68.いわく付きの所有権 68-1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
午前九時五十七分。俺は投影壁の横に寄りかかり、コーヒーはとっくに冷めていた。希の前には三台のモニターが並び、ヴァーヴラは入室してからずっと立ったまま、手のペンが一度も止まっていない——人間が死ぬか政府が死ぬかを決める書類を待っているみたいに。
林雨瞳は窓際でスマホを見ていた。顔色は外の天気より悪い。
「あと三分」希が言う。
「来る」ヴァーヴラは顔を上げない。「昨夜の三人は交渉に来たんじゃない。今日跪くかどうかを確認しに来ただけだ」
俺は鼻を鳴らした。
「この国、行政効率は底辺だけど、延命本能だけは一流だな」
葉綺安がソファの肘掛けに腰を落とし、足をぶらぶらさせながら俺を見る。
「そういうこと言う時のあんた、本当に起訴される直前の人間に見える」
「俺の今の肩書きは『弁護士に同行する証人』だから、職業的な品格を要求されても困る」
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ドアベルが九時五十九分に鳴った。
誰も動かなかった。
二度目が鳴った時、エリザヴェータがようやく手の茶杯を置いた。その音はごく軽かったが、部屋全体が一緒に止まったみたいだった。
彼女が目を上げる。
「通せ」
俺がドアを開けた。
外に立っていたのは二人。一人はスーツ姿で公文書袋を持ち、額には汗が滲んでいる。もう一人は宅配箱を抱え、荷物を置いたらこの物語から退職したいという顔をしていた。
箱を受け取り、俺は宛先表示を確認した。
スロバキア文化省・司法調整事務所・危機処理連席小組。
上出来だ。名称だけで、責任のなすりつけ合いが三回転できる。
荷物を持ち込むと、ヴァーヴラがすでに封を切り始めていた。封印を剥がすと、まず紙の書類が落ち、次にUSBメモリが落ち、最後に添付書簡が出てきた。
ヴァーヴラは一ページ目を見ただけで、口角が冷たく固まった。
「提案書じゃない。覚書だ」
俺が横から覗き込む。
タイトルが長い。長すぎて、読ませる気がないとしか思えない長さだ。
《ボイニツェ歴史的場所の特殊管理安排に関する原則的意向覚書草案》
俺はその場で笑い出した。
「『原則的』『意向』『覚書』『草案』。四重保険だ。これが水に落ちても、責任だけは自力で浮いて逃げる」
希がすでに全文をスキャンして投影壁に映し出していた。
赤字、黒字、注釈、相互参照——部屋中が瞬時に官僚語の死臭で満たされた。
エリザヴェータは中央に座り、一ページずつ読んでいた。昨夜より表情が薄い。
こういう時に彼女が静かになればなるほど、誰かが終わりに近づいている。
林雨瞳がスマホをテーブルに投げた。
「外でも動いた。第三波声明の前置き情報として、政府が『建設的な書面方案を提出した』と流し始めた。歴史を尊重、法治を尊重、地域の安定を尊重、と強調している」
「翻訳してくれ」俺は言う。
「定義の先取りを狙っている」ヴァーヴラが冷たく返す。「国民に『政府が対処中』という印象を先に植え付けて、実際には法的効力のない慰撫文書を送りつけた」
エリザヴェータがついに最終ページに辿り着いた。
「文書番号がない」
ヴァーヴラが頷く。
「内部回覧コードだけで、正式な行政文書番号ではない」
「具名の責任機関がない」
「『連席作業プラットフォーム』のみ」
「境界がない」
「『ボイニツェ歴史文化中核区および周辺影響範囲』とだけ書いてある」
俺は舌打ちした。
「『周辺影響範囲』?その書き方、心霊番組と同じ発想だな。霊が出た所まで全部含むってやつ」
希がスクロールを続ける。
「期限なし、実行マイルストーンなし、凍結機構なし、チケット処理なし、収益帰属なし、警察権の配置なし、鉱業権もなし」
俺はヴァーヴラを見た。
「つまり昨夜あれだけ言われて、彼らが学んだのは空虚な言葉をPDFに整形する方法だけってことか?」
ヴァーヴラがペンをテーブルに置いた。
「そうだ。残念ながら今日の俺は機嫌が悪い」
エリザヴェータが書類を平らに置き、十指を組んで、全員を見渡した。
「よい。今日ようやく、あやつらは名前を残した」
俺は一瞬止まった。
「どこに名前があった?」
彼女がわずかに顎を上げる。
ヴァーヴラが即座に添付書簡を広げた。
一番下に三つの署名があった。正式署名ではない——送達連絡人と確認担当者だ。
文化省次官、司法調整室長、危機処理連席書記官。
最上層ではないが、十分だ。
火を上へ燃やすには十分すぎる。
エリザヴェータの声は静かだった。
「希、この三名の名前で対照図を作れ。左側に昨夜『権限がない』と言った事実、右側に今日の送達書簡の署名を並べろ」
「了解」
「林雨瞳、メディアを監視しろ。二十分以内に『政府が具名で書面を送付』という一文を主要ニュースの見出しに入れさせる」
「わかった」
「ヴァーヴラ」
「ここにいる」
彼女が目を上げて彼を見た。
「返答を書け。拒絶ではない——修正命令だ」
俺は思わず横目で彼女を見た。
この女、書類を差し戻す行為ですら勅令を下すみたいに言える。
ヴァーヴラがすでに座り、ノートパソコンを開いていた。
「主軸は?」
エリザヴェータが一語一語、置くように言う。
「第一。我が方の権原主張に優先的審査と暫定保全の効力を認めること。第二。ボイニツェ城および関連附属地域の一切のチケット販売、商業活動、行政的再処分を即時凍結すること。第三。具名・文書番号付き・境界明確の正式方案を提出すること——『周辺影響範囲』などという逃げ言葉はもはや認めない。第四。鉱業権を明記すること。第五。地籍分割の前置手続きを開始すること」
俺は思わず背筋を伸ばした。
「待て、今すぐ土地を切り分けるのか?」
彼女が俺を見た。ようやく授業に追いついた生徒を見る目だった。
「先に土地を切り出しておかなければ、後で何を貸し出すつもりだ?」
部屋が一瞬、静まり返った。
それから俺は笑った。
本当に笑い出した。
「クソったれ、そういう算段だったのか」
エリザヴェータは笑わない。
「あやつらは『自治領』という三文字で引き延ばそうとしている。ならば妾は『自治』を地籍に変え、『領』を法的権限に変える。図面が引かれ、境界線が落ち、名前が登録された瞬間から、後はこちらに独立を求めるのではなく——賃貸を求めてくる立場になる」
葉綺安が小さく口笛を吹いた。
「その書き方、好きだ」
林雨瞳も振り返り、目が少し輝いた。
「ノヴァーキからプレヴィーザまでの帯状地域は?」
エリザヴェータの返答は速い。
「権原記録、鉱業権記録、歴史的封邑境界、実際管理の残存、交通・収益連動区域——一区画ずつ切り出す。先に確定できるものから立て、確定できないものは先に凍結する」
俺は投影壁に映る政府の書類を見た。
さっきまで俺たちの顔に押しつけようとした雑巾が、今や彼ら自身の首に巻きつける縄に変わっていた。
ヴァーヴラがタイピングを始めた。キーボードを叩く音が、まるで執行の号令みたいに速い。
「一条追加する。政府が特別行政地位の設立に同意するなら、ドラキュリヤ=バートリ大公領の歴史的権利主体としての地位を明文で認め、地政・文化・財政・内政の四部門が同時に窓口担当者を指名することを義務付ける」
「もう一条」エリザヴェータが言う。「妾が国内にいない期間は、汝を全権代理人として、書面・行政・賃貸・収益・対外窓口の一切を処理する権限を与える」
ヴァーヴラが一秒止まり、顔を上げた。
「今日の文書にすでに書き込むのか?」
「そうだ」
俺は横で舌打ちした。
「今日から、あんたは歩く国境線だな」
ヴァーヴラが俺を一瞥する。
「そして汝は喋る証拠物件だ」
「お互い様ってやつだ」
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