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86.故人と職人 86-2

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

俺は大聖堂の外のベンチに座って、今日何度目かわからないため息をついていた。


林雨瞳(リン・ユートン)とシキと葉綺安(ヨウ・キアン)の三人は、最初こそ「近くを少し見るだけ、遠くには行かない」と体裁を保っていた。だがその目を見れば、久しぶりに雨を見た砂漠も同然だとわかった。近くの店のショーウィンドウに光るものや手作りのものや妙ちくりんなものが少しでも見えると、三人の魂はそちらへ先に飛んでいく。


放っておいた。


ここは教会前の広場で、暗い路地でも波止場でもない。何かあっても、声を上げる間もないほどのことにはならないだろう。


俺はベンチにもたれ、着物の帯の中に手を差し込んで指先が馴染みある金属の輪郭に触れると、その懐中時計を取り出した。


山口の懐中時計だ。


こいつと一緒にここまで来て、もうただの物じゃなくなっている。表面の古い傷や摩耗や、不自然なほどの重さが、どんな装飾よりも「生きてきた証拠」に見える。俺は蓋を弾いた。中の針はやっぱりいつも通り止まったままで、死んでいるようでもあり、ただ人に構う気がないだけのようでもあった。


俺はそれをしばらく見つめ、低く言った。


「提督、まだいるか?」


返事はない。


少し待った。やはりない。


「まあいいか」俺は懐中時計を掌の上で転がして、苦笑した。「山本五十六と将棋でも指してるんだろ」


言い終わった瞬間、頭上の日光が一つの影に遮られた。


風でも雲でもない。誰かが本当に目の前に立ったのだ。


「へえ——面白いもの持ってるじゃない」女の声が降ってきた。見知らぬ相手にも臆せず踏み込んでくる、軽快な声だった。「こんなに精巧な懐中時計、何年ぶりに見たかしら」


俺は顔を上げた。


目の前に立っているのは女だった。身長は百七十センチ前後、特別高くはないが、立ち方がしっかりしている。顔は細くも柔らかくもなく、角のある丸顔で、眉と目の輪郭がはっきりしている。大きくて丸い目はくりっとしていて、第一印象は「美人」というより「生き生きしている」、いや、少し野性的とすら言えた。


髪は赤みがかった茶色で高く結われていて、ポニーテールが乱れ、何本かの後れ毛が額に張り付いていた。肌は日焼けと熱で焼けた蜜色で、丁寧に手入れされた美しさではなく、鉄や火や汗と長く付き合ってきた人間だけが持つ色つやだ。


服装も、教会前をぶらつく普通の観光客とはまるで違った。上は汗で湿った白いスポーツタンクトップ、その上から革のエプロンを半分だけかけていて、端が磨き込まれて光っている。ポケットにはスパナや精密ドライバーや、俺にはすぐ名前が出てこない金属部品が何本か刺さっている。下は体にフィットした黒のショートパンツ、太腿の横を茶色のベルトが巻いていて、細長い金属製の筒が一本ぶら下がっている。ブーツは扉を蹴破れそうなほど厚く、乾いた泥と濃い油の染みがついていた。


俺の最初の反応は正直なものだった。


「あんた、誰?」


完全に防衛本能だ。


彼女は俺のこの露骨な警戒心に笑いを堪えられなかったらしく、両手を広げた。


「あー、ごめんごめん、びっくりさせた?」


気後れする様子もなく、すぐに自己紹介する。


「アタシはヴィクトリア。このへんに住んでる。うちは時計屋でね、珍しいものを見ると、どうしても気になっちゃって」


俺は彼女を見て、顔に「信じるわけないだろ」という感情を完璧に表現していたと思う。


ヴィクトリアはそれを見ていないかのように、さっさと俺の隣にどかっと座った。距離が少し近すぎる。そのまま俺へ手を伸ばしてくる。


「見せて」俺の手の懐中時計を見る目が、怪しいくらい輝いていた。「アタシなら直せるかもしれないわよ」


「嫌だ」


俺の返事は即座だった。


彼女はまばたきした。世の中にこれほど合理的な提案を断る人間がいるとは理解できない、という顔だった。


「いいから見せてよ」


「嫌だ」


「もう、あなたって人は——」


彼女は本当に手を伸ばしてきた。


「おい!」俺は反射的に手を引いた。「ひったくりかよ?チェコには法律ってもんがないのか?」


彼女の動きは俺が思ったより速かった。片手で押さえ込み、もう片手で俺の手首をこじ開けようとしながら、堂々と言う。


「ひったくりじゃなくて、専門的な鑑定よ!そんな持ち方してたら精密機械が泣くわよ!」


「お前が泣かせてんだろ!」俺はほとんどベンチから飛び上がりそうになった。「放せ!これはお前の——」


次の瞬間、それは起きた。


俺たち二人が引っ張り合う角度から、懐中時計がするりと滑り出て、ぱしっという音とともに石畳の上に真っ直ぐ落ちた。


大きな音じゃなかった。でも乾いた硬い音が、俺の頭皮まで一気に痺れさせた。


俺と彼女が同時に声を上げた。


「あっ!!」


俺は飛びついて懐中時計を拾い上げた。手が少し震えていた。文字盤のガラスはやっぱり割れていた。端から中央へ向かって斜めに走る一本のヒビが、まるで俺の胸に意図的にナイフを入れたみたいだった。


俺は顔を上げて彼女を睨んだ。顔が引きつっていた。


彼女も固まっていた。さっきの「アタシはデキる」という勢いが一瞬で半分になって、口を開いたが、言い訳が出てこなかった。


そのとき、横から老いた、しかし明瞭な声が割り込んできた。


「ヴィクトリア、何をやっている?」


俺が振り返ると、杖をついた老人がいつの間にか近づいていた。背はそれほど高くなく、少し細い。古い型だが手入れの行き届いた濃い色の外套を着て、白髪は整えられ、鼻の上の眼鏡は薄いフレームだが、その奥の目つきを鋭く際立たせていた。鋭いというより、正確だ。古い刃のように、力を入れずとも本物と偽物を見分けられる目だった。


俺の頭に最初に浮かんだのは、やばい、美人局か?という考えだった。


だが次の瞬間、自分で打ち消した。


違う。本当に仕組まれた話なら、この演技は自然すぎる。


それより今は、懐中時計のことしか頭にない。


これが壊れて山口と繋がれなくなったら、この先の話が一本手を失う。


老人は近づき、俺の手の割れた文字盤を見た瞬間、表情が曇った。


前置きなしに、杖を持ち上げてヴィクトリアのすねを直接叩いた。


「痛っ!」彼女は片足を抱えて横へ飛んだ。「おじいちゃん!」


「私がおじいちゃんだとわかっているのか?」老人は彼女を睨んだ。「また好奇心が暴走して、他人のものを奪おうとしたのか?次に警察のお世話になったら、知らん顔するからな」


俺は一瞬、笑いそうになった。


ヴィクトリアは明らかにこういう目に遭うのが初めてではなく、すねを抱えて顔をしかめながらも、本気で言い返そうとはしなかった。ただ不満そうに呟く。


「奪ってないって……ちょっと見たかっただけで……」


「ちょっと見たいから奪っていいのか?」老人が一喝してから、俺のほうへ向き直った。顔つきがすぐに丁寧なものに変わる。「このたびは大変失礼いたしました。孫娘は悪意があるわけではないのですが、好奇心が先走り、手が早すぎる。どうかご連絡はご勘弁ください。この懐中時計は——」


老人は手を伸ばした。だが無理に取ろうとするのではなく、俺が選べる距離で止めた。


「よろしければ、修理いたします。無償で」


俺は老人を見て、まだすねを抱えているヴィクトリアを見て、警戒心は一ミリも下がっていなかった。


「あんたら二人、グルになって俺に仕掛けてるんじゃないのか?」


ヴィクトリアが即座に反応した。


「ちょっと!あなたって人は——」


踏み出そうとした瞬間、老人の杖が地面をこつんと突いた。彼女はぴたりと止まった。


「おじいちゃんはプラハで——」


「ヴィクトリア」老人の声が一段低くなった。


彼女は後半を飲み込んだ。唇を固く結んで、それでも目だけは火花を散らすように輝いていて、どこからどう見ても「納得してない」と書いてあった。


老人は俺を見据え、卑屈でも尊大でもない態度で言った。


「私たちを信じなくても構わない。だが、本当にその時計を大切に思うなら、割れた文字盤を抱えたまま歩き続けるより、今ここで見せてもらうほうがいい。ヒビはガラスだけの問題じゃない。内部に微細なズレが出ていたら、時間が経つほど、今より直しにくくなる」


その言葉を聞いた瞬間、俺の警戒心はもとのまま立てていられなくなった。


でたらめを言っているわけじゃない。あまりにも自然で、本当にわかっている人間の口調だった。


俺は手の中の懐中時計を見て、この祖父と孫娘を見た。


一人は野火みたいだ。手が速くて、目がギラギラしていて、衝動が止まらない。


一人は古い時計塔みたいだ。どっしりして、冷静で、年老いているが、明らかに牙は抜けていない。


逃げ道がないわけじゃない。何かあれば、この指輪は飾りじゃない。


だが、懐中時計のヒビがそこにある以上、このまま放っておく気にはなれなかった。


俺はしばらく黙って、ようやく一言吐き出した。


「わかった」


ヴィクトリアの目が一瞬で輝いた。さっき杖で叩かれたことなど、最初からなかったみたいな顔だ。


俺は彼女を睨んで付け加えた。


「ただし、お前は触るな」


彼女はすぐに噛みついた。


「なんでよ!落としたのは事故で、直すことならアタシだって——」


「ヴィクトリア」老人がまた一声呼んだ。


彼女は歯ぎしりしながら、後半を飲み込んだ。


俺はようやく訊いた。


「店はどこだ?」


老人は軽く頷いた。「すぐそこです。歩いて行けます」


「じゃあ案内してくれ」


老人は頷き、そのまま歩き出した。ヴィクトリアがすぐ後に続き、振り返って俺を一睨みするのを忘れない。さっき疑われた自分の専門性の名誉を、その一瞥で取り戻そうとしているようだった。


その顔を見て、俺の胸にふいに妙な予感が浮かんだ。


この道のりは、時計の修理だけじゃ終わらないだろう。

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「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

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