146.反撃 2
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
修道院が襲われたのは、S.O.M.B.R.A.に侵入能力があったからだけじゃない。「あそこに物がある」と誰かが知っていたからだ。C.A.L.F.が後から雪崩れ込めたのも、天啓があったからじゃない。同じ物がそこに隠されていると知っていたからだ。その「知っていた」は、どこから来た? 山羊が教えたわけじゃない。
バローロ神父の顔色は悪かったが、飲み込むしかなかった。
俺はテーブルの銀鍵を見ながら、口を開いた。
「信頼ごっこはやめろ。今一番安全なやり方は、一つだけだ」
全員の目が、俺に向く。
俺は指先で銀鍵をとんとんと叩き、その次に地図を指した。
「物はバルセロナから出さない。ただし教会の保管庫にも入れないし、普通の証拠品庫にも入れない。二重ロック、二人体制、二重記録。鍵は二本。国家側が一本、教会側が一本。片方だけでは触れない。地図は高解像度で三部スキャン。一部はルシア、一部はハビエル、一部は俺が見る。原本は封印」
ルシアがわずかに眉をひそめた。「見たの?」
「ああ、俺が見る」俺は言った。「だってこれからフランス、ベルギー、オランダに行くのも、どうせまた俺だろ。国警の代表団を丸ごと引き連れて俺のヨーロッパ周遊に付き合わせたいってんなら止めないけど、上は絶対に嫌がるだろ」
ハビエルは俺を見たが、すぐには頷かなかった。
何を考えてるかは分かる。こういうタイプが一番嫌うのは、体制の外側にいる人間がテーブルのど真ん中に座ることだ。しかもそいつが東洋から来た、口が悪くて、宗教的身分もごちゃごちゃで、経歴を調べても安心できる材料が何も出てこない厄介者となればなおさらだ。
残念ながら、今この場でこの盤面の回り方を一番分かってるのは俺だ。
それが現実だ。現実ってのは、誰が一番お役人っぽく見えるかで有用度が決まる世界じゃない。
ルシアが先に頷く。
「合理的ね」
ハビエルが彼女を横目で見た。
「返事が早いな」
「だって、今あなたに足りないのはプロセスじゃなくて答えよ」ルシアは手に持っていた資料をテーブルの上に置いた。「それに、今夜やることは、この鍵を抱えてぼーっとしてることじゃないわ」
その言葉が落ちた瞬間、ようやく本当の作戦卓が動き出した。
ルシアはいくつかの資料を分けて、こちらに押し出してくる。
「現在、C.A.L.F.のスペイン国内ノードを三種類に分類してるわ。第一に資金と物流のノード、ワイスマンのペーパーカンパニー外郭構造と重なってる部分。第二に儀式と拘禁のノード、山間部の可動拠点、廃棄農牧施設、コールドチェーン倉庫、宗教的隠蔽空間を含む。第三に実行ノード、実際に手を下す人間とその転送ルートよ」
彼女は喋るのが速いが、腹立たしいくらい筋道が通っている。こういう人間は普段は好きになれなくても、本当に人を殺す夜になったら、自分の側に何人かいてほしいタイプだ。
彼女はまず何枚かの図を壁にピンで留めていく。
一枚は、モンテカダ工業地帯周辺のペーパーカンパニー網。
一枚は、今夜俺たちが山から撤収したとき、沿線で逆追跡の布石を撒かれていた可能性のある区域。
そしてもう一枚は、修道院、工業地帯、山道の三点をクロスさせた結果、高確率の支援帯をいくつか囲んだもの。
「C.A.L.F.は一組だけじゃない」ルシアが言う。「少なくとも三組以上、それぞれ機能が違う。修道院のは尋問と虐殺担当。山のは誘導と回収担当。工業地帯のは証拠消去と後処理担当」
俺は頷いた。
「そうだ。それに、お互いが全員顔見知りとは限らない。共有してるのは指示とシンボルだけだ」
ハビエルが俺を見る。「確かなのか?」
「昔ながらの過激派ネットワークの分断手法によく似てる」俺は言った。「各組が知ってるのは自分の前後一手だけで、全体の構造は見えない。一組が捕まっても、全体像は吐き出せない。邪教が大好きなのは神秘なんかじゃなくて、階層構造だ」
林雨瞳がふいに一言添えた。
「そうやって切ってるってことは、上層が逆探りされるのをすごく怖がってる」
ハビエルが彼女を一瞥する。
「君は?」
「林雨瞳」彼女は淡々と返す。「記録、判読、それからあなたたちがバカなことをしないように釘を刺す役」
危うく吹き出すところだった。
ハビエルも、こんなに遠慮のないアジア人の女を見るのは初めてなんだろう。口元がぴくりと動いたが、反論はしなかった。
ルシアのほうは、もう慣れているようで、そのままページをめくる。
「Policía Nacional の二つの戦術ユニットをすでにスタンバイさせてある。CGIN側は回線の洗い出しと通信傍受を引き取る。ハビエルが内務から取ってきた権限は限定的だけど、一つやりたいことをやるには十分よ」
彼女は三つの囲まれたポイントの上を、指先でコン、と叩いた。
「同時突入」
俺はその三ヶ所を見て、訊く。「どの三つだ?」
ルシアが、一つずつ説明を始める。
ひとつ目は、モンテカダ工業地帯の外縁にある別のコールドチェーン倉庫。表向きは別会社名義だが、資金の流れが、さっき潰した倉庫とかなりの部分で重なっている。こういう場所は、一時的な人員、車両、制服、処理済み機材の隠匿に最適だ。C.A.L.F.がすでに一ヶ所で手を打った以上、バックアップが一つきりってことはない。
ふたつ目は、山間部の外れにある旧食肉協同組合の廃棄施設。もともとほぼ停止状態だったのが、ここ三ヶ月ほど夜間の電力使用が異常値を示し、周辺道路で未登録の冷蔵車がときどき目撃されている。さっき遭遇した白いバンとの仕様一致率も高い。
三つ目は、合法的な宗教互助の名目を掲げた小規模な黙想会館。バルセロナ北側の外れに位置し、一見目立たないが、教籍名簿に載っている人物の何名かが、修道院周辺で確認された訪問者記録と一致している。
聞き終えた時点で、この配置は保守的だが合理的だと分かる。
「山で俺たちを追ってきた連中は叩かないのか?」俺が訊く。
ハビエルがここで口を開いた。
「叩く。ただし今の主目標じゃない」彼は地図を手元に引き寄せる。「山は広すぎる。夜間に地形も知らずに強行突入したら、ネズミみたいに逃げられるだけだ。まずは奴らの巣と車と金と受け皿を潰す。柵を外してしまえば、牛は勝手に暴れ出す」
俺は彼を一瞥した。
「牧場の比喩が上手くなったじゃん」
「お前から学んだ」と彼は言う。
「授業料は高いぞ」
「お前の今後のトラブルから天引きする」
こんな状況でまだ応酬ができるということは、ハビエルのコンディションが戻ってきた証拠だ。いい兆候だ。一番怖いのは、怒ってるときじゃない。融通の利かない岩みたいになったときだ。岩でも、一度転がる気になりさえすれば、人を押し潰す弾丸になる。
ルシアが、次のリストを取り出した。
「三つの突入ポイントとは別に、外周線も一本締める。これらのペーパーカンパニーと直接金のやりとりがあって、なおかつ過去四十八時間で異常な動きのあった口座は、全部凍結。通信のほうは、工業地帯の現場と同時に出ていた端末シーケンスを検出したら、そこから下に向かって引っ張る。ローカル教会関係では、老司祭と女性秘書の身柄をすでに隔離して事情聴取中。バローロ神父、あの二人が本当に口が固いだけで、何も噛んでないことを祈っておきなさい」
バローロ神父の顔が、目に見えて暗くなる。
「地方教会内に情報を漏らした者がいたとしても、私は弁護しません」
「弁護しても無駄だ」ハビエルが言った。
部屋の空気が一段と重くなったが、この種類の重さは悪くない。ようやく誰も、「ちゃんと会議さえすれば片付く案件」なんて顔をしなくなった、ということだからだ。
俺は壁の北側黙想会館に指を伸ばして示した。
「この拠点、俺も行く」
ハビエルが即座に俺を見る。
「ダメだ」
「即答が早すぎて、考えたフリすらできてないぞ」俺は言う。
「考える必要はない。お前は今、唯一"影"と直接接触して地図と銀の鍵を取り返した人間だ。お前が死ねば、その後のラインを丸ごと組み直しだ」
「今ので、けっこう俺のこと気に入ってんじゃないかって聞こえるけど」
「惜しいのは時間だ」
「ならなおさら、俺を連れて行くべきだろ」
俺は黙想会館の写真を指先でトン、と叩いた。
「ここが本当にC.A.L.F.の宗教的隠蔽拠点なら、中にいるのは人間だけとは限らない。シンボル、儀式資材、接触記録、あるいは撹乱用の偽聖遺物の手がかりが残ってる可能性が高い。あんたらの部隊が入って、牛の頭、血、ラテン語、壊れた祭壇なんかが目に入ったら、第一反応は"現場封鎖、鑑識待ち"だろう。俺が入った場合の第一反応は、"どれが演出で、どれが本物か"を見極めることだ」
ルシアは黙っていた。
ハビエルも黙っていた。
狙いどころにきっちり命中した自覚がある。
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