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71.家に帰ろう 71-3

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

俺とヴァヴラが門を跨いだ時点で、後ろの政府一行も、いやでも続いて入るしかなくなった。


付き添いじゃない。


引き渡しだ。


この二文字の違いを、今日ここにいる連中は全員、骨身に染みている。


城内の空気は、外よりも冷たい。石壁、アーチ、古い床板――足音でさえ、いつもより重く響く。館の職員たちが一列に並んでいて、その顔色は誰ひとりまともじゃない。昨日までチケットを売っていたのに、今日突然「あなたたちの勤務先は、法的にはオーナーが変わりました」と告げられた人間の顔だ。


俺は一通り、ざっと視線を走らせる。


チケットカウンター、ガイド班、警備、館務、文化財保全の窓口、それから、どう見ても「自分のキャリアの分岐点を目撃しろ」と駆り出されたとしか思えない、事務方の担当者が二人。


いい。


人員は揃っている。一度にまとめて脅かすにはちょうどいい。


ヴァヴラが足を止め、正式版の書類を開いた。


「これより、現場の引き継ぎを始める」


財政次官が、息を吸い込んで場を保とうとする。


「政府側は、なお公共サービスの継続を――」


エリザヴェータは振り返りもしない。


「承知しておる。わらわが汝らに貸し与えるからこそ、続けられるのじゃ」


その一言で、回廊全体が一瞬にして静まる。


危うくまた笑うところだった。


そうだ、ここでリズムを間違えちゃいけない。


まずは誰が大家か叩き込んでから、誰にモップを握らせるかを決める。


館の責任者が半歩前に出て、一抱えもある鍵束を抱え込んでいる。まるで骨壺でも持たされているみたいに。


「えっと……現場では、どこからお渡しすればよろしいでしょうか」


エリザヴェータが足を止め、振り返って全員を見渡した。


その一瞬、城の中の空気が、彼女に合わせて一拍分、まるごと押し留められたみたいになった。


「第一に、通行証の販売を禁ずる」


彼女は手を上げ、入口脇のチケットカウンターを指す。


「今この時より、我が方代理人の書面による許可なく、いかなる形であれ、売券の再開を許さぬ。一切の臨時入場、集団見聞、特別催し、夜間拝観、ならびに名義の貸し借りを禁ずる」


そして財政次官に目を向ける。


「汝らは引き続き秩序を管理してよい。だが、妾の扉を二度と、汝らの金庫代わりにしてはならぬ」


財政次官の顔が沈む。それでも頷くしかない。


ヴァヴラがすぐに引き取る。


「チケットシステムのアカウント、バックアップ用ログイン、未処理の予約一覧、返金フロー、現金箱と券在庫――今から全てリストアップだ」


カウンターの責任者らしき中年が、びくりと肩を揺らす。


「げ、現金箱も……ですか?」


俺は彼を見た。


「じゃなきゃどうする。ちょっとお土産に、って持って帰る気か?」


彼は即座に口をつぐんだ。


エリザヴェータは続ける。


「第二に、富の凍結じゃ」


声は大きくない。だが、一語一語が石壁に釘で打ち込まれていくみたいだ。


「本日零時より、この場域に関わる一切の新たな収益は、すべて暫定保全に入る。通行料、案内料、場所貸し、土産物、名義使用許諾、催事費用、幻灯協力、地下に連なる分配金まですべて、新規の割り振りは停止じゃ」


イレーナが後方でさらに顔を青くする。


彼女がいちばんよく分かっている。これは単なる宣言文じゃない。


刃だ。


「地下に連なる分配」と口にした瞬間、今日ここは「門を開ける場」じゃなく、「帳簿も開ける場」になった。


ヤクブが、喉を詰まらせながらも口を開く。


「すでに発生済みで、まだ清算されていない分については、従来どおり基金で暫定的に――」


エリザヴェータの視線が、彼に突き刺さる。


「保全とは、清算ではない」


彼女はわずかに首を傾げる。


「汝ら、どうにも『とりあえず手を付ける』ことを、役人の慣例と呼び慣れておるようじゃのう」


ヤクブは、その場で口をつぐんだ。


俺は横から一言、添えてやる。


「今日からは、指一本触れただけでも、大家の財布に手を突っ込んだって勘定になる」


館務のひとりが、思わず吹き出し、すぐに表情を飲み込んだ。


いい。


少なくとも何人かは、話の意味を理解し始めている。


エリザヴェータはさらに進み、ちょうど大広間の真ん中で足を止めた。


そこは、わざと選んだとしか思えない位置だった。全員が散開して立てる余白があり、同時に、ここから先のルールを書き換える宣言台にもなる場所だ。


彼女は顎を上げる。


「第三に、人員の継続じゃ」


その一言で、さっきまで一番こわばっていた館の職員たちが、目に見えて動揺した。


彼女は彼らを、一人ひとり、視線で撫でていく。


「汝らは、本日ここで追い出されるわけではない。少なくとも、今この刻ではな」


場の空気が、一段深く息を吸い込んだ。


彼女は続ける。


「館務、保全、警備、案内、清掃、設備、事務。すべて暫定のまま続任じゃ。元の仕事は途切れぬ。元の持ち場は空にならぬ。元の安全責任も、宙には浮かせぬ」


そこで、声の温度がふっと氷のように冷える。


「ただし、今この瞬間から、汝らはもはや『生まれつき門の内側にいるふりをする国家』のために働くのではない。妾が良しとし、租回の取り決めで生かしてやっておる場で、それぞれの務めを果たすのじゃ」


職員たちの顔を見ていると、不思議なほど気分がいい。


これでいい。


誰彼構わず叩き出すんじゃない。


まず天井を掛け替えて、顔を上げたとき、誰の軒先にぶら下がっているのかを全員に見せる。


年配の整備員が、おずおずと口を開いた。


「じゃあ……俺たちの雇用は、どうなる?」


エリザヴェータは彼を見て、さっきよりわずかに柔らいだ声で答える。


「本日、汝らの飯椀は割らぬ」


その一言で、場の緊張が一気に緩む。


すぐ次の言葉が、その緩みをまとめて回収するまでは。


「だが、妾は嘘つきは養わぬ。文書を隠す者も養わぬ。領内の財を、己のポケットに移してよいと勘違いしておる者も、決して養わぬ」


回廊は、再び水を打ったように静まり返った。


実にいい。


飴と釘を同時に打ち込む。これが彼女らしいやり方だ。


ヴァヴラはすでにノートパソコンを開き、記録を始めている。


「続任名簿、役職、本日出勤状況、実際に鍵とシステム権限を保持している者――五分以内に提出しろ」


館の責任者の顔が引きつる。


「五分では短すぎ――」


俺は彼を睨んだ。


「自分の部下が今日誰出勤してるか把握するのに五分以上かかるなら、この城は普段から幽霊がシフトを組んでると疑われても文句言えねえぞ」


彼はそれ以上引き延ばす度胸もなく、慌てて振り返り、部下に整理を命じた。


エリザヴェータは間髪入れず、第四の刃を振り下ろす。


「第四に、文書と物品の凍結じゃ」


彼女の視線が、文化部次官、内務副局長、イレーナ、ヤクブを順に射抜く。一人たりとも逃さない。


「今この刻より、我が方代理人の書面による許しなく、この場域に関わる一切の帳簿、図面、修繕記録、通行記録、収益分類、図面照合、会議録、保留意見、付記および添付書類を、持ち出すこと、焼くこと、写し替えること、名を変えること、『一時整理』と称して動かすこと、一切許さぬ」


彼女は、わざと一拍置いた。


「もちろん、汝らが好んで共有の保管庫の深き階層に沈め、風邪薬の添付文書のごとく長ったらしい名を付けておる古き記録も、すべて含めての話じゃ」


俺は顔を伏せて咳払いし、笑いをどうにか飲み込んだ。


(シキ)がここにいたら、今ごろもう配信のタイトルを考え始めているに違いない。


ヤクブの顔色が、完全に土気色になる。


イレーナはまだ踏ん張っているが、それは強さじゃない。これ以上少しでも動けば砕け散ると分かっていて、ただ静止しているだけだ。


ヴァヴラは正式書類を代理条項のページで開き、テーブルに叩きつけた。


「今この瞬間から、この場域に関わる行政連絡、資料閲覧、帳務引き継ぎ、収益保全、範囲確認、租回管理の細部――すべて、まず俺を通せ」


俺は首を傾けて彼を見る。


「代理人殿、就任おめでとう」


彼は俺を無視して、向かいに並んだ一行を冷たく見渡す。


「窓口を間違えた時点で、引き延ばしと見なす。引き延ばしたら、名前を記録する」


司法協調室主任がついに口を開いた。


「現場執行の細則がなければ、各部署は――」


エリザヴェータが即座に切り返す。


「今まさに、汝らの耳に入っておるものが、それじゃ」


そうだ。


この女の一番恐ろしいところは、「現場マニュアル」を天気予報みたいな顔で読み上げることだ。まるで世界は本来そう動くのが当然で、今ようやく正しい軌道に戻すだけだと言わんばかりに。


彼女は門の脇に立つ二人の警官に目を向ける。


「第五に、境界じゃ」


二人が同時に背筋を伸ばす。


「外部の治安、刑事、公共の秩序は、汝らがこれまで通りに行うがよい。それは租回の取り決めに含まれておる。わらわはその役目まで奪わぬ」


彼女の指先が、床をわずかに示す。


「だが、門の内側の場域権限、部屋の開封、記録への接触、内部の動線、非緊急人員の出入りは、我が方の代理人と、妾が指名した者が決める」


内務副局長が眉をひそめる。


「緊急事態が発生した場合は――」


「手順に従って入ればよい」彼女は言い放つ。「ただし、今後二度と『緊急』の二文字を使って、汝らが勝手にこじ開けたい扉を、いちいち防災名目にすり替えることは許さぬ」


俺は横から一言挟む。


「平たく言うと、火事なら入っていい。手がムズムズするだけなら帰れ、ってことだ」


前列の何人かが、明らかに表情を引きつらせた。


林雨瞳(リン・ユートン)が後ろから、氷みたいな声でとどめを刺す。


「手癖の悪さ。職務反射という包装。それも禁止」


俺は彼女をちらりと見た。


今日の切れ味は、なかなか美しい。


そのとき、館の職員が第一陣の名簿を持ってきた。


ヴァヴラが一目見て、即座に眉をひそめる。


「監視室の権限保持者が二人しかいない?」


館の責任者の額に汗が浮き始める。


「あ、あとの二人は本日不在で……」


「名前を」


彼が告げる。


ヴァヴラがすぐに書き留める。


「連絡を取れ。今すぐ」


「今すぐ、ですか?」


俺は彼を見た。


「じゃなきゃ何だ。帰宅してから昨日の映像を旅行記録に編集し直して提出するまで待てってか?」


彼はすぐに携帯を取り出した。


エリザヴェータが名簿を受け取り、数ページをめくって、ふと手を止める。


「書庫の鍵の保管者は誰じゃ?」


細身の中年女性職員が、そろりと手を上げる。


「わ、私は……副保管者です」


「正保管者は?」


彼女の唇がわずかに引き結ばれる。


「病欠で」


俺とヴァヴラは目を見合わせた。


なるほど。


今日の「病欠」は、「先に逃げた」と同じ意味に聞こえる。


エリザヴェータの声が、さらに静かになる。


「本日中に連れ戻すか、さもなくば鍵を返させよ」


女性職員は、激しく頷いた。


「は、はい」


エリザヴェータは彼女を見つめる。


「名は何という?」


「エ、エヴァです」


「よかろう、エヴァ。今この刻より、汝は副保管にして、我が方の書庫暫定見証人じゃ。汝の立ち会いなくして、何人も書庫に指一本触れることは許さぬ」


エヴァは、その場で完全に固まった。


彼女だけじゃない。周りの何人もが、同じように呆然としている。


俺には分かる。


この任命の一番えげつないところは、彼女を昇進させたことじゃない。


巨大なシステムの一介の歯車を、まったく別のルールを縛り付ける「見証の釘」として直接打ち込んだことだ。


今この瞬間から、書庫に触れたい者は、まず彼女を通さなければならない。


彼女が賢ければ、今夜中に自分の人生のレールが完全に切り替わったと悟るはずだ。


ヴァヴラがすかさず追記する。


「記録。エヴァ、書庫副保管兼現場見証人」


エヴァの顔は青ざめていたが、それでも頷いた。


俺は小声で囁く。


「昇進おめでとう。あんまり嬉しくない知らせかもしれないけどな」


彼女は本当に吹き出しそうになって、慌てて飲み込んだ。


大広間の反対側から、(シキ)の声がイヤホン越しに飛び込んでくる。


「外のメディアが聞いてる。中ではもう再編成が始まってるのかって」


俺はイヤホンを軽く押さえた。


「再編成どころじゃない。空気まで持ち主が変わった」


「そのセリフ、見出しで使う」


「使え。今日の俺の台詞は全部時価だ」


ヴァヴラが視線だけで俺を睨む。


「今日、お前は特別に無駄口が多い」


「お前の責任が特別に重い日だからな」


彼は無表情のまま、記録を続ける。


そのとき、エリザヴェータがチケットホール横の小さな事務室へと歩いていく。


館の責任者が慌ててついていく。


俺も中に入った。


狭い部屋だ。机が一つ、モニターが二台、金庫が一つ、壁には運営フローボードと月次目標の数字が掛かっている。数日前までここは普通の観光施設のバックヤードだったはずなのに、今日は犯罪捜査の会議室みたいな空気を漂わせている。


エリザヴェータはその月次運営ボードを一瞥した。


「これを外せ」


館の責任者が目を丸くする。


「今すぐ、ですか?」


「そうじゃ」彼女はその数字の列を見据える。「今日からここは、汝らの業績を誇る壁ではない」


俺はドア枠にもたれて笑う。


「当然だろ。大家が戻ってきて最初にやることは、店子のKPIを壁から剥がすことだ」


責任者は聞こえないふりをしたかったようだが、結局は工具を持ってこさせた。


エリザヴェータは金庫に目を向ける。


「開けよ」


「中には予備券、旧印章、館務印鑑が数点……」


「開けよ」


彼は従った。


金庫の扉が開くと、整然と並んだ数箱のチケット、二冊の印鑑簿、予備印章、そして「協力事業」とラベルの貼られたファイルが目に入った。


見事なもんだ。


本当に、何でも手の届くところに揃えてやがる。


ヴァヴラが入ってきて、一瞥しただけで言った。


「リスト化、写真撮影、封印。今日から印章は、公共安全と必要最低限の行政継続用途のみ保持。それ以外は停止」


文化部次官が扉の外から声を上げる。


「全面封印となると、外部との連携が――」


エリザヴェータが振り返って彼を見た。


「汝らは『全面』という言葉が殊のほかお好きなようじゃが、妾は全面封印などしておらぬ。汝らが勝手に押すべきでない半分を、先に預かっただけのことじゃ」


俺は彼に向かって笑う。


「心配するな、まだ半分は使える。面目を保つには十分だろ」


彼の顔色は散々だった。


今日、俺はそういう顔色をたくさん見てきたが、いつ見ても気分がいい。

「とても面白い」★四つか五つを押してね!


「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

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