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75.前哨 75-1

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

ヴァフラは車に乗らなかった。 その光景は、俺が想像していたよりもずっと絵になっていた。


早朝の城の前庭は乾いた冷気に満ちていた。第四号告示が出てまだ間もなく、外のメディアラインはいまだに燃え続けている。政府の同行窓口はすでに到着済み——昨日の連中よりもずっと「わきまえた」立ち方で、今日は自分たちが主役ではないことをちゃんと理解している面々だった。


ヴァフラは石段の上に立ち、手には今日追いかけるべき書類の束を抱えている。地籍初期入札の修正、収益保全の追加書類、旧鉱業権重複区域の補足図面。


俺は彼を一瞥した。


「本当に来ないのか?」


彼は顔も上げない。


「俺が抜けたら、誰があいつらの手を叩き落とす」


「言い分はやけに筋が通ってるな」


「それに、お前が行く方が俺より役に立つ」


俺は眉を上げた。


「それ、褒めてるつもりか?」


ヴァフラがようやく顔を上げる。相変わらず、裁判所に長期雇用されることを拒否し続けているような死人顔だった。


「違う。現実だ」


俺は二度、短く笑った。


ああ、まあ、その点については否定できない。


今回のオーストリア行きは、表向きは答礼だ。だが骨子は——永恆領が初めて外の風を門の中に招き入れ、ついでに誰が二番目の扉の叩き方を最初に覚えるかを見極める旅でもある。こういう場では、書類は冷たく、口はよく回らなきゃいけない。テーブルを囲む貴族や官僚全員に「侮辱された」ではなく「釘を刺された」と思わせなければならない。


残念ながら——その仕事ができるのは、今のところまだ俺しかいない。


エリザヴェータが俺の後ろから石段を降りてくる。全身黒。シンプルで、切れ味があって、清潔だ。わざとらしい華美さは一切なし。今日の彼女は舞踏会に出るわけじゃない——永恆領には過剰な歓待を断る資格がある、その事実を示しに行くのだ。


林雨瞳(リン・ユートン)(シキ)葉綺安(イェ・キアン)も揃っている。


政府側は二人だけの派遣。司法調整室の連絡官と、外交行政系統の随行窓口。いい。ようやく「横に立つ」ことを学習したらしい。


ヴァフラは最後の一束をエリザヴェータに手渡す。


「領内本日スケジュール、政府窓口への引き継ぎリスト、初期入札の細分区画、収益保全の優先順位」


彼女はそれを受け取り、ひと言だけ返す。


「妾が戻るまで、誰にも息を盗ませるな」


ヴァフラは頷く。


「善処する」


横で聞いていて、思わず吹き出した。


「お前ら二人、だんだん前線の指揮権引き継ぎみたいになってきたな」


ヴァフラがちらりと俺を見る。


「全員、生きて連れ帰れ」


俺は眉を跳ね上げる。


「『全員』ってのは、あいつのことか? それとも俺のことか?」


冷淡な目が返ってくる。


「領地内政の観点から言えば……お前の方が、代替可能だ」


葉綺安(イェ・キアン)が、その場で声を上げて笑った。林雨瞳(リン・ユートン)はいつもの調子で、静かにとどめを刺す。


「正直な評価。そこは評価できる」


俺は鼻を鳴らし、車のドアを引き開ける。


「はいはい。そんなに代替可能なら、永恆領を代表してオーストリアで高級社交サービスでもしてきてやる」


エリザヴェータが乗り込む前に、横目で俺を見る。


「余計な口を叩くでない。降りた時、せめて人間に見えるようにな」


「今は人間に見えてないのか?」


「事故の目撃者のようじゃ」


「悪くないな。少なくとも、事故そのものじゃねえ」


彼女はそれ以上構わず、さっさと車に乗り込んだ。


---


車列が城を離れる時、外のカメラがまた一斉に追いかけてきた。ニュース車がケーブルを引きずりながら並走し、ライブ配信のチャット欄はどうせまた壊れるまで流れ続ける。


だが、今回は空気が違う。


前までは「永恆領が立っていられるかどうか」をみんなが眺めていた。今回見に来ているのは——永恆領が初めて外に出ていく、その「出方」だ。


車内は静かだった。


政府の二人の同行窓口は後続車に乗っている。「今日一番の仕事は、そこに映り込んでいること。だが、出過ぎないこと」——それをやっと理解したかのような静けさだった。


(シキ)はタブレットを睨みながら、回線を追っている。


「オーストリア側から、最終的な場所の確定が来たで」


俺は少し前に身を乗り出す。


「どこだ?」


彼女はマップを切り替えてみせる。


ウィーンじゃない。 スロバキアの血圧を無駄に上げるような、仰々しい正宮ポジションでもない。


ニーダーエスターライヒ州の国境線近く、古い狩猟館を改装したプライベート迎賓館。ライタ山の南側、林と斜面に囲まれ、車列が出入りできるだけのスペースもある。見栄えがよく、隠密で、フォーマルさも十分——そして、双方が「これはあくまで礼節上の答礼だ」と言い張れる程度の距離感。


一通り見て、俺は頷いた。


「オーストリア、立ち回りが抜群に上手いな」


林雨瞳(リン・ユートン)は窓にもたれ、冷ややかに言う。


「他人が顔を保てるように立ち回る。それが上手いだけ」


そう。 そこが決定的な違いなのだ。


いきなりウィーンのど真ん中に引っ張り込めば、スロバキアがどれだけ取り繕おうが、顔は引き攣る。まず国境近くの「低調だが十分に格調高い場所」を押さえることで、皆が面子を保てる。その分だけ、話の中身を深くできる。


エリザヴェータは窓の外を見たまま、淡々と口を開いた。


「最初の一手が静かであるほど、次の手は華やぐものよ」


俺は彼女を見て、口元を緩める。


「もう、頭の中はウィーンのことか」


彼女は否定しない。


「来る者がおる」


俺は眉をわずかに上げる。


「誰が?」


彼女は一瞬だけこちらに視線を移す。


「人の目を見極められる者じゃ」


もう少し突っ込んで聞こうと思ったが、その顔は「今ここで答えを出す気はない」とはっきり語っていた。俺もそれ以上は追わない。どうせこういう場面で本当に面白い連中は、一通目の公文書には名前を出してこない。


---


国境越えは、思っていたよりずっとスムーズだった。


事前調整の効果だけではない。今日はスロバキア側の自制心も、本当に機能していたのだ。


随行窓口が終始やっていたのは、ただひとつのこと——存在すること。 余計な説明も、マイクの奪い合いも、「本行程は政府主導であり〜」なんて、車に押し戻したくなるようなバカげた一言も出てこない。


いい。 人類は、ちゃんと進化もする。


---


狩猟館に着いた時、空はまだ明るかったが、陽光はすでに冷えていた。建物は森の縁に寄り添うように建ち、石造りの外壁に、濃い木枠の窓。玄関は仰々しくもなく、足元には赤絨毯ではなく、砕石が敷かれている。


オーストリアのこの一手は実に鮮やかだ——貧相でもなく、芝居がかりすぎることもない。


中に入ると、すぐに木と酒と、古い暖炉、そして降雪前の空気の匂いがかすめた。


ホールは広くない。だが「的確」だった。 テーブルは国賓晩餐のようにだらだらと長く伸びているわけではなく、すっきりと絞られている。席も多くない。


オーストリア側の顔ぶれは公文書の記載どおり。法務のオブザーバー、文化法務の調整役、国境秩序のリエゾン。それぞれ二、三名。誰一人として服装は派手ではないが、全員「今日はただの食事ではない」と理解した目をしている。


右手側を一瞥する。


スロバキアの二人の随行窓口の席も、すでに用意されていた。


サイド。 聞けるし、見れるし、記録もできる。だが、主線には乗らない位置。


いい。 本当に「わきまえて」いる。


先頭の接待役らしいオーストリア側の男がこちらに出迎えに来る。五十代半ば、口調は落ち着いていて、余計な社交辞令は一つもない。


「女大公閣下、ようこそお越しくださいました。当方の名指しの書簡に、永恆領としてご回答いただけたことに感謝申し上げます」


エリザヴェータが軽く頷く。


「汝らがまず『門』を読み解いた。妾は、それへの礼を返しに参っただけのことよ」


相手の口元が、ごくわずかに動いた。


はっきり笑ったとは言えない。だが、その加減は絶妙だった。


「では本日は、『門を理解した後の話』をさせていただきましょう」


横で聞いていて、俺の機嫌はかなりいい。


そうだ。その一言で、十分に「通じている」。


誰もバカのふりをしない。だが同時に、誰も最初からカードを全部テーブルに叩きつけたりはしない。こういう部屋は、たいてい中身が濃い。


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