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番外 ディナンの夜  

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

その夜、結局眠れなかった。


肩の痛みだけが原因じゃない。痛みというのは実は処理しやすい。少なくとも論理がある。どこが駄目で、どう駄目で、どこを触ればさらに駄目になるか、ちゃんとわかる。本当に厄介なのは別のものだ。肉の中にあるんじゃない。頭の中に、耳の後ろに、眼球をある角度に動かした瞬間にふっと浮かび上がる残像の中にある。ディナンの古い宿の三階に横になって、窓の外にはムーズ川があって、階下では夜遅い車がたまに石畳を踏んで、空気には洗剤と湿った木の匂いまで混じっているのに、目を閉じると見えるのはバストーニュ北側外縁の、白く冷たい工事灯だ。それから、ナチスの祭壇の内側にあった、黒というより何かが腐りかけているような、あの色。


三度目の寝返りを打って、ようやく諦めた。自分が普通に休める人間だという演技を。


希(シキ)はもう一つのベッドで眠っている。起きているときの百倍静かな寝姿で、メディカルキットは手が届く場所に置いたまま。夢の中でも誰かを縫い直す準備をしているみたいだ。葉 綺安(イェ・キアン)の方も物音はない。ただ時々、ごく浅い呼吸の間が空く。誰かがかつて借りていたリズムを、体がまだ記憶しているみたいに。レイチェルの手元の小さなランプはとっくに消えていて、エリザヴェータも無音だ。ヴィクトリアは前半のシフトを終えて戻ってきたばかりで、部屋全体が礼儀正しいくらい静かだった。俺だけが、電気代を滞納したポンコツ機械みたいに、どう切っても残電流が消えない。


ゆっくり起き上がると、左肩がすぐに警告してくる。刺すような痛みじゃない。じわりと広がる熱と腫れと、薬の匂いがする抗議だ。一度息を吸って、上着を肩に引っかけ、誰も起こさないようにドアを開けて出た。


廊下は大きな灯りを落として、壁灯だけが残っていた。木の床に落ちる黄ばんだ光は、ホラー映画の撮影にちょうどいいし、眠れない負傷兵をより一層幽霊らしく見せるのにも向いている。階下に人の気配があった。


見知らぬ人間じゃない。林 雨瞳(リン・ユートン)だ。


階段の踊り場、窓際の細い木の椅子に座っている。膝の上に地図と書き込みだらけの手帳を広げ、傍らにはとっくに冷めたコーヒーと、半分開いたノートPC。顔を上げないまま、先に口を開いた。


「もう少し足音を殺せたら、スリの採用試験に受かるわよ」


俺は最後の段に立ち止まって、鼻を鳴らした。


「警戒レベル高すぎだろ」


「そうでもない。今のあなた、肩が半壊しかけてるのを認めたくない人間の歩き方をしてるから、すぐわかる」


合理的すぎて、腹が立つ。


どうにか使い物になる程度の体を引きずって、隣の空いた椅子に腰を下ろした。木の椅子は硬くて、今の俺の体には拷問道具に近い。それでも、ベッドで耳鳴りを数えているよりはましだ。


「あなたも眠れてない」俺は言う。


「二十分は寝た」彼女は地図を半分折る。「一応、義務は果たした」


「おめでとう。俺より正常人に近い」


「違う」ようやく彼女が目を上げる。目の奥の疲労は、うまく平らにならされているが、消えてはいない。「私はただ、いつ正常を装うべきかを、あなたより少し知ってるだけ」


すぐに返せなかった。


正確すぎたから。


窓の外はディナンの夜の川だ。対岸の灯りは少なく、橋をたまに車が渡って、光がガラスの縁を伝って滑り込んでくる。彼女の横顔と俺の包帯の端を一瞬だけ照らして、すぐに消える。この時間、この場所なら、もう少し人間らしい言葉を交わすべきなのかもしれない。「大丈夫?」とか、「お疲れ様」とか、「今日はもういい」とか。でも俺も林 雨瞳(リン・ユートン)も、そういう人間じゃない。特にバストーニュの後では、どちらかが先に温かい言葉を出したら、脳震盪の後遺症に聞こえる。


だからしばらく、黙っていた。


中身がない沈黙じゃない。中身が多すぎて、今すぐ整理する気になれない沈黙だ。


先に口を開いたのは俺だ。


「さっき目を閉じたら、また内側が見えた」


どの内側か、彼女は聞かない。わかっているから。


「どの場面?」


「二刀目の直前」俺は窓の外の自分の反射を見ながら、声を低く抑える。「あの支柱、あの骨の山、針金と符で捻り固められたあれ。それから、マー・サンニャンが踏み込む前の、空間全体が呼吸しているみたいな音。ディナンはボイラーの音一つするだけで、また何かが壁から這い出てくるかと思った。くそ、こっちは暖房のパイプまで静かなのに」


林 雨瞳(リン・ユートン)はすぐに返さない。コーヒーカップを少し遠ざけた。俺が次の瞬間それを投げつけるとでも思ったのか。


二秒後、彼女は言う。


「私も、さっき下りてきたとき、宿の裏口の影でドイツ軍のヘルメットが見えた気がした」


俺は彼女を見た。


いつもの、揺れない顔だ。その一言を言うときも、特に苦そうでもなく、天気の話でもするみたいに。


「お前が?」


「意外?」口の端がわずかに動く。ほとんど動かないくらいに。「私はあなたより落ち着いてるだけで、神経がないわけじゃない」


笑ったら肩に響いて、すぐに表情が崩れた。


「くそ、今日は笑うのに向いてない体だ」


「最初から言ってた」


彼女はノートPCを閉じて、背もたれに少し体を預けた。珍しい動作だ。林 雨瞳(リン・ユートン)の座り方はいつも、すぐに立って電話に出るか、ルートを変えるか、銃を取る準備ができている。こうして背もたれに寄りかかると、逆に彼女がどれだけ疲れているかがはっきり見える。


「バストーニュの後味は、思ったより重い」彼女は言う。


「あなたはいつも最悪の事態を想定してるんじゃないのか」


「想定することと、実際に踏み込むことは別物」淡々と言う。「一番面倒なのはドイツ軍の実体化した火力網だと思っていた。違った。一番面倒だったのは、あの場所が現場の論理ごと引き剥がしていくことだった。あそこに長くいると、頭が本来受け入れるべきじゃないものを受け入れ始める。ずれた時間軸。残兵の動き方。火点が自分で意志を持つこと。工業的な外殻の中に、祭壇の心臓が宿っていること」


「その言い方だと、設計の悪い地獄の博物館に行ってきた感じだな」


「あなたはお土産まで買ってきた」


彼女の視線が、一瞬だけ上の階へ向く。


あの、ナチスの祭壇から持ち出した破片のことだとわかる。


「あれがお土産かどうかも、正直まだ確信がない」俺は言う。「どちらかといえば、手が滑って持ち帰った証拠物件だ」


「あなたは昔から、証拠を集める悪い癖がある」


「じゃないと、俺たちが一緒に狂ったのかどうか、誰が確かめる」


彼女はしばらく俺を見て、唐突に言った。


「時々、本当にただ一緒に狂っただけだったらと思う」


その一言が、俺に刺さった。


煽情的だからじゃない。彼女の口から出てくることが滅多にない種類の言葉だからだ。林 雨瞳(リン・ユートン)はふだん、こういうことを言わない。どこが切れていて、どこを補って、どこは守れて、どこは捨てるか。それが彼女の語り口だ。それが今、ずっと平らに圧されていた氷の下から、短い亀裂が一本だけ出てきた。


すぐに返さなかった。上着を肩の上に引き直してから、聞く。


「何が怖い?」


彼女は聞こえないふりをしない。


それが好きでもあり、嫌いでもある。好きなのは、彼女と話すとき回り道がいらないから。嫌いなのは、彼女も同じように俺に逃げ場を作らないから。


手帳を一枚めくる。びっしりと文字と矢印が並んでいる。全部は読めないが、丸で囲まれた言葉がいくつか見える。ブリュッセル。監視。医療。接点。露出。尾行。


「ブリュッセルに入ったあと、私たちが人間じゃなくなっていくのが怖い」彼女は言う。


俺は眉をひそめた。


「哲学的すぎる。らしくない」


「じゃあ哲学じゃない言い方に変える」手帳を閉じる。声は相変わらず平らだが、さっきより少し低い。「入った瞬間から、分類される。目撃者、使える資産、異常接触者、保護対象、管理対象、話を聞くべき人間、解剖して中を見るべき人間。そうなったら、どう動くかを決めるのは私たちじゃない。私たちがいくらの値打ちかを決めるのが、別の誰かになる」


俺は背もたれに体を預けて、ゆっくり息を吐いた。


「それは同意する。バストーニュじゃ、混乱に乗じて逃げられた。首都で本当に嚙まれたら、壁を一枚破れば済む話じゃない」


「ブリュッセルの危険は、公的機関だけじゃない」彼女は窓の外を見る。「大都市には目が多すぎる。政府の目、メディアの目、企業の目、情報屋の目、民間請負業者の目、そして自分が誰のために見ているかすら知らない人間の目。バストーニュみたいな場所は、怪異が先に来て、官僚が後から追いつく。ブリュッセルは逆だ。あそこでは官僚と情報と利権の網そのものが、怪異になる」


思わず笑いが漏れた。


「それ、観光ガイドに載せるべきだ」


「売れない」


「売れる。俺たちみたいな物好きには」


彼女も笑った。短く、薄く。でも確かに笑った。


笑いが消えると、残るのは骨まで染みた疲労だけだ。


包帯を巻いた自分の肩を見下ろしながら、俺は言う。


「実はもう一個、怖いことがある」


「言って」


「バストーニュから何かが付いてきた気がする。あの破片じゃなくて、別の何かが」俺は膝を指で叩く。「憑依みたいなものじゃない。もっと怖いのは……変化だ。あの場所を通ってきたあと、頭の中の一本の線が、あそこに触れた。普段は感じない。でも何かの拍子に、その線が勝手に震える。さっき部屋でボイラーの音がしただけで、銃に手が伸びそうになった。神経質になることが怖いんじゃない。その反応が、普通になっていくことが怖い」


林 雨瞳(リン・ユートン)は否定しなかった。慰めもしなかった。


ただ言った。


「もうなってる」


俺は顔を上げた。


彼女はまっすぐ俺を見据えていた。


「あなただけじゃない。私も同じ」彼女は言う。「さっき明日のルートを整理していたとき、最初に考えたのは、どの道が走りやすいかじゃなかった。どの道が一番、交差射撃帯になりにくいか。ここはディナンで、バストーニュじゃない。それでも頭の中はまだ屋上、横道、遮蔽物、撤退口の順で計算してる。これが後遺症。私たちが弱くなったんじゃない。脳がまだ『今は一時的に下ろしていい』という命令を受け取ってないだけ」


「その命令、受け取ったことはあるのか?」


彼女は少し黙った。


「ずっと前に、一度だけ」彼女は言う。「でも、ああいう命令はたいてい嘘だって、後でわかった」


その「ずっと前」がいつのことか、俺は追わなかった。


林 雨瞳(リン・ユートン)との間には、「ある」とわかっていても掘り起こさないものがいくつかある。重要じゃないからじゃない。一度掘ったら、別のものまで引きずり出すとわかっているからだ。特に俺と彼女の関係は、単純なチームメイトじゃない。彼女は元カノだ。その事実は、よく埋められた釘みたいなものだ。普段は地面から出て足に引っかかることはないが、ある角度で踏んだとき、まだそこにあるとわかる。


彼女が口に出していない重圧の、半分くらいは俺にも想像がつく。


チームは今どうにか機能しているが、実際には多くの部分が彼女に支えられている。ルート、中継点、判断の優先順位、誰を先に休ませるか、誰を先に黙らせるか、誰が外部と話すべきか、どの情報を先に隠して、どれを先に流すか。エリザヴェータは大きな方向を定めるのが上手い。ヴィクトリアは実行が上手い。レイチェルは現場の整理が上手い。希(シキ)は人間をぎりぎり生きている範囲に保つことができる。でも、それらすべてを一本の線の上で辛うじて引っ張り続けているのは、ずっと彼女だった。


この種の重圧の一番厄介なところは、騒がないことだ。


傷口みたいに血が出るわけじゃない。砲弾みたいに爆発するわけでもない。ただ静かに、人の睡眠と、忍耐と、目の奥にあったはずの日常の光を、少しずつ削っていく。周りが気づいたときには、たいていその人はもうずいぶん長く持ちこたえている。


俺は彼女を見て聞いた。


「ちゃんと眠れたのはいつだ?」


「今日の話? 最近の話?」


「両方」


「今日は合わせて一時間もない。最近は……足りてる」


「お前が『足りてる』と言うときは、全然足りてないときだ」


「あなたが『まだ平気』と言うときも、同じ」


二人で一秒、見合わせた。この会話が、お互いの弱点を知っている人間同士が石を投げ合っているだけだと気づいて、また二人とも黙った。


階下から、ごく小さなドアの音がした。ヴィクトリアのシフトが終わり、レイチェルが後半に入ったのだろう。古い宿だから、木と金属が夜に自分で小さな音を立てる。バストーニュの前なら、防音が悪いなと思うだけだった。今は細い音のたびに問いかけてくる。もう少し緊張するか、と。


俺は手をポケットに入れて、ジャックの紙に触れて、そのまま止めた。出さなかった。


林 雨瞳(リン・ユートン)は気づいていた。でも聞かなかった。


しばらくして、彼女が唐突に言った。


「祭壇の中にいたとき、一瞬、あなたが戻ってこないと思った」


その言葉は、ずっとテーブルの端に置いてあったものを、ようやく真ん中に押し出したみたいに、何の飾りもなく出てきた。


俺は彼女を見た。


彼女は目をそらさない。


これは戦術判断の話じゃないとわかる。もっと面倒なやつだ。同じ作戦の中にいて、同じ人間が同じ方向に消えていくのを見ながら、理性では動いているとわかっていても、感情の方はもう一つの結果のために場所を空け始めている、そういう話だ。


「俺も、一瞬そう思った」俺は言う。


「どの瞬間?」


「マー・サンニャンが二刀目を入れる直前」俺は窓ガラスの上の自分の薄い反射を見る。「あの場所の圧力がおかしくなった。死ぬのが怖いとか、そういう話じゃない。もう半拍遅れたら、あの場所が先に『俺』という何かを食って、肉をどうするかは後で決める、そういう確信が来た」


彼女は聞き終えて、指でカップの縁を軽く叩いた。


「あのとき、あなたは振り返らなかった」


「振り返っても意味がなかった」


「わかってる」彼女は言う。「でも外で待っていたとき、一番嫌だったのは、その『わかってる』という感覚だった」


軽い言い方だが、どんな直接的な言葉よりも重かった。


わかるからだ。


重圧というのは、知らないことからじゃなくて、知りすぎることから来る場合がある。今あの人物がどこまで深く入っているか。どの節点があと三十秒で噛み合うか。どの射撃窓をこれ以上見逃せないか。全部わかっている。それでも外で待つしかない。結果が自分で戻ってくるのを待つしかない。その種の待ち方は、人を特別なやり方で削っていく。


俺は低く言った。


「悪かった」


彼女が少し止まった。その言葉が来ると思っていなかったみたいに。


それから首を振る。


「そういう謝り方じゃない」彼女は言う。「あなたが入ったのは英雄ごっこじゃない。あのときはそうするしかなかった。怒ってもいない。ただ……」


そこで止まった。


林 雨瞳(リン・ユートン)が文の途中で止まるのは珍しい。彼女はたいてい、自分が何を言いたいかを知っていて、どう言えば効果的かも知っている。今こうして止まったということは、口に出なかった部分の方が、出た部分より大きいとわかる。


数秒、俺は待った。急かさなかった。


最後に、彼女自身が続けた。


「ただ、もう二度と見たくないだけ。目の前にいるのに、もう戻ってこない形を、覚悟し始める瞬間を」


鈍い刃の背で、肋骨をゆっくり叩かれた気がした。


すぐに口を開かなかった。


今ここで軽口を叩けば最低だ。かといって真面目すぎる返しをすれば、まだ俺が責任を取る準備のできていない方向へ空気が滑っていく。だから俺はただ正直に、その場に座っていた。肩は熱を持っていて、耳の奥にはまだバストーニュの残響があって、それでもゆっくり言った。


「俺も、お前に二度目を見せたくない」


彼女は俺を見た。目は柔らかくもなく、冷たくもなかった。


「なら死ぬな」


「それは要求水準が高い」


「せめて間抜けな死に方はするな」


「それなら少し自信がある」


彼女が本当に笑った。短くて、薄い。でも今度のは、さっきのより彼女らしかった。少し冷たくて、少し呆れていて、「なんで私はあなたにこんなことを言わなきゃいけないのか」が混じっている笑い方だ。


笑いが消えると、彼女は唐突にブリュッセルの話に切り替えた。


実に彼女らしい。


「もし行くとして」彼女は言う。「最悪の事態は?」


考えるまでもなかった。


「最悪は捕まることじゃない。使われることだ」


「もう少し詳しく」


「誰に使われても同じだ」俺は言う。「政府機関は俺たちがどこまで知っているか把握したい。情報機関はバストーニュから生きて出た方法を知りたい。メディアは俺たちをコンテンツにしたい。一部の民間組織は、祭壇の破片と目撃データと葉 綺安(イェ・キアン)の状態を商品として扱いたい。一番面倒なのは、先に助けるふりをして、十分に情報を引き出してから、まだこちらを生かしておく価値があるか判断するやつだ」


彼女は頷く。


「私の想定と大体同じ」


「それと、ブリュッセルの一番ずるいところは、安全だという錯覚を与えることだ」俺は言う。「灯りが多くて、人が多くて、規則が多くて、オフィスが多い。全部文明的に見える。でも文明的な場所ほど、人間を細かく切り分けるのが上手い。バストーニュの刃は顔に向かって直接来た。首都の刃は、書類袋に包まれて来る」


「今日のあなた、いつもより報告書向きね」


「怪我をすると文章力が上がる」


「違う。普段から持ってる猜疑心を、やっと最後まで言葉にしただけ」


反論できなかった。


しばらく、また黙った。


彼女は地図を広げ直して、いくつか印のついた線を指さした。


「明日の午後までに人と車が安定していれば、明後日に入りたい」彼女は言う。「一番直接的な幹線は使わない。時間差をつけて、車間距離を開けて、まず外縁に入る。中心部は急がない。最初に一つだけ窓口に当たって、それから奥へ進むかどうか決める」


「窓口は決まってるのか」


「まだ選んでる」ペン先で二つの印を叩く。「今一番怖いのは、窓口が見つからないことじゃない。窓口が熱心すぎることだ」


俺は頷いた。


「熱心な人間は全員危ない」


「特にブリュッセルでは」


彼女がペンを閉じて、横から俺を見た。


「他に気になることは?」


あると言おうとした。山ほどある。でも口から出てきたのは、別の言葉だった。


「ある」


「言って」


俺は夜の静かな川を見て、二秒置いてから口を開いた。


「お前が持ちこたえすぎることが怖い」


今度は彼女が止まった。


一瞬だけ。でも俺には見えた。


俺は続けた。彼女が「何を急に言い出してるの」という顔で話を遮る前に。


「バストーニュのあの一連、全員が持ちこたえていた。希(シキ)は医療を持ちこたえて、ヴィクトリアは補給を持ちこたえて、エリザヴェータは判断を持ちこたえて、レイチェルは外部との対応を持ちこたえて、記者の三人は自分が崩れないように持ちこたえた。でも、その全部をばらばらにならないように一本に引っ張り続けていたのはお前だ。お前が一番何ともなさそうに見えるから、みんな自動的にお前はもう少し持てると思う。それは危ない」


彼女はさっきより長く黙った。


長すぎて、俺は一度、「自分のことを先に心配しなさい」と冷たく返されると思った。それが彼女らしい返し方だ。


でも、そうじゃなかった。


彼女はただ手の中のペンを見下ろして、ごく静かに言った。


「自覚はある」


その三文字は、どんな反論よりも疲れて聞こえた。


俺はあそこまで直接に言ったことを、少し後悔した。言うべきじゃなかったからじゃない。彼女が認めた瞬間、俺の中の推測が現場の石になって、重さが一段階変わったからだ。


「今のお前が駄目だと言ってるわけじゃない」俺は付け足した。言ってから、この一言が間抜けだとわかった。


彼女は俺を見て、笑いたいような、怒りたいようなという顔をした。


「言い間違えてから取り繕おうとしてる人みたいね」


「そのままだから」


「意味はわかった」彼女は椅子の背もたれに体を預けて、暗い廊下の先を見る。「ただ、こういうことは持ちこたえるかどうかの問題じゃなくて、選択肢がないことが多い。バストーニュのあの夜、私が一拍遅れたらルートが崩れた。私が先に崩れたら、他の全員がもっと崩れた。今もそれと同じ。ブリュッセルに入って、少し足場が固まるまでは、誰も先に崩れる余裕がない」


「だから俺が一番嫌いな種類の答えだ」


「私も嫌い」彼女は言う。「でも、たいていこれが一番本当に近い」


俺は彼女の横顔を見た。昏い壁灯の下で、目の下の疲労は意外とはっきり見えた。普段、誰も彼女をじっと見ようとしないか、まだ動けているように見えるから自動的に見落とすか、どちらかだ。


ふと、ずっと前に、夜中に二人で話したことを思い出した。あのときはディナンじゃなかった。バストーニュもなかった。ドイツ軍も、祭壇も、首都に入るかどうかの問題も、何もなかった。今から振り返れば、ほとんど贅沢なくらい普通の悩みだった。それでも今もまた、二人で夜中に並んで座っている。話しているのは、より大きなシステムに自分たちを解体されないようにするには、どうするかだ。人生というのは時々、わざと笑えない方向へ続いていく。


俺は彼女に聞いた。


「ブリュッセルに行かないという選択肢、考えたことはあるか」


彼女はすぐに答えなかった。


それは考えたことがないわけじゃない、ということだ。


「ある」彼女はやがて言う。「ディナンに着いたばかりのとき、一瞬、もっと小さな場所に隠れようとも思った。山の中、国境沿い、ナビが更新するのも面倒くさがるような小さな町。まず人間を回復させてから、それから考えようって」


「それはいい案に聞こえる」


「いい案だけど、意味がない」彼女は俺を見る。「バストーニュは、自分で閉じるものじゃないから。あなたもわかってるし、私もわかってる。ああいう節点が一度出てきたら、後にも必ず別のものが続く。逃げてもいい。でも逃げ続けると、最後は誰かに状況を決めてもらうことになる」


「だから、中に入るしかない」


「そう」彼女は言う。「問題は、飲み込まれる前に、中がどういう形をしているか見えるかどうか」


これはブリュッセルの話であり、今の俺たちの話でもある。


俺は頭を後ろへ傾けて、一度目を閉じた。


耳鳴りはまだある。でも遠い機械音に近くて、もう砲撃の残響ほどじゃない。階段の空気は少し冷たくて、肩の包帯が体温でゆっくり温まっていくのがわかる。林 雨瞳(リン・ユートン)は急かさない。立ち去りもしない。ただ同じ空間にいる。この種の付き合い方が彼女らしい。特別に慰めもしないし、特別に近づきもしない。ただ、同じ場所にいると知らせてくれる。俺みたいな人間には、きれいな言葉よりもずっと効く。


しばらくして、俺は目を開けて言った。


「もしブリュッセルで本当にチームを切り離さなきゃいけなくなったら、最初に切るのは俺にしてくれ」


彼女が振り向いた。眉がすぐに寄る。


「何を馬鹿なことを言ってるの」


「本気で言ってる」俺は言う。「入った後で状況がおかしくなったとき、一番視線を引きやすいのは俺だ。バストーニュの外縁、祭壇の内側、肩の傷、交戦情報、ジャックとの繋がり、それから俺が持ってる破片。本当に誰かが噛みついてくるなら、俺を噛むのが一番効率がいい。そのときは完全な隊形を維持しようとして時間を無駄にするな。切れるなら切れ。お前が他の連中を連れて動く方が、ずっと価値がある」


彼女は俺を見た。目が、一瞬で冷えた。


怒りじゃない。明確な拒絶だ。


「そういう前提は受け入れない」


「ロマンチックな自己犠牲じゃない。計算だ」


「だとしても、計算が悪すぎる」彼女は言う。「自分が一番切り捨てやすい駒だと思ってるみたいだけど、あなたが噛まれた瞬間、チーム全体がもっと乱れる。希(シキ)が先に爆発する。葉 綺安(イェ・キアン)の状態も不安定だ。記者たちは混乱して余計なものを撮る。ヴィクトリアは口では強いことを言っても、実際にはすっぱり切り捨てられない。エリザヴェータはそれ以上に、核心の情報をあなたと一緒に他人の手に渡すことを絶対に許さない。何より――」


そこで少し止まった。何かを抑えるみたいに。


「何より、他の誰かのために、先に何を失うか決めるな」


その言葉が出た瞬間、階段全体が静まった。


俺は彼女を見た。何を返せばいいか、わからなくなった。


彼女の言葉は、戦術の話をしていない。


いや、戦術の話だけをしているわけじゃない。


彼女はふだん、こういう言い方をしない。何でも処理できる単位に分解して、一つずつ並べて、何を先にやるか、何を後回しにするか、何を切り捨てた方が合理的か、それだけを話す。今は、その冷たい処理の層を一角だけ引き剥がして、ずっとそこにあったのに滅多に表に出てこないものを、見せた。


重圧。恐怖。そして、俺が彼女の代わりに「これなら失っていい」と決めることを、彼女は許さないという意志。


喉が少し乾いた。最終的に、俺にできたのはこれだけだった。


「わかった」


彼女は俺を見た。この「わかった」が本物かどうか、確かめるような目で。


俺はもう一言付け足した。


「ちゃんとわかった」


今度は、彼女がゆっくり視線をそらした。


「それでいい」


俺たちはもっと遅くまで座っていた。


大きな話はそれ以上しなかった。細かいことを少しずつ片付けた。明日、誰が医療品を買いに行くか。誰が衣類と簡単な工具を調達するか。K7の固定部品の代替品が、ディナンで見つかるかどうか。あの破片にもう一層の遮断を追加するかどうか。ブリュッセルに入るとき、二台の車を四十分以上ずらして入城した方がいいかどうか。どれも些末な話題だ。でも些末だからこそ、人の神経を一本ずつ日常に引き戻してくれる。


話し終えて、彼女はペンをバッグにしまって立ち上がった。


「戻って寝て」


「命令?」


「提案」彼女は俺を見下ろす。「でも従った方がいい」


俺もゆっくり立ち上がった。肩がぎゅっと締まる感覚があって、顔色はたぶんよくなかった。彼女はそれを見たが、手を貸さなかった。ただ一歩だけ遅らせて、俺が格好をつけて自分で動作を終えられるようにした。これが彼女の気遣いの仕方だ。目立たないが、正確だ。


階段を上がる前に、俺は呼び止めた。


「雨瞳」


「何?」


「さっきの話……ありがとう」


彼女は階段の中段に立っていた。背後に昏い壁灯と、夜の一片。


「大げさ」彼女は言う。「慰めてたわけじゃない」


「わかってる」俺は口の端を少し動かした。「だから余計に効いた」


彼女はその一言には返さなかった。代わりに言い捨てた。


「じゃあ覚えておいて。ブリュッセルで余計なことをするな」


「死ぬなより少し達成しやすい要求だ」


「『少し達成しやすい』は受け入れない。『やる』が欲しい」


「厳しいな」


「あなたが管理の必要な人間なのよ」


彼女が先に上がっていく。俺はその後ろをついていった。急ぎもせず、遅れもしない、その背中を見ながら、バストーニュが残していった後遺症の中で、少なくとも一つだけ、今夜少し押さえられたものがあると気づいた。


恐怖でも、疲労でもない。


隣に人がいるのに、自分だけがすでに戦場に半分切り取られていくような、あの感覚だ。


ディナンの夜はまだ静かで、ムーズ川はまだ流れていて、ブリュッセルというもっと大きくて、もっと明るくて、もっとうまく人間を食う場所が、まだ前で待っている。重圧は減っていない。リスクも消えていない。明日になれば、これらの問題はもっと文明的な外装を纏って、また席に着くとわかっている。


でも少なくとも、この深夜、この古い宿の昏い階段の中で、俺と林 雨瞳(リン・ユートン)は、口に出せなかったものを少しだけ出した。


言葉にすることは、解決じゃない。


ただ、重圧が自分一人にだけかかっているわけじゃないと、知ることができる。


それだけで、もう一日前に進める。

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