89.プラハの夜雨 89-2
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
俺たちはそのまま、どちらも先に手を緩めなかった。
最終的に動いたのは、エリザヴェータだった。傘の先を、ふたりの間の石畳に、ごく軽く当てた。
大した力ではない。それでも、この狭い路地に一本の線を引き直したような一撃だった。
「お二人とも、」彼女は言った。「ここで物音を立てれば、追ってくるのは鐘の音だけではありますまい」
ヴィクトリアはエリザヴェータを見なかった。それでも先に手を引いた。
俺も指を離した。
彼女は手首を軽く振って、視線をまだ俺に当てたまま、さっきの力加減を記憶に刻んでいるようだった。怒りでも、色気でもない。どちらかといえば、再評価だ。たぶんこの瞬間まで、彼女は俺を「厄介なものを持ち込んだよそ者」という括りから、まだ個別に引き出していなかった。
「アタシの見える場所で死なないでよ」彼女は言った。
唐突で、ほとんど悪口のような一言だった。
俺はとっさに返せず、眉をひそめるだけになった。彼女はすでに視線を外していた。その言葉を投げたまま、説明するつもりはないようだった。
エリザヴェータが静かに笑った。失礼だと笑ったわけではない。「それは、心配しているように聞こえますよ」
「違う」ヴィクトリアは冷たく返した。「あいつが死んだら、あの時計がもっと面倒な場所へ移るだけよ」
今度は俺が黙った。
言い方は悪い。だが彼女がでたらめを言っているわけじゃないことは、俺にもわかった。もっと悪いのは、すぐに否定できないことだった。
風が路地の入口からまた巻き込んできて、エリザヴェータの傘の面をかすかに揺らした。彼女はようやく傘を開いた。高いところから降りてくる細い雨を遮る。雨は大きくない。それでも石畳に落ちるたび、この街の中へじわじわと染み込んでいくような粘り強さがあった。
「今夜はここまでにしましょう」エリザヴェータが言った。「見るべきものは見た。知るべきことも、充分に知った。これ以上進めば、人を追い詰めすぎる」
ヴィクトリアはそれを聞いて、小さく鼻を鳴らした。同意しているわけではなさそうだが、反論もしない。
エリザヴェータが俺へ視線を向けた。夜の中でも、その目は揺れない。この夜の終わりを、最初からわかっていたかのような落ち着きがある。「戻ったら、時計を手放さないように。窓も全部は閉めないこと」
「なぜ?」
彼女は遠くの鐘楼の輪郭がぼやける方向に目をやり、静かに言った。「何かが目覚めたとして、それが今夜まず扉を探すとは限りません。音も、道になりえます」
ヴィクトリアは脇に立ったまま、この言葉を聞いた瞬間、低い声で何かを呟いた。縁起でもないと言いたそうで、しかし間違っていないこともわかっている、そういう呟きだった。外套の襟を少し引き上げてから、踵を返して歩き出し、二歩行ったところで止まった。
振り返らない。
「明日アンタたちが生きてたら、」彼女は言った。「次の扉がどこにあるか、考えてあげる」
それだけ言って、本当に行ってしまった。
高い位置の髪が雨の糸の中で一度揺れ、路地の奥の暗がりへ消えていく。足は速くない。だが一瞬の迷いもない。この街の影の中を歩き慣れているような足取りで、俺たちはまだ、彼女が譲ってくれたわずかな道の上に、やっと立っているだけだった。
俺は彼女が消えた方向を、しばらく眺めたまま動けなかった。
エリザヴェータが傘を少し引き寄せ、俺の隣に立った。声は小さい。「また引き返してくるというだけで、もう吉兆と言えます」
「あれが吉兆なのか?」
「少なくとも、まだ怒ってくれている」エリザヴェータは言った。「本当に面倒な人間は、怒る手間すら省くものですよ」
俺は何も言わず、ポケットに手を入れて、懐中時計の表面を布越しに押さえた。金属は冷たい。何かを認めろと、ずっと待っていたかのような冷たさだ。遠くからまた、ゆっくりとした鐘の音が届いた。余韻が湿った夜の空気の中で細く伸びて、なかなか消えない。
エリザヴェータは空の端へ目を上げ、ほとんど残酷なほど静かな声で言った。
「今夜は深く眠らないように」
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同じ夜、街の反対側に、鐘の音はなかった。
少なくとも、本当に時を告げるための鐘の音は。
窓を塞ぎきった部屋だった。壁面には濃い色の木の板が張られ、その板の裏には木工とは無縁のものが埋め込まれている。細い銅線、骨白色の絶縁歯環、壁に打ち込まれた感応釘、そして一枚一枚、ほとんど目に見えないほど小さな金属膜片。部屋の中央に机はなく、代わりに細く高い支柱が一本立っている。支柱には三層の同心円環が固定され、環と環の間には細針が吊られ、その下には漆黒の観測板が据えられていた。
今、その板の上で、暗い赤い点がゆっくりと明るくなっていた。
灯りではない。
遠くからの信号に軽く撫でられて、暗闇の中に浮かび上がってくる血の色の反応、とでも言うべきものだ。
支柱の傍に立つ当直員は、灰黒色の制服を固く留め、袖口にも肩の縫い目にも余分な装飾はない。板には触れず、ただ見ている。一番外側の細針が半度ずれて、止まるのを見ている。二番目の環が三拍おいて、同じ方向へずれるのを見ている。一番内側の、最も短い針が、同じ場所を指そうとして二度震え、しかしより高い何かに抑えられて、完全には動けずにいるのを見ている。
当直員は少しの間黙ってから、手元の薄い金属片を支柱側面の細い溝へ差し込んだ。
機構が、極めて低い音の中で動き始めた。
歯車の轟きではない。蒸汽の放出でもない。暗がりの中で歯が一列ずつ噛み合っていくような音。乾いていて、短く、正確だった。三層の円環が同時に回り始める。速くはない。だが余分な揺れが一切ない。観測板の上の暗い赤が、散点から引き絞られ、一本の極細の線になった。
プラハ旧市街。
もう少し絞れば——通りの名前ではなく、旧鐘楼と石造りの屋根と地下の夾層が幾重にも重なって覆い隠している一帯だ。信号は完全には露出していない。布で覆われて、隙間からわずかに漏れているだけだ。しかしそのわずかな漏れだけで、部屋の空気は半寸ほど沈んだ。
当直員が口を開いた。声は平坦だ。
「第三回路に遅延反応を確認。発信源は不安定。旧式エーテル固化残痕の疑いあり」
支柱の反対側にある受話器が、二秒間沈黙した。
それから、さらに冷えた声が中から出てきた。
「繰り返せ」
当直員は迷わず、今の言葉を一字一句そのまま繰り返した。言い終えると、その場に立ったまま、命令を待った。部屋の中は、円環が回るかすかな摩擦音だけが残っている。見えない金属同士が互いの境界を探り合っているような音だった。
受話器の向こうの人間は、すぐには答えなかった。
代わりに、別の機械音が壁の奥から響いた。警報ではない。内部の権限が層ごとに開かれていくとき、閂が管の中で一節ずつ引いていく音だ。一節引くたびに、観測板の赤い線がはっきりしていく。四節目に入ったとき、線の先端から、ごく細い鉤が一本分岐した。
当直員の目の端がかすかに動いた。
それが何を意味するか、わかっていた。
単純な残留反応ではない。何かがそれに触れた。しかも、別の識別可能な秩序を持って触れた痕跡がある。教会でも宮廷でも、ましてや一般の闇市工房が残すような粗い雑音でもない。その鉤は、抑制が利きすぎていた。そして古すぎた。とっくに死に絶えているはずのある種の名前が、地下でもう一冬をやり過ごしたあと、灰の中からわずかに骨を覗かせたような、そういう古さだ。
受話器の向こうの人間がようやく口を開いた。
「封存層番号を」
当直員が一連の数字を読み上げる。
向こうが一拍、間を置いた。
「黄金小路遺留記録、旧市街地下工学名簿、戦前工匠ネットワーク残存文書と照合せよ」
「了解」
「外縁には触れるな」
「了解」
命令はここで終わるはずだった。
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