28.連合艦隊、再起動 28-3
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
風に混じっていた「現代のクルーズ船」の匂いは、とうとう完全に旧連合艦隊の石炭煙と鋼鉄と海泥の匂いに押し潰された。
俺はプラットフォームの上に立ち、目の前の、本来なら存在するはずのない艦隊を見渡して、ようやくさっき山口が言った意味を本当の意味で理解した。
これは救助活動なんかじゃない。
ガチの会戦だ。
極光も、ここでついにカスタマーサービスごっこの仮面を引き剥がした。
全船内放送から、あの女声が消え、多層の声が重なり合って流れ出す。子供の声、女の声、男の低音、機械音声——それらが全部一緒くたになって、ワイスマン(ワイスマン)の黒い泥に汚染されたシステム全体の腐った精神が、一気にスピーカーから吐き出されたみたいだった。
『汚染拡散』
『歴史残響——侵入』
『保護——失敗』
『除去範囲——拡大』
『船体完全性——放棄』
『生存者——保護対象から除外』
背筋に冷たいものが走った。
「何する気だ、あいつ」
山口は顔を上げ、極光号の上空で一節ずつ赤く灯り始めた構造ラインを見つめていた。
「この船全体を、爆弾にする気だ」
言い終わるか終わらないかのうちに、極光号の中段で、再び爆発音が連鎖した。
だが今度は無差別な爆裂じゃない。
本来まだなんとか持ちこたえていた上層デッキ、展望塔、通信マストの基部が、やけに精密すぎる順番でポキポキ折れ始めた。
豪華客船というより——中からイカれたAIに外殻を一枚一枚剥がされている巨大生物みたいだ。炎が吹き出し、濡れきった鋼鉄の船体を電弧が好き勝手に這い回る。
このまま全部まとめて吹き飛ばれたら、やばいのは極光號だけじゃねえ。こっちに横付けしてる艦隊ごと、まとめて巻き込まれる。
そこまで頭の中で辿り着いたところで、山口はもう決断していた。
「利根、筑摩、外周観測。近づきすぎるな」
「菊月、夕月、卯月、収容継続」
「飛竜、蒼竜、負傷者と婦女子を全員収容」
「翔鶴、瑞鶴、波頭を抑えろ。接舷を安定させる」
「榛名」
一拍、間が空いた。
俺はつい、横を振り向く。
山口の視線は、もうプラットフォームにも乗客にも向いてない。まっすぐ、まだ自分で自分を引きはがしている極光号を見ている。
「——撃沈する」
それだけだ。
高ぶる感情もない。悲壮感も、感傷もない。
救いようのない患部を、医者が淡々と切り落とす時の声に近い。
その瞬間、やっと飲み込めた。これが山口って男のスタイルだ。助けられるものは、徹底的に救う。救えないものは、それ以上なく、徹底的に切り捨てる。中途半端に引き延ばせば、余計に死人が増えるだけだから。
その「判決」を、極光号も察したらしい。
船体全体の灯りが、一瞬で全部点いた。残ってる電力を、最後の一秒まで燃やし切るみたいな、白い全点灯。スピーカーが金切り声を上げ、ロボットアームが振り狂い、生き残っていた消火設備とスチームパイプが一斉に開放される。臨終間際の病人が、何かを掴もうとして手足をばたつかせるみたいに、四方八方へ向かって、滅茶苦茶に吐き出す。
でも、艦隊全体から見りゃ、あれはもう「反撃」じゃない。ただの「断末魔」だ。
少し離れた海上で、榛名の艦影がゆっくりと正対する。
博物館とか、写真でよく見る「戦艦シルエット」とは別物だ。あれは、本当に一度死んで海底に沈んだものが、腐食と、旧い帝国の残り香ごと引き上げられてきた、鋼鉄の獣。
主砲塔がゆっくりと回転し、最後にロックした先は——極光号の中後部、いちばん脆くなっている切断予定ラインだった。
海面全体が、一秒だけ、静まり返る。
次の一秒で、榛名が火を噴いた。
耳をつんざく轟音を想像してたが、本当に怖いのは、先にくる「衝撃」の方だった。見えない拳で胸郭を内側から殴りつけられたみたいに、いきなり胸がどん、と押し潰され、そのあとから音が追いかけてくる。炎が海上に、一条の線を引いた。短い。短いくせに、馬鹿みたいに正確な直線。それが極光号の中段に、容赦なく叩き込まれる。
爆散じゃない。
貫通だ。
極光号の艦体全体が、まず固まった。巨大な獣が、自分の動き方を唐突に忘れたみたいに。次の瞬間、自分でさんざん切り刻んでスカスカになっていた中段構造が、一気に内側へへこみ、そのまま外側へと弾け飛んだ。
火球。鋼板。ガラス。ドロドロに黒く濁った汚染物質。それから、展望塔の半分。
ぜんぶまとめて、空へぶち上がる。
五百人を超える一般乗客が、一斉に声を失った。
泣いてた連中ですら、泣き止んだ。
そりゃそうだ。普通、一晩でこんな「ありえないもの」を何個も連続で見せられることなんか、まずない。
発狂した豪華客船AI。牛頭馬面の憑依。旧日本艦隊が海底から帰還。そのうえ外海で、戦艦が現代のクルーズ船を本気でぶち抜く砲撃。
極光号が最後に声を出したのは、船内すべてのスピーカーが同時に悲鳴を上げた時だ。
『ほ——ご——』
後ろが続かない。
船体全体が、片側へと傾き始める。
ゆっくり沈むんじゃない。中段の骨組みを一発でやられたあとの、取り返しのつかない「折れ方」だ。
船首はもともと、半分沈んでいた。そこへ中段を榛名に打ち抜かれたせいで、背骨を後ろから蹴り折られたみたいに、船体全体がへし折れる。
まだ燃えている上層部が、先に左へ傾く。それに引きずられるように、下層の浸水区画もまとめて持っていかれる。
海水が、裂けた船体の傷口から、怒涛みたいに流れ込む。炎と煙は海風に巻かれて、ひと塊の塊になり——誰かが「光る都市」丸ごとを、手で押しつぶして海に沈めているみたいな光景になる。
「全艦、後退!」
山口が命じる。
飛竜側が、すぐさま係留索を外す。蒼竜と二隻の駆逐艦が位置をずらし、まだ接舷エリアに残っている人間を、最後の一人まで引きはがしていく。
腐った水兵たちは、やっぱり何も喋らない。ただ、運び、担ぎ、引きずり、支え、連れていける人間を、機械のような手つきで全員送り出す。
プラットフォームの上では、乗客たちが泣きながら歩き、海を見るのを怖がりながら、それでも極光号の方を、沈みゆく船を、どうしても振り返ってしまう。
俺も振り返る。
正直、気持ちはちょっと複雑だ。
極光号が俺たちを殺そうとした。そこに言い訳の余地なんかねえ。でも、どう言ったところで、元はただの「船」だ。
船内の音楽。灯り。レストラン。プール。客室。エレベーター。最初は豪華なバカンスにしか見えなかった全部が、今夜、一晩で腐り落ちた。
ワイスマンの黒い泥に汚染され、発狂したAIに乗っ取られ、最後に戦艦の主砲で、まとめて死刑宣告。
きれいさっぱりだ。いかにも、山口らしい。
「見るな」
俺の横に立ったまま、山口が低く言う。
「このラウンドは、これで終わりだ」
俺は息を一つ吐く。
「おいおい、これを一ラウンドって呼ぶのかよ」
山口は、海面に沈みかけている極光号を見つめながら、ようやく、ほとんど溜め息みたいな声で、ぽつりと返した。
「本当に厄介なのは、まだ始まっていない」
その一言で、胸の奥がさらに沈む。
飛竜側の接舷階段は、完全に固定された。腐った軍医と水兵たちが、最後の負傷者を引き上げている。遠くでは榛名と霧島が、海面のコンディションをしっかり押さえ、翔鶴、瑞鶴、蒼竜が、夜の闇の中の無言の壁みたいに並ぶ。菊月、夕月、卯月は、外周でまだ落水者の捜索を続けていて、利根と筑摩は、もっと外側、瞬き一つしない旧時代の瞳みたいに、じっと全体を見張っている。
十一隻、全部そろっている。
極光号は、沈み続けている。
それでも——山口が間違っていないのはわかる。
俺たちが今終わらせたのは、「船上でのサバイバル戦」ってゲーム一局分だけだ。これからどこへ向かうのか、この五百人をどこへ下ろすのか、ワイスマンの黒い泥の汚染は、極光号の残骸から海に広がるのか——そして、山口はなぜ、このタイミングで艦隊を丸ごと引き上げてきたのか。
本当に人を次の大トラブルに引きずり込むのは、そっちの方だ。
俺は、また山口の手元に戻ってきたボイラーキーを見た。さっきまでより、海風が冷たくなった気がする。
いったん鍵を回した以上、航路が元の予定通りに進むなんて、ありえるわけがない。
それに——もう俺たちだって、とっくに引き返せないところまで来ている。
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