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12. 三人の女、三つの芝居 12-1

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

朝食が終わっても、この家の空気は本当にゆるんだわけじゃなかった。


リビングの大きな掃き出し窓から、陽が斜めに射し込んでくる。ソファ、ローテーブル、昨日てきとうに放り出されたクッションや上着——その全部が、やけにくっきりと照らし出されている。まるで誰かがわざと、この朝を必要以上に明るく照らし上げて、誰にも隠れる場所を残さないようにしているみたいだ。


けれど、明るければ明るいほど、その静けさの異常さが際立つだけだった。


陳暁晴(チェン・シャオチン)——ルナは、まずダイニングテーブルを片づけ始めた。皿やカップを一つずつ重ねていく。考えなくてもできる仕事を、全員分まとめて引き取ろうとしているみたいな手つきで。


ゴミ袋の口をきゅっと結び、振り返ったとき、ルナの視線が俺と葉綺安(イェ・キアン)のあいだをかすめる。ほんの半秒そこで止まり、何も聞かず、ただ淡々と口を開いた。


「今日の午後には、番組スタッフからまた連絡が来るはず。返せるぶんは、先に返しておく。話したくない人は、無理に喋らなくていいから」


林晴夏(リン・チンシア)——オーロラ、ロラはソファに埋もれてスマホをいじっていたが、その言葉にぷっと鼻で笑い、顔も上げずに言った。


「そのセリフ、どう考えても二人に向けてでしょ?」


言い方は冗談っぽいのに、空気がまた、かすかにつかえた。


俺はウォーターサーバーの横に立っていて、今ちょうどポットを手に取ったところだった。葉綺安が、それより一瞬早く、横に置いてあったマグカップを俺のほうにすっと押し出す。


動きがあまりに自然で、意識なんてまるで通っていないみたいな流れだった。自分でもそれに気づいたのだろう、指先が一瞬だけ止まり、すぐに表情がすっと冷える。さっきのはたまたまだ、とでも言い張るかのように。


ロラが横を向いた拍子にその様子が目に入り、視線が二人のあいだをぐるりと一周する。口元が上がりかけ——けれど、最後まで笑いにはならない。ただ、だるそうに声を引き伸ばした。


「お〜?」


その「お〜」は全然強くないのに、何かのスイッチをちょんと押したように、空気のどこかを点灯させた。


葉綺安が目線を上げる。「お〜ってなに?」


「別になんでも?」ロラはスマホを太ももの上にぱたんと伏せる。態度はあいかわらずのんきなのに、目だけはやけにしっかりと相手をとらえている。


「なんかさ、今日はいつもより、ちょっとだけ機嫌悪いよね、あんた。それとさ、そいつは今日、いつもよりちょっとだけムカつかない顔してる。……ただの不思議現象」


俺はマグに湯を注ぎながら、無表情で拾ってやる。


「お前さ、今朝起きて鏡見た?」


「見たけど? それが?」


「じゃあまず、自分のこと心配しとけよ」


ロラが派手に目をひっくり返す。いつもの彼女なら、ここで即座に倍返しのツッコミが飛んでくるはずだ。だが今回は、鼻を鳴らしただけで、本当にそれ以上は追ってこない。


代わりにテーブルのリンゴを手に取り、皮をむき始める。半分ほど削ったところで、ふと何かを思い出したように口を開いた。


「ねえ、周士達(ジョウ・シーダー)。昨日さ、あんた言ってたじゃん。冷蔵庫のあの炭酸水、誰が飲もうが死のうが、あんたの知ったこっちゃないって」


「言ったな」


「で、あんた、それ平気で飲むわけ?」今度は葉綺安に矛先を向ける。


ちょうど自分のマグを受け取ったところだった葉綺安は、まぶた一つ動かさずに返した。


「ほんとにそれ飲んで死ねるなら、あんた一番に拍手するでしょ」


「それはないかなあ」ロラは果物ナイフの先で、リンゴの皮をちょん、と突く。わざとらしいくらいゆっくりした口調で続けた。


「たださ、ちょっと確認しときたくて。……最近、ある人は、毒見までしてあげるくらい、優しくなったのかな〜って」


リビングの音が、そこできれいに一拍止まった。


ルナはちょうどゴミ袋を玄関の横に置いて戻ってくるところで、その言葉の尻だけを聞いた。眉が、ほんのわずかに動く。


「晴夏」


「はいはい、何も言ってないじゃん」ロラは即座に両手を上げて降参ポーズをしてみせる。口ではあっさり引き下がりながらも、視線だけはずっと葉綺安の顔から離さない。


まるで、急にフィルムを入れ替えられた写真を、角度を変えながら確かめているみたいに。長いことじっと見つめていたが、結局、ほんの小さく吐き出したのは、


「……ま、いっか」


その「ま、いっか」には、いつものふざけた色があまり残っていない。代わりに、どこかで無理やり飲み込んだ「見直し」が、小さく沈んでいた。


蘇依依(スー・イーイー)——ノヴァが部屋から出てきたのは、ちょうどそのタイミングだった。


彼女は少しゆるめのニットに着替え、髪をゆるくまとめている。手にはリストサポーターと、小さな軟膏のチューブ。見た目だけなら、たまたま通りかかっただけ——なのに、立ち止まった位置が、リビングにいる全員の表情を一望できる絶妙な角度だった。


ノヴァはまず、その軟膏をテーブルの上に置き、みんなに向かって言う。


「肩こってる人、これ塗って。昨日、冷房強すぎたから」


そう言っても、すぐに立ち去ろうとはしない。指先でチューブのキャップをこつ、こつ、と軽く叩いてから、ようやく俺のほうに顔を向ける。


「ねえ、右手ちょっと痛めてない? 昨日、あのケース持ち上げたとき、変な動きしてた」


「まあ、ちょっとな」


まだ何も答えきる前に、葉綺安の視線がさっと俺の右手をなぞる。


その一瞥は短い。だが、やたら率直だった。


ノヴァはそれを見た。同時に、俺が、いつもの癖みたいに、その手をすっと後ろへ引き、彼女の目線から逃がしたことも、ちゃんと見ている。それでも声色は自然なままで言った。


「大丈夫ならいいけど。『二日もすれば治る』って、大体いま実はけっこう痛いって意味だからね」


ノヴァは小さく笑う。声は相変わらず柔らかいくせに、いつもよりわずかにテンポを落としている。


「二人ともさ、今日はいつもより、言葉数少ないよね」


葉綺安はテーブルの縁に腰を預け、マグを両手で包みながら、冷めた目で見返した。


「……あんたの観察眼も、今日はいつもよりウザい」


「お互いさま」


二人はしばらく、笑いもせずに視線をぶつけ合う。最後にノヴァが、リストサポーターを少しだけ前に押し出した。


「じゃ、とりあえずこれ持っといて。ここ置いとくから、誰が使ってもいいし」


意味なんてないですよ、とでも言いたげな口ぶり。だからこそ、一言一言が、逆に全部意味を帯びてくる。


方思琪(ファン・スーチー)——ベガは、最初から一人用のソファに座り込んで、温かい水の入ったカップを抱えたまま、ずっと黙っていた。ひたすらぼんやりしているだけにも見える。


みんなの視線がそれぞれ別の方向へ散っていったころになって、彼女はふいに顔を上げた。ごく小さな声で言う。


「今日さ、二人、歩くリズム一緒だった」


ロラがきょとんとする。「誰と誰?」


ベガは俺と葉綺安を見比べる。表情は、天気予報を読み上げるのとたいして変わらないくらい、静かだった。


「この二人」


その一言で、ルナですら動きを止める。


俺は横目でベガを見る。「お前さ、何を好き好んでそんなもんばっか聞いてんだよ」


「だって、普段は違うから」ベガはカップを両手で包み込み、掌に伝わる熱を確かめるみたいに、指をぎゅっとすぼめる。


「いつもは、一人は我慢してて、一人は身構えてる。……今日は、それがない」


葉綺安の眉間がぴくりと跳ねる。「方思琪」


「変な意味じゃないよ」ベガの声はやっぱり淡々としている。けれど、珍しく、とげがない。


「こっちのほうが楽でしょ。少なくとも、いつひっくり返るかわからないテーブル、って感じじゃない」


ロラはとうとう堪えきれず、クッションを抱きしめたまま笑い声を漏らした。が、笑いの途中で自分からブレーキをかける。


視線の先は葉綺安だ。そこにある、いつもの「比べたい」「張り合いたい」「負けたくない」といった種類の感情が、どこか薄く削り取られている。代わりに残っているのは、まだ素直になりたくない意地っ張りだけ。


「前はさ、あんたのこと、ただの扱いづらい人だと思ってたんだよね、マジで」


「今も扱いづらいけど」葉綺安は、変わらない冷淡さで即答する。


「それはそう」ロラはあっさりうなずく。その認め方だけは、妙に潔かった。


「でもね、前の『扱いづらい』と、今の『扱いづらい』は、ちょっと違う」


そこから先は、口には出さない。


言い切ってしまったら、もう戻れなくなるからだ。昔みたいに、ただ刺し合うだけの単純な関係には。


ルナがリビングの真ん中まで戻ってきて、パン、と手を打ち鳴らした。そこで一度、場の空気を締めなおす。


「はい、じゃあ、今日も誰一人ヒマにしないから」彼女はきびきびと指示を飛ばす。


「晴夏、ここ二日分のスケジュール整理、手伝って。依依、マネージャーが何か聞いてきたら、とりあえず全員ただの疲れってことにして。思琪、午後眠くなったらちゃんと寝といて。夜に一回、全員で話合わせるから」


一通り言い終えてから、ルナは少しだけ言葉を切る。視線が、俺と葉綺安に止まった。


「で、そこの二人」声のトーンは変わらない。けれど、その一言は、妙に重かった。


「一人は、いつでも出ていけますって顔で、玄関付近に突っ立ってるの、やめなさい。もう一人は、誰か一歩でも近づいたら噛みつくつもりみたいな顔、やめなさい。この家を支えてるの、もうあんたたち二人だけじゃないから。……わかる?」


俺が先にうなずく。「了解」


葉綺安はすぐには返事をしない。二拍ほど置いてから、小さく、かすれるような声で、


「……ん」


そのひと言は大きくない。けれど、それで充分だった。


ルナは二人を見つめていた。その目の奥に最後まで残っていた探るような光が、ようやくそっと下りていく。


完全に安心したわけじゃない。ただ、まず信じることにした。


その決断が下りた瞬間、リビング全体でずっと張り詰めていた何かが、ようやく着地する場所を見つけた。


午前の陽がさらに奥まで差し込んで、ローテーブルの縁を舐める。ノヴァはノートパソコンを抱えてメッセージの返信に取りかかり、ロラはクッションを抱えたままソファに丸まる。口ではまだぶつぶつ動いているものの、さっきほどの鋭さはない。ベガは静かに椅子の背もたれに体を預け、何かを確かめ終えたように、もうそれ以上は見ない。ルナはダイニングテーブルに腰を落ち着け、スケジュール帳を開いて、一ページずつ繰り始める。


俺がリストサポーターを手のひらに収めたとき、葉綺安はちょうど手を伸ばして軟膏のチューブも取り上げ、そのまま俺の隣にすっと置いた。ローテーブルが散らかってるのが気に入らなかっただけ、とでも言いたげな動作で。


二人とも、互いを見なかった。動きがあまりにも自然につながりすぎた。


ロラがたまたまそれを目の端でとらえた。今回は何も言わない。クッションに顔を埋めて、なぜか耳の付け根がじわりと熱くなっていた。


誰も、何も言葉にしなかった。


けれどこの昼間から、この家にいる全員がわかっていた。何かが、ひっそりと場所を移した。誰かが誰かを押しのけたわけでも、誰かが勝ったわけでもない。ただ、あの数日を経て、本能だけで保っていた距離に、新しい秩序がそっと芽吹いた。


ぎこちなさは残っている。警戒も残っている。探り合いも、減っちゃいない。


それでも今度だけは、全員が暗黙のうちに認めた——次に何かあったとき、まず同じ側に立つ、と。


「とても面白い」★四つか五つを押してね!


「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

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