148.想定外 3
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
嘘じゃない。状態が崩れ始めていて、まともな文章が作れなくなっているんだ。こういうとき無理に追い込んでも、質問の立て方を間違えた場所で相手が死ぬだけで、大して言葉は出てこない。
そのときバローロ神父が歩み寄ってきた。棚から引き抜いてきた長い巻き文書を手に持っている。
「彼の話だけ聞かなくていい」彼は文書を長テーブルに広げた。「ここに動員令がある」
俺とルシアが同時に頭を下げた。
それはフランス語とラテン語が混在した文書で、書式は古い教会の公告に似ているが、内容は全く別物だった。フランス南部のいくつかの地点が列記され、後ろに数字と記号が続き、一番下には太字の命令文が一行。
白袍諸隊先行、死軍後列、入馬賽、斷南門、令眾先見。
読み終えて、俺の口から出た最初の言葉はやはりこれだった。
「今から十字軍でも始めるつもりか?」
今回は誰も冗談だとは思わなかった。
なぜなら文書の隣に、もう一枚の表が挟まっていたからだ。標題は「騎士装備仕様」。
そこには非常に粗雑な略図が描かれていた。白い尖帽、長ローブ、十字の紋章、腰帯、短刃、骨格内側に当てる骨製の甲冑。脇の備考は極めて実務的だった——どのロットが前列に適しているか、どのロットはまだ補修が必要か、どの骨格は乾燥で亀裂が入っていて長距離行軍に不向きか、どれは灰塩で補強が必要か。
俺はその紙を二秒ほど眺めて、黙っていた。
以前から俺はずっとそう思っていた。この世で一番怖いのは狂人じゃない。工程表を書ける狂人だ。
今、その考えを少し修正する。
一番タチが悪いのは、フロー図まで引いて、物流と衣装の統一まで把握してるイカれ野郎だ。
ルシアはもう写真を撮って、証拠を封印して、あとから入ってくる鑑識にバトンを渡す段階に入っていた。いくら動きはキレキレでも、その顔色はどうしても悪くなる。何を意味するか、あいつは分かってる。
一つのアジトじゃない。 一回きりの局地掃討でもない。 一本の捜査線でもない。
もう走り出している、大規模な「非常規行動」の一部だ。 しかも、その目的地はフランス第二の都市圏の一つ。
そのタイミングで、イヤホンからハビエルの声が飛んできた。
「北側、報告。」
ルシアがイヤホンを押さえ、声は相変わらず落ち着いているが、さっきより明らかに冷たい。
「リトリート施設地下のコアは確保済み。C.A.L.F.(カルフ)がフランス南部の行軍データと動員計画を保持していたのを確認。小規模浸透じゃない、編成単位の屍兵戦力の動員。数は——」
そこで一瞬、言葉を切り、俺の方を見た。
俺がその続きを拾う。
「三万。」
イヤホンの向こうが、二秒ほど黙り込む。
そのあとで、ハビエルが、あいつの口からは滅多に出てこないセリフを吐いた。
「もう一回言え。」
「三万だ。」俺はイヤホンに向かって言う。「三十でも三百でもない。台帳、動員命令、輸送表、サンプルも揃ってる。お前らが今夜スペインで捕まえたのは邪教の支部なんかじゃない。フランス南部戦区の南線拠点、その前段ノードだ。」
ハビエルは、またしばらく黙った。
次に口を開いたとき、声はもう国家警察の標準報告トーンなんかじゃない。喉に鉄の塊でも突っ込まれたみたいに、ガチガチに固くなっていた。
「目標地点は確定か?」
俺は黒板の文字を見上げる。
「マルセイユ。」
「……クソ。」
この一言がハビエルの口から出た時点で、その重さは相当なもんだ。あいつみたいなタイプは、普段の罵り言葉は感情表現じゃない。時間短縮のための記号だ。そのハビエルが、わざわざ罵った。つまり、もう「取り繕うのも面倒なくらいデカい話」だと自分で認めたってことだ。
ルシアが引き継いで報告を入れる。目の前にあるものを、順番立てて、要点だけをハビエルに流し込んでいく。白いローブ一式の装備。乾いた遺体のサンプル。フランス南部の各拠点ポイント。先遣隊と屍兵戦力の区分。マルセイユへのルート。沈んだ庭園と、山中の鐘の音が同じ誘導システムに属する可能性。その一項目ごとに、俺の中のイラつきが、目に見える形になっていく。
この線を全部つなげたとき、浮かび上がる絵面が、あまりにもハッキリしすぎるからだ。
C.A.L.F.は、スペイン側で地図を奪い、修道院を締め上げ、ダミー会社や支援拠点を潰して回っていた。あいつらの狙いが「ロンギヌスの槍だけ」なんて、そんなショボい話のわけがない。
もっとデカい案件のために、道を掃除していただけだ。
修道院の一件は、最初から最後まで、落とし所なんかじゃない。
ただの表玄関。
さっきこの口の減らないC.A.L.F.幹部が言ってた通りだ。スペインは玄関でしかない。
ヨーロッパ南線全体を一気に爆ぜさせる起爆点——本命はフランス。
林雨瞳が降りてきたのは、ちょうどそのタイミングだった。
彼女が扉をくぐり、両側の白いローブの列と、中央の黒板を目に入れた瞬間、足取りが半拍ぶん、はっきりと止まる。あの人間は、普段から十分すぎるほど冷たい。そんな彼女の歩みを一瞬でも止められるものなんて、そうそうない。
まず黒板。 次に台帳。 最後に、俺のそばまで歩いてくる。
「煙幕じゃない。」
「少なくとも、今の時点ではな。」俺はそう返す。
彼女は軽くうなずき、現場記録を引き継いだ。雨瞳のメモは、いわゆる「ノートを取る」という動きとは違う。あれは、死体に整理番号を振っていく作業に近い。こういう状況では、本当にありがたい存在だ。目の前に積み上がるこの有象無象を、警察システムにだけ任せて整頓していたら——書式をキレイに整え終わる頃には、マルセイユが一回り死に尽くしているだろう。
俺は、彼女が「騎士標準装備表」をスキャンしているのを眺めていて、ふと何かを思い出し、さっきまで手錠を掛けられて座らされていたC.A.L.F.幹部に顔を向けた。
「お前ら、自分たちのこと、カッコいいとでも思ってんのか?」
男は咳き込む。口の中は血まみれだ。
「白い……騎士だ……先に……街へ……」
「分かってるよ。」俺は言う。「その格好だ。白ローブに十字軍の紋章までぶら下げて。聞いてんのは『イケてるつもりなのか』って話だ。」
男は俺を見上げる。その目に宿るイカれた光は、まだ完全には消えていない。
「羊を導く者は……街に姿を……見せねば……」
「はいはい。」俺はうなずき、立ち上がる。
「了解。」
それからルシアの方へ顔を向ける。
「こいつからの尋問は、もういらない。」
ルシアが眉を上げる。
「確信は?」
「ああ。」俺は男を見据えたまま言う。「こいつの役目は情報将校じゃない。プロパガンダ用の見本市だ。大枠のコンセプトは知ってるが、細かいところは、もっと上の通信担当か、フランス側のノードが握ってる。これ以上絞っても、『軍勢』だの『羊飼い』だの『先見者』だの、宗教ポエムを繰り返すだけだ。」
俺がそう言った瞬間、男の目つきに、一瞬だけ、はっきりとした苛立ちが走った。
上等だ。こっちの読みが当たった証拠。
本当に人間のメンタルを壊すのは、殴ることじゃない。「お前なんか、宗教スローガンを運ぶ中間管理職でしかない」と言い当ててやることだ。
バローロ神父は、すでに重要度の高い書類を数枚、分けて抜き出していた。ここ数章で何となく薄まっていた、あの元来の威圧感が、ようやくじわじわ戻り始めている。別に急に怒鳴り始めたわけじゃない。ただ、話題そのものが、もともとあいつの守備範囲ど真ん中だってだけだ。
神父は、その一枚を俺に差し出した。
「これを見なさい。」
それは、手書きの古い名簿だった。
字も古い。紙も古い。とてもじゃないが、ここ数日で捏造した代物じゃない。一番上には、フランス南部の古い修道院の名が記されている。綴りの細部までは読み取れないが、その下に並ぶ記録の列は明快だ——地下納骨庫の封鎖、十字軍戦死者の遺骸、戦死した巡礼団、名義不明の騎士、教会財産の移管、戦後の埋葬……ページをめくっていくと、最後に一行、こう書き足されていた。
後日の軍事利用に供しうるも、公には示すべからず。
俺は読み終え、顔を上げて神父を見る。
「未来に地雷を仕込むの、本当に得意だよなお前ら教会。」
バローロ神父は、その一言で刺された様子も見せない。ただ、冷えきった声で告げる。
「それは教会が正式に残した備考ではない。戦後、外部の整理担当が付け加えたものだ。つまり、何十年も前から、フランス南部の納骨庫や遺骸を『資産』として棚卸ししていた者たちがいる。」
「ワイスマンか?」
「必ずしも最初から彼だとは限らない。」神父は言う。「だが、彼の系統がどこかの段階で引き継いだ可能性は高い。」
そこで、また一段、全体像がクッキリしてくる。
ワイスマンは、何もないところからC.A.L.F.を生やしたわけじゃない。C.A.L.F.も、完全に新しく生まれた組織なんかじゃない。もっと戦後から腐り続けてきた根っこがあって、その上に伸びた奇形の枝がこいつらだ。スペインの修道院事件は、その枝が最近また伸びてきただけ。フランス南部の納骨庫と白ローブこそが、本当にあいつらを肥え太らせてきた餌場。
俺は名簿を机に戻し、もう一冊いこうと手を伸ばした、そのときだ。部屋の一番奥から、さっきよりも鈍い音が響いた。
今度は木箱が擦れる音じゃない。
もっと奥にある、分厚い扉の向こう側を、誰かが内側から叩いたような音。
全員が一斉に銃を構え直す。
音のした方をたどると、牛の頭の紋章が刻まれた重い扉の脇に、もう一枚、細い石扉があるのに気づいた。ほとんど死角の陰に隠れていて、隙間もごくわずか。さっきまで気をつけて見ていなければ、まず分からない。
「なんだよこのクソ穴、マトリョーシカかよ。」
俺は小声で悪態をつく。
ルシアが顎をしゃくると、二人の特殊部隊員がすぐさま扉に張り付いた。だが今回は、俺たちが触れる前に、その石扉の方が勝手に、きしみながら細い隙間を開け始めた。
中から、冷気があふれ出す。さっきまでのどの部屋より、温度が低い。
そして、さらに濃い、年季の入った埃と、乾いた死臭が、塊になって転がり出てくる。
俺の引き金を握る手は、むしろさらに安定した。
扉の隙間から最初に出てきたのは、人間じゃない。
「手」だった。
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