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29.空母飛竜の日常 29-2

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

毎日、艦橋に、甲板に、医療ラインに、物資ラインに現れ、この難民の群れを完全に掌握した提督の亡霊のように立ち回っていた。それでも、終着点だけは、一言も言わなかった。


救急車に乗せてもらったはいいが、車は確かに走っていて、医療も確かに受けているのに、運転手が病院の名前を一度も言わない——そういう感覚だ。


四日目の夕方、俺は飛竜の舷側に立ち、遠くの駆逐艦が波頭を切っていくのを眺めながら、胸の中のその違和感がじわじわと大きくなっていくのを感じていた。


そのとき、腐った水兵が一人、俺の横に来た。


帽子の縁を深く下げ、左の肩章は半分しか残っていなくて、胸のボタンが一つ欠けていた。でも立ち方が正しすぎた。一目で、カレーを運びに来たんじゃないとわかる。


彼は俺に向かってわずかに頭を下げ、海風が漏れ込むような、しゃがれた声で言った。


周士達(じょう・しーだー)。提督が、お呼びです」


俺は二秒黙って、それから低く言った。


「……ああ、やっと来たか」


飛竜の艦橋の方へ顔を向ける。この数日の、拾い物みたいな奇妙な平穏が、ここで終わりだとわかった。


腐った水兵の後について階段を上り始めたとき、飛竜はちょうど黄昏の中に入っていった。


この船の黄昏は、生きている船のそれとは違う。


今どきの船なら夕方になると、灯りが一つずつ点き始め、甲板に暖色が広がり、ガラスが海面の最後の金色を反射する。観光客文明がどれだけ鬱陶しくても、あの一連の仕掛けは、少なくとも人を安心させることを知っている。


飛竜にはそれがない。


夕方になると、この船はただ、海水に浸かって風に干された古い写真に、さらに似てくる。廊下の照明は黄みがかり、隔壁の古い塗装が光の中で鱗のように剥がれ上がり、床の一部には洗っても落ちない水の跡が残っていて、踏むたびに空の船倉特有の反響が返ってくる。まるで半層下の床を、誰かが同じ歩調でついてきているみたいに。


先導する水兵は何も言わなかった。ただ、曲がり角のたびに半歩止まり、俺が来ているのを確かめてから、また歩いた。


道中、当直の亡霊水兵たちが見えた。


細長い観測窓の前に立ち、分厚いガラス越しに外海を見ている者。艙門の脇にしゃがみ、すでに黒ずんだ指先で、磨く必要があるのかもわからない銃栓を拭いている者。麻袋と木箱を肩に担いで物資を運んでいる者。まるでこの船は一度も沈んだことがなく、一度も死んだことがなく、ただ夜間当直を終えて次の補給に入っただけ、というように。


電文の紙テープを抱えた通信兵が俺の横をすり抜けていき、口の中で聞き取れない旧い日本語をぼそぼそと呟いていた。その一瞬、妙に馬鹿げた錯覚が浮かんだ。飛竜は海底から戻ってきたんじゃなくて、最初から戦場を離れたことなど一度もなかったんじゃないか、と。


水兵は最終的に、重い艙門の前に俺を連れてきた。


扉の外に、衛兵が二名立っていた。


比喩じゃない、本物の衛兵だ。白手袋はすでに灰色になり、帽子の縁は深く下がり、銃床は脚の横に立てられ、胸板は溶接されたみたいに真っ直ぐだった。袖口から出た指が腐った木材みたいでなければ、太平洋戦争の映画の撮影現場に迷い込んだかと思うところだった。


先導の水兵が扉の内側に向かって低く一言告げると、すぐに扉が引き開けられた。


中は、俺が想像していた艦橋ではなかった。


作戦室と個室の中間みたいな空間だ。


中央を旧式の海図テーブルが占め、その上には海図が何枚か、三角定規、鉛筆、標識旗、そして不釣り合いに重たそうな金属製の文鎮が並んでいた。壁にかかっているのはモニターではなく、俺には読めない艦隊配置板が数枚。隅には無線機が一台あり、ランプがまだ点いていて、その横に通信兵が二名、ヘッドフォンをつけて座り、背中が古い板材みたいに固まっていた。窓の外には外海が見えた。空はもう深い藍色に沈みかけていて、遠くの海霧の中に、他の艦の輪郭がぼんやりと浮かんでいた。


山口多聞(やまぐち・たもん)は、海図テーブルの横に立っていた。


帽子はなく、軍服も博物館展示品みたいにきれいではなかった。袖口と肩のラインには、歴史が風化させた痕跡がそのまま残っていた。それでも全体の佇まいは、鞘から抜き放ったばかりの刃みたいに鋭かった。霊体特有のふわついた感じじゃない。もっと厄介なものだ——とっくに死んでいるとわかっているのに、そこらの生きている人間よりずっと存在感がある、という種類の。


彼は顔を上げて俺を一瞥した。


「来たか」


「当たり前だろ」俺は中へ入り、後ろ手に扉を閉める。「わざわざ人を迎えに来ておいて、こっちが来ないわけないだろ」


「お前が死んだふりができるなら、それはそれで手間が省けた」


「その台詞、死人の口から出てくると、まったく説得力がないな」


山口の口元が、ごくわずかに動いた。笑いというより、戦場でたまたま余った空気を一瞬だけ使ったような表情だ。


彼は海図テーブルの方へ、顎でしゃくった。


近づいた瞬間、この数日ずっと感じていた違和感が、ただの気のせいじゃなかったとわかった。


テーブルの上の大きな海図は、近隣海域でもなければ、どこかの避難港でもなかった。南大西洋から北へ向かい、大西洋東岸を抜け、ジブラルタル、地中海、エーゲ海、トルコ海峡を通り抜けて、そのまま黒海へ入り——最後にルーマニア沿岸の位置で止まっている。


俺はその図を、まるまる二秒見つめた。


「……お前、撤退する気なんか一ミリもねえな、クソが」


山口はその暴言には乗らず、ただ静かに金属製の定規を海図の上に置き、今の俺たちのおおよその位置から、ルーマニア西岸まで、真っ直ぐに線を引いた。


「目的地は変わらん」


俺は顔を上げて、そいつを見る。


「『変わらん』って、どういう意味だよ」


「文字通りだ」山口は海図を見たまま言う。「元々向かうつもりだった場所に、今も向かうだけだ。ルーマニアにな」


俺は笑った。本当に、怒りが先に来て笑いになる類の笑いだ。


「待て。待てよ、提督」俺は海図の上を指で二回叩く。「お前な、海の底から引っ張り上げた亡霊艦を十一隻、その上、沈没船から救い上げたばかりで内臓まだ落ち着いてない難民を何百人も抱えてだぞ? それで目的地が変わりません、はいルーマニアです、って言い張るのか?」


「そうだ」


「どこ通って行くつもりだよ」


「ここだ」山口の指が、ジブラルタル海峡を示す。


「で?」


「地中海に入る」


「その次は?」


「さらに東へ進む」


山口の定規の先を、俺の指が追って滑っていき、トルコ海峡のあたりで止まる。そこで指を離し、顔を上げる。


「それ、普通にトルコと戦争するコースだからな」


山口がようやく目線を上げた。


そして、今度は本当に笑った。


前に見た、口元がわずかに動いただけのやつじゃない。ちゃんとした笑いだ。声量は大きくないが、乾いていて、固くて、妙な嘲りが混じっている。長く戦場をくぐってきた兵隊が、あまりに現代的な「懸念事項」を聞かされたときに浮かべる顔だ。


「俺たちはもう、アメリカと正面からやり合ってるんだぞ」山口は言う。「トルコ一国ごとき、屁でもない」


思いきり、噎せた。


「いや、屁かどうかの話じゃねえんだわ」俺はこめかみを押さえる。「あんたが昔やってたのは太平洋戦争だろ。今ここにあるのは、現代の国際航路。現・代・国・際・航・路。好き勝手に榛名(はるな)霧島(きりしま)を人んちの玄関先まで乗りつけられた時代じゃねえんだよ」


「そうか?」


「そうだよ!」思わず声が上ずる。「ジブラルタルはイギリスとスペインとNATOの目の前だし、地中海はずっと誰かが見張ってる。本当に面倒なのは、その先だ。黒海に入るってことは、トルコと必ず正面から当たるって意味なんだよ。通してくれるかどうかは一つの問題として——」思わず窓の方を親指で指す。「——あんたが連れてるこの、『本来ありえない艦隊』を見せられて、どう反応するかってのは、また別問題だろ」


山口は、最後まで聞き終えてからも、すぐには反論しなかった。


ただ両手を背中に回し、視線を海図に戻し、数秒黙り込む。その沈黙には迷いがない。あるのは、計算だけだ。さっきの俺の「現代国際政治大講義」は、こいつの頭の中では驚愕じゃなくて、単なるインプット扱いなんだろう。


そして、ようやく口を開く。


「わかっている」


その一言で、今度は俺の方が固まった。


「……わかってる?」


「俺は盲目じゃない」山口は言う。「この数日、利根(とね)筑摩(ちくま)を外側に出しているのは、別に風景を眺めさせるためじゃない。今の海の『決まり』が、俺の知っている頃とは違うということぐらい、承知している」


「じゃあなんで——」


「決まりが変わったからこそ、針路を変えるわけにはいかん」


この一言で、ようやく、あいつが俺をここに呼んだ理由がわかった。


通告のためじゃない。理解させるためだ。


山口の指が、ルーマニアのあたりを軽く叩く。


「俺たちは観光しているわけじゃない。母港へ帰る巡航でもない。一番近い港を探して人間を降ろし、『この艦隊は最初から存在しなかった』ことにするための旅でもない。その意味くらいは、飲み込んでいるか?」


すぐには返事が出なかった。


わかってはいるからだ。


山口がボイラーキーを受け取り、飛竜(ひりゅう)を海底から呼び出した瞬間から、これは単なるサバイバルじゃなくなっている。この艦隊が一度でも姿を現した以上、「なかったこと」にするなんて不可能だ。まして極光号(オーロラ)は榛名の主砲で沈められた。周囲の海域に少しでもまともな監視システムや残骸のデータ回収が残っていれば、あるいは衛星が断片的にでも映像を拾っていれば——これは最寄りの港で「説明して済む」規模じゃなくなっている。


それでも、ツッコミはツッコミとして言わなきゃ気が済まない。


「一番近い港に行くなってのはわかるけどさ、だからって亡霊艦隊を丸ごと連れて、トルコの玄関に体当たりしに行く必要はねえだろ」


山口は、今度は笑わなかった。


ただ平然と言う。


「だから、体当たりはしない」


目を細める。


「じゃあどうするつもりだ。ノックでもするのか?」


ちらりと俺を見て、またあの、胃が痛くなるような薄い笑みを浮かべた。


「今回は、奇襲までする必要はなさそうだ」


眉がぴくりと跳ねる。


山口は手を戻し、窓辺へ歩き、暮れかけた海の向こうに浮かぶ艦影を見やりながら、さっきアメリカを罵倒したときよりも、さらに冷静な声で言った。


「死人の身としては、生者に多少は譲ってやらんとな」


その背中を、五秒は睨んだ。


「その台詞、外で腐った水兵に押送されながらカレーの列に並んでる何百人かに聞かせたら、その場で全員倒れるぞ」


「だが、俺は十分に礼儀正しくしているつもりだがな」


「どこがだよ」


山口は振り向き、わずかな笑みも完全に消した顔で言う。


「無礼を貫く気なら、今こうして針路の相談などしていない」


口をつぐむしかなかった。


クソ、これもまた正論だ。


作戦室の空気が、一瞬だけ重くなる。窓の外の海は、さらに暗くなった。遠くで駆逐艦の探照灯が、水面を短く切り裂いては消える。通信兵は小声で報告を続け、無線機はときおり、意味のわからない雑音と短い信号を吐き出す。


飛竜は前へ進んでいた。しかも、異常なくらい安定して。


その安定さが、逆に不安を掻き立てる。即興の逃避行じゃない。艦の隅々まで、「自分たちがどこへ向かっているか」を理解して動いている、そんな感触があるからだ。


俺は海図を見下ろし、いちばん現実的な疑問をようやく口にした。


「体当たりしないにしても、どうやって抜ける気だ」


山口はすぐには答えず、部屋の隅の通信兵に顎で合図した。通信兵が即座に立ち上がり、今書き終えたばかりの紙片を持ってくる。山口はそれに目を通し、海図の端に置いた。


「まず、ジブラルタルを通過する」


「で、あそこはどうすんだよ。イギリスに、『蜃気楼か歴史的文化財だと思ってくれ』ってでも言うのか?」


「向こうと長々とやり合う必要はない」山口は淡々と言う。「本気で遮る気のある連中は、そこじゃない」


「つまり、あそこではひとまず『何かよくわからんものが通った』で終わる程度、問題はトルコ本番ってわけか」


「ああ」


「で?」


ようやく、こいつも腹を割った。


「まずは、トルコ側の人間をこちらに招いて話をする」


俺はその顔を見つめ、反射的に聞き返す。


「招いて、って……呼びつけるんじゃなくて?」


「ああ」


「その『招く』って言葉は、俺たちが理解してる意味の『招待』でいいのか? それとも旧日本海軍的な、『ぜひお越しください(砲火で)』の意味の方か?」


「今回は、正真正銘、前者だ」


思わず鼻で笑う。


「正直に後者って言ってくれた方が、まだ安心できるんだが」


山口は、俺の悪態など意に介さず、指先で海図の上に短い線を一本叩く。


「そのうち、一隻は近づいてくる。巡視艇かもしれんし、海峡管理の警備艦かもしれん。あるいは代表者を乗せたボートでもいい。何であれ、その代表を飛竜に上げて、きっちり話す」


「何を」


「これは単なる、実弾演習だとな」


俺は、今この耳が確かに聞いた言葉を、疑うしかなかった。


「もう一回言ってくれ」


「実弾演習だ」山口の顔色は変わらない。「俺たちは航海中の実弾演習を行っているだけだ。艦隊編成はすべて揃っており、負傷者も運ばねばならず、針路もすでに設定されている。彼らが協力を選ぶなら、何も見なかったことにしてもらう。我々は通過し、彼らも余計な手間を省ける」


思いきり息を吸い込み、頭の奥がじんじんし始めた。


「どう聞いても演習じゃねえだろ、これ」


「俺にとっては、演習だ」


「トルコ側にとっては本番なんだよ!」


「なら、両者の違いを見分けられるようになる良い機会だろう」


今度こそ、本気で定規で頭をぶん殴りたくなった。


だが、理解もしている。


山口のこの「死人外交」は、聞いた瞬間は正気を疑うが、現実にはかなり有効だ。なにしろ、最初から相手の同意を取りに行ってない。あくまで「体面を保つための出口」を用意しているだけだ。


単純な話だ。こっちは一応、礼を尽くして「こういう事情だから、こういう扱いで頼む」と伝える。先にそう言っておけば、「じゃあそういうことにしておきましょう」で済ませる余地が生まれる。にもかかわらず相手がテーブルをひっくり返すなら、それは「生きてる側の選択」であって、自分のせいじゃない——そういうロジックだ。


俺は顔を両手でこする。


「で、俺を呼んだのは、何をさせたいわけだ」


「お前は生きている」


「そこは否定しねえけどよ」


「それに、生きている側の中で、俺の話を最後まで聞いたうえでまだ俺に悪態をつける胆力のあるのは、お前だけだ」山口は言う。「だから、必要とあらば、俺の言葉を『現代人にも通じる言葉』に翻訳する役をやれ」


「……俺を外務省か通訳ソフトと勘違いしてないか」


「どちらでもない」山口は一瞥を寄こす。「緩衝材だ」


言葉が詰まる。


「お前、本当にオブラートって概念知らねえよな」


「率直さは、美徳だ」


さらに言い返そうとしたところで、扉の外から、短く二回ノックの音がした。山口が「入れ」と顎で示すと、通信兵が一人すぐに扉を開けて入ってきて、踵を揃えて直立し、新しい紙片を差し出した。


山口が目を通し、眉が、わずかに動いた。


嫌な予感が、腹の底に落ちる。


この男は、榛名が主砲を撃ったときですら、眉ひとつろくに動かさなかった。その山口から、はっきり反応を引き出せる事態なんて、碌なもんじゃない。


「どうだ」俺は聞く。


山口は少し間を置いてから、紙をこちらに回した。そこには、簡潔すぎるぐらい短い日本語と、座標形式の記録だけが並んでいる。読めた単語は限られていたが——「外周接触」「現代艦影」「方位修正」「接近中」。


顔を上げる。


「もう来たのかよ」


「早いんじゃない」山口は紙を戻しながら言う。「最初から、ずっと『見られて』いたというだけの話だ。利根が外周で現代海軍の艦艇が尾行しているのを確認していて、さっき新しい方位を打ってきた。商船でも、ただの沿岸警備艇でもない」


「どこの国のだ」


「まだ完全には特定できん。ただ——」一拍置いて、「長く悩まずに済む相手だろうな」


俺は窓の外に目を向ける。


海はすっかり暗くなっていた。見えるのは、節度を保って最小限に絞られた艦隊自身の灯りと、遠くでたまに走る探照光だけ。この位置から目視できる範囲なんてたかが知れている。


それでも、皮膚の下のどこかが、確かに告げていた。


この闇の中に、すでに別の何かが食らいついてきている、と。


山口は扉の方へ歩き出した。


「甲板に上がれ」


「今すぐか?」


「向こうが勝手によじ登ってくるまで待つつもりか?」


ついていくしかない。


作戦室から外甲板へ上がる道中、飛竜(ひりゅう)全体のリズムが、はっきりと変わっていた。それまで巡回だけしていた水兵たちが歩調を速め、甲板上の伝令兵が次々と走り抜け、駆逐艦の方角から返ってくる発光信号と旗信号の頻度も、明らかに上がっている。慌てているわけじゃない。準備だ。艦隊全体が同時に、巡航態勢から、もっと接敵に近い待機姿勢へと切り替わっていく、そういう感触がある。


右舷外甲板に出た瞬間、海風が容赦なく顔面を張り飛ばしてきた。


夜の海は昼より広く、昼よりずっと、人間を飲み込む気満々に見える。飛竜の舷側灯は極限まで絞られていて、手すりと甲板の縁と、ごく一部の作業区画を照らすのがやっとだ。もっと遠くは、他の艦の位置灯と、たまに海面を掃く探照光だけを頼りに、なんとか輪郭を拾うしかない。蒼竜(そうりゅう)が右後方にいる。瑞鶴(ずいかく)翔鶴(しょうかく)はさらに遠く、闇の中に浮かぶ無言の陸地みたいだ。榛名(はるな)霧島(きりしま)は反対側——輪郭すら見えなくても、あっちに国際法を頭痛薬ごと吐かせるような代物が二つ漂っているとわかる、そういう存在感がある。


甲板にはすでに人が出ていた。


乗客じゃない。水兵たちと、この数日で顔と職位が何となく結びついてきた亡霊の将校たちだ。全員が同じ方向を向いている。隅っこで風に当たっていた生存者の何人かも、何かがおかしいと気づいて、じわじわとそっちへ近づいてきていた。ただ、まだ前には出られない。


俺もその視線を追って、海の方を見る。


最初は、ただの黒だった。


次の瞬間、一つだけ、明らかに違う光が見えた。


飛竜みたいな旧艦が絞りに絞った灯りでもなく、駆逐艦が高速で切り込むときにたまに走る探照光でもない。もっと清潔で、もっと現代的で、どこか冷たい光だ。最初は一点。次に二点。それから、規則正しく並んだ航行灯の一列が現れる。黒い海の上を、速くはなく、でも確実に、こちらへ向かってくる。速度を抑えているのは明らかで、観察しているのも明らかで、もう一歩近づくべきかどうか、まだ判断しかねているのも明らかだ。


「ほら」俺は低く言う。「生きてる連中が来た」


山口は俺の隣に立ち、両手を背中で組んだまま、まるで驚いた様子もない。


「ああ」


「これでも実弾演習だと言い張るつもりかよ」


「向こうが賢ければ、そう理解する」


「世界中の人間に対して、随分と忍耐がないな」


「阿呆には特に、な」


その船は、じわじわと近づいてくる。


近くなってようやく、大型主力艦じゃないとわかる。かといって、笑えるような小型艇でもない。艦体は現代の設計で、ラインが鋭く、艦橋とレーダー構造は、こちら側とはまったく別の時代のものだ。全灯は点けていない。必要な航行灯と、一部の作業照明だけを残している。敵意を見せすぎず、かといって目の前のこの亡霊艦隊を見ていないふりもしない、そういう距離感だ。


「トルコか?」俺は聞く。


山口は答えず、隣の観測将校が低い声で短く日本語の報告を入れた。山口はそれを聞き終えて、簡潔に命じる。


「動くな。接近を許可する」


飛竜は、本当に動かなかった。


飛竜だけじゃない。周囲で位置を調整しかけていた艦まで、まるで同時に「外へ押し出す力」を引っ込めたみたいに止まった。艦隊全体が、ぞっとするほど抑制された静止状態を保つ。その抑制は、砲口を向けるより怖い。「できるのにやらない」——死人たちが今、確かに「譲っている」という事実が、その静けさから滲み出ているからだ。


俺は目を細めて、その現代軍艦が側舷方向からゆっくり近づいてくるのを見守る。距離が縮まるにつれ、向こうも速度を落とした。まるで飛竜がちゃんと実体なのかどうか、次の瞬間霧になって消えないかどうか、確かめているみたいに。


消えるわけがない。


飛竜はそこにある。甲板も、舷側も、艙窓も、手すりも、全部ある。夜風が腐った水兵たちの軍服の裾を揺らし、薄いが確実に鼻につく、海底の塩の匂いを連れてくる。この光景がどれだけ無茶苦茶かは、あの現代軍艦の乗員が今どんな気分でいるかを想像するだけで十分だ。


周囲の生存者たちが、少しずつ寄ってきて、小声でざわめき始めた。


「あれ、普通の船?」

「軍のやつじゃないの?」

「やっと助けが来たのかな……」

「でも……なんか、向こうも怖がってない?」


振り返らなかった。


これは救助船じゃない。少なくとも今この瞬間は違う。これは、テーブルの向こう側にいた誰かが、ようやく椅子を持ってきた、そういう場面だ。


その船は最終的に、飛竜の右舷外側でぴたりと止まった。


ぴったり横付けするほどじゃないが、相手の甲板で人影が動いているのが見えるくらいには近い。現代の軍服、ヘルメット、銃、双眼鏡——そして、向こうもまた、こちらを見ている。正確には、「理論上存在しているはずのない飛竜号」を、じっくりと観察している。


海風が、二隻の船の間を吹き抜けた。二つの時代を、無理やり同じ場所に押し込めたみたいな風だ。


山口がようやく、一歩前へ出た。


「接舷の準備をしろ」


俺は振り向く。


「本当に呼び込む気なんだな」


山口は向かいの現代軍艦を見つめたまま、夕食に食器を一枚足す程度の声で言う。


「他に何がある?」


夜の中で、飛竜の舷側に接舷灯がゆっくりと灯り始めた。


そして、トルコ海軍の標識を掲げたその船は——俺たちの真横に、静かに止まっていた。

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