10.隠れ家 10-1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
エンジンがかかった瞬間、ワンボックスの車内は葬式帰りみてえな静けさに包まれた。
人がいないわけじゃない。
全員ちゃんと生きてる。ただ、「生きてる」という事実に対して、どんな顔をすればいいのか、誰も一時的にわからなくなってるだけだ。
撮影クルーとメイクは「今日は中止」と聞いた瞬間に、とっとと山を下りちまった。そのせいで、同乗してきたマネージャーとサブDは下山の足を失った。泣きっ面に蜂とはよく言ったもんで、蘇依依の「パパ」も急に迎えに来られなくなったと連絡が入り——結果として、俺のダッジ・チャレンジャーが、この山から脱出するための唯一の交通手段になった。四人乗りのセダンに七人詰め込むんだ。地獄の人口密度がどんなもんか、想像つくだろ。だが、この連中は一秒でも長くあの山にいるくらいなら、酸欠ギリギリでも構わないという顔をしていた。
山道がぐるぐると下に続いていく。タイヤが砂利と濡れたアスファルトを踏みしめ、車体が時折ゆれる。窓の外では白い霧が一層ずつ後ろへ流れていく。
本来なら、こういう合宿の帰り道は車内がうるさいはずだ。飯がまずかった、ベッドが硬かった、あの歌詞を誰がまた外した、昨日のダンスで誰が拍を踏み外した、そして台北に戻ったら最初の一食は絶対まともなものを食うという誓いを全員でリレーする——そういうもんだ。
だが今日は違う。
この車の中の全員が、行ってはいけない場所から何とか魂だけ拾って戻ってきて、まだ体に収まりきってない状態で黙り込んでいた。
俺は運転席から山道の螺旋を眺める。助手席のマネージャーは乗り込んだときからずっと、スマホを見下ろしたまま返信を打ち、電話を受け、スケジュールを組み替え、番組側との口裏合わせをこなしている。口調はいつもの仕事モードを保っているが、指の速さが普段の比じゃない。「安全面への配慮」「設備トラブル」「後続の日程は追って確認」と喋りながら、頭を上げるたびに、車内の全員がちゃんとそこにいるかどうかを目で確かめてる。
上出来だ。少なくともこの女は、これが普通の「企画中止」じゃないと分かってる。
後部座席の真ん中に陳暁晴。いつも通り、全員を視野に収めやすいポジションに自分を置いてる。林晴夏は窓際で、乗り込んでからほとんど喋ってない。額をガラスにくっつけて、吐く息が窓に白く広がっては消えていく。蘇依依はその隣で手にスマホを持ち、画面が何度か光るが、一文字も打ち出せてない。方思琪は一番奥に座り、頭をわずかに傾けて、見た目は寝てるようだが、おそらく全く寝ていない。葉綺安は俺の斜め後ろに座り、赤い保温ボトルを「誰にも触らせない秘密」みてえに抱えたまま、顔を窓の外に向けて、一言も発しない。
番組のサブDは最後列で、シートベルトを誰より固く締めていた。
車内が沈黙したまま十分近く経ったとき、先に口を開いたのはマネージャーだった。
振り返りもせず、目はスマホに向けたまま。
「帰ったら二日間、活動停止」彼女は言う。「誰も無理しない。勝手にネットのコメント見に行くのも禁止。対外対応はこっちが全部やる。あんたたちはまず、人間の顔を取り戻しなさい」
プロとしての物言いだ。
そして、ちゃんと人間の言葉でもある。
陳暁晴が先に返した。「わかりました」
声は大きくない。でも安定してる。ただし、ステージや収録で鍛えた「プロの安定感」じゃない。この車の全員がもう一度バラバラにならないよう、歯を食いしばって踏ん張ってる、そういう種類の安定だ。
サブDがそこで咳払いをした。車内の空気が霊安室みてえに重すぎると感じたのか、乾いた声で付け加える。
「今回の素材は全部ボツです」彼は言う。「今日から、この数日間は存在しなかったことにします。安全報告はこっちで書くんで、皆さんから追加で調書を——」
途中で自分の言葉に気づいて、慌てて言い直す。
「——資料を出してもらう必要はないです」
誰もその「調書」という単語には突っ込まなかった。
正確すぎて、かつ笑えない言葉だったからだ。
林晴夏がガラスから額を剥がし、掠れた声で言う。
「今回でようやく分かった。金払って地獄見るってこういうことか」彼女は前席のヘッドレストを見つめながら、空気に向かって喋ってるみてえに言う。「次に誰かが『山の中でクローズド合宿しよう』って言い出したら、あたし先に病欠申請する。仮病じゃなくて、本当の病気。心因性のやつ」
マネージャーが振り返ってひと睨みしたが、最終的に罵倒はせず、一言だけ吐き出した。
「まだ減らず口叩けるなら、底まで壊れてはいないってことでしょ」
「減らず口じゃなくて、遺言のテイスト決めてるんです」林晴夏がくぐもった声で返す。
その一言で、車内の空気がほんの少しだけ緩んだ。
陳暁晴が横目で彼女を見て、低い声で言う。
「帰ったら寝て」
「あたしも寝たい」林晴夏が苦く笑う。「でも目閉じると三階のあのドアが出てくる」
その言葉が落ちた後、また少しの間、車内が静かになった。
彼女が「言っちゃいけないこと」を言ったからじゃない。全員が、目を閉じたときに思い浮かぶ「自分だけのやつ」を持ってるから、黙ってるんだ。
蘇依依がようやく口を開いたのは、そのときだった。
誰の顔も見ず、ただ視線を落としたまま、指の腹でカップの蓋の縁をゆっくりとなぞりながら。
「辞めたいわけじゃない」彼女は静かに言う。「ただ……今は、この数日間を『ちょっと仕事がキツかった』って感じで処理できない」
この台詞が普段の彼女の口から出たなら、また一番聞こえのいい言い方を選んでるな、と思っただろう。
だが今は、誰もそう思わなかった。
それだけの言葉を絞り出す力すら、演技から来てるとは見えないから。あいつが纏ってるあの柔らかさが今日は一枚薄くなって、その下にある、本物の疲弊がうっすら透けて見えてる。
陳暁晴が短く返す。
「誰も割り切れなんて言ってない」
それだけだ。
でも、それで十分だった。
蘇依依は何も言い返さず、ただ少しだけ背をシートに預けた。ようやく、自分が本当に疲れていることを、自分に認めたみてえに。
方思琪が口を開いたのは、山をほぼ下り切った頃だった。
「歌は止まった」彼女は言う。「でも、消えたわけじゃない」
サブDがその場で固まった。
マネージャーが振り返る。「歌って、何の歌?」
俺が何か言う前に、方思琪は自分で視線を窓の外に逃がした。
「なんでもないです」彼女は淡々と言う。「ただ、山の歌はもう聴きたくないな、って思っただけで」
上出来だ。こういう雑な誤魔化しが通用するのは、聞いた側がすでに「これ以上知りたくない」という状態のときだけだ。
サブDは本当に追及しなかった。
葉綺安が口を開いたのは、そのタイミングだった。
ずっと喋る気がなさそうにしてたくせに、一度口を開けば、やっぱりあの「ぶん殴りたくなる」冷たさだ。
「帰ってから、みんな口はしっかり閉めておくこと」彼女は窓の外を見たまま、誰に向けて言ってるのかもわからない口調で言う。「山の話を面白おかしく語り出したやつに何かあっても、あたしはケツ拭かないから」
その言葉に、車内の全員が静かに彼女を見た。
彼女が「怖い」からじゃない。
今の彼女の「怖さ」が、もう単なる「性格のキツい女」で片付けられるものじゃないと、全員が分かってるからだ。
陳暁晴が二秒置いてから、低く返した。「わかった」
葉綺安は続けなかった。
赤い保温ボトルを抱えたまま、指をしっかりと巻きつけて。それは他の誰かへの警告というより、自分自身への念押しみてえに見えた——まだ全部終わってない。まず口を管理しろ。そうすれば、誰も余計な目に遭わない。
マネージャーが最後に俺へ視線を向けた。
「あなたは?」彼女は聞く。「帰った後も、この子たちと関わり続けるの?」
鋭い質問だ。
「送り届けてもらえますか」という意味じゃない。「この先も、このグループの中に居続けるつもりがあるか」という意味だ。
俺は窓の外から視線を戻し、淡々と答えた。
「まずは全員を無事に送り届けてから考えます」
マネージャーは俺の顔を一秒眺め、何かを読み取ろうとしてから、結局何も聞かなかった。
この車の中で、今一番掘り下げちゃいけない人間が俺だってことは、さすがに察してるんだろう。
山道が最後の大きなカーブを曲がり切ったとき、霧もようやく薄くなった。
遠くから、都市の色が浮かんでくる。
灰色のビル、白い空、看板、高架橋、車の流れ、コンビニ。全部、ひどく普通だ。普通すぎて、この数日間のあの別荘も、あのドイツ語の歌も、赤い保温ボトルも、三階の大掃除も、全部が別の世界の話みてえに見える。
だが、この車の中の誰一人、本当には「普通」に戻っていない。
少なくとも、今この瞬間は。
後部座席の、意図的に抑えられた呼吸音を聞きながら、俺はこの光景がひどく滑稽だと思った。
まだ売り出し中の国民的アイドル候補生、マネージャー一人、番組のサブD、馬三娘の仮住まいを抱えたベーシスト、そして「臨時保護者業なんて断じて認めない」と思ってる俺という名のデーモンハンター。全員が同じ一台に詰め込まれて、台北へ向かってる。これをシナリオとして持ち込んだら、一発でリジェクトされるだろう。「設定が荒唐無稽すぎる」という理由で。
残念ながら、現実は大抵、脚本より荒唐無稽だ。
市街地に入る直前、林晴夏がとても小さな声で呟いた。
「帰ったら、また前みたいに戻れるのかな」
誰もすぐには答えなかった。
答えが難しいからじゃない。全員、答えを知ってるからだ。
最初に口を開いたのは、陳暁晴だった。
「戻れない」彼女は静かに言った。「でも、それでいいと思う」
この一言で、車内の空気が変わった。
重くなったんじゃない。
ようやく、本当のことが言葉になった。
「前みたいに戻る必要、ないでしょ」陳暁晴は続けた。「前のあたしたちって、結局、お互いのことほとんど知らなかった。今は、少なくとも……」
彼女は言葉を切り、窓の外を見た。
「少なくとも、誰が本当に怖がってて、誰が本当に強くて、誰が何を隠してるかは、分かった」
林晴夏が振り返る。「それって、いいことなの?」
「分からない」陳暁晴は正直に答えた。「でも、嘘よりはマシ」
蘇依依が小さく頷いた。「そうかも」
方思琪は何も言わなかったが、その表情は少しだけ緩んでいた。
葉綺安だけは、相変わらず窓の外を見たまま。
「勝手にしなさいよ」
でも、その声には、いつもの刺がなかった。
俺は前を見据えて運転を続けた。
台北の街並みが近づいてくる。
この車の中の空気は、確かに「前」とは違う。
でも、悪くない。
むしろ、初めて「本物」になった気がする。
彼女は慰めもしなければ、嘘もつかなかった。
「戻れない」彼女は言った。
林晴夏の目が、わずかに揺れる。
だが陳暁晴は、すぐに後半を継いだ。
「でも、前より悪くなるとも限らない」
その言葉が落ちても、車内がすぐに軽くなったわけじゃない。ただ、さっきまでの息も詰まるような重さが、少しだけ和らいだ。
バックミラー越しに見ると、蘇依依が目を閉じていた。その言葉を自分の中に沈めようとしてるみてえに。方思琪は動かなかったが、ごく静かに頭をシートに預けた。葉綺安は相変わらず窓の外を向いたままだったが、保温ボトルを抱える腕の力が、ほんの少しだけ緩んだ。
俺はといえば、前方のだんだん密になっていく車の流れを見つめながら、心の中だけで返した。
そうだといいがな。
ただ、これが今この場で出せる、一番まともな答えだってことも、わかってた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




