第五章 必死の脱出劇
1.VOIDの執拗な攻撃
オルガとイリスはレオンとともに、施設の非常通路から脱出を開始した。
赤い非常灯が明滅する通路に、警報音が鳴り響く。天井から垂れ下がったケーブルが火花を散らし、破損した隔壁の向こうでは、生命維持システムの冷却ガスが白い霧となって噴き出していた。
壁面モニターに映し出されていた施設のアラート表示は、現在地を目指して次々と赤く塗りつぶされていく。
「VOIDが近づいている!」
「……冗談だろ。我々を狙っているのか?」
レオン・スティーラー少佐は、手にしたグレネードガンを構え直した。軍用戦術端末には、外部通路から格納庫に至る複数のルートが表示されていたが、その大半がすでに赤く染まっている。
「あれは私たちをねらっているんじゃない。」
先を歩いていたオルガが足を止めた。
黒髪が肩口で揺れ、黒と深緑のナノアーマーが非常灯の光を反射する。彼女の琥珀色の瞳は、通路の奥にある暗闇を見据えていた。
「この施設の何かを、壊そうとしている。」
「同じことだ。俺たちがここにいる以上はな!」
「いいえ、レオン。違うわ!」
オルガは振り返らなかった。
「私たちを排除することが目的なら、イリスを起動した直後に我々に対して集中攻撃してきたはず。でも、一部のVOIDは私たちの前で機能を停止、その他は、先に通信中継器と制御端末を破壊している。あいつらには……何か別の目的がある。」
「しかし、多くのVOIDは我々を無差別に攻撃してきたじゃないか!」
「それは、私にも分からない・・・でも、あいつらには、何か隠された行動原理があると思う・・・」
「そういう事は、後で考えろ!」
彼女の背後では、イリスが静かに歩いていた。
長い白銀の髪。淡い光を宿す瞳。つい先ほどまで封印状態にあった第2継承者は、まだ完全に機能を取り戻していなかった。身体の動きにはわずかなぎこちなさが残り、ときおり視線が揺らぐ。
それでも、彼女は歩みを止めなかった。
「オルガ……この施設のデータベースに、私が封印される前の記録が残っていたわ。」
イリスの記憶が徐々に戻ってきているようだった。イリスは胸元に手を当てた。
「VOIDは、私たちの存在を認識している可能性がある。けれど、私たちとどんな関係があると言うの?」オルガは、呟いた。
「その答えを探すのは、ここを出てからだ。」
レオンは二人の顔を交互に見た。
「今は生きて脱出する。それが最優先だ!」
オルガは小さくうなずいた。
「了解!」
その瞬間、通路の奥で金属が裂ける轟音が響いた。
三人が振り向く。
暗闇の中から、黒い粒子がくねりながら床を這って迫ってきた。粒子は壁面の配管や破損した機械類を取り込み、無数の金属片をまといながら、異形の輪郭を形成していく。
頭部に相当する部分も、腕も、脚も、固定された形を持たない。
ただ、中心部に浮かぶ黒い核だけが、周囲の光を吸い込むように赤く揺らめいていた。
「VOID接近! 2時の方向!、距離: 200(m)!」
レオンが叫ぶ。
「イリス、後ろへ!」
オルガが前に出た。
「コンバットモード・オープン! アーマーロック解除!」
オルガが叫ぶと、彼女の頭部を覆うカチューシャ状のヘッドバンドから、薄い透明な装甲板が放射状に展開して顔を覆う。緑色の光が装甲の隙間を走り、戦闘用マスクが完成した。
「今のはなんだ!」
レオンの眼は、オルガに釘付けとなった。
次の瞬間、オルガの姿が消えた。
いや、正確には、目で追えないほどの速度で床を蹴って、VOIDの背後に回っていた。
VOIDが腕のように変形させた金属塊を振り下ろす。オルガは紙一重でかわし、その関節に相当する粒子の集中部へ銃弾を撃ち込んだ。
銃声が狭い通路に鳴り響く。
弾丸は命中し、腕のような金属塊を吹き飛ばしたが、敵の動きは止まらない。砕けた金属片が吸い寄せられ、失われた腕が瞬時に再構成される。
「再生するのか……?」
レオンは遮蔽物に身を隠しながら、敵の動きを追った。
「オルガ、核を狙え! 周囲の機械を吸収させるな!」
「わかってる!」
オルガは壁を蹴り、敵の頭上を跳び越えた。
空中で身体をひねり、赤く明滅する核の中心に照準を合わせる。
だが、引き金を引く寸前、彼女の照準がわずかにぶれた。
核の周囲に、見覚えのあるデータパターンがホログラムとして浮かび上がっていたのだ。
――第一継承者ーー
その文字列は、彼女の視界の片隅に一瞬だけ現れ、すぐに消えた。
「……何?」
その隙を突き、VOIDの腕が彼女を薙ぎ払う。
オルガは床に叩きつけられた。装甲が火花を散らし、バイザーのHUDにアラート表示が点滅する。
「オルガ!」
レオンが飛び出した。
彼は射撃を続けながら、オルガとVOIDの間に割って入る。敵の攻撃が壁を砕き、飛び散った破片が彼の肩をかすめた。
「立てるか!」
「大丈夫!問題ない!」
オルガは跳ね起きた。
「でも、今の……あいつ、私を一瞬、認識した・・・。」
「後で考えろ!」
「あなた、いつもそれを言うわね!」
「生きて帰れたら、いくらでも聞いてやる!」
二人の声が交差する。
そのとき、背後から静かな声が響いた。
「二人とも、右側の隔壁を見て!」
イリスだった。
彼女は片手を壁面の端末にかざしていた。指先から淡い光が広がり、損傷した施設ネットワークの残存データを読み取っている。
「格納庫へ向かう主通路は封鎖されている。でも、保守用の減圧通路が残っているわ。ここを抜ければ、外周輸送区画に出られる。」
「外周輸送区画? 宇宙船までどれくらいだ。」
「施設の外壁を挟んで、およそ600メートル。輸送路は途中で二つに分かれているけれど、右側のルートなら、まだ電源が生きている。」
レオンは即座に判断した。
「よし。オルガが前衛、俺が後方を押さえる。イリスはルート案内だ。途中で止まるな。何があっても三人で船までたどり着く。」
「了解!」
オルガが答えた。
イリスも小さくうなずく。
三人は保守通路へ飛び込んだ。
2.崩壊する地下通路
保守通路は、人間が二人並んで歩くのも難しいほど狭かった。
床下では冷却液が漏れ、壁の向こうからは施設の構造材が軋む音が聞こえてくる。遠くで爆発が起こるたび、天井の照明が消え、数秒遅れて非常灯が赤く点滅した。
オルガは先頭を走りながら、曲がり角ごとに立ち止まり、熱源と動体反応を確認した。
背後では、レオンが銃を構え、イリスをかばうように進んでいる。
「前方に反応なし。あと100メートルで減圧区画よ!」
イリスの声が通信回線を通じて届いた。
「ただし、外部の通信網は完全に沈黙している。施設の制御システムも、ほぼ機能していないわ!」
「レオン!」
オルガの声が割り込む。
「後ろ!」
通路の床が突然、黒く染まった。
亀裂から噴き出した黒い粒子が、壁と天井を這いながら三人へ迫ってくる。粒子は通路の配線を飲み込み、破損したドローンの残骸を取り込んで、複数の刃を持つ形態へ変わった。
狭い通路では、回避できる空間がほとんどない。
「イリス、先へ!」
オルガは反転し、迫り来るVOIDへ向き直った。
「でも――」
「行って!」
オルガが銃を連射する。
黒い粒子が弾け、刃の一部が吹き飛ぶ。だが、敵は通路の壁を削りながら前進してきた。
レオンはイリスを減圧区画へ押し出し、最後にオルガへ向けて叫んだ。
「時間を稼げ! 隔壁を閉じる!」
「わかった!」
レオンが端末を操作すると、重い防爆隔壁が降下し始めた。
オルガは隔壁の外側へVOIDの攻撃を誘導する。敵の刃が床を砕き、壁から配管を引きちぎる。その瞬間、オルガは床を蹴り、横方向へ跳んだ。
VOIDの刃が隔壁の降下ラインの外側に突き刺さる。
「今!」
レオンが叫ぶ。
オルガは、VOIDの侵入を警戒しつつ、素早く隔壁内に滑り込む
ドドドドッ、轟音が鳴り響く
隔壁が一気に落下した。
しかし、隔壁が完全に閉じる直前、VOIDの細い触手状の粒子が隔壁の下から伸び、こちら側へ滑り込んできた。
オルガは一歩踏み出し、触手を踏みつけ、銃口を向けた。
「しつこいのよ!」
「パンッ!、パンッ!、パンッ!」
乾いた発射音の後に、VOIDの触手が砕け散る。
隔壁の向こう側では、黒い粒子が何度も金属を叩いていた。
しかし、ほんの数秒を稼ぐことはできた。
「急げ!」
レオンの声に、三人は再び走り出した。
3. 火星の赤い荒野
減圧区画を抜けた先には、外周輸送路へ続く気密エアロックがあった。
オルガのナノアーマーは既に元の状態に戻っていた。
3人は減圧室の手前に並んだ外装用ヘルメットを手に取り、外に出る準備をした。
「ヘルメットを装着しろ!」
シールドの向こうに広がっていたのは、火星の荒野だった。
赤褐色の砂塵が薄い大気に巻き上げられ、遠方には巨大な岩山が黒い影となってそびえている。施設の外壁には無数の損傷が走り、いくつものアンテナが折れ曲がっていた。
火星の空は暗い朱色に染まり、その上に小さな衛星が浮かんでいた。
だが、景色を眺めている余裕はなかった。
「宇宙船の位置は?」
レオンが尋ねる。
「輸送区画の先、第二発着パッド。船体の電源は待機状態のまま維持されているわ!」
イリスが答えた。
「でも、外部ハッチの制御が切断されている。手動で開けなければならない。」
「十分だ!」
レオンはグレネードガンの残弾を確認した。
「あと8発か!・・・、ちょっと厳しいな!」
「歩いて行ける距離なら、まだ勝算はある!」
オルガは空を見上げた。
施設の外壁、その遥か上方で、黒い影が動いた。
一つではない。
施設の外装を覆うように、無数の黒い粒子が広がっていた。VOIDは建物の内部だけでなく、外壁に設置された機械設備までも取り込み、異様な構造物を形成し始めていた。
「……あれが全部、VOIDなの?」
イリスが息をのむ。
「全部じゃない。あれは、周囲の機械を吸収して広がっているだけだ!」
オルガは答えた。
「でも、あの規模で広がれば、発着パッドまで飲み込まれる!」
三人は輸送路を走り出した。
火星の低重力が、彼らの歩幅を大きくする。オルガは先行して障害物を確認し、レオンは後方の警戒を続けた。イリスは走りながら、破損した施設ネットワークから断続的にデータを拾い、最短ルートを更新していく。
そのとき、地面が震えた。
施設の外壁が爆発し、金属片と砂塵が空へ舞い上がる。
破裂した装甲板の隙間から、黒い塊が滑り出した。
それは地面へ落ちると同時に、周囲の輸送機械や無人作業車を吸収した。車体が分解され、車輪が回転し、アームが折り畳まれて、巨大な四足歩行体に似た姿へと変わっていく。
その中心に、黒い核が脈打っていた。
「前方を塞がれた!」
レオンが叫ぶ。
VOIDは四本の脚を地面に打ちつけ、砂塵を巻き上げながら迫ってきた。
オルガはイリスを背後へ押しやった。
「レオン、左側の輸送コンテナを使って!」
「了解!」
レオンは射撃しながら左へ走り、コンテナの陰へ飛び込んだ。弾丸がVOIDの脚部を砕き、敵の進路をわずかにそらす。
オルガは反対側から駆け上がった。
輸送コンテナの側面を蹴り、宙へ跳ぶ。身体をひねりながら、VOIDの背部に集中する黒い核へ照準を合わせた。
今度は迷わなかった。
引き金を引く。
緑色の光をまとった弾丸が核の外殻を貫き、黒い粒子となって四方に砕け散った。
巨大な四足形態が崩れ、取り込まれていた機械部品が火星の地面へ降り注ぐ。
「突破できる!」
レオンが叫んだ。
「走って!」
三人は崩れたVOIDの脇を駆け抜けた。
だが、オルガは一度だけ振り返った。
散らばった黒い粒子は、彼女を追ってこなかった。
むしろ、まるで何かを見届けるように、その動きを止めているように見えた。
「……どうして?」
彼女のつぶやきは、虚しく脳内に響くだけだった・・・
4. 閉ざされた発着パッド
第二発着パッドにたどり着いたとき、宇宙船はまだそこにあった。
中型の長距離航行船。暗い船体には火星の赤い光が反射し、側面にはUEAの識別マークが刻まれている。船首の航法灯が、かすかに点滅していた。
だが、乗り込むための搭乗ブリッジは停止していた。
「ハッチのロックが解除できない!」
イリスが端末を操作する。
「外部制御回線が破壊されているわ。船側の認証装置も、施設の管理システムから切り離されている。」
「手動で開けるしかないか。」
レオンは船体の側面へ走った。
「オルガ、周囲を警戒してくれ。イリスは解除方法を探せ。俺がハッチを開ける。」
「待って!」
イリスが顔を上げた。
「船の認証システムに、古い研究プロトコルが残っている。私の識別情報を使えば、緊急起動できるかもしれない。」
「やってみろ!」
レオンがハッチ脇の装甲カバーを外す。
その間、オルガは銃を構え、周囲を警戒していた。
発着パッドの照明が一つ、また一つと消えていく。
黒い粒子が、地面の亀裂から静かに現れ始めた。
今度は、先ほどまでのように大きな形態を取らない。
地面を薄く覆い、コンテナの残骸や作業車の破片を取り込みながら、パッドの周縁へ広がっていく。
「レオン、急いで。VOIDがこっちに来ている!」
「わかってる!」
レオンは手動解除装置を引き出し、配線をつなぎ替えた。
イリスは船体の認証端末に手を置く。
その瞬間、指先から青白い光が広がった。彼女の意識が、船の古いシステムへと接続されていく。
「認証開始……旧ORIGIN系統を検出。アクセス権限を照合中……」
彼女の声が一瞬途切れた。
「何か、おかしい!」
「どうした?」
レオンが尋ねる。
「この船は、ただの輸送船じゃない。通常のUEA航行規格とは別の認証階層がある。ORIGIN PROJECTに関連する古い仕様よ。」
オルガの胸の奥が、かすかに疼いた。
「ORIGIN……」
その言葉が、彼女の内部に何かを呼び起こす。
記憶ではない。
記憶の奥にある、まだ名前のついていない感覚だった。
その瞬間、発着パッドの向こう側で、金属が大きく軋んだ。
黒い粒子が一斉に集まり、巨大な壁のような形を作り始める。粒子の隙間から、無数の機械部品が突き出していた。
VOIDが、三人と宇宙船の間に立ちはだかる。
「オルガ!」
レオンが叫ぶ。
「あと十秒必要よ!」
イリスが応じた。
「10秒持つかわからないわ!」
オルガは銃を握り直した。
「10秒あれば十分よ!」
彼女はVOIDへ向かって一直線に駆け出した。
敵の表面から、槍のような金属片が何本も伸びる。オルガは身をひねり、地面を滑り、跳び越え、撃ち抜く。敵の攻撃を誘導しながら、船体から離れた位置へと引きつけていった。
レオンも射撃を続ける。
「イリス、今だ!」
「認証完了!」
その瞬間、船体の航法灯が徐々に明るくなり、エンジンの予備電源が起動した。
そして宇宙船のハッチがゆっくりと開き、搭乗用の梯子が展開する。
「乗れ!」
レオンが叫ぶ。
イリスが梯子へ駆け寄る。
しかし、VOIDの一部が地面から伸び、彼女の足元へ襲いかかった。
オルガはイリスの元に駆け寄り、彼女の身体を抱えて横跳びに発着パッドの上を転がった。火星の砂塵が舞い上がり、VOIDの触手は空を切った。
「オルガ、大丈夫!?」
「平気。あなたは?」
「私は大丈夫……!」
レオンが二人のもとへ駆け寄る。
「感動の再会の続きは船の中でやれ! 次が来るぞ!」
三人は梯子を駆け上がった。
レオンが最後に船内へ飛び込み、ハッチの閉鎖レバーを引く。
扉が閉じる寸前、黒い粒子が一筋、船内へ侵入しようと外縁に張り付いた。
金属を削る音。
オルガは反射的に銃を構えた。
だが、粒子はハッチの縁で動きを止めた。
黒い核のようなものが、外側から彼女を見つめている。赤い中核が弱々しく明滅している。
オルガの脳裏に、一瞬だけ例の文字列が浮かんだ。
ーー第1継承者ーー
オルガの指が、引き金の手前で止まる。
次の瞬間、そのVOIDはゆっくり黒い砂粒となって、火星の地面へサラサラと散っていった。
「パシュッ!」
乾いたエアロック音とともにハッチが完全に閉鎖された。
5. 火星離脱
「全員、船内にいるな?」
レオンは息を切らしながら確認した。
オルガがうなずく。
イリスは壁に手をつき、呼吸を整えていた。封印から目覚めたばかりの身体にとって、この脱出はあまりにも過酷だった。それでも、彼女の瞳には、施設にいたときにはなかった強い意志が宿っていた。
「生命維持系、起動。船内圧力、正常。推進系統、予備電源からの起動を確認。」
イリスが操作卓へ向かう。
「航法データは不完全だけれど、火星軌道からの離脱は可能よ。」
「十分だ。」
レオンは操縦席に座り、起動シーケンスを進めた。
「この施設に何があったのか、VOIDは何を探していたのか、NOUSISは我々の行動を把握しているのか?・・・それとも泳がせているのか?……疑問は山ほどある。」
彼は二人を振り返った。
「だが、今は生き延びる。それから考えばいい。」
「レオン!」
オルガが窓の向こうを見つめていた。
火星の荒野では、黒い粒子が再び動き始めていた。だが、その一部は宇宙船を追おうとはせず、破壊された施設の残骸へと戻っていく。
まるで、彼らが脱出することを許したかのように・・・。
「VOIDは、私たちを殺す機会が何度もあった。それなのに……」
「見逃された・・・とでも言うのか?」
「わからない。」
オルガは自分の手を見つめた。
「でも、あいつらはただの敵じゃない。少なくとも、私にはそう思えた。」
レオンはすぐには答えなかった。
軍人としてなら、彼女の考えを危険な推測として退けるべきだった。VOIDは施設を破壊し、無数の機械を飲み込み、人類の支配基盤を脅かす存在だ。敵であることに疑いはない。
それでも、彼は先ほどの光景を思い出していた。
最後の瞬間、オルガへ襲いかかることなく、船体から剥がれ落ちた黒い粒子。
あれは偶然だったのか。
それとも――。
「今は考えるな!」
レオンは前を向いた。
「証拠を集める。誰の命令でもなく、俺たち自身の目で確かめるんだ!」
イリスが静かに続けた。
「それが、私たちの自由意志ということなのかもしれないわね。」
オルガは二人を見た。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「なら、まずはここから生きて帰りましょう。」
エンジンが低く唸り、宇宙船が発着パッドから浮かび上がった。
火星の赤い大地が、ゆっくりと遠ざかっていく。
窓の向こうでは、崩壊した研究施設が砂塵の中に飲み込まれて行く。黒いVOIDの群れがその周囲を覆っていた。
彼らは何を守ろうとしているのか?
なぜ、オルガを「第1継承者」と呼んだのか?
そして、封印されていたイリスの記憶には、どこまでの真実が残されているのか?
答えはまだ、誰の手にもなかった。
ただ一つ確かなことがある。
三人は、もはやNOUSISが描く筋書きとは、異なる道を歩んでいる。
彼らは自分たちの意志で施設を離れ、自分たちの判断でVOIDと対峙し、自分たちの選択で未来へ向かっている。
宇宙船は火星の薄い大気を抜け、暗い宇宙へと進路を取った。
その行き先に待つのは、「救い」か、さらなる「戦い」か。
オルガは前方の星々を見つめた。
「行こう。私たちが何者なのかを、確かめるために・・・。」
船は加速する。
火星が遠ざかる。




