30.国際問題 30-3
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
彼は艙内の生存者たちをもう一度見渡してから、俺に向いた。
「上に報告できる形の説明が必要だ」
俺は自分を指さした。
「今言ったのが口頭版だ。書面が要るなら、三十分で用意する」
「あなたが書くのか」
「あの人に書かせたいのか?」俺は山口の方へ顎をしゃくる。「提督が書いたら、話が速く大きくなりすぎる」
後ろから、林雨瞳の低い笑い声が聞こえた。「やっと少しは自分のことわかってるじゃない」という笑いだ。
トルコ大佐も、この一言には一定の道理があると判断したらしく、小さく頷いた。
その後の三十分間で、事態は現代官僚機構特有のあの性質——馬鹿げているくせに妙に効率的——な方向へと滑り落ちていった。
俺は隣の艦室に引きずり込まれ、飛竜の備品らしい「触ったら指が切れそうな」古紙と万年筆を押しつけられて、『極光号事件簡報』を生きている人間が読める形に書き直す羽目になった。内容はできる限り削ぎ落とした。牛頭馬面のことも、祖霊の山刀も、人類文明の血圧をまとめて爆上げした山口のあのボイラーキーのことも、一切書かない。書いたのはこれだけだ。
1.クルーズ船システムの異常汚染
2.AIの敵対化
3.船体自壊制御の不能
4.多国籍民間人の被害
5.現有艦隊による収容措置を実施中
6.以後の停泊・通航について緊急人道協議を要請
書き終えて自分で読み返した感想は一つだけだった。これを普通の国家安全保障担当に見せたら、まず「書いたやつの頭がおかしい」と疑って、次に「それを真面目に読んでる自分もおかしくなったか」と疑うだろう。
山口多聞はサッと目を通しただけで、ひとこと。
「ぬるすぎる」
「生きてる人間相手には、そのくらいでちょうどいいんだよ」俺は紙を引ったくった。「あんたみたいに旭日旗を名刺代わりに振り回すやつばかりじゃないからな」
あいつは真顔で返してきた。「あれは極めて効果的だ」
「効果的なクソがあるかよ。今その後始末してんの、俺だぞ」
「だから君を呼んだ」
この台詞、聞くたびに首を絞めたくなる。
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そこから先は早かった。
トルコの上校はその簡報と「主力艦は海峡外で待機、駆逐艦一隻を連絡艦として入峡」という折衷案を抱えて、夜通しで本艦へ戻った。飛竜側は山口の命令で艦隊全体の陣形を微調整。ぱっと見は「玄関の外でおとなしく返事を待ってます」という控えめな姿勢を受け入れたように見せていた。
だが、全員わかっていた。あれは表面だけだ。
榛名と霧島の位置はそもそも一歩も下がってない。海の上に、でかい門神を二つ並べて圧をかけているような配置だ。蒼竜、瑞鶴、翔鶴は外周をかえってきっちり締め直した。撤退じゃない。「待ち」に入っただけだ。卯月だけが単独で引き抜かれ、海峡にアクセスしやすい側面へ移動。
見た目は礼儀正しい。でも目が節穴じゃなければ誰でもわかる——これは降伏じゃない。交渉のタイミングで、テーブルごと丸呑みするための布石だ。
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簡報を提出し終えて医療区画の入口で息をついていたら、林雨瞳がいきなり口を開いた。
「周士達。低調潜入の約束は?」
俺は見下ろす。
車椅子に座った雨瞳。脚の傷で身体全体が一回り落ちて、顔色もまだ真っ白。でも口は相変わらず刃物のままだ。
「俺だって最初はそのつもりだったんだよ」頭をガシガシ掻きながら、甲板のほうを指す。「あいつに聞けよ」
ちょうど通路の向こうから山口が歩いてきて、この一言を聞いたらしく、わざわざ足を止めた。
雨瞳の視線。「おまえら二人して、ロクなもんじゃない」という意味が、オブラートなしで込められている。
山口が返したのは四文字だけ。
「低調では済まぬ」
あまりにも堂々としすぎてて、雨瞳ですら一瞬固まった。それから心底嫌そうに、盛大な白目を一発。
俺はその横で、ちょっと性格悪い笑いが漏れた。
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翌日の昼。生きてるほうの世界が、いよいよ本格的に発症し始めた。
トルコ側からの正式回答は想像より早かった。別に効率がいいからじゃない。こういう案件は引き延ばしという選択肢が存在しないだけだ。玄関先に第二次大戦から這い出てきた幽霊艦隊が十一隻並んでて、そのうち二隻は現代の大型クルーズ船を一撃でぶち抜ける戦艦。そんな状況で『明日の午後三時半・担当者会議』なんてやってる余裕があるわけない。
回答はいかにもトルコ官僚っぽかった。文字数やたら多い、態度は固い、留保条件は山ほど。でも本当に意味のある中身は一本だけ。
艦隊はボスポラス海峡外にて停泊継続。
単一連絡艦のみ、指定区域での多方代表受け入れを許可。
以後の接触は国際安全保障案件として協議レベルを格上げ。
人間語に訳すとこうだ。
——わかった、とりあえず入ってくるな。もっと厄介な連中を呼んでくる。
そして厄介な連中が、本当に勢揃いした。
その日の午後、飛竜の外周海面に現代艦の影が増え始めた。一隻二隻なんてもんじゃない。違う旗、違うシルエット、違うシステムの艦と航空機が、「はいはい、我々は冷静です」とでも言いたげな顔で、実際には全員が死ぬほど録画ボタンと報告回線を叩きながら、じわじわと集結してきた。
飛竜側も知らんふりなんて一切しない。
山口は病気かってくらい張り切って、艦内の来客導線をもう一回全部引き直させて、甲板をさらに磨かせて、腐りかけの水兵をシフト交代させて、会議区画にはテーブルを並べて、水差しを置いて、挙げ句、本気で清酒まで用意させやがった。
透明な酒が、ちょっとやりすぎなくらい小さい杯になみなみと注がれて——まるでこいつ、本当にこの国際危機を「旧帝国のささやかな酒宴」くらいにしか思ってないみたいだった。
会議区画の入口からその杯がずらっと並んだ光景を見た俺の感想は一つだけ。
——この死にぞこない、嫌われてる自覚がないんじゃない。嫌われるのを心底楽しんでやがる。
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集まってきた連中は事前予想よりさらに多くて、しかも一人残らず背景扱いで済むような奴がいなかった。
トルコ国防省代表。 顔つきが六法全書の中から直接出てきたみたいに固い。
NATOとアメリカ第六艦隊代表の海軍作戦司令。 スーツを着てるのに、立ってるだけで軍人の姿勢が隠しきれてない。
在トルコ・ルーマニア大使。 顔中に「うちは本当に呼んでませんからね?」って書いてある。
ロシア黒海艦隊副司令。 ご立派なヒゲに、目つきは常にちゃぶ台返し一秒前。
ヘルソン前線から直で飛んできたウクライナ指揮官。 身体は刃物みたいに痩せこけてるのに、目だけが人間の限界をちょっと突き抜けたみたいに光ってる——溺れてるやつが目の前に流れてきた一本の木を見つけたときの光だ。
このメンツがそろって飛竜の甲板を踏んだ瞬間、俺はボスポラス海峡のために心の中で線香を三本くらい立てた。
これでもう「ただの海軍同士のコンタクト」なんかじゃない。地中海と黒海とNATOとロシアとウクライナと、ついでに「まだ成仏する気ゼロの昭和の亡霊」一式を、一枚のテーブルの周りにギュウギュウに押し込んだ状況だ。
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会議が始まった直後くらいまでは、まだ全員、人間の仮面をちゃんとかぶっていた。
トルコ側がまず手順と形式を語り、アメリカ側が「安定」と「リスク管理」を強調し、ルーマニア大使は遠回しだけど全力で、こういう内容を打ち込んできた。
「我が政府は、いかなる『招かれざる重武装艦隊』による黒海西岸への接近に対しても、極めて強い懸念を抱いております」
人間語に直すとこうだ。
——うちの近くに来ないでください。少なくとも「ルーマニアに呼ばれたから来ました」とか言わないでください。
山口はその一段を最後まで聞き終えてから、静かな声で落とした。
「君たちが招いていないことは承知している」
大使の表情が一瞬、きれいに針で突かれたみたいにゆがんだ。
アメリカ第六艦隊の代表がすぐさま会話を拾い上げる。こいつは他の連中より一枚上手で、顔の感情を全部どこかにしまい込んだまま、山口をじっと見て、平板な声で切り出した。
「提督閣下、まず一点、ご確認させてください。あなたと、あなたの艦隊は——日本政府を代表しておられるのですか」
その問いが出た瞬間、テーブルの周りの空気がすとんと落ちた。
これは国籍の確認じゃない。「責任を、どこに着地させるつもりか」の確認だ。
ここで山口が「イエス」と言えば、爆発はそのまま東京に飛ぶ。「ノー」と言えば、爆風の向きが変わるだけだ——いかなる現代政府の制御も受けない亡霊艦隊が、黒海に向かって進んでいます、って方向にな。
山口は手元の透明な酒杯を持ち上げて、ひと口だけ音も立てずに飲んでから、ようやく口を開いた。
「八十年前」と彼は言った。「私は、大日本帝国に属していた」
テーブルの周りで、誰も身じろぎしない。
「八十年後の今も、私は大日本帝国に属している」
ロシアの大ヒゲ副司令が、まず低く何かを吐き捨てる。アメリカ人の顔は逆に一ミリも動かない。ルーマニア大使は喉の奥に骨を一個丸ごと引っかけたみたいな表情になって、トルコ国防省代表の手はもうノートの上に置かれているのに——「ここから何を書けばクビにならずに済むのか」がわからず、ペンが動かない。
そのタイミングで山口が、明らかに悪意を込めて、こっちを一瞥した。
うわ、ヤバい。胸の奥で警報ベルが鳴る。
案の定、この死に損ないは次の一言で俺を焚き火の真ん中に放り込んだ。
「もっとも、今こうして私と艦隊がここに立っていられるのは、周士達氏のおかげでもある」
テーブルの周りの視線が探照灯みたいに一斉に俺に向き直る。
首筋の産毛がまとめて総立ちになった。
心の中で出てきた言葉は一つだけ。
——このクソじじい、本気で俺を売りやがった。
ついさっきまで俺のことを「通訳」「証人」「たまたま巻き込まれた中間管理職」くらいに見てた連中の目つきが、全員、別物に変わる。
アメリカ人のプロ軍人特有の冷たい観察眼。トルコ側の、瞬時に「事案構成」を組み立て始める官僚の目。ルーマニア大使の「こっちに飛び火させないでくれよ」の必死な焦り。ウクライナ指揮官の「今からこいつを祈祷用の聖遺物扱いしてもいいか」ってくらいの危うい光。
それが一気に俺一人にのしかかってくる。
一番わかりやすかったのは、ロシアの大ヒゲ副司令だ。
遠回しなんて一切なし。ぐっと前のめりになって、がなり声で俺にかぶせてくる。
「お前、どこの人間だ?」
テーブルの空気がまた一段重くなる。
表向きは「出身」の確認。でも中身は「お前の背後に、どの国旗が立ってる?」って意味だ。ここで一文字でも踏み外せば、この場は会議じゃなくて魔女裁判に変わる。
その一瞬で俺の脳内では、脳内で、言葉にできない罵詈雑言が嵐のように吹き荒れている
。「台湾です」は直球すぎて死ぬ。「中国です」は口にした瞬間、自分で吐く。「無国籍です」はいくらなんでも嘘くさい。「海から拾われました」は言えたら最高に気持ちいいけど、さすがにふざけすぎ。
最終的に残ったのは綱渡りみたいな一本線だけだった。
俺は大ヒゲの視線を正面から受け止めて、できるだけ「ビビってもいないし、ケンカを売ってもいない」声で言う。
「俺がどこの出かは、大した問題じゃない」
大ヒゲの眉がギュッと寄る。怒鳴りかけた口の上から、俺は後半をねじ込んだ。
「重要なのは」と俺は言った。「俺は日本政府の人間でも、NATOの人間でも、あんたらのどこかの代理人でもない」
一呼吸置いて、テーブル全員にその言葉がちゃんと染み込む時間を作る。
「俺は極光号事件の生存者で、今この船の上で死人と生きてる人間の両方のために通訳しなきゃいけない、世界一の貧乏くじ引きだ」
ウクライナの指揮官の口元が、かすかに動いた。笑いかけたのかどうか、判断がつかない程度の微妙な揺れ。
割り込む隙を与えず、続ける。
「戸籍を調べたいなら、全員が生きて陸に上がってから好きなだけやれ。この十一隻が黒海をブチ壊すかどうか話したいなら、今すぐ付き合ってやる」
テーブルの周りが二秒、静まり返った。
そのあと——アメリカの第六艦隊代表が、ごくわずかに頷いた。
意味は単純だ。この答え、うまくかわした。使える。
ロシアの大ヒゲは明らかに不満そうだったが、すぐには切り込める隙がなく、テーブルをひび割らせそうな勢いで鼻息を一発吐いただけだった。
そのタイミングで、ずっと黙っていたウクライナの指揮官が口を開いた。
英語は流暢じゃない。むしろ直接すぎて、失礼の手前まで踏み込んでくるくらいだ。
「将軍」と彼は言った。俺じゃなく、山口を見て。「もし本当に、噂通りにミサイルを受けてもまったく損傷しないというなら——」
やばい。心の中で即座に警報が鳴る。
案の定、次の一言はもっと直球だった。
「ウクライナは、コンスタンツァより条件のいい港を提供できる。あなた方の零戦が、東に一回りしてくれるなら」
この一言が落ちた瞬間、ルーマニア大使の顔色がまるごと変わった。ロシアの大ヒゲはそのまま拳でテーブルを叩いて、清酒の杯が倒れかけた。トルコ代表は深呼吸を始め、アメリカ人は「やっぱり誰かが我慢できなくなると思ってた」という顔を一瞬だけ浮かべた。
俺はすぐさま割り込んで、その導火線をその場でぶった切った。
「今日は入札会じゃない」と俺は言った。「ここで話してるのは通行権だ。雇用契約じゃない」
ウクライナの指揮官は俺を一瞥した。反論はなかった。でもその目は完全に「あんたはあんたで言えばいい、俺は俺で考える」だった。溺れてる人間は、浮き木に刺があるかもしれないと誰かに言われたからって、その手を離したりしない。
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会議の後半は、ほぼ文明規模の強迫性障害が集団発症した現場だった。
トルコは主権を守りながらリスクも抑えようとして、その二つが絶えず互いの足を引っ張っていた。アメリカは事態を「帰属不明の異常海上事象」という枠に押し込もうとしながら、ロシアに「NATO超常力介入」と先に定義されることを恐れていた。ロシアの大ヒゲは一番わかりやすくて、この艦隊が本当に黒海に入るなら戦術核兵器で亡霊の防御限界を試すことも排除しないと、堂々と放言した。ルーマニア大使は「我が国はいかなる亡霊艦隊の入港も招請していない」を呪文みたいに繰り返し続けた。ウクライナの指揮官は「じゃあちょっと貸してくれ」という言葉を、ただ顔に書いていなかっただけだ。
会議で一番静かだったのは、皮肉なことに山口だった。
大半の時間、あいつはただ清酒を飲んで、ときどき一言だけ返した。その一言が毎回、急所に刺さった。他の連中が法理を争い、主権を争い、定義の枠を争っているあいだ、山口が確認していたのは一点だけだ——自分の艦隊の進路が、塞がれるかどうか。
最終的に会議は、本当の意味での結論を出さないまま終わった。
連合艦隊主力はボスポラス海峡外で停泊継続
卯月は連絡艦として指定外側区域で待機
各国は通行・停泊・法的定義について、より上位レベルでの緊急協議を開始
正式結論が出るまで、いかなる当事者も先に動いてはならない
散会のとき、外はもう完全に暗くなっていた。
代表たちが一人ずつ艦を離れていく。全員、顔色がアドナンが救えなかった頃の亡霊カレーを一鍋まるごと食わされたみたいだった。トルコ側が一番頭を抱えていて、アメリカ人が一番静かで、ロシアの大ヒゲは帰り際にわざわざ俺を一睨みしていった。「お前みたいな貧乏くじ野郎、どこの出か必ず調べてやる」という言葉を、目で額に刻んでいくみたいに。
俺は甲板に立って、現代の小型艇が一隻ずつあの厄介な連中を各自の船へ送り返すのを眺めていた。そのとき、妙に奇妙な予感が襲ってきた。
本当の茶番は、これからだ。
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予感は半時間で当たった。第一波の情報が各国軍艦、衛星、暗号回線、海事安全ホットライン、情報システムを通じて、まるで油が海面に広がるように一気に拡散し始めた。
飛竜の通信室はその夜、火事場みたいな忙しさだった。忙しいのはこっちじゃない、外側が爆発寸前まで沸いていて、亡霊の通信兵ですら「なんか賑やかだな」とわかるくらいだった。傍受した公開周波数の断片、緊急報告、暗号化された転送、間接的に拾った情報の切れ端が、一本一本、作戦卓の上に積み上がっていく。山口はその生者同士の髪の引っ張り合いには興味がなかったが、俺はとても興味があった。
あまりにも黒いコメディだったから。
最初に自分で自分を噛み始めたのは、トルコ自身だった。
海軍は言った。「我々は第一報から接触し、事態を安定させた。プレッシャーは今や国防省にある」。国防省は言った。「超常艦隊案件は通常軍事フローの範囲外であり、大統領府と情報機関が一本化した見解を出すべきだ」。情報機関は言った。「黒海・地中海航路の異常増加はとっくに警告していた。客船の連絡途絶情報を海軍が軽視したのが問題だ」。外交ルートはもっと上手で、NATO向けとロシア向けに二種類のプレスリリースを同時に準備し始めた。どちらも要点は同じだ——これは我々が招いたものではない。
ここまで聞いて俺が思ったのは一つだけだ。生きてる人間は本当に自分の身の守り方を知っている。
アメリカもたいして上等じゃなかった。
第六艦隊の内部がまず二派に割れた。一方は「どう見ても地政学的災害であり、ロシアに『NATO超常力介入』と先に定義させる前に蓋をしなければならない」。もう一方は「この艦隊が日本現政府の管理下にもなく、アメリカが召喚したわけでもないなら、『未知の海上超常現象』として分類し、まず責任を切り離すべきだ」。
情報圏はさらに面白かった。
誰かが極光号の保険記録、乗客名簿、航行ログを掘り起こして、この一件が多国籍企業の黒い取引と繋がっていることを証明しようとしていた。誰かが「周士達」という名前を死ぬほど調べ始めて、途中でデータが空白だらけか互いに矛盾しているかのどちらかだと気づいた。さらに誰かは「旭日旗は心理戦の投影映像である可能性がある」という論証を試みていた——旗を幻覚にできれば、十一隻の戦艦もついでに幻覚にできるとでも思ったのか。
ロシアはまったく別の喜劇だった。
黒海艦隊の連中はたぶん本当に頭がおかしくなりかけていた。対外的には「亡霊艦隊が黒海に入るならいかなる選択肢も排除しない」と凄んでおきながら、内部では互いに責任を蹴り合っていた。海軍は「これは政治問題だ、クレムリンが決めろ」。情報局は「超常現象・歴史的残響の問題であり、軍が先に核兵器の話術を使うべきではない」。クレムリンのある幕僚たちはもっと現実的で、「撃つか撃たないか」より先に聞いていた——「核が本当に効かなかった場合、誰が大統領にステップ2を説明するんだ?」
その場面を想像しただけで、俺は笑いを堪えるのが大変だった。
ルーマニアも似たようなものだった。大使が報告を入れた直後、ブカレストはほぼ即座に上質なパニックに突入した。NATO向けに「亡霊艦隊と私的接触などしていない」と急いで釈明しながら、かといって完全に扉を閉めることもできない。もしこの艦隊が本当にやってきて、しかも自分たちを攻撃しに来たわけじゃないなら——拒絶のコストが受け入れより高くなる可能性を、誰も先に判断できなかった。
一番イカれていたのはウクライナだった。
前線からの情報が乱れ飛んでいた。零戦は銃弾も通らないという話、榛名の一撃が港湾地図を書き換えられるという話、この十一隻が本当に東へ向かった場合のクリミア沖の防衛再編計算まで、誰かが始めていた。キーウと前線指揮系統の通信記録に最も多く出てきた一文は、おそらくこれだ。
「NATO資産でないことは確認済みか?」
「現時点では確認できない。ただロシアのものでもなさそうだ」
「では交渉できるか?」
「誰が行く?」
噛み合う、蹴り合う、押しつけ合う、切り離す、枠にはめる、版を書く、版を消す、また書く。
生きてる人間の世界が、本当に存在してはいけないものに直面したとき、最初の反応は団結でも真実の探求でもない。まず責任を外に押し出して、次においしいところをこっそり自分のほうに引き寄せる。それだけだ。
俺は飛竜の作戦室の外の鉄箱に腰かけて、通信兵が断片情報を一本一本整理していくのを聞きながら、この光景が黒いコメディとして一種の完成度に達していると思った。
極光号の数百人の難民は、幽霊船の上でようやくまともなカレーにありついた。
亡霊艦隊は海峡の外で編制を保ったまま返事を待っている。
そして世界で一番権力を持った生きた人間たちが、それぞれの暗号会議室の中で、誰が先に自分の手を綺麗に洗えるか競争している。
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林雨瞳が車椅子を押されてやってきたのは、俺が一声笑ったタイミングだった。
「何が可笑しいの」
俺は顔を上げた。
「生きてる人間のほうが、よっぽど化け物じみてると思って」
雨瞳は一瞬止まって、それから短く鼻を鳴らした。
「今さら?」
俺は何も返さず、外海に目を向けた。
夜のボスポラス方向に光がある。こっちの光じゃない。都市の光だ。岸の国、港、レーダー基地、オフィス、地下指揮所、まだ煌々と灯っている会議室の光。あの光はこっちより多くて、暖かくて、まともな文明らしく見える。でも俺には分かっていた——あの光の一つ一つの下で、今この瞬間、誰かが怒鳴り合っている。誰の責任か、誰が先に喋るか、誰が先に引くか、誰が先に切り離すか、この亡霊艦隊危機を自分にとって少しでも有利な話に変えられるか。
飛竜は、その光の外側に停まっている。
まだ完全には抜かれていない、古い刀のように。
山口がいつの間にか甲板に上がってきて、俺の隣に立った。何を見ているか聞かなかった。聞く必要がなかったから。
俺たちは二人で、海峡の方向にどんどん増えていく光の点を眺めていた。
しばらくしてから、俺は口を開いた。
「提督」
「ん」
「あまりよくない予感がする」
山口は両手を後ろで組んで、風が軍服の裾を真っ直ぐに吹き流していた。
「私もだ」
「その一言、まったく慰めにならない」
「慰めじゃない」
遠くを見たまま、明日の天気を読み上げるような声で言った。
「通達だ」
俺は数秒、黙った。最後に低く一言だけ吐き出した。
言葉は要らない。
あいつの言う通りだとわかっていたから。
今夜はまだ、各国の情報機関が会議室の中で互いに噛み合い、蹴り合い、押しつけ合っているだけだ。でも彼らが本当に見解をまとめ、利益を計算し終えて、恐怖を命令に変換したとき——それが本物の嵐になる。
そして俺たちは今、その嵐の真正面に停まっている。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




