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57.トレンチーン国立公文書館 57-1

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

トレンチーン国立公文書館(Štátny archív v Trenčíne)は、俺の想像よりずっと……普通だった。


醜いわけじゃない。みすぼらしいわけでもない。ただ、やたら典型的で、やたら静かで、「お役所の匂い」が染み付いた建物だ。外壁は清潔で、窓は四角く整っていて、入口も地味。ナビがここまで案内してくれなかったら、たぶん「人気のない地方行政事務所」だと勘違いして通り過ぎていただろう。


さっきまで、童話の挿絵みたいに美しい城の前で、料金表に正面から恥をかかされてきたばかりの俺たちが、ここにいる。


この落差は、フレンチスイーツを一口食わせておいて、その直後にコピー機から吐き出された紙を口に突っ込まれるくらいの、急転直下だった。


車を停めて、エンジンを切る。正面の館名を見上げてから、ハンドルをぽんぽんと叩いた。


「よし」自分の葬式でも取り仕切るような誠実な声で言う。「本日の、真の戦場へようこそ」


後部座席の(シキ)が身を乗り出して、建物を覗き見る。


「戦場って、この公文書館のこと?」


「ああ」俺はシートベルトを外しながらうなずいた。「今の世の中で一番怖いのはな、幽霊じゃない。整理番号ついてて、台帳に載ってて、ハンコまで押されてる幽霊だ」


「それ、幽霊じゃなくて公文書」葉綺安(イェ・キアン)が淡々と訂正する。


「そのほうがなおさら怖えよ」


助手席のエリザヴェータは何も言わない。ただドアを押し開けて、無言で車を降りた。出発してからずっと、小さな日傘を抱えたままだ。顔色は、業務用冷凍庫から出てきたみたいに冷え切っている。ボイニツェ城(Bojnice Castle)の門前で食らった「祖宅入場料」の屈辱は、まだ骨の芯までこびりついているらしい。


林雨瞳(リン・ユートン)もドアを開けて外へ出る。閉める前に、ちらりと俺を見る。


「あとで。しゃべる量、少しだけ控える」


「それ、人権問題じゃねえ?」


「スロバキアの公務員制度のために言ってる」


「それなら、まずエリーゼのほう心配したほうがよくない?」


雨瞳は答えない。ただ、前を歩いていく女大公の背中へ視線を流した。その一瞥に込められた意味は、痛いほど分かりやすい。


——どっちもどっち。


……はい、そのとおりです。


反論の余地がない。


正面入口から中に入ると、館内の空気には、どこか懐かしい匂いがした。カビ臭さとも、古い紙が乾いた匂いとも少し違う。「歴史を丁寧に折り畳んで、番号を振って、箱に収めて、誰も勝手に触れない場所に静かに積み上げた」——そういう匂いだ。


嫌いじゃない。


少なくともここにある静けさは、本物の静けさだ。ブダペストの地下施設みたいな、「静かすぎて、次の瞬間には壁の中から何かが手を伸ばして足首を掴んでくるんじゃないか」と疑いたくなる類いの静けさじゃない。


ロビーにはほとんど人影がない。カウンターの向こうに、中年の女性がひとり。眼鏡をかけていて、表情は落ち着き払っている。「非効率な人間」を山ほど相手にしてきた職業的な顔つきだ。俺たちが入っていくと、彼女は軽く顔を上げた。視線がまず俺に引っかかり、そのあと後ろのエリザヴェータ、(シキ)葉綺安(イェ・キアン)へ移り、最後に林雨瞳(リン・ユートン)のところで止まる。


どう見ても、「先祖のルーツを調べに来ました」って雰囲気ではないメンバーだ。


英語でどう切り出したら一番マシか考え始めたところで、エリザヴェータがすでにカウンター正面まで進み出ていた。


一言の挨拶もなく、いきなり何かを喋り出す。


英語じゃない。


ドイツ語でもない。


流暢すぎるくらい淀みなく、冷たく研ぎ澄まされた音が続く。硬く、乾いた子音が多くて、聞き慣れないリズムだ。スラヴ系の言語の、もっとかしこまった、古風なバージョン、そんな印象。


カウンターの女性は一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに目の色が変わった。驚愕というより、「この子、本当にその言葉話せるのね」という意外さだ。ややゆっくりめの調子で数語返し、確認するように質問を重ねる。


俺は少し横へずれ、雨瞳に小声で聞いた。


「今、何語?」


「スロバキア語、だと思う」雨瞳も声を潜める。「少なくとも。いつもあなたを罵るときに使ってるどの言語とも違う」


「マジかよ、ちゃんと現代語パッチ当ててたのか、あのバージョン六百年」


「じゃなきゃ、この数百年なにしてたと?」


「永遠の美肌コースで熟睡」


助手席女大公の背中が、ほんの一瞬だけ、分かりやすく固まった。


次の瞬間、振り向きもせず、流暢な中国語が飛んでくる。


「妾は聞こえておるぞ」


「ほら、言語の切り替えスムーズでしょ」


「黙れ」


「はいはい」


カウンターの女性は、俺たちをしばらく眺めたのち、「金髪の少女」——いや、正確には「金髪の少女に見えるがそうではない危険物」に視線を戻す。この金髪少女が冗談を言っているわけではないと理解したらしい。女性はすぐに椅子から立ち上がり、少しだけ待つようジェスチャーをしてから、奥の事務スペースへと姿を消した。


その背中を見送りながら、俺はエリザヴェータに向き直る。


「さっき、なんて言った?」


「ボイニツェ城(Bojnice Castle)およびその関連封土に関する、所有・継承・譲渡の記録。できるだけ十五世紀以前の完全な目録を閲覧したいと」


二秒ほど、脳がフリーズした。


「……オープニングからして、完全にクレーム案件のテンションだな」


「妾はクレームに来たのではない。誤った認識を正しに来たのじゃ」


「それを世間一般では『クレーム』って呼ぶんだよ」


エリザヴェータが、ぎろりと俺を睨む。


「妾が本気で騒ぎを起こすなら、さきほど城でやっておる」


「それもそうだな。今日ここに立ってるだけで、かなり自制してるってことか」


「妾は常に自制しておる」


「へえ、『自制』の定義、かなり攻めたところにあるんだな」


葉綺安(イェ・キアン)が壁にもたれ、腕を組んだまま、目を閉じているのか開けているのか分からない顔で口を開いた。


「機嫌は、今のところ悪くないほう」


俺はそちらを見る。


「本気で言ってる?」


「本気。さっきの日傘が、窓口の外で止まってたから」


……言われてみれば、そのとおりだ。


そう考えると、今のエリザヴェータは、たしかにかなり文明的なモードだと言える。


ほどなくして、さっきの受付の女性が戻ってきた。後ろに、もう一人男を連れている。五十代くらい、きちっとした濃い色のスーツを着て、髪はきれいに撫でつけられている。愛想はいいが、目の奥には職業的な警戒の色。どう見てもただの館員ではない。


ここの責任者——館長ってところか。


彼はまず俺たち一行をぐるりと眺め、それから視線をエリザヴェータに固定した。ごく標準的で、しかし慎重さのにじむ英語で話し出す。


"I am the director here. I understand you wish to consult documents regarding the early property rights of Bojnice Castle?"(私がここの館長です。ボイニツェ城の初期の所有権に関する資料を閲覧したいと伺いましたが?)


エリザヴェータは軽く頷いた。下男の夕食メニューを確認するくらいの、淡々とした表情で答える。


「正確に申すなら、"調べたい"のではない」


顎をわずかに上げ、紅い瞳でまっすぐ相手を見据える。


「そなたらの、現時点での誤った認識を——校正しに来たのである」


館長の顔に貼り付いていた職業用の笑みが、一瞬だけ硬直した。


隣で見ていた俺は、その場で額を押さえたくなった。


おい、オープニングからそれかよ。完全にここを自分の法廷だと思ってるだろ。


とはいえ、そこはさすが館長。さっきの観光地のチケット係より、メンタルの耐久値が違う。一拍だけ間を置いてから、温度を抑えた職業的な声で返してきた。


"If you possess original documents related to historical ownership, we are certainly willing to assist with an initial reading. However, regarding formal legal validity and administrative procedures—"(もし、皆さんがお持ちの文書が歴史的な所有権に関わる一次資料であれば、初期的な判読のご協力はもちろん可能です。ただし、正式な法的効力や、行政上の手続きについては——)


「承知しておる」


エリザヴェータが言葉を遮る。


「だからこそ、まずはここへ来た」


そう言うと、ゆっくりと手を上げた。俺がこれまで「ただの見た目アクセサリー。中身はポケットティッシュくらいだろ」と思っていた、実際にはたぶん小型兵器がぎっしり収まっているに違いない小さなバッグの口を開ける。


そして、中から一枚目の羊皮紙を抜き出した。


その瞬間、俺でさえ背筋を伸ばした。


安っぽい観光グッズでも、レプリカでもない。


本物の「古さ」を背負ったものだったからだ。


紙面の色と、縁が自然に磨耗してできた脆さを見ただけで分かる——これは現代のコピー用紙と、根本的に別の生き物だ。しかもその下には分厚い蝋封が押されていて、色はとっくに黒みがかった深紅に変色しているのに、それでもまだ、硬質な「権力の重さ」みたいなものを放っている。


館長は、それまで「まずは何を持ってきたか見てやろう」という冷静さを保っていた。


蝋封を目にするまでは。


その顔の筋肉が、目に見えてわずかに強張った。


エリザヴェータは一枚目をカウンターに静かに置いた。動作は揺るぎなく、安定している。書類を提出しているというより、誰にも改竄する権利のない歴史の一頁を、そのまま広げて見せているような所作だった。


「一枚目」彼女は言う。「一四二三年」


館長は反射的に手を伸ばしかけ——触れる直前で止めた。これは自分が普段気軽にめくれる類の館蔵品ではない、とようやく気がついたらしい。すぐに傍らの女性に小声で何か指示を出した。彼女はすぐに薄手の手袋と当て布を持ってきた。


俺はその一連の動作を見ながら、妙な感覚に囚われた。


さっきまで公道で祖産紛争の話を吐き出し合っていた俺たちが、今や歴史ドキュメンタリーに撮られても違和感のない場面の真ん中に立っている。唯一の違いは、そのドキュメンタリーのナレーションが、「この文書の保持者は、つい先ほど城への入場料に激怒して日傘を振り回していた吸血鬼大公である」という事実に、たぶん一切触れないだろうという点だ。


館長は手袋をはめて、羊皮紙を覗き込んだ。


一枚目の上段に並ぶ文字は、書き手の腕前を誇示するかのように複雑な書体で、ラテン語が一行一行流れ下っていく。美しいというより、圧倒的だ。平民に読ませるために書かれたものじゃない。「読む資格があると自覚している者」にだけ向けて書かれた文字だ。


「……Sigismundus……」館長が、その一節を低く読み上げた。呼吸が、半拍止まる。


顔が上がる。


「これは——」


「ルクセンブルクのジギスムント(Sigismundus)による署名である」エリザヴェータは静かに言った。「竜騎士団(Drachenorden)の構成員とその後裔に対する、トランシルヴァニアおよび上ハンガリー国境領地への永久封土権の確認である」


隣で聞いていた俺は、口の端が引きつるのを感じた。


永久封土権。


……開幕からこれか。「うちの家、あなた方が思ってるような小貴族じゃないんで」という一文を、顔面に直接刻み込んでくる始め方だ。


館長は何も言わず、読み続けた。読むにつれて、それまで保っていた余裕の色が、少しずつ別の方向へ変わっていく。焦りではない。「目の前のこれが、今月俺が扱った全案件を合計した以上の面倒になるかもしれない」と悟った専門家の、慎重さだ。


エリザヴェータは、彼に咀嚼する時間をあまり与えなかった。


すぐに二枚目をバッグから引き出した。


一枚目より厚く、硬い。角の圧痕が深く、長期間正式に製本されて保管されていたことが分かる。書体は一枚目ほど華麗ではなく、細かい文字が隙間なく整然と並んでいる。見ただけで弁護士、公証人、税台帳、そして正常な人間の頭痛を引き起こすあらゆる書類が頭に浮かぶ。


「二枚目」彼女は言う。「一四三八年」


館長はほぼ即座に二枚目へ視線を移した。


俺はさほど近くに立っていなかったが、あの文面の構造を見るだけで分かる——一枚目みたいに壁に飾って人を黙らせるような代物じゃない。後世の人間が条文を一つ一つ突き合わせて互いに刺し合うために作られた、実務的な条項文書だ。


数行読んだところで、館長の目が鋭くなった。


「Albrecht……」彼は呟く。「……Bojnice……silvae……fodinae……」


「アルブレヒト(Albrecht)である」エリザヴェータが補足した。出席確認でもするような、淡々とした口調で。「ボイニツェ城(Bojnice Castle)と周辺森林、および鉱業権に対する、我が一族の継承正当性を再確認した文書だ」


一拍置いて、紅い瞳がわずかに持ち上がる。


「つまり——これが今現在、そなたらの政府の睡眠を最も妨害する可能性が高い一枚である」


カウンター脇に立っていた女性館員の手が、目に見えて震えた。


俺はほぼ笑いそうになるのを堪えた。


この紹介の仕方は「資料調査に来ました」じゃない。完全に「宣戦布告状を持参しました」のテンションだ。


館長は今度は顔も上げずに、さらに速く内容を確認していく。読めば読むほど、眉間の皺が深くなる。理解できないからじゃない。理解しすぎているからだ。おそらくもうこの時点で、「目の前のこれは装飾品でも、家族が自作した偽造古文書でもない」と分かり始めている。


この二枚が本物だとしたら——


いや、今の彼の表情を見ていれば分かる。「本物かもしれない」を通り越して、「本物で、しかもかなりまずい」という地点に、急速に近づいている。


俺はエリザヴェータを横目で見た。


彼女は真っ直ぐに立って、日傘の先端を軽く床に当てながら、顔には何の感情も乗せていない。誇示もない。追い打ちを急ぐ様子もない。ただ冷ややかに立って、館長が文書に引きずり込まれていく過程を、静かに見ている。


その様子は、正直なところ——「妾には、いくらでも時間がある」という余裕を、全身で体現していた。


証明を求めに来たんじゃない。


通告しに来たんだ。

「とても面白い」★四つか五つを押してね!


「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

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