52.模倣鳥 52-3
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
そいつは、すぐには飛び掛かってこなかった。
幹道のちょうど中央、アーチ天井から逆さ吊りになったまま、四肢をじわじわと左右に広げていく。まるで、ここがどれくらいの幅か、事務的に採寸しているみたいな動きだ。
真ん中の、顔のはずの場所にある「何もない面」が、ふいにこちら側へ、わずかに傾いた。
次の瞬間——
幹道全体の「響き」が、変わった。
まだ水滴はどこかで落ちているし、遠くのほうで水も流れている。ただ、そのすべての音が、誰かに一斉に向きを揃えられたみたいに、「一方向」に集まりはじめた。
鼓膜が一瞬、ビリっと痺れる。嫌な予感が、そのまま思考になって浮かぶ。
——こいつ、突っ込んでくるつもりじゃない。こっちから「居場所をしゃべらせる」つもりだ。
エレナも、どうやら同じことに気づいたらしい。すぐさま声を絞る。「何を聞かれても、返事しないで」
「まだ何も喋ってないだろ、あれ」
「"喋ってる"って、思わせてくる」
彼女の言葉が落ちた、ちょうどその刹那。
俺の右耳のすぐ後ろで、誰かの息づかいが、かすかに鳴った。肩のすぐ横に、ぴたりと誰かが顔を寄せているような近さだ。
「周士達。」
低くて、押し殺した声。林雨瞳の声に、よく似ている。イントネーションまで、本物そっくりだ。
すぐさま、今度は左後ろから、二つ目の声。「右に寄りなさい」
今度の声は、葉綺安だった。
三つ目は、さらにたちが悪い。幼い頃の俺を呼ぶ、母親の声だった。
……クソ。
さっきのクラブで喰らったあの「文明式の洗脳」より、よほど性格が悪い。
こいつは何かを直接流し込んでくるんじゃない。もともと俺の頭の奥に沈んでる声や記憶を、勝手に剥がして、耳元に貼り直してやがる。
俺は奥歯に思いきり力を込め、正面、アーチに貼り付いた白い塊から視線を外さないようにする。「エレナ、もうちょっと"現実的な解決法"はないのか」
「ある」彼女はすでに、手のひらサイズの黒い円盤を取り出していた。親指で側面を押し込むと、縁がぐるりと淡い青に光る。「ただし、あなたたちが"二秒だけ"あれを止めて」
「全然、解決法って響きじゃねえぞ、それ」
「だって、あなたは『力仕事担当』であって、『理解担当』じゃないから」
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そのときだった。そいつが動いた。
飛び掛かってくる——かと思いきや、まず右側の、やたら長い腕を一本、ぬるりと前へ突き出しただけだった。
掌がアーチ天井のコンクリートを叩き、湿った音が響く。そのまま、弧をなぞるように、全身が半歩分前へ滑る。
二本目の腕、三つ目の支点。上半身ごと、ぬらりとこちら側へねじれてくる。
そこで、ようやく理解した。
——こいつの関節の並び自体が、最初から「地面」じゃなくて「天井」のために設計されてやがる。
頭の上にいるときのほうが、地面にいる人間より、よほど自由に動けるってわけだ。
「来る!」
思わず声が出た。同時に、やらかしたと悟る。
幹道全体の残響が、俺の声に合わせてぐっと収束する。
そいつは、ほとんど間髪入れずに俺をロックオンした。アーチから影が一気に剝がれ落ち、汚れた白布の塊みたいになって、俺の顔めがけて落ちてくる。
反射的に、俺は左前に転がり込む。濡れた通路で靴底が滑りかける。
そいつはさっきまで俺が立っていた場所に落ち、鈍い肉が床に叩き付けられる音を立てた。ガツン、という重い衝撃音じゃない。ぶよぶよした湿った肉団子を投げ落としたような、くぐもった音だ。
だが、そいつは地面に落ちてもバラバラにならなかった。
四肢を縮めてから、一気に伸ばす。そのまま地面に腹を擦りつけ、ぬるりと前へ突進してくる。
スピードは、拡大標本にされたトカゲの死骸が、急に生き返ったみたいな速さだ。
俺は棍を横薙ぎに振る。
手応えは、最悪に近い。
骨を殴った感覚でも、まともな筋肉を叩いた感触でもない。強いて言うなら、中に濡れた綿と細い針金を詰め込んだ帆布の束を、思い切り打ったような手応えだ。
一応、そいつの動きがわずかに横へ逸れる。白い皮膚の表面に、輪っかになった模様がいくつも浮き上がり、乱れて波打つ。
口なんかついてないのに、「そこ」から、低い唸り声が響いた。
耳で聞いている感覚がない。音が、直接歯の根に震え込んでくる。
舌を噛みかける。
「左!」エレナが叫んだ。
言葉の意味を完全には咀嚼しきる前に、黒い影が横から走り抜ける。
エリザヴェータだ。彼女はわざわざ迂回なんかしない。
そのまま、真ん中の黒い水を踏み越えて突っ込んでくる。傘はまだ畳んだまま。だが、その黒傘を、あたかも短い銃槍か何かのように、片手で反転させて構え——そいつの側面に、ためらいなく叩き込んだ。
雨具を振るう動きじゃない。「気に入らない陶器を叩き割る」みたいな、無駄のない一撃だ。
カン、と、乾いた音が一つ。
異常体の側肢が、一節分、明らかに折れた。全身が横へ崩れる。
だが次の瞬間には、反対側の長い腕が、しなってエリザヴェータの首元へ振り抜かれていた。
その速さは、俺の目にはただの白い残像にしか見えない。
だというのに、エリザヴェータは余裕で頭をわずかに傾け、その攻撃を耳元ギリギリでかわしている。
通り過ぎた腕を、そのまま手首に近い関節で掴み取り、下へ引き倒し、もう片方の手で、傘の柄をそいつの胸へ突き立てた。
今度は、さっきと違う音がした。
錆びた鉄鉤を、薄い銅板の上で思いきり引っ掻いたような、耳障りな金属音。
そいつの上半身が仰け反り、皮の下で回っていた「音の線」が、一斉にグチャグチャに乱れる。
その二秒間で、エレナは、黒い円盤をすでに投げていた。
円盤は壁に張り付き、青い光がぱっと広がる。
その瞬間、この区画の空気全体が、見えない何かにギュッと締め付けられたみたいになる。
そいつは、二度目の突進に入ろうとしていたが、その動きがふいにぎくりと引っかかった。
完全に静止したわけではない。ただ、体のどこかでリズムが一拍ぶっ壊され、全身が一瞬、痙攣する。
「今!」エレナが叫ぶ。
こっちに迷っている暇はない。
俺は一気に二歩踏み込み、棍を両手で握り直し、あの白い塊の——もっとも「きれい」で、「頭」に近そうな部分めがけて、渾身の力で叩き込んだ。
今度は、まだマシな手応えが返ってくる。
俺の腕が良くなったわけじゃない。ただ、エレナの装置が、そいつの動きを半拍遅らせてくれていた。
棍の先が沈み込んだ瞬間、薄いガラス玉をずらりと並べたものを、一斉に砕いたような、「細かく壊れる感覚」が手首まで伝わる。
そいつの体が弓なりにのけ反り、白い皮膚に幾重もの黒い輪が浮き出る。次の瞬間、真ん中から、びしりと亀裂が走った。
その亀裂から、血じゃないものが噴き出す。
甘ったるい匂いを持った、灰色の霧だ。
体が勝手に後ろへ下がる。だが、胃のほうがもっと先に反応する。
さっき井戸の口から立ち上っていた匂いと同じだ。ただし濃度は段違い。
カビた砂糖と、燃えかすの線香と、長いこと漬けっぱなしだった死体布を、全部同じビニール袋に突っ込んで、熱したみたいな臭い。
「吸い込むな!」エレナはすでに口と鼻を半分覆っていた。「それ、"感知霧"!」
「お前、どうしてそう、元の単語より気持ち悪い言い方を毎回……」
ツッコミの途中で、その灰色の霧が水面に触れた。
黒い水が、一瞬で変わる。
さっきまでただの濁った流れだった水面に、びっしりと細かい波紋が立つ。それも、外へ広がるのではなく——俺たちの足元へ、吸い寄せられてくる。
もっと正確に言うなら、「体温のある場所」へと。
その波紋の一つが、俺の靴先に触れた瞬間——
頭の中に、「俺のものじゃない映像」が一気に流れ込んできた。
白い廊下。冷たい蛍光灯。きっちりと列を作って並んでいる大勢の人間。
どの顔も、まだ五官を印刷されていない白紙みたいに、完璧に空っぽだ。
頭皮の裏側まで総毛立つ。俺は半歩、後退る。
「水を媒介にして"二次読取"を掛けておるな」エリザヴェータがそう言うときでさえ、自分の靴に移った黒水を、露骨に嫌そうに見下ろす余裕がある。「……貧相な真似じゃ」
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そいつはその隙に天井へ逃げ戻ろうとした。地面が不利だとわかっているらしく、四肢を広げて壁面へ這い上がろうとした。だがエリザヴェータのほうが速かった。
彼女は傘を一寸だけ開いた。
たった一寸。
だがその一寸が開いた瞬間、俺は隣に立っていながら、幹道全体の空気が後ろへ押し返されるのを感じた。風ではない——この場所に展開されるべきではない何かが、端を少しだけ覗かせたような感触だった。そいつの四肢が壁面に触れた瞬間、見えない力に押し当てられたように動きが止まった。
エリザヴェータはそいつを見上げ、声は冷たく平坦だった。
「降りろ」
その一言が誰に向けられたのか、俺にはわからなかった。
だがそいつは降りた。
自分から飛び降りたのではない——見えない力に壁から剥がされ、歩道へ叩きつけられた。今度は本物の悲鳴に近い音が出た。小さく、しかし刺さるように細い音で、幹道全体の反響が震えた。
「周士達」エリザヴェータは振り返りもしなかった。「突っ立って見てるなら、次はあんたも一緒に敲く」
「激励どうも」
俺が飛びかかるのと同時に、エレナが横へ移動し、外套の内ポケットから二つ目の装置を抜いた。今度は円盤ではなく、信号棒のように細長い棒状のものだ。振り開くと先端に冷白色の光紋が灯り、そいつの側後方のコンクリートへ突き刺さった。
光紋が地面に触れた瞬間、幹道両側でずっと沈黙していた古い点検灯が三盞、同時に一度だけ瞬いた。
一度だけで充分だった。
そいつは突然、自分が嫌う周波数へ引き戻されたように、制御を失って痙攣し始めた。表皮の下の音紋状の黒い線が次々と浮かび上がる——今度は俺たちを読んでいるのではなく、こいつ自身が何かに逆読みされているようだった。
俺はこの機を逃さなかった。棍を短刺に持ち替え、亀裂の割れた中央へ、そのまま突き込んだ。
深く入った。
熱い霧を詰め込んだ薄い皮袋を突き破ったような感触だった。そいつが激しく跳ね上がり、四肢が暴れ、長い腕が俺の手の甲を引っ掻いた。火が走るような痛みと一緒に血が滲み始めた。退く間もなく、エリザヴェータが一本の肢節を踏み、傘の柄を逆手に持ち直して追撃を叩き込んだ。
亀裂が一気に広がった。
中から本当の「核」が見えた——心臓でも脳でもない。細い金属線で幾重にも巻かれた灰白色の嚢体で、表面にも密な紋様が刻まれており、微かに脈打っていた。
「それだ!」エレナの声が初めて本当に急いた。「そこを打て!」
「最初から言え!」俺はそのまま短刺を根元まで送り込んだ。
嚢体が破れる音は小さかった。
熟れすぎた果実を爪で突き破るような、小さな音。
そして幹道全体の反響が、空になった。
静かになったのではない。四方八方に貼り付いていた細かな音、息遣い、ずれた人声が、一息に吸い尽くされた。目の前の白い怪物が一瞬硬直し、次いで亀裂の内側から崩れ始めた——無理やり詰め込まれていた中身が支えを失った皮のように。四肢が一節ずつ力を失い、表皮が灰色に変わり、最後に空気を抜かれた風船みたいに、ぺたんと濡れた残骸の山に崩れた。
俺は半歩退いて、地面のそれを見下ろした。胸がまだ大きく上下している。
黒い水の中の四つ目の影は消えていた。
天井には、反響が少しずつ散っていくだけ。
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エレナが先に歩み寄り、しゃがんで残骸を見た。顔色が悪い。「単純な巡査体じゃない。改造されてる」
「こっちは本当に、正解を一個ずつ消去してから教えるのが好きだな」俺は手の甲の灰色の液体を振り払って、初めて気づいた——傷が思ったより深い。じわじわと血が滲んでいた。
小さな傷だ。だが焼けるような感覚が妙だった。
エリザヴェータが俺の手を一瞥した。声は淡々としていた。「水に触れるな」
「なんで?」
「さっきずっとあんたを水越しに読もうとしていたから」彼女は黒傘を収め直し、日常の生活常識を語るような口調で続けた。「今夜まだ面倒を増やしたいなら、今すぐその手を突っ込んでみればいい」
「……馬鹿じゃない」
「それは今のところ保留しておく」
言い返す気も起きなかった。俺は服の端で手の甲の傷口を押さえた。エレナは二つの装置を回収し、さっきより素早く動いていた。第一波を凌いだからといって、彼女が少しも安心していないのは明らかだった。
彼女が幹道の奥へ目を向け、声を落とした。
「まずい。第一波は門番じゃない——お前たちの反応を試してたんだ」
俺は彼女の視線を追った。排水幹道の深部は相変わらず黒く、水は相変わらずゆっくり流れ、何も見えない。だからこそ、これで終わりではないとわかる。
傷口を強く押さえ、息を吐いた。「向こうも俺たちを見たわけだ」
エリザヴェータが隣に立ち、呼吸一つ乱さず、静かに続けた。
「そう。今度は私たちが前へ進む番ね——下にまだ何が眠っているか、直接叩いて確かめに行く」
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エレナが俺の手を引っ掴んで見た。
優しい看護の見方ではない。技師が回線がまだ使えるかどうか確認するような見方だ。手電を低く当て、手の甲の引き裂かれた傷口を照らす。傷は長くはないが、縁が少し灰色がかっていた——鋭利なもので切られたのではなく、細かい逆向きの棘が皮膚の表面を引っ掛けて通り過ぎたような。表面には、ほとんど見えないほど薄い白い粉膜が残っていた。
「今から破傷風の注射に行ったほうがよかったか?」俺は傷口を見下ろした。
「これが破傷風の範囲なら、私の仕事はずっと楽だった」エレナは防水袋から小さな透明の液体入り瓶を取り出した。開けると鼻を突く匂いがした——アルコール、薬液、何かの樹脂が混ざったような。「我慢して」
「その台詞の後にいいことが来たためしが——」
液体が傷口に落ちた瞬間、俺は危うく三ヶ国語の悪口を同時に叫びそうになった。
痛みではなく、灼熱だった。細い火の線を傷口に押し込んで、骨まで向かって掘り進んでいくような感覚。俺の手が激しく引いたが、エレナは死ぬほど強く押さえたまま、眉一本動かさなかった。「動くな。さっきこいつに読取反応を拾われた。これで表層の信号を洗い流しておかないと、これからあんたが壁に触れるたびに、下のやつらにあんたが誰かわかる」
「ハンガリーの応急処置は社会への報復みたいだな」
「褒め言葉として受け取っておく」
エリザヴェータが隣で、傷口から細い白い煙が上がるのを眺めながら、水道工事を見るような口調で言った。「煙が出てる。まだ完全に駄目になってないということね」
俺は顔を上げて彼女を睨んだ。「いっそ拍手してくれるか?」
「望むなら、もう少し失血してから拍手してもいい」そう言って、彼女は俺の手から目を離し、灰泥へ崩れていく異常体の残骸へ視線を移した。「こやつ、死ぬのが早すぎる」
エレナが俺の手に黒いテーピングを巻きつけながら顔を上げた。「どういう意味?」
「人を遮るために来たんじゃない。標識するために来たということ」エリザヴェータがしゃがみ込み、傘の先端で灰白色の残骸を軽く小突いた。外側はすでに泥状に崩れているが、中から薄い黒い破片が何枚か覗いた——焼け崩れたレコードの欠片のような、あるいは圧し潰された骨片のような。「お主らが先ほど使った青い光の仕掛けが、こやつの読み取りのリズムを乱した。そして周士達が核を砕いたため、完全なシグナルを送り届けるには至らなんだ。じゃが、『何者かが侵入した』という事実だけは、すでに下の連中に伝わっておるはずじゃ」
俺は、まるで工場での労災事故の後に包帯でぐるぐる巻きにされたような自分の手を見下ろした。気分はこの排水路の底と同じくらい暗く沈んでいる。「つまり、俺たちはもう潜入してるんじゃなく、地下システムから完全に『外部ノイズ』として認識されてるってことか?」
「左様」エリザヴェータは立ち上がり、相変わらず平坦な声で言った。「ただし、正式に処理するかどうか、まだ決定が下されておらんだけじゃ」
「なかなか元気の出る言い方だな」
エレナが最後のテーピングを引き締め、パチンと留め具を固定してから、ようやく俺の手を放した。「少なくとも、これで傷口からあなたを読み取ることはできなくなったわ。今夜この手を守りたいなら、水に触れるな、壁に触れるな、制御盤らしきものを見つけても絶対に手を出さないことね」
「俺はそんなに低能に見えるか?」
「さっき自分から囮になって最初の一撃を受けにいった人間よ」彼女は空の瓶を防水袋へ収め、極めて理路整然と冷たく言い放った。「だから、私の評価は非常に保守的なの」
俺にはその反論ができなかった。
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隊形を整えるのに時間はかからなかった。こんな場所は、民主的な会議を開いてのんびり議論するような場所じゃない。エレナはライトを左手に持ち替え、右手に短い裁断刀のような——だが絶対に紙を切るためのものではない——黒いツールを握った。彼女が先頭に立ったが、さっきのように完全に道案内をするのではなく、意図的に半拍遅らせ、俺が彼女の左後方にピタリとつけるようにした。正面からの異常にすぐ対処するためだ。
エリザヴェータは最後尾に回った。黒傘は依然として収めているが、もはや「持っている」だけではなかった——いつでも一寸開けられる状態で、そこに存在していた。
この布陣が気に食わない理由はわかっている。真ん中が道を知っていて、前が最初の一撃を受け、後ろが死角から来るものを直接始末する。
位置についてから、俺は低く聞いた。「まだBからCへのルートで行くか?」
「他に何がある?」エレナが前方の死角を手電で照らした。「第一波が終わったばかりで、もう台本を変えたいなら、今すぐ来た道を戻って寝てもいい」
「お前がショックで頭が再起動してないか確認しただけだ」
「自分の心配を先にしな」彼女が一歩前へ踏み出し、濡れたコンクリートの縁を踏んで、声をさらに落とした。「最初の核心節点はすぐそこ。主制御核じゃない——外周のリズム調整器で、地上の放送、符文、信号機と塔底の周波数を同じ拍に校正する役割を持ってる。地下三層の本当の核心の、前置きの心拍だと思えばいい」
「親しみを持てそうな説明じゃないな」
「もとから親しみを持たせるためのものじゃない」
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再び動き出してから、幹道全体の空気はさっきより悪くなっていた。
音が増えたからではない。むしろ減りすぎていた。最初の異常体が現れたときは、少なくとも反響が乱れ、水面が揺れ、天井で何かが這う音があった。今はそれが全部消え、黒い水が中央をゆっくり流れ、何かに当たるたびにごく小さな音を立てるだけ。
数歩ごとに俺は水面を確認した。影がまだ三つかどうか。馬鹿な動作だ。でも役に立つ。こういう場所では、自分たちが「三つ」という数を保っていると確認できること自体が、最低限の衛生管理だった。
百メートルほど進むと、幹道に市政工事ではないものが混じり始めた。
まず壁面だ。
剥げかけたコンクリートの両側に、サイズの揃った濃灰色の陶板が嵌め込まれていた。装飾ではない。表面に細い溝紋が刻まれ、内側へ向かって渦を巻いている——音波の図形を古い技法で焼き込んだような。
さらに進むと、アーチ天井に一定間隔で小さな金属製の吊り架が現れた。灯りはなく、細長いガラス管が吊られている。中に液体はなく、薄い霧だけがある。手電を当てると、霧が半拍遅れて光源の方向へ動いた。
俺は半秒足を止め、そのガラス管を見た。「あれは何だ?」
「受動式共振採取管」エレナは振り返らず、声だけ落とした。「地上の人間の声、車の振動、地下鉄の通過、橋の上の風——全部が導き込まれて、低域ノイズの校正に使われる。節点に近づくほど、こういうものが増える」
「この街全体を楽器として弾いてるわけか」
「私たちじゃない」彼女は素早く訂正した。「NYILだ。公金で育てたあの連中と一緒にするな」
エリザヴェータが後ろから一言添えた。「でも技術的には、同じ言語を使ってる」
エレナは二秒沈黙してから答えた。「そう。ただあいつらはそれで瞼を縫い合わせ、私はそれで鍵を開ける」
乾いて、正確な一言だった。俺は何も言わなかった。前方の匂いがまた変わっていたからだ。
井戸の口から漂う淡い甘さは、ここではもう「淡い」ではなかった。湿った空気に溶け込んで、遠くの密室で誰かが砂糖と樹脂と薬粉を燃やし続け、その煙が地下管路全体を押し流されてくるような匂いだった。吸い続けると、喉の奥がじわりと粘つき、耳の膜まで薄い膜を張られたような感覚になる。耳の後ろを押さえると、脈が平常より速かった。
「この匂いも校正の一部か?」俺は聞いた。
「そう」エレナが言った。「嗅覚誘導。地上の人間は気づかないかもしれないけど、地下の作業員と異常体はわかる。節点に近づくほどこの匂いが安定してくる——周波数が綺麗に揃ってる証拠」
「こんなもんに『綺麗』なんて言葉を使うのか?」
「エンジニア語では、使う」
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さらに進むと、前方で幹道が分岐していた。
左はより深い主排水の流路で、水音が重い。右は明らかに後から人の手で拡張された保守用支道だ。入口の上には低いアーチ枠が設けられ、内側には同じ濃灰色の陶板がびっしりと嵌め込まれている。中央には真新しい金属プレートが打ち付けられていた——文字はなく、抽象化された同心円の紋様だけが刻まれている。
エレナはアーチ枠の手前で立ち止まり、手電を支道の奥へ一巡りさせた。
支道は主幹道より乾いていた。地面にはほとんど水が溜まっておらず、薄い反光の膜が残るだけ。両側の壁面には三歩おきに凹みがあり、それぞれに拳大の黒いボックスが収まっている——センサーなのか、別の何かなのかはわからない。さらに奥では、地面に異様なほど規則的な金属の嵌め条が現れ始めていた。まるで誰かがコンクリートの中に巨大な回路基板をそのまま沈めたような光景だ。
「第一核心節点の前廊」彼女が言った。
俺は思わず聞いた。「じゃあ着いたのか?」
「まだ入ってない」エレナはしゃがみ込み、黒い短いツールでアーチ枠の下縁を軽く叩いた。
ごく小さな音だった。なのに支道の中を異様に遠くまで伝わっていく——まるで通路そのものが、空気より遥かによく聞いているみたいに。
「ここから五十メートル先が節点の外殻。問題は——」
言いかけた瞬間。
支道の奥、地面に埋め込まれた金属嵌め条の列が、一斉にごく短く光った。
通電でも起動でもない。何かが中で一度寝返りを打ったような、そんな光り方だった。
俺は短棍を構えた。「それが『問題は』の続きか?」
エレナが立ち上がる。その顔に、初めて本物の緊張が走った。「節点が予測より早く目覚めてる。さっきの異常体——やっぱり単純な巡査じゃなかった。前触れを送りに来てたんだ」
エリザヴェータがゆっくりと歩み寄り、俺の右後方で足を止めた。
彼女は光った金属嵌め条には目もくれない。代わりに、支道のさらに奥を見上げている——俺たちより早く届いてくる何かの響きに、耳を傾けているような顔だった。
数秒後、彼女は静かに言った。
「奥にて、何かが呼吸を整えておるのじゃ」
その一言で、俺の背筋全体がぎゅっと縮み上がった。
中で呼吸していようと、聞いていようと、待ち構えていようと——俺たちはもうここまで来てしまった。
第一核心節点は目の前だ。遠くはない。ただ、最悪の可能性を全部頭の中で一度並べるには、ちょうど足りるくらいの距離だった。
エレナは手元の装置をもう一度確認し、声を落とした。「ここから先が節点前区。これ以降、金属嵌め条には絶対触れるな。真ん中を踏むな。右側の影に沿って歩け。もし反応が出ても、まず壁を叩くな——私の手サインを見ろ」
「ようやく重要なことを最初に言えるようになったな」
「あなたも、黙るべき場面で余計な一言を減らせるようになった?」
「なってない」俺は手の中のものを握り直し、街そのものに飲み込まれたみたいな支道を見据えた。「でも努力はしてみる」
そして俺たちは、右側の最も濃い影の線に沿って、第一核心節点へ向けて、ゆっくりと圧し進んでいった。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




