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122.起源 1

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

テックルームに入ると、壁に新しい紙が三枚増えていた。原図じゃない。ヴィクトリアが描き直したバージョンだ。黒ペンで骨格。赤ペンでデッドゾーン。青ペンでフロー。角落には彼女の『サルでも読める』第一版の目次がピンで留めてある。


短い。 全部で四項目だけ。


一、起動。

二、停止。

三、触るな。

四、触ったら死ぬ。


それで十分だ。 本当に命を救うモノなんて、そもそも分厚くある必要はない。


リン・ユートンは、もう一方の壁の前に立っていた。手には現像したばかりの写真数枚と、インデックスカードの束。彼女はF.A.B.R.I.K.から持ち帰った資料を三つに分けている。機体。物流。施設。一見すると大したことはない。ただの古いドイツ語のガラクタ書類を、人間の目で読める形に整えているだけ。


問題は、四つ目だ。


そのカテゴリにはタイトルがない。 あるのは赤い丸だけ。


丸の中には、バラバラのページ番号、転送マーク、手書きコード、それから明らかに年代の違う整備申請書が何枚か、押し込まれている。


カミラがテーブルの脇に立ち、俺が入ってきたのを見るなり、一言だけ。


「始まるわよ。」


何が始まるかなんて聞かない。 答えは壁に貼ってある。


ヴィクトリアは顔を上げない。手には鉛筆。シュトゥルムシュライターの腰部コンペンセーター図を修正中だ。この二日間、あいつは睡眠って機能を自分の身体から外したみたいになっている。目の下には濃いクマ。それでも手はぶれない。横には半分だけ飲まれた冷めきったコーヒー。もう片側には、バラされた膝関節のシールサンプルと、新造のフットソールのグリッププレートが二枚。


最初に口を開いたのは彼女だ。


「第二次判定から行くわ。」


部屋の全員が一斉に黙る。


彼女は鉛筆を置き、こちらを向いて、いきなり核心から切り込む。


「シュトゥルムシュライターは、今"良い"じゃない。」彼女は言う。「"使える"。」


誰も口を挟まない。 こういう文言の違いは、一文字ぶんで死人の数が変わる。


彼女はテーブルの上の損耗表を一枚つまみ上げ、ホワイトボードにバンと叩きつける。


「腰部コンペンセーションの再計算は完了。直進。中速の旋回。短距離の登坂。どれも許容レンジ内。左腕のフィードバックラインの負圧は抑え込んだけど、根治はしてない。右腕の反動はましになったけど、高頻度の連続射撃すれば、まだフレームを痛める。ショルダーのロケットポッドをツーモード運用に切り替える前に、高頻度の分列発射は推奨しない。」


そこで一拍置く。


「要するに。」


彼女は、その表を指の関節でコツコツと叩いた。


「今のこいつは戦線に出せる。でも、出すたびに"元を取る"こと。」


カミラがうなずく。


「今のは人間の言葉ね。」


「アタシが人間の言葉しゃべってないときも、あんたちゃんと従ってたじゃない。」ヴィクトリアが返す。


カミラは取り合わず、視線だけ俺に向けた。


「あんたは?」


ホワイトボードの前まで出て、その損耗表を手に取る。


数字は冷たい。 どんな激励より、よっぽど本物に近い。


「動く。」と俺。「殴れる。正面を押せる。口を開けられる。ついでに、間違った場所で一緒に俺たちを埋めることもできる。」


マレクは壁にもたれ、腕を組んでいる。


「で、結論は?」


「ジョーカー扱いはするな。」と俺は言う。「破城槌として扱え。叩くべき門だけ叩く。叩き終わったら、すぐ下げる。止まっちゃいけない場所には、止めない。」


カミラは俺を見て、軽く一度うなずいた。


「いいわ。」


この件は、それで決まりだ。


シュトゥルムシュライターはこの瞬間から、「テスト機」じゃなくなる。 かといって、「完成した戦力」でもない。


一番やっかいなゾーンに入った。


使える。


この二文字は、「使用不能」よりよっぽど人を殺す。 一度「使える」と札が付いたモノには、必ず使いたがる奴が出る。楽をしたがる奴が出る。見せびらかしたがる奴が出る。博打を打ちたがる奴が出る。そのツケは、最後は全部、死体の数で清算される。


表を置き、もう一方の壁に目を向ける。


「じゃあ、本題のデータだ。」


ここからが、本当に部屋の温度が落ちる部分だ。


リン・ユートンが手を上げ、最初のカードを壁に留める。


それは一つの転送コードだった。 地名じゃない。工場ナンバーにも見えない。 アルファベットと数字だけ。三つのブロックに分かれている。その後ろに、短い注記が付く。原文はタイプライター打ちのドイツ語。横には、誰かが後から書き足した日付と、送受のマーク。


「最初は普通のロジスティクスコードだと思ってた。」彼女は言う。「でも違った。このコードは、性質の全然違う三種類の文書、全部に出てくる。」


次のカードを留める。


一枚の整備申請書。 紙が古い。端には焦げ跡。内容は、環境制御モジュールの温度異常と、担当部署の交換遅延。大した話じゃない。よくある定期整備みたいな文言。


問題は備考欄だ。


備考欄には、こうある。


下層人員隔離区の電源喪失を禁ず。


部屋の音が、一気に消える。


その一文を三秒ほど見つめる。


「人員、か。」と俺。


「そう。」リン・ユートンは言う。「サンプルじゃない。機材でもない。コンテナでもない。"人員"。」


この時点で、ようやくヴィクトリアが顔を上げる。


目が変わる。 技師が機械の不具合を見つけたときの、あの光じゃない。 理論上の黒点だったものに、輪郭が生え始めたときの、冷たい光。


リン・ユートンは、さらにカードを貼っていく。


三枚目。 鉄道転送ルートの一部を拡大コピーした図面。


四枚目。 地下電力消費の対照表。


五枚目。 半分破り取られた補給リスト。その中で、同じ受領印が何度も繰り返し出てくる。


六枚目。 一見、何の変哲もない封印記録。外層の封鎖区画の定期点検の記録で、表記上は異常なし。その下に、違う筆跡で短い一文が書き足されている。


深層は通常通り継続。


どうやら、F.A.B.R.I.K.は本体じゃない。 あれは外側だ。 パーツを作って、モジュールを作って、下請けやって、カモフラージュするための場所。


本当に電力を食い、金を食い、人の命を食っているのは、別のところ。


カミラが煙草に火をつけ、一口吸う。


「結論。」


リン・ユートンは、もったいぶらない。 資料の山から最後の一枚を引き抜き、真ん中にパンと置く。


それは、戦後の封鎖区画の古い図面だった。表向きには「廃棄済」と記されている。地上の建物は、ほとんど価値なし。幾つかのルートは、わざと曖昧に描かれている。あとから来る奴らに、「ここに時間を使うな」と言っているみたいだ。


だが、彼女はその地図の上に赤ペンで一本の線を引いていく。


F.A.B.R.I.K.から出発。 南へ。 旧鉄道へ接続。 そこから別エリアへ折れ、 最後に、ある名前の上で止まる。


彼女は口に出さない。 自分の目で読めた。


OŚWIĘCIM アウシュヴィッツ。


テックルームの中は、冷却ファンの音まで聞こえるくらい静まり返る。 こんな時に、軽口を叩くほどバカな奴はここにはいない。


カミラは灰を鉄の箱に落とす。


「確度。」


リン・ユートンは言う。「八割以上。」


「足りない。」


「一枚だけ見れば、足りない。」彼女は眼鏡の位置を直す。「でも、物流、電力、整備、転送、それから封鎖区画の偽装を全部重ねたら、十分。」


俺も口を開く。


「それだけじゃない。」


視線が一斉にこっちへ向く。 壁に近づき、あの整備申請書の備考欄を指さす。


「普通の地下施設で、隔離区画を長期維持するなら、温調だけじゃ足りない。安定した電源、空気の循環、汚水処理、薬品、それから人員の記録が要る。」隣の補給リストを指さす。「この辺が突き合わせられるなら、そこは廃墟じゃない。まだ生きてる施設だ。」


ヴィクトリアが、低く一言だけ漏らす。


「八十年、生きっぱなし。」


声は平坦だ。 驚きより、よほど気持ち悪い。


カミラは今回は何も挟まず、リン・ユートンに続きを促す。


リン・ユートンは、別の紙をライトボックスの上に乗せる。 今度は原本じゃない。 彼女が自分で作ったクロステーブルだ。


左に年号。右に整備、補給、電力、転送の記録。それを赤い線で一本一本、縦に横に結んでいく。最初の一本は、ほとんど戦後直後にくっついている。そのあとは途切れ途切れ。毎年あるわけじゃない。それでも、一度も完全には消えていない。


十年。

二十年。

四十年。

六十年。

八十年。


死んだものが、また燃え始めたわけじゃない。 最初から消えてなかった。


マレクがようやく口を開く。声は低い。


「誰が、養ってきた?」


答える者はいない。 というか、今の時点で完全に答えられる奴なんていない。


リン・ユートンは、ただ一言。 「一発の金じゃない。一本のライン。」


それで十分だった。


その時間表を眺めながら、胸の中に、はっきりした嫌悪がわき上がる。 ナチスに対してじゃない。遺跡に対してでもない。 こういうモノを、今まで途切れさせずに養い続けてきた連中に対してだ。


あれは歴史なんかじゃない。 餌付けだ。


カミラは煙草を揉み消す。


「戦術面。」


話を、いきなりそこに戻す。 これが彼女のうまいところだ。どれだけ気持ち悪くても、まずは目標に変える。それから嫌悪を処理する。


マレクは、別の壁に掛かっていた地形図を引き下ろしてくる。


「戦後の図面と、今の外周を重ねた。」彼は言う。「地上部分は大半が空っぽ。もしくは、とっくに漁り尽くされて、探索価値がない形にされてる。本当に注意すべきは、この三か所。」


地図の上にペンで三つ丸を描く。


一つは旧鉄道沿い。 一つは封鎖建築群の近く。 もう一つは、少し外れた位置にある。見た感じは普通のメンテナンスランプ。


「メインエントランスは、埋められてるか、何かに偽装されてる可能性が高い。」とマレク。「サブエントランスは不明。貨物ラインは、まだ生きてる可能性がある。地下の面積は不明。深さも不明。」


「守りは?」と俺。


「分からん。」と彼。「けど、もしまだ"生きてる"なら、完全に空ってことはない。」


ヴィクトリアが冷ややかに付け足す。


「それに、中にいるのがネズミだけってこともない。」


彼女を見る。 資料の山から二枚を抜き出し、テーブルの上に放る。


一枚は武装整備の簡易メモ。 もう一枚は環境安全の補足説明。


その中のいくつかの単語が、赤ペンで丸く囲まれている。


エアロックドア。内外圧差。防炎区域。第二種回収。


これらの言葉が一緒に並ぶと、普通の研究施設には見えない。 今も稼働していて、今も危険なプロセスを維持している「何か」の地下区画に近い。


カミラが聞く。「シュトゥルムシュライターは?」


その一言で、視線がまた彼女に戻る。 ここからが、一番やっかいな部分だからだ。


シュトゥルムシュライターは殴れる。 だが、どこでも殴れるわけじゃない。


先に口を開いたのは、やはりヴィクトリアだった。


「地上なら使える。」彼女は言う。「ドアブリーチ。制圧。外周の重火力の掃除。そこまでは問題ない。」


そこで一度言葉を切り、声が硬くなる。

「とても面白い」★四つか五つを押してね!


「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

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