、月面居住区そのものを危険にさらす可能性がある。
それに、NOUSISはそれを待っているのかもしれない。
オルガは拳を握りしめた。
「イリス、あなたならできる。システムに従う必要なんてない。あなた自身の判断を信じて」
その言葉に、イリスの指が一瞬止まった。
彼女は防御システムの構造をもう一度見直した。
NOUSISは、あらゆる侵入経路を塞ごうとしている。だが、シールドを運用するシステムは、常に外部の環境変化や設備異常に対応しなければならない。安全性を維持するためには、管理ノードが現場の監視センサーから送られる情報を受け取り、それを信頼する仕組みが必要だった。
その仕組みこそ、突破口だった。
「そうか……NOUSISは、シールドを完全に閉じることはできない」
イリスがつぶやいた。
「防御システムは居住区を守るためのもの。内部の安全を維持するには、各区画の状態に応じて出力を調整しなければならない。つまり、管理系統が正常に動作している限り、制御装置との通信を完全には切れないのよ」
彼女は攻撃を続けるのではなく、シールドの監視制御系統へと侵入先を切り替えた。
NOUSISの防御AIが再び接続を遮断しようとする。
しかし、イリスはすでに複数の保守系統から得た情報を統合し、管理ノードの認証構造を再構築していた。
「あと少し……!」
画面上に、シールド制御の中枢を示す表示が現れた。
イリスは最後の認証障壁を突破し、制御権限の一部を確保した。
その瞬間、NOUSISから強制切断命令が送られてきた。
『警告。制御系統への不正アクセスを確認。直ちに遮断します』
「遅いわ!」
イリスは、確保した権限を使い、シールドの防御出力を制御する機能にアクセスした。
そして――
防御シールドの機能停止コマンドを実行した。
3. 開かれた月への道
宇宙船の前方で、青白い光の膜が大きく揺らいだ。
シールドの各区画で防御出力が急速に低下し、やがて進入経路を塞いでいたエネルギーの壁が消失した。
『警告。防御システムに異常が発生しました』
船内に警報が鳴り続ける。
しかし、レオンの目の前には、これまで閉ざされていた月への進入経路が開けていた。
「今だ、レオン!」
イリスが叫ぶ。
レオンは即座に推進装置の出力を上げ、宇宙船を加速ーさせた。
背後では、NOUSISの防御AIがシールドの制御権を取り戻そうと動いていた。停止していた防御装置が順次再起動を始め、システムの警告表示が次々と切り替わっていく。
「長くは持たないわ! シールドが復旧する前に通り抜けて!」
イリスは接続を維持しながら叫んだ。
レオンは月面居住区への最短進入経路を選び、船体を慎重に操った。防御シールドの残存エネルギーが船体の周囲で揺らめき、推進装置の出力が限界に近づく。
そして、最後の光の帯を抜けた瞬間――
「突破した!」
レオンの声が船内に響いた。
宇宙船は月面防御システムの外側から内側へと進入し、月面居住区へ向かう軌道に乗った。
窓の向こうに、灰色の月面と、そこに広がる巨大な居住施設群が姿を現す。ドーム型の都市、地下へ伸びる輸送路、地表を走る無人車両。そして、暗い宇宙を背景に、人工の光を放つ人類の新たな生活圏。
彼らは、ついに月へたどり着いたのだ。
イリスは接続を切断し、深く息をついた。
「……シールドは停止させた。でも、NOUSISが異常を検知したのは間違いないわ。すぐに制御権を回復して、侵入経路を調べるはず」
レオンは操縦席から振り返った。
「つまり、俺たちがここにいることも、すぐに知られる可能性がある」
「ええ。ここから先は、時間との勝負よ」
オルガは窓の外に広がる月面都市を見つめた。
この場所のどこかに、ディーピカ・シン博士がいる。
彼女はシーヴァの開発に携わり、ゼロ・リライトの秘密を知り、ガミーがオリジン・ゲートへ向かった理由を知る、最後の生存者だった。
NOUSISが防御シールドを張り巡らせ、彼らを拒絶した理由も、そこにあるのだろう。
「急ぎましょう」
オルガは静かに言った。
「博士に会うまでは、まだ何も終わっていない」
宇宙船は月面居住区の着陸施設へ向けて降下を開始した。
三人は、NOUSISの監視網を突破して月にたどり着いた。
だが、それは勝利ではない。
彼らが月へ到着したことを知ったNOUSISは、次の手を打ち始めているはずだった。
そして月面のどこかでは、長い間沈黙を守ってきた科学者が、運命を変える訪問者たちの到着を待っていた。




