14. 出発 14-2
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
すぐには部屋に戻らなかった。
林雨瞳とシキが荷造りをしているのはわかっていた。ガラス戸越しにも、出発前の慌ただしい音が聞こえてくる。ファスナーを引く音、箱をひっくり返す音、それにシキのやたら元気な発言がときどき混じって。
バルコニーに出て、煙草に火をつけた。
夜風が少し冷たい。暗闇の中で、火種がちらちらと明滅する。スマホの連絡先を眺め、指が画面の上を何度か行き来して、止まっては動き、最後に覚悟を決めて発信した。
数回のコール音の後、すぐに繋がった。
「ハロー?」
「もしもし、キャサリン?」俺はなぜか少し気まずくなって、珍しく声のトーンが柔らかくなった。「横須賀で会った——」
「知ってる」電話口のキャサリンが遮った。声には、はっきりと不満が滲んでいた。「どれだけ待たせたか、わかってる?」
「……悪かった、こっちがちょっとバタバタしてて」手慣れた調子で謝罪を社交辞令に変え、すぐに本題に入った。「聞きたいことがあって」
「へえ」彼女は鼻を鳴らした。「あんたが人に頼むなんて、珍しい」
「ハインリヒ・フォン・ワイスマンって人物、知ってるか?」
電話の向こうが、半拍だけ静まった。
それからキャサリンの声が、一段低くなった。
「その名前、どこで聞いたの、周士達?」今度は本当に真剣だった。「あいつは非常に危険よ。関わらないほうがいい」
欄干に背を預けて、低く笑った。
「手遅れだ」煙草を指に挟んで、下の暗い通りを眺める。「横須賀のあの日から、もう絡まれてる」
キャサリンがしばらく黙った。俺が今どのくらい厄介な状況にいるか、頭の中で計算し直しているみたいに。
その隙間に続けた。
「今、奴の情報を集めてる」なるべく声を柔らかくして、普通に人に頼める生きた人間らしく聞こえるようにした。「顔が広いだろ、頼む」
「まったく……」
キャサリンが長いため息をついた。怒鳴りたいのを、最終的に諦めた音だった。
「ワイスマンが最後に足取りを掴まれたのは、ルーマニアよ」彼女は言った。「ただ、それももう一週間以上前の古い情報だけど」
心の中に刻んだ。
ルーマニア。
方向だけでも、ないよりましだ。
「ところで」彼女がまた聞いてきた。「あんた、あいつとどんな因縁があるの?」
煙草を一口吸うと、喉が少し乾いた。
「話すと長くなる」遠くに見える、ビルとビルの間の細い夜空を眺めながら、声が自然と低くなった。「あのクソ野郎が、俺の故郷の綺麗な山を一つ、滅茶苦茶にした」
一拍置いてから、続けた。
「それと、奴のせいで死んだ友人たちが何人もいる」
電話の向こうが二秒、静かになった。
キャサリンが再び口を開いたとき、声が少し慎重になっていた。
「それでも一つ忠告する。むやみに正面から当たるな」彼女は言った。「あんただけじゃなく、CIAも追ってる」
その三文字を、彼女はわざとはっきりと発音した。
CIAが何かくらい、俺にもわかる。
だからこそ、その一言がやたら面倒くさく聞こえた。
煙草の灰を弾いて、半分冗談で返した。
「忠告ありがとう。もし本当に死んだら、墓石にそれを刻んでくれ」
「周士達」キャサリンは笑わなかった。ただ静かに言った。「行くなとは言わない。あんたみたいな人間が、そんな言葉で止まらないのはわかってるから」
この女、本当によくわかってる。
「でも覚えておいて」彼女は続けた。「もし本当にルーマニアに行くなら、山岳地帯の古い城を当たってみて。何か新しいものが見つかるかもしれない」
少し間を置いてから、低く返した。
「ありがとう、キャサリン」
「みっともなく死なないで」彼女は言った。
「それはなるべく」
電話を切って、スマホを耳から離した。まだポケットに収める前に、背後から静かな声が飛んできた。
「なんで部屋に戻らないのかと思ったら、こんなところにいたんだ」
振り返ると、林雨瞳が掃き出し窓の横に立って、腕を組んで俺を見ていた。その表情が妙だった。結婚二十年の妻が、深夜にふと夫がバルコニーで電話しているのを見つけて、怒りはとっくに通り過ぎて、暴くのも面倒になった、そういう種類の冷たさだ。
視線がスマホに一瞬落ちて、だいたいのことを察したらしい。
「また誰かの女?」
「女なんかじゃない」反射的に口が動いたが、言い終えてから、これがどう聞いても浮気男の定番台詞だと気づいて、慌てて続けた。「情報屋に情報を聞いてたんだ。ルーマニアは日本と違って勝手がわからない。事前に準備しておかないといけないだろ」
林雨瞳は俺を見たまま、すぐに返事をしなかった。
その数秒が、やけに重かった。
最後に、彼女はただ静かに俺の名前を呼んだ。
「周士達」
「……はい」
「今夜はリビングで寝て」
言い方は平坦で、交渉の余地が一ミリもなかった。
「理由は自分でわかるでしょ」
口を開きかけた。何か言い訳を並べようとした。だが、あの「今さら時間を無駄にする気はない」という目と正面から合って、結局おとなしく頭を下げた。
「……はい」
彼女はそれ以上何も言わず、踵を返して中に入っていった。
俺はバルコニーに残って、黙って最後の一口を吸い込み、煙草の火を押しつぶした。心の中では、必死に自分のための言い訳を探していた。
これは負けじゃない。
譲ったんだ。
そう、譲り合いの精神だ。
そう自分に言い聞かせながら、今夜の定位置となったリビングのソファへと向かった。
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翌朝、いつもより早く目が覚めた。
理由は単純だ。
蘇依依からもらった四枚は記名なしのトップグレードVIPスイート券で、聞こえはいいが、実際に使うには出航前に乗客情報を登録しなければならない。港に着いてから書類が足りないと気づいても、手遅れだ。
朝一番で船会社に出向き、手続きを進めていると、カウンターの担当者が丁寧な口調で、ひとつ悪い知らせを告げてきた。
出港地は香港だ、と。
つまり、そこから乗船するには、台湾居民来往大陸通行証——いわゆる台胞証が必要だということだ。
俺はカウンターの前に立ったまま、二秒ほど頭が真っ白になった。
今から正規の手続きを踏んでいては、絶対に間に合わない。
つまり、何か普通ではない手を打たないと、このヨーロッパ行きは出発する前に書類仕事で終わる。
そこまで考えたところで、俺はカウンターを離れ、すぐに携帯を取り出した。普段はあまり自分から連絡したくないが、いざとなると必ず頭に浮かぶ、あの名前を探して。
電話が繋がると、単刀直入に切り出した。
「もしもし、官世恆か? 俺だ、周士達」
電話の向こうが一瞬沈黙して、それからあの聞き覚えのある、殴りたくなる声が返ってきた。
「……何の用だ?」
「台胞証を四通、いる」俺ははっきりと言った。「今。すぐに」
「周さん」官世恆は温度のない声で返してきた。「俺が台胞証の窓口に見えるか?」
「いい質問だな」うなずいてやる。もちろん向こうからは見えないが。「その質問には、そのうち秦广王に直接答えてもらってもいい」
電話口が、また一秒ほど静まった。
それから官世恆が、低く笑った。
「周士達。お前、前より遠慮がなくなったな」
「お互い様だろ」俺は船会社の外で人の流れを眺めながら、一歩も引かずに言った。「前に俺を使ったときも、ずいぶん気持ちよく使い倒してくれたじゃないか」
「……」
向こうで、何かを飲み込んでいる気配がした。
こっちは、言わせたいことを待っている。
最後に、先に折れたのは向こうだった。
「いつ出発だ?」
「明後日」
「データを送れ」官世恆はついに折れて、相変わらずの嫌味な口調で言った。「明日の昼以降、夕飯前までには届くようにする」
ようやく口の端が上がる。
「話がわかる」
「調子に乗るな」冷ややかに返ってくる。「香港で書類不備で詰まって、こっちに泣きついてくるのを二度見るのが面倒なだけだ」
「安心しろ。大体一回で、人の我慢の限界まで行ける」
「それは信じてる」
切ろうとしたところで、官世恆がもう一言、投げてきた。
「周士達」
「なんだ」
「わざわざこんな面倒を俺に回してくるってことは」声が少し低くなる。「今回お前が行く先は、ただの海外旅行じゃないんだな?」
半秒だけ黙って、正面からは答えない。
「書類を通してくれりゃいい」そう言った。
官世恆は小さく鼻を鳴らした。
「いいだろう。戻ってきたら、この貸しはきっちり清算してもらう」
「まずは物を出してからだな。払うかどうかは、その後考える」
「……失せろ」
プツン、と電話が切れた。
スマホをしまい、その場で少し空を見上げる。どんよりした曇り。
チケットは手元にある。メンバーも決まった。台胞証っていう、もっとも面倒くさい書類も、目処だけは立った。
順番で言えば、物事は全部、前へ進んでいる。
なのに、胸の奥の違和感は、なぜかどんどん強くなっていた。
どいつもこいつも、話がうまく行きすぎている。
誰かが最初から道を敷いていて、俺たちがその上を、ただ歩いているだけなんじゃないか——そんな感じがする。
船会社の入り口で、両手をポケットに突っ込みながら、はっきりと思った。
明後日乗るのは、俺たちだけじゃない。
たぶん、別の何かも、とっくに待ち構えている。
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外をぶらぶら歩き、ついでに昼飯を済ませて、午後になったころ合いを見て帰宅した。
玄関を開けると、リビングはすでにちょっとした戦時倉庫の様相を呈していた。
シキがリビングの半分を自分の臨時装備エリアにしていて、床にはバックパック、バンド、懐中電灯、折りたたみナイフ、救急セット——それから、どう見てもクルーズ船のセキュリティチェックを通るわけがない危険物が数個、無造作に転がっている。林雨瞳は隣でタブレットの航路データを見つつ、顔一つ動かさず、あからさまにアウトなものを一つずつピックアップして、別の場所に放り投げていた。
弥生はダイニングテーブルで、日本側から引き直した古いコネクションを整理している。葉綺安は赤い保温ボトルを抱えて窓辺に寄りかかり、ぼんやりしているように見えて、実際はずっと玄関の気配を聞いていたのを俺は知っている。牛小琴はソファの肘掛けにふんぞり返り、どこから持ってきたのか知れない飴を口にくわえて、シキと雨瞳の攻防戦を興味津々で眺めているところだった。
俺が入って行くと、全員の視線が一斉に上がる。
「お、帰ってきたんや?」牛小琴が真っ先に言った。期待していたゴシップがようやく来た、という顔で笑う。「そのツラ見る限り、今日の収穫は上出来みたいやな」
「悪くない」コートを脱いで椅子の背に放り、リビングの真ん中まで出る。「ただし、どれも安眠とは無縁の話だ」
「じゃ、さっさと吐け」シキは床にしゃがみ込んだまま、手に太いロープを握りしめている。今にもイノシシでも縛りに行きそうな格好で。
「まず、そのロープを置け」一瞥して言う。「俺たちは船に乗りに行くのであって、ジャングルサバイバルしに行くんじゃない」
「船の上でも使うかもしれないじゃん」
「お前の人生には『たぶん要らない』って概念は存在しないのか?」
本気で考えたあと、首を横に振った。
「ない」
「知ってた」
テーブルのそばまで行って、スマホと数枚の紙、船会社から持ち帰った資料をまとめて放り投げた。
「要点から話す」椅子を引いて腰を下ろした。「キャサリンから返事が来た。ワイスマン(ワイスマン)の足取りが最後に掴まれたのは、ルーマニアだ。ただ、それも一週間以上前の古い情報で、今もまだ同じ場所にいるかどうかは誰にもわからない」
弥生が最初に顔を上げた。
「ルーマニアのどのあたりですか?」
「そこまでは言わなかった。ただ、もし本当に行くなら山岳地帯の古い城を当たれ、と」俺はこめかみを揉んだ。「口ぶりからして、でたらめじゃない。向こうが掴んでいる手がかりだろうが、電話じゃ詳しく話せなかったんだろ」
「古城?」シキの目が再び輝く。「ほら、絶対面白い旅になるって」
「実際に古城の中の何かに追い回されてから、面白いかどうか決めろ」
林雨瞳がタブレットの上で指を止めて、目を上げた。
「他には?」
「他には」全員を見渡して言った。「ワイスマンを追っているのは俺たちだけじゃない。CIAも動いてる」
その一言で、リビングの空気がすっと静まった。
牛小琴が口の中の飴を噛む手を、一拍だけ止めた。
シキがようやくロープを床に置いた。「……それ、相当でかい話じゃないの?」
「そうだ」うなずく。「キャサリンがわざわざ声を落として教えてくれた。アメリカの情報機関が直接動いているということは、ワイスマンの最近の動きが、複数の国を同時に頭痛にさせるくらいの規模になってるってことだ」
「それはかえって面倒だ」林雨瞳が冷たく言った。「人が増えれば雑音も増える。俺たちを追ってくる相手が、ワイスマン側だけとは限らなくなる」
「俺もそう思う」
葉綺安がそこでゆっくり口を開いた。
「官世恆のほうは?」
俺は彼女を一瞥した。
「片付いた」手元の確認書をテーブルに叩きつけた。「台胞証四通、明日の昼以降、夕飯前には届く。明後日出発、ギリギリ間に合う」
シキが口笛を吹いた。
「友達、仕事が速いね」
「友達じゃない」即座に訂正する。
「あ、そう」
「認めたくないけど、いざとなると電話せずにいられない、そういう種類の人間だ」
「それって友達じゃん」
「黙れ」
林雨瞳がテーブルの資料を指で払いながら、出発港の欄を見て、かすかに眉をひそめた。
「香港乗船?」
「そうだ」うなずく。「今日初めて知った。台湾発じゃなくて、香港から出航する」
「それは船の問題だけじゃなくなる」弥生がペンを置いて、静かに言った。「途中にトランジットが一つ増えれば、手を加えられる機会も一つ増える」
「その通りだ」俺は彼女を見た。「だから戻ってきて、まず全員に話したかった。台湾を出た瞬間から、この旅程を普通の旅行として扱うのはやめろ」
牛小琴が飴を噛み砕いて、笑った。
「ようやく少し、リーダーっぽくなってきたな」
「もともとリーダー気質だ」
「あんたのは、ガイド兼遺体回収係に近い」
「ありがとう、口が達者だな」
葉綺安が保温ボトルを抱えたまま窓辺からゆっくり近づいてきて、ボトルの底をテーブルにそっと置いた。
「で」金箔押しのチケットを見下ろしながら言う。「最後の夜はどうする?」
その一言で、リビングにまだ残っていたざわめきが、すっと一段落ちた。
何を食べるか、何時に寝るか、そういう話じゃない。この船に本当に何かあるとして、出発前の最後の夜を、どう整えれば生きて帰れる状態に近づけるか——全員がそれを聞いているのはわかっていた。
テーブルの資料を整理しながら、改めて仕切り直す。
「今夜から、全部最終確認に入る。シキ、荷物を半分に減らせ」
「え?」
「えはない」俺は彼女を見た。「クルーズ船は大武山じゃない。鉄器とロープを大量に持ち込んだら、まずセキュリティチェックで引っかかる。戦闘装備と救急装備だけ残して、後は全部カットだ」
「でも——」
「でもはない」
シキは口を開きかけて、結局おとなしく座り直した。顔中に「納得いかない」と書いてある。
「雨瞳」林雨瞳に向く。「今夜、航路、香港の埠頭の配置、クルーズ船の公開フロアマップ、緊急出口の位置を全部もう一度確認しておけ。それと、乗船後はまず自分が覚えられる空間座標をマーキングしておいてくれ。今はまだゲートを開けなくていい、退路だけ先に頭に入れておけ」
「わかった」うなずく。
「弥生、今夜は夜更かしするな。俺に渡せる日本側の情報を、要点だけまとめた一枚にしてくれ。残りは明日でいい。出発前に倒れられても困る」
弥生が目を上げて、小さくうなずいた。
「葉綺安」彼女とテーブルの上の赤い保温ボトルを見ながら言う。「今夜、三娘と状態を合わせておいてくれ。今回は自分たちのホームじゃない。本当に何かあったとき、いつもより安定している必要がある」
葉綺安は表情を変えず、ただ淡々と返した。
「自分のことを先に心配しなさい」
「してる」俺は言った。「ただ、お前が乗船してすぐ何かおかしいと感じたとき、甲板を半層ひっくり返さずにいられるかどうかのほうが心配だ」
「本当に何かひっくり返す必要があるなら」彼女は冷たく笑った。「保証はしない」
「それが俺の心配してる点だ」
牛小琴がのんびりと横から口を添えた。「で、私は?」
「シキの監視役だ」一秒も迷わずに答えた。
「ちょっと!」シキが即座に抗議する。
「合理的やな」牛小琴はとても楽しそうに笑った。「その仕事、慣れてる」
「それと」全員に向かって言う。「今夜から出発まで、単独行動は禁止だ。ゴミ捨ては明日でいい、夜食も買いに行くな。乗船前は、余計な隙を一つでも減らす」
「下で誰かに待ち伏せされるのを警戒してるんですか?」弥生が聞いた。
「下が怖いんじゃない」テーブルの上のチケットを見ながら言った。「俺たちが必ず乗ることを、俺たちより先に知っている何かがいるんじゃないかと思ってる」
リビングが静まった。
誰も続けなかった。だが全員がわかっていた。
蘇依依がチケットを渡してきた瞬間から、この件には一種の「うまく行きすぎている」邪気が漂っている。全ての段取りが、俺たちを同じ方向へ押し込むように、ちょうどよく並んでいる。
順調すぎるのは、混乱より怖いことがある。
シキは珍しくすぐに口を挟まず、黙って荷物の整理に戻った。林雨瞳がタブレットを向け、何人かがテーブルに集まって、クルーズ船の公開資料、デッキ図、港のトランジット情報を一枚ずつ確認していく。弥生が役に立ちそうな日本側の情報をメモ紙に書いて渡してくれた。葉綺安は保温ボトルに手を添えたまま横に立っていて、指の関節が、気づかれないくらいのさじ加減で、少し白くなっていた。
夜が深くなっていく。リビングの明かりだけが、ずっとついていた。
シキが先に部屋に戻った。このまま起こしておいたら、夜中の三時まで折りたたみスコップをスーツケースに詰め込もうとしかねない。牛小琴がのんびりその後に続き、荷物の量が新大陸開拓みたいだとぼやきながら去っていった。弥生は最後の資料をまとめ終えてから立ち上がり、休みに行った。林雨瞳は航路と港の地図を二度確認してから、タブレットを閉じた。葉綺安は保温ボトルを抱えて廊下の入り口に立ち、一度だけ振り返って俺を見てから、何も言わずに部屋に戻った。
リビングが本当に静かになったころ、もう深夜に近かった。
ソファに一人で座って、手元には限度額なしの黒カード、四枚の金箔押しチケット、それから官世恆が明日届けてくれる書類の確認リスト。
揃うものが増えるほど、胸の上に乗った石が重くなっていく気がした。
怖いのとは違う。
嵐の前の、あの息苦しい感じだ。
来るとわかっている。逃げられないとわかっている。だから緊張すら、静かになっていく。
結局、長くは座らなかった。テーブルの上のものをバッグに収めて、電気を消して、部屋に戻った。
その夜、誰もよく眠れなかった。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




