120.二度目の交渉 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
部屋には戻らなかった。
食堂にも行かなかった。
計算が始まった人間には、食事は向かない。胃が先に閉まる。頭は閉まらない。
メインの廊下を進んだ。基地は昼の当直に切り替わっている。照明は全灯。床は拭き立て。空気には消毒液、ディーゼル、冷めたコーヒー、それから溶接後に残る金属の焦げた匂い。昨夜と今朝のことはまだ消えていない。ただ白い光で塗り潰されているだけだ。
弾薬箱を運んでいる二人とすれ違う。俺を見て、道を空ける。何も言わない。
ここの人間は今、四番庫に何が入っているか全員知っている。
全高三メートルの鋼鉄の化け物。
正面火線を踏み砕けるシュトゥルムシュライター。
そして、厄介事。
ブリーフィングルームの前まで来ると、扉が半開きで、中から声がする。低く、短い。仕事をしている人間の声だ。雑談はない。
俺はドアを一度叩いた。
中が一瞬静まる。
「入って。」カミラの声。
押して入る。
人は少ない。
カミラが主席に座っている。上着は脱いで、袖を肘まで捲り上げている。テーブルには煙草、ライター、白磁のカップ、それから整理したばかりの損耗表が何枚か。疲れているようには見えない。ただ、刃の薄くなった刀みたいに、硬さが増している。
マレクが壁際に立っている。腕を組んで、無表情。
林雨瞳が隅に座っている。脚を組んで、手元に通信記録板を広げ、眼鏡が光を反射して目線が読めない。こういう人間は厄介だ。聞いているのか、後で使えそうな失言を記録しているのか、判断がつかない。
テーブルの中央に資料の束が置かれていた。
普通の紙じゃない。
F.A.B.R.I.K.から持ち帰った原始技術文書の一部だ。ドイツ語の標記。手書きの修正。油染み。焦げ跡。折れた角。透明フィルムが何枚か挟まっている。古い時代の技師が死ぬ前まで手放さなかったものみたいだ。
カミラが目を上げる。
「思ったより早かった。」
「一晩置けないものがある。」
「同感。」
彼女は向かいの椅子を指さした。
「座って。」
腰を下ろす。椅子は硬い。意図的にそうしてある。ここは人間を楽にさせるための場所じゃない。
カミラは白磁のカップを半寸横にずらし、テーブルの中央を空けた。
「どっちから話す。」彼女は俺を見る。「資料。シュトゥルムシュライター。それとも、二つは切り離して話せると思う?」
「切り離せない。」俺は言う。
彼女はうなずいた。
「それなら話が早い。」
この女は交渉のとき、まず余計な言葉を削り落とす。それは俺も嫌いじゃない。ただ危険でもある。逃げ場まで一緒に削られるからだ。
俺はテーブルの資料の束を一瞥した。
「まず俺の底線を言う。」
「どうぞ。」
「資料は渡せる。」俺は言う。「設計図、整備マニュアル、校正記録、操作データ、パーツ標記、改造痕跡。整理できるものは全部出す。原本は先にそっちで保管していい。バックアップも渡せる。翻訳と整理についても話し合える。」
カミラはうなずきも首を振りもしない。
ただ聞いている。
俺は続ける。
「見返りは金じゃない。保護でもない。通常の補給でもない。」俺は彼女を見る。「シュトゥルムシュライターの使用権が欲しい。」
この言葉が出た後、部屋が約二秒静まった。
長くはない。
でも十分だ。
マレクがわずかに動く。銃を抜こうとしたわけじゃない。ただ、肩が一瞬締まった。
林雨瞳は顔を上げず、ペンで記録板に一本線を引いた。誰かの新しい借りを書き留めるみたいに。
カミラは椅子の背にもたれ、俺を見ている。
怒っていない。
それが、怒られるより厄介だ。
最初からこの価格を待っていたという意味だからだ。
「使用権。」彼女は繰り返す。「見学権じゃない。立ち会い権でもない。気が向いたときに四番庫に来て装甲を撫でる権利でもない。」
「そう。」
「実戦での使用権。」
「そう。」
彼女はもう二秒俺を見た。
「根拠は。」
真っ直ぐな問いだ。
俺も回り道はしない。
「こいつを連れ出してきたのは俺だから。」
彼女が鼻で笑う。
「連れ出したのはあなただけじゃない。」
「でも、こいつをどこに使うかを決める人間が、あんただけとは限らない。」俺は言う。「シュトゥルムシュライターは収蔵品じゃない。あんたもわかってる。俺もわかってる。修理が終わったら、庫で拝まれる代物じゃない。戦場に出る。戦場に出るなら、誰がどの線を踏ませるかが重要になる。」
「だから、あなたが決めるべきだと。」
「最前線に一番よく立つ人間が、優先的に決める権利を持つべきだと思う。」
カミラが笑った。
薄く。刃の背がカップの縁を擦るみたいな笑いだ。
「前線?」彼女は言う。「周士達、ここが誰の基地か忘れた? エリア封鎖を出したのは誰? 車を出したのは? 工兵、哨戒線、医療、燃料、倉庫、それから口止め料まで、誰が出してると思ってるの。」
「忘れてない。」俺は言う。「だから奪いに来たんじゃない。交換しに来た。」
この一言で、部屋の空気がわずかに緩んだ。
交渉は声の大きさを競うものじゃない。
先に現実を認めた方が、話を進められる。
シュトゥルムシュライターが今、彼女の倉に置かれ、彼女の冷却液を飲み、彼女の土地を占め、彼女の人間が秘密を維持している。それが現実だ。見えないふりをする人間は、交渉のテーブルに着けない。
カミラはライターを手に取り、一回転させた。火はつけない。
「どう交換する気。」
俺は手を伸ばし、テーブルの一番上の資料を少し前に押し出した。
「これは第一陣だけ。手元にはまだ、完全な標記位置、取り出し順序、どの資料がどのキャビネット、どの隠し棚、どのコンソールの裏から出てきたかの記録がある。」俺は言う。「ただの紙じゃない。資料同士の関係性だ。それがないと、あんたたちは自分で推測するしかない。」
カミラは黙っている。
俺はさらに続ける。
「現場の記憶もある。どの配線がどこに繋がっていたか。どのパーツが純正で、どれが後付けか。どの校正記録がどのコクピット表示モードと対応しているか。」俺は彼女を見る。「技師はいる。そうだ。でもヴィクトリアが今あの線を辿れているのは、機体を見て、資料も触ったからだ。その線を完全に引き出すには、俺があのとき何をどの順番で取り出したか、何を判断したかを全部話す必要がある。」
マレクがようやく口を開いた。
「値段を吊り上げてるだけだ。」
「違う。」俺は言う。「値段を提示してる。」
彼が俺を睨む。
俺も睨み返す。
こういう場面で先に目を逸らした方が負けだ。
カミラが手を上げて、彼を制した。
「最後まで聞かせて。」
俺は視線を戻した。
「要求はシンプルだ。」俺は言う。「シュトゥルムシュライターはあんたが管理する。四番倉に置く。あんたの基地で秘匿、整備、監視を担う。そこには手を出さない。」
カミラが眉をわずかに上げた。
後半を待っているのがわかる。
「でも実戦投入の際は、優先使用権が欲しい。」俺は言う。「絶対的な所有権じゃない。持ち出し権でもない。優先的な調度権だ。俺が部隊を率いて、こちら側が主要な突破または正面制圧を担う任務のとき、俺にはあいつの出動を要請する権利がある。」
マレクが冷たく言う。「もし俺たちが拒否したら。」
「なら資料はただの紙になる。」俺は言う。
空気がまた締まった。
今度は本物だ。
芝居じゃない。
テーブルのライターがカミラの手の中で一回転、また一回転する。それでも火はつけない。
林雨瞳がようやく顔を上げ、俺を一瞥した。
その目には立場がない。評価だけがある。この人間が今後も投資に値するかどうかを計算している目だ。
カミラがライターを置いた。
「あなたの条件には問題がある。」
「言って。」
「シュトゥルムシュライターは今、安定した実戦投入ができる状態じゃない。」彼女は言う。「パーツが足りない。調整が足りない。操作フローが足りない。輸送基準が足りない。弾薬計画が足りない。緊急停止手順も足りない。今ここで使用権の話をするのは、まだ柄のついていない刃を寄越せと言うようなものよ。」
「だから今話すんだ。」俺は言う。「刃が研ぎ上がってから話したら、結果は二つしかない。あんたが手放したくなくなるか、別の誰かが奪いに来るか。」
カミラの笑みがわずかに薄れた。
俺が事実を言っているとわかっているからだ。
使えない武器を巡る争いは概念の争いだ。
使える武器になった瞬間、争いは支配権の争いになる。
そのときに話し合えば、もっと見苦しくなる。
彼女の指がテーブルを二度叩いた。
「じゃあ、こっちの底線も言う。」
「どうぞ。」
「第一、機体はA.K.-DUCHの管理を離れない。」彼女は言う。「少なくとも今は。四番倉、整備ライン、外周の秘匿、全部こちらが握る。」
「いい。」
「第二、技術資料は完全に渡すこと。選り好みなし。原本、メモ、校正ページ、現場での取り出し順序の記憶、全部。」
「いい。」
「第三、シュトゥルムシュライターの技術主導権はあなたじゃなく、技師が持つ。」彼女は言う。「ヴィクトリアが動かせないと言えば、動かせない。あなたがどれだけ急いでいても。」
「いい。」
「第四、出動するかどうかは最終的に全体の戦況を見て判断する。あなた一人の一言では決まらない。」彼女はわずかに前傾みになり、俺を見る。「基地自体が脅威にさらされているとき。補給が不足しているとき。外周の露出リスクが高すぎるとき。アタシには拒否権がある。」
この条件は最初から来るとわかっていた。
指揮官にこういうものを渡させて、留保権まで奪ったら、自分の保険を自分で切らせるのと同じだ。現実的じゃない。
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