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第十四章:|敵対的買収《ホスタイル・タケオーバー》――悪魔憑依

中山北路二丁目、帰宅ラッシュの真っ只中。

赤信号で止まったデリバリーのライダーが、ナビを確認しようと視線を落とした瞬間、リアシートに「重み」を感じた。振り返ると、路肩をジョギングしていたはずの女が、彼のデリバリーボックスを死守するように掴んでいた。その瞳は、眼白の一片すら残さず、ドロリとした墨汁のような漆黒(しっこく)に塗り潰されている。

「お姉さん? 大丈夫か……」

言葉が終わるより早く、女の口から硫黄の臭いを孕んだ黒煙が噴き出し、ライダーの喉へと流し込まれた。ライダーは肺を掻き出すような嘔吐おうづを繰り返し、三秒と経たずに顔を上げた。その双眸もまた、底なしの闇へと同期シンクロしていく。

この連鎖反応は、疫病のごとき速度でストリートを侵食していった。

ハンドルを猛然と切り、黒煙を吐く乗客を満載したまま分局のゲートに突っ込むバス。横断歩道で待つ学生たちは、まるで精密なクロック信号に従うように一斉に首を巡らせ、爪を掌に食い込ませながら、重なり合う獣のような咆哮を漏らす。

数千人の見知らぬ凡人たちは、今や「アーカム・グループ」名義の生体資産(ライブ・アセット)へと成り果て、肉体の奔流となって分局の防弾ガラスへと打ち付けられた。

「肉……八両二銭の、肉……」

その狂った不協和音は、二階、捜査隊の窓を容易く突き破った。

「それで、一体どこのどいつが釈放を命じたんだ!? ええ!?」

高国城グァン・グオチョンが受話器に向かって怒鳴り散らし、それを叩きつける。地検の回答は、まるで意図的にノイズを混ぜた音声データのようだった。内勤の検事、次席、果ては上層部。誰もが責任の所在を曖昧にボカしている。だが、唯一の確定事項リテラルは、硫黄の香りを纏った不起訴処分通知が、地検という威厳ある門扉(ゲート)から吐き出されたという事実だけだ。

「隊長……周士達ジョウ・シーダーを、本当に放すんですか?」

隣に立つ林曉葳リン・シャオウェイの鹿のような瞳には、偏執的なまでの正義が宿っていた。彼女には理解できない。スピード違反に不法銃器所持、さらにアイドルの誘拐まで関与したあのバグのような男(ろくでなし)が、出所不明の紙切れ一枚で堂々と歩き去ることなど。

高国城はこめかみを指で強く圧迫し、鋼鉄の防衛線(唯物論)と現実の間で激しいデバッグを繰り返していた。やがて彼は十歳老け込んだような溜息を吐き出す。

「……釈放だ。手続きが優先される。我々に彼を留める権限はない」

「隊長!!」

曉葳の悲鳴に近い声。彼女は信じられなかった。あの鋼のように堅牢だった上司が、正体不明の公文書に膝を屈したことが。

だが、その議論が結論アウトプットに至る前に、人間ならざる異象がロビーで爆発した。

――ドォォン!

捜査隊の電子ロック扉が物理的に粉砕され、血塗れの警官が転がり込んできた。その瞳は炭のように黒く、皮膚の下では青筋が黒い蛇のごとく蠢動している。何より(おぞ)ましかったのは、彼がセーフティを解除した九二式拳銃を握っていたことだ。

周士達ジョウ・シーダー!!! 遊びましょおおお!!」

その声は、数十人の声を無理やり一本の回線に詰め込んだような不協和音(ノイズ)だった。彼は絶望的なほど歪な笑みを浮かべ、銃口を自らのこめかみに突き立てる。

――パァン!

鮮血と脳漿が、ロビーの防弾ガラスを一瞬で塗り潰した。

死のような沈黙が執務室を支配し、直後、逃げ場のない絶望が津波となって押し寄せた。

「これ……薬物反応なんかじゃない……」

曉葳は手にしていたバインダーを取り落とし、その澄んだ瞳に初めて「理解不能」という名の恐怖を刻みつけた。

「全員、銃を抜け! 退がれッ!」

老高が叫ぶ。だが、彼が窓の外を視界に収めた瞬間、口元の煙草が床へと力なく落ちた。

中山北路。数千人の通行人が一斉に足を止め、ゆっくりと、機械のように首を回す。そのすべての眼窩がんかから、ドロリとした濃密な黒煙が立ち昇っていた。

沈博文シェン・ボーウェンは窓の外、何もない空間に優雅に立ち、室内へ向けて軽やかに指を鳴らした。その唇が、声なき言葉を紡ぐ。

『敵、対、的、買、ホスタイル・タケオーバー

周士達ジョウ・シーダー!」

老高は審訊室の鉄扉を蹴破った。鍵を握る指先は、過負荷(オーバーロード)で白く震えている。窓の外には、二階へと這い上がろうとする黒い瞳の群衆。

彼が長年築き上げてきた鋼の唯物論は、この一瞬で、跡形もなく崩壊した。

「外のあいつら……一体、何なんだ……」老高の声は、もはや人間が発するそれではなく、錆びた鉄板を擦り合わせるような掠れ方だった。

俺は窓の外を盗み見て、心臓が跳ね上がるのを感じた。雨瞳ユートンのように真理を穿つ瞳は持っていないが、この空間を埋め尽くす戾気(れいき)を見れば、少なくとも数百、いや数千の凡人が強制的に同期(シンクロ)させられているのは明白だ。台北のど真ん中でこれほどの規模の作戦(オペレーション)を完遂できるのは、先ほど優雅に去っていったあの男――沈博文シェン・ボーウェン以外にいない。

敵対的買収ホスタイル・タケオーバーってわけか」俺は吐き捨てた。「あのクソ老いぼれ、俺の魂が買えないと分かった途端、テーブルごとひっくり返しやがった」

審訊室の外からは断続的な銃声が響き、肉体が強化ガラスに衝突する不快な音が混ざり合う。

林曉葳リン・シャオウェイが、震える手で九二式拳銃を構え、老高の背後に現れた。さっきまでの凛々しさは霧散し、今は悪夢に閉じ込められた迷子の子供のようだ。

「隊長……市民が互いに食い合っています! 銃も効かない、当たっても血すら流れないんです!」彼女の顔は紙のように白く、銃口は制御不能なほどに揺れていた。「同僚の一人が……自分の額で、強化ガラスを粉砕するのを見ました……」

「お前の言っていたデタラメを、今、信じてやるよ」老高が物理的な権限(手錠)を解き、証拠品袋を俺の前に叩きつけた。「周士達、俺たちの命……お前に全張りだ!」

俺は迷わず、退魔の経文が刻まれ、微かに硃砂(しゅしゃ)の香りを放つウィンチェスターM1897を掴み取った。浄塩と銀を充填した特製塩弾(ソルト・シェル)を流れるような動作で装填し、官能的な『チャキン』という金属音を響かせる。

部屋を出ると、雨瞳、葉綺安イェ・キアン、そしてエリスリードが既に戦闘配置(セットアップ)を終えていた。特に愛剣『ヘヴァルグ』を握り直したエリスリードは、指先に迸る青い光を眺め、凍てつくような、だが狂気に満ちた笑みを浮かべていた。

「雨瞳、牛小琴ニウ・シャオチンは出せるか?」

「可能よ。でも、ここには彼女に適したホスト(依代)がいないわ」

以前は緊急避難だったが、選択肢がある限り、雨瞳の肉体をこれ以上陰気(ノイズ)で汚したくはない。「なら、いい」俺は手を振り、国民的アイドルへと向き直った。「馬三娘マー・サンニャン、仕事だ!」

魔法瓶から濃密な黒煙が噴出し、大元帥が再び葉綺安のシステムを完全占拠する。

老高と曉葳は、その降臨シーン(イベント)を前に顎が外れんばかりに驚愕し、瞳孔を激しく震わせていた。

「二人とも、俺たちに張り付いてろ」俺は二人の拳銃を没収し、代わりに符布を巻いた重厚な警棒を押し付けた。「取り憑かれた連中に銃は無用だ、無実の市民を殺すだけになる。こいつで、天霊蓋を叩き割れ!」

「エリスリード、馬三娘! 露払いをお願いする!」

俺がウィンチェスターを放つと、塩弾が炸裂し、濃密な黒煙を黄金の光が引き裂いた。

前カノ、トップアイドル、北欧の執行官、そして世界観が粉々になった二人の警官。俺たちはこの狭く暗い廊下で、悪魔の軍勢を相手に狂乱の肉弾戦を開始した。包囲網が狭まり、俺が最後の引き金を絞ろうとしたその時、遠い空の彼方から、狂信的なまでの熱を帯びた咆哮が轟いた。

――「アーメン(Amen)!!!」

「伏せろッ!」

ウィンチェスターM1897の銃口から黄金の閃光(フラッシュ)が走り、塩弾が炸裂した。悪魔は人間には不可能な音域の悲鳴を上げ、黒煙となって四散する。だが、後続の群衆に躊躇の色はない。沈博文シェン・ボーウェンの「併購」はコスト度外視だ。奴は中山区の全住人の命をリソース(弾札)として、この分局の欠損(穴)を埋めようとしている。

周士達ジョウ・シーダー!! これで最後だ! 弾切れだぞッ!」

老高が絶望に染まった声を絞り出す。符布を巻いた警棒は、怪力の憑依者によってへし折られかけていた。彼は全神経を動員して踏ん張り、目尻から流れる汗と血の区別もつかないまま、死地を支えていた。

俺たち――俺の元カノ、現役アイドル、元北歐の執行官、そして世界観が瓦解したばかりの警官。中山分局二階の狭い廊下に押し込められた、場違いなパーティ。俺たちは今、ストリート中の悪魔の軍勢を相手に、泥臭い肉弾戦を強いられていた。

これは英雄譚などではない。ただの人間たちが、あまりに狭すぎる通路で「死なないために」足掻いているだけの光景だ。

包囲網が完全に閉じようとし、馬三娘マー・サンニャンの長槍が数多の焦げ付いた手に絡め取られた――その刹那。

憑依者たちの動きが、一斉に停止した。

打ち倒されたのではない。自ら、プロセス(動作)を止めたのだ。

黒い瞳の顔が、まるで一本の糸に操られるように同じ方向を向く。その喉から漏れる音は、哀哭と警報の狭間――悪魔の本能(カーネル)に深く刻まれた、名前すら持たぬ古の恐怖信号だった。

俺は引き金にかけた指を止め、眉を顰める。

「馬三娘」

「わかっているわ」彼女の声は、普段より半音ほど低い。「動かないで」

エリスリードが静かに手を挙げ、後退を促す。湛青の瞳は廊下の端を凝視し、剣の柄を握る指が白く染まった。

「……感じるか?」馬三娘が低く問う。

「ええ」エリスリードの答えは、乾いていて、短い。「代行者(エージェント)が来たわ」

初めに届いたのは、音だった。

廊下の果てから、壁の向こうから、不可視の方角から――一連のラテン文字が流れてくる。緩やかなリズム、一字一字が明瞭だ。まるで、極めて重要な契約書を読み上げる、厳格な監査官のように。

「…Etiam si ambulavero in valle umbrae mortis――」

憑依者たちが後退を始めた。撤退ではない。熱せられた床板から逃げるように、本能的に後ずさりしているのだ。

「――non timebo malum, quoniam tu mecum es.」

声が近づく。憑依者の咆哮が高周波(ノイズ)へと変じ、悪魔に拡張された喉が、耐え難い「重圧」に抗議するように軋んだ。

「Virga tua et baculus tuus――」

廊下の端から、一つの影が落ちた。

「――ipsa me consolabuntur.」

Amen。

その影が、薄暗い灯光の下へと踏み出す。

最初に視界に入ったのは、人間ではなかった。(くさび)だ。

三メートルはあるだろうか。聖人の血に浸された鉄鎖が、重々しく床を引き摺られていた。連なる輪の一つ一つが不可視の闇光を放ち、通り過ぎた跡には微かな焦げ跡が残る。空気には、何かが焼却(フォーマット)される臭いが混じっていた。金属ではない。もっと抽象的で、重い「何か」が焼ける臭いだ。

鎖の先端には、重厚な金属装飾を施された聖書が宙に浮き、風もないのに自転しながら全ページを開き放っている。暗闇の中で、紙面が微かに、白く光っていた。

その鎖を、無造作に引きずる者が現れた。

短く刈り込まれたプラチナブロウの髪、熊のような巨躯。深紫色の戦術修道服タクティカル・カソックが、その強靭な骨格をまるで防壁のように押し広げている。両耳の銀製十字架が、静寂の中で冷たく揺れていた。

その瞳――透明に近い淡灰色ライトグレーの虹彩の中で、ラテン文字の刻印(ログ)が緩やかに流動している。その視線は廊下に並ぶ面々を一人ずつスキャンし、一秒たりとも無駄にすることなく次へと移る。そして彼は、古い友人にでも会ったかのような、低く落ち着いた声で最初の言葉を吐き出した。

「諸君、ご機嫌よう。――パオロ神父だ」

声音は低いが、鼓膜を直接震わせるような質量があった。

「台北における霊的混乱は、すでに地方行政の処理能力を致命的に超過している」

彼は場を統べるように見渡した。灰色の視線は葉綺安イェ・キアンの顔を滑り、エリスリードのところで正確に三秒間静止した。その眼差しに憐憫れんびんなど欠片も存在しない。あるのは、絶対零度まで冷却された判定(ジャッジメント)だけだ。

そして彼は、事務的な手続きを始めるかのように問いを投げ始めた。

「我らに問う。ここは、いかなる場所か?」

空になった銃を握りしめ、彼が一体誰に問いかけているのかを考えた瞬間、最初の「応答」が返ってきた。

正面からではない。俺の足元の通風管からだ。捻じれ、乾き、それでいて敬虔なほどに優しい男の声が、底から低く這い上がってきた。「――法外の地にして、神に棄てられし場所なり」

老高は悲鳴を上げ、符布を巻いた警棒を落としそうになる。

パオロ神父が一歩前へ踏み出す。鎖が床を引き摺り、耳障りな摩擦音を立てた。「ならば、我らは何者か?」

今度の応答は天井からだった。

断線したケーブルが火花を散らす暗がりから、三つ、四つの声が重なり合い、平穏かつ冷酷に降り注ぐ。「――我らは審問者なり。代行者なり。秤を携えし処刑人なり」

馬三娘マー・サンニャンの顔色は、見ていられないほどに険しくなっていた。長槍の矛先はもはや悪魔ではなく、廊下の両側に広がる影へと向けられている。「神を装い、鬼を演じる……。これは降神などではない。集団洗脳だわ」

パオロは周囲の敵意を無視し、鎖を巻き付けた右手を緩やかに掲げた。「汝らに問う。汝らが右手に携えしものは何か?」

廊下全体が、共鳴(共振)し始めた。

壁の裏、オフィスデスクの下、さらには半死半生の憑依者たちの口からさえも、旋律を欠いた詩編のような咆哮が一斉に放たれる。「――『聖約』なり! 偽神を焼く烈火にして、不可逆なる審判の記録なり!」

エリスリードの瞳が細く、鋭く裂けた。彼女は「視て」しまった。影の中から浮上する声の主たちを。深紫色の戦術衣に身を包み、ルーンが刻まれた白布で顔を覆った者たちが、幽霊のように壁や天井の死角に張り付いている。その精密すぎる動作は、見る者の三半規管(平衡感覚)を逆撫でする。

「ならば」パオロ神父が俺たちの五メートル前で足を止め、透明な灰色の瞳で俺を射抜いた。最後の一句が、静かに紡がれる。「――汝らの職務は、何か?」

「迷える者の帰還を求めず、ただその形骸(ログ)の寂滅を求めるのみ!」

声はパオロの真後ろで爆発した。深淵から躍り出た黒猫のごとき影が、神父の広い肩に捻じれた体勢で取り付き、大太刀が空中に凄惨な弧を描く。

「――我らは慈悲の名を冠し、屠殺の業を執行せん!」

教士たちの声はもはや耳を弄する宗教的な津波と化し、廊下で激しく乱反射して窓ガラスを次々と粉砕していく。

「アーメン(Amen)」

宙に浮いていた金属装飾の聖書が、物理的な確定音(システム・クローズ)を立てて閉じられた。それはまるで、法官が下した定罪(ギルティ)の木槌の音だった。

神父の肩に「ぶら下がっている」人影を、俺は凝視した。

漆黒の修道服ハビット、銀のショートヘア、左目には眼帯。手にした大太刀は優に一・五メートルはあるだろうか――病的なまでの潮紅を浮かべたその顔は、祈りを捧げる聖職者のそれなどではなく、屠殺場(スローターハウス)で残業を終えたばかりの狂人のそれだった。

「うわ……」俺の口から、不謹慎な独り言が漏れる。「また厄介な特異点(変人)が出てきやがった」

不運なことに、静寂に包まれた廊下はその一言を無慈悲に増幅させた。

修女の首が、ギチリと不自然な角度でこちらを向く。

彼女は黒い稲妻と化し、一瞬で俺の眼前に侵入(アクセス)した。胸ぐらを掴み上げる力は、俺の気管をそのままへし折らんばかりの暴力的なものだ。「あ? 今なんて言った……? このゴミクズが、俺様の前で何をブツブツ抜かしてやがる!? よく聞け――私は聖母会のシスター、マリアだ!」

聖母会ノートルダム?」俺の脳は極限の恐怖下でオーバークロックを開始したが、口の方はすでに自動操縦オートモードで皮肉を生成していた。「日曜に教会の前でパンを配って、お年寄りを食事に誘ってる、あの聖母会か?」俺は彼女を上から下まで、無遠慮にスキャンして付け加えた。「……その格好、どちらかと言えば禁欲系(ボンテージ)のSMに見えるんだが」

しまった、入力ミス(言い過ぎた)

マリアの瞳孔が、理性の切断(強制終了)を告げるように見開かれた。大太刀が横一文字に薙がれ、空気を切り裂く衝撃波(ソニックブーム)が走る。

――ギィィィン!

火花が鼻先わずか三センチの距離で爆ぜた。馬三娘マー・サンニャンの長槍が毒蛇のごとく突き出され、その刃を正確に受け流す。金属の衝突音が、脳漿まで痺れさせるほどに響き渡った。

周士達ジョウ・シーダー」馬三娘が歯を食いしばりながら、その重圧を支える。「その安い口を、少しはシャットダウン(黙らせる)できないのか」

「悪い、怖すぎると制御不能バグが出るんだ」

「……シスターにまで手を出すなんて」

「本当に救いようがないわね」

「最低です」

背後からエリスリード、雨瞳ユートン、そして――おそらく林曉葳リン・シャオウェイであろう三連続の軽蔑が飛んできた。振り返って確認する余裕はない。廊下の外からは、鼓膜を逆撫でする粘着質な(ねばつく)爪の音と、沈博文シェン・ボーウェンの「契約」を促す甘い囁きが近づいていた。

俺は隠密(こっそり)と首を伸ばして状況をスキャンし、即座に引っ込めた。それから一転、聖人君子のような大義名分(ツラ)を作り上げ、パオロ神父に向かって全力で喉を鳴らした。

「神父様! 外はもうアクマ憑きのバーゲンセール状態ですよ!!」

駐禁ちゅうきんを報告する善良な市民のような、あまりに誠実なトーンだ。

「あのスーツの男――さっき窓の外に浮いてた奴です――あいつは西方地獄から派遣されたアクマで、もう性格が最悪なんです! ヴァチカンの鎖は全部パチモン(山寨貨)だとか、ローマ教廷の聖水は夜市で売ってる安物だとか、散々ディスってましたよ!」

俺は、存在もしない涙を拭うために、これでもかと目元をゴシゴシと擦ってみせた。

「ううっ……俺の魂を敵対的買収ホスタイル・タケオーバーするって脅されて、怖くて、もう……」

廊下に、一秒間の空白(ヌル・データ)が流れた。

「……アクマの領主だと?」

パオロ神父の声に、僅かな驚愕(エクセプション)のノイズが混じる。「沈博文シェン・ボーウェンが、直々にチェックインしたというのか?」

「ええ、窓の外でフワフワ浮いてますよ」

パオロの表情から、一切の熱量がデリートされた。彼は背後のマリアを振り返り、感情を削ぎ落とした声で命じた。「シスター・マリア、貴女はここに残れ。この者たちを逃がすな。だが――清算(クリーンアップ)が終わるまでは、傷つけることも許さん」

言い終えるや否や、彼は三メートルの聖血鎖(せいけつさ)を引き摺り、ラテン語の聖歌を低く詠唱(バッファリング)しながら、圧倒的なプレッシャーと共に廊下の出口へと突き進んでいった。

神父の背中が消えるのを見届け、廊下には奇妙な静寂がリロードされた。

馬三娘マー・サンニャンが長槍を引き、ジト目で俺を射抜く。

周士達ジョウ・シーダー、あんた本当、ゲス(最低)の極みね」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

俺は襟元の埃を払い、死地を脱した者特有の、最高に燦々(キラキラ)とした笑顔を浮かべてみせた。


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「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

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