S2第八十五章 一刻を争う
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
T-0h+01:22 空母・翔鶴 艦橋
山口多聞は翔鶴の艦橋に立ち、南方から静かに圧し掛かってくる巨影——大和を凝視していた。
彼は何も語らない。
背後では通信官が航速、方位、風向のすべてを機械的に読み上げ、指揮官の決断を待っている。だが、山口はすぐに命を下すことはなかった。ただそこに立ち、眼前の光景を網膜に焼き付けていた。大和の艦首が東京湾の海面を切り裂き、二条の白い爪痕を残していく。46センチ主砲の砲口はこちらを向いたまま、沈黙を守っている。
奴が何を待っているのか、山口には痛いほど分かっていた。
ワイスマンは、こちらが先に動くのを待っているのだ。
山口は二歩下がり、指揮官席に深く腰を下ろした。
「——零戦、第一連隊、発艦始め」
刹那、翔鶴の飛行甲板が震動を開始した。
三十四機の零式艦上戦闘機が前部甲板から順に滑走していく。霊的な共鳴を伴うその光景には、理屈を超えた壮絶な「何か」が宿っていた。山口はこの光景を嫌というほど見てきた。記憶の底にある、二度と会えない面々の顔が脳裏をかすめる。だが、今は感傷に浸るための時間ではない。
「命令だ」山口の低く冷徹な声が響く。「第一連隊は低空を維持せよ。大和の高角砲射程には踏み込むな。外周を旋回し、火力を引き付けろ。第二連隊の彗星は武蔵を狙え。垂直急降下爆撃、目標は甲板だ」
通信官がその命を復唱し、信号が各機へと飛ぶ。
呼応するように瑞鶴からも二十八機の零戦が蒼穹へと舞い上がった。
山口は双眼鏡を手に取り、大和を視界に捉える。
零戦が射程に入った瞬間、大和の高角砲が旋回を始めた。それは機械的な駆動というより、獲物を追う「生物の首」の動きに近かった。緩慢でありながら、逃れようのない確信に満ちた動き。ワイスマンの亡霊工程は、この鉄の塊に下層的な「本能」を植え付けていた。
天空を動くモノを、殲滅せよ——。
零戦が大和の防空網に接触した。高角砲が火を噴く。
放たれたのは物理弾ではない。青白い霊能の衝撃波だ。それが炸裂するたびに、第二次世界大戰末期のあの泥沼のような、絶望的な「死守」の臭気が漂う。山口の知る、あの時代の残滓。だが今、それはワイスマンによって歪な兵器へと変貌していた。
第一連隊の零戦が死の舞踏を開始する。
山口は双眼鏡を下ろし、左翼側の陸奧へと視線を轉じた。
陸奧はすでに砲口を旋回させ、周士達の指示通り大和の左舷三号砲塔を粉砕していた。今頃は岳雲率いる踏白騎兵が、大和の前部甲板で白兵戦を展開しているはずだ。
彼は無線機を手に取った。
「陸奧、砲撃を停止せよ。あとの掃除は、うちの連中にやらせる」
無線から松浦宏の困惑した声が返る。「了解……」
砲声が止む。
山口の意識は再び大和へと向けられた。
大和の前部甲板では、霊的な残像で構成された亡霊兵たちが後退を始めていた。それは敗走ではない。能動的な誘引だ。甲板を明け渡し、岳家軍を艦橋付近の「罠」へと引き込もうとしている。
「張憲に伝えろ。艦橋は罠だ、踏み込むな。岳雲の隊には前部甲板を死守させろ。私の航空隊が着くのを待て」
通信官が呆然とした声を上げる。「伝令と言われましても……彼らには通信設備が——」
「馬三娘を通せ」山口は平然と言い放った。「周さんに中継させるんだ。あいつなら今頃、暇を持て余しているだろうからな」
同時刻 大和・指揮室
大和の指揮室は、もはや本来の設計を留めていなかった。
ワイスマンの手によって施された異質な改造——ホログラムスクリーン、霊能感知設備、そして艦橋の壁面に刻まれた巨大なルーンの陣。それは大和の「意志」を増幅するための増幅器として、不気味に拍動していた。
ワイスマンはそこに立ち、スクリーン越しに回避機動を取る零戦を見つめていた。翔鶴と瑞鶴がすべての艦載機を放つのを見届けながら、彼は日誌に一文を書き加える。
【T-0h+01:31。山口多聞は主砲の継続射撃よりも航空戦力による牽制を優先。歴史的な戦術慣習と一致。予測される次の一手:彗星による武蔵への急降下爆撃、および零戦による大和の防空注意力の撹乱】
彼は顔を上げた。
スクリーンに映る鋼鉄の死神たちを前にしても、その瞳に動揺の色は微塵もなかった。
ワイスマンが懸念しているのは、別の事象だった——東京の陸上、二十三箇所に及ぶ錨点。周士達はすでに出撃し、その一団は靖國神社の方向へと進軍を開始している。
ワイスマンは細長い指を「AN-01」のアイコン上に添えた。三秒の沈黙の後、一つのキーを静かに叩く。
AN-01の防護術式が起動し、その強度は標準の五層から九層へと跳ね上がった。
続いて彼は別のキーを叩く——AN-03、新宿地下。同様の処置が施される。
「外周から掃除させておけばいい」彼は独り言を漏らす。それは自分自身へ、あるいは決して応えることのない助手の骨格へ向けた言葉だった。「S級ノードに到達する頃には、あいつの兵隊も使い物にならなくなっているはずだ」
彼は再びスクリーンに視線を戻し、武藏の傍らに広がる海域を観察した。エリス(Astrid)が敷設した氷の線は未だ健在であり、武藏のスクリューは今なお無様に足掻いている。
「十六分後だ」彼は告げる。「武藏の主砲を港区へ向けさせろ」
第三のキーが押下される。全アンカーの防護強化。レベル+2。
T-0h+01:55 空母・翔鶴 艦橋
艦上爆撃機彗星が投弾角度に突入した瞬間、武藏の高角砲が一斉にその咆哮を上げた。
二十一機の彗星を迎え撃つのは、武藏に備えられた十二門の127mm高角砲。霊能状態で放たれるそれは鋼鉄の破片ではなく、濃縮された「執念」そのものだ。山口は大戦の中で幾度となくその光景を見てきた。それが機体に激突した際、どんな音が響くのか。外板を貫かれたパイロットがどんな表情を浮かべるのかを。
だが、彼は発艦を命じた。そこに後悔という名の余地は存在しない。
「投弾高度へ突入」山口が低く命じる。「第一波、目標は武藏の推進器直上の甲板だ」
彗星の爆弾倉が開放される。
武藏の高角砲が火を噴いた。
初撃を受けた一機が、水面で霊能の光点へと変わり霧散する。二番機は角度を調整しつつさらに圧し掛かり、武藏の甲板へと第一撃を叩き込んだ。その爆弾はただの火薬ではない。翔鶴の弾薬庫に眠っていたものを、山口がこの七十二時間で改造した「霊能集束爆弾」だ。炸裂したのは熱炎ではなく、霊能体の構造そのものを解離させる震盪波。
武藏の甲板装甲が、飴細工のように凹んだ。
装甲の下で、武藏の形体を維持していた信仰の残滓が——希薄化していく。
山口はその着弾点を見据え、言い放つ。「続け。目標は変えるな。火力を分散させるな」
三番機が突っ込み、再び同じ箇所へ爆弾が吸い込まれる。
武藏の巨体が側傾を始めた。
それは物理的な傾きではない。自らの存在が瓦解しつつあることを「意識」した霊能体が引き起こす、致命的な不安定さだ。主砲が突如として天空を仰ぎ、誰もいない方向へ一発の咆哮を上げた後、沈黙した。
山口は双眼鏡を下ろし、指揮官席の背もたれに身を預けた。
「武藏の沈黙まで、あとどれくらいだ」
「現在のペースであれば」傍らの参謀が答える。「二時間以内に、有効な反撃は不可能となります」
山口は頷いた。そして大和の方向を向き直し、無線機を手に取る。
「陸奧、撃て。目標、大和の艦橋。我らが友軍が前部甲板に展開している。前は叩くな、後ろを叩け」
陸奧の主砲が再び、空間を震わせる咆哮を放った。
岳飛の旗——それは本人ではない。だが、二千余里の時空を越えて駆けつけたその旗印が、大和の前部甲板で鮮烈に翻り、後方へと進撃を開始する。
山口はその旗を無言で見つめていた。両手を膝の上に置き、ただ静かに、その光景を視界に留め続けていた。
T-0h+01:45 千代田区・東京駅
電車で行ったわけじゃない。
林雨瞳が展開した傳送門の出口は、東京駅丸の内南口に隣接する路地裏だった。
周囲に人影はない。自衛隊による強制排除はすでに完了していたが、不自然なほどの静寂は逆に疑念を招く。そのため、現在のこの街は奇妙な様相を呈していた——街灯は虚しく灯り、無人のコンビニでは冷蔵庫がうなりを上げ、テレビ画面は藤堂知事が緊急配備させた「台風警報」を延々と流し続けている。
真っ赤な嘘だが、目晦ましには十分だ。
AN-04は、地下九メートルの位置にある。
俺は座標を元にエントリーポイントを特定した。地下室の通風口だ。蓋板はワイスマンの手の者によって巧妙に偽装されていたが、周囲と全く同じ質感に見えるコンクリート板は、物理的な重量が三分の一ほど軽かった。
板をどけ、奈落を一瞥する。
そのまま、迷わず飛び込んだ。
地下九メートルの空間は、打ち捨てられた電気設備室のようだった。四方の壁にはワイスマンの符文がびっしりと蠢いているが、この程度の呪詛は俺の障害にはなり得ない。死神の指輪から鎌を解放する。フルサイズではない、三分の一ほどで十分だ。
俺は錨点の核を見つけ出した。
AN-04の核は、黒い鉱石だった。大きさは鴨の卵ほど。表面に走る無数のひび割れの中を、青い光の脈動が流動している。鎌の刃をその上に添え、構造を読み取る。
信仰の残滓。
一日数百万人もの人間が交差する東京駅という場所は、確かに残滓の濃度が高い。だがそこには意志も防衛本能もなく、ただ誰かに利用されるのを待つだけの「澱み」として蓄積されている。ワイスマンはこれに「受信機」を被せることでアンカーへと変質させたのだ。鉱石そのものが受信機となり、周囲の信仰場を吸い込み、濃縮し、起動の瞬間に一気に爆発させる。
なら、受信を絶てば済む話だ。
鎌を押し下げる。
鉱石が砕け、青い光が霧散した。一瞬、空気の温度が揺らぎ——そして、すべてが消えた。
【タイマー更新:AN-04、クリア。残り22箇所。】
【経過時間:7分32秒。】
T-0h+02:08 新宿・地下深層
AN-03は、勝手が違った。
新宿地下十八メートル。地下街の最下層であり、ワイスマンが東京全域に配置した中で最も深いノードの一つだ。入り組んだ地下街の隅からさらに二層下へ降りる。第二層は廃棄された旧管路、第三層こそが奴の聖域だった。
しかもワイスマンの野郎、俺がAN-04を潰した直後にここの防護レベルを引き上げやがった。
到着した時、入口には新たな封印が施されていた。七重の結界。時間があれば一枚ずつ剥がしていくところだが、生憎と俺にはそんな余裕はない。
俺は指輪を封印の表面に押し当てた。
国王の位階は、「死に関する術式」に対して本質的な干渉権を持つ。それは純粋な力の多寡ではない。もしあんたが「死神」なら、死によって構築された構造体はあんたの前でその完全性を維持できない。正しい鍵が錠前に触れた瞬間、その錠前自体が「自分がなぜ存在しているのか」を忘れて崩壊するようなものだ。
七層の封印。わずか六秒。すべてが霧散した。
俺は階下へと足を進める。
AN-03の核はAN-04よりも遥かに巨大だった。直径は約三十センチ。六本の符文柱に支えられ、中空に浮遊している。その周囲を一周し、構造を確認した後、鎌の先を一本の柱へと向けた。
「その柱を動かせば、構造全体が先に瓦解し、その後に反発が起きる。周囲半径二十メートルの地盤が耐えられなくなりますよ」
背後から声がした。
平穏で、中欧訛りの混じった中国語。
俺はすぐには振り向かなかった。手元の鎌をさらに三分の一ほど引っ込めてから、ゆっくりと首を巡らせる。
十歩ほど離れた場所に、正装した男が立っていた。平凡な顔立ち。整えられた髪。瞳は霧がかったような灰色をしている。両手は自然に下げられ、武器も術式も構えていない。ただ、そこに突っ立っているだけだ。
だが、空気の「温度」がおかしい。
奴の周囲だけ、気温が二度ほど低い。エリスのような能動的な氷結ではない。それは「完全には生きていないモノ」が放つ、受動的な死の予感だった。
「ワイスマン」俺は言った。
「周さん」奴は、微笑んでいるのかどうかも判別できない表情で俺を見つめた。「予定よりも、お早い到着ですね」
新宿地下18m AN-03核心室
俺たちの距離は十歩。
奴が何かしでかす前に、こちらから仕掛けるには十分な距離だ。だが、俺は即座には動かなかった。先にハッキリさせておくべきことがあったからだ。
「俺に外周を掃除させて、S級ノードに着く頃にはヘトヘトにさせておこうって算段か?」
俺の皮肉に対し、ワイスマンはただ静かにその深い霧のような瞳を細めた。
「それもある」奴は坦白に認めた。「だがすべてではない。私はただ、ここで君に会いたかっただけだ」
「……何のために?」
奴は核心の傍らへ半歩寄り、触れもしないまま手をかざした。
「君が現在、この地球上で唯一の『国王位階』たる死神の指輪の所持者だからだ。私は死の構造を研究して三十八年になるが、周さん。それを指に嵌める感覚とは、一体どんなものか知りたくてね」
俺は奴を二秒ほど見据え、短く答えた。
「冷たいよ」
奴は俺を三秒間凝視し、こう断じた。
「嘘ですね」
「ああ」俺は吐き捨てた。「だがそんなことはどうでもいい。あんた、世間話をしに来たわけじゃないだろう」
奴の口角がわずかに動いた。礼儀としての微笑。
「このノードを消去したいのだろう。地盤を破壊せずに済む、正しい手順を教えてあげようと思ってね」
俺の思考が、一瞬停止した。
「……あんた、俺にこれを壊せと言うのか?」
「いいえ」ワイスマンは淡々と続けた。「正しい方法で清掃してほしいと言っているのです。間違った手順を踏めば、新宿地下の一号線、二号線、七号線が交差する地盤に致命的な欠陥が生じる。君の任務には無関係だろうが、東京都知事は台風警報が解除される前に地下鉄の崩落通知を受け取りたくはないはずだ」
俺は奴を凝視した。
奴はただそこに立ち、言う必要のない情報を、まるで工事の進捗説明でもするかのような平然とした口調で語っている。
「……俺を助けてるつもりか?」
「双方にとって『合理的』な道を示しているだけですよ。譲歩していると誤解しないでいただきたい。私の計画に変わりはない。君が二十三箇所のノードを消去することも、私の計算の内だ」
「計算だと?」
「残りは十四箇所だ」奴は俺の言葉を遮った。「君が二十三箇所すべてを潰したところで、私の計画は十四のノードが起動した時点で初期化を完了するように設計されている」
俺は黙って奴の先を促した。
奴はポケットから、USBメモリほどのサイズの小さなデバイスを取り出し、AN-03の核の傍らに置いた。
「これがAN-03の正解だ。君の指輪でそのデバイスに触れればいい。八秒以内に、振動一つ起こさずノードを失活させてみせよう」
奴は一歩、後退した。
「さて、私は別の場所へ行かねばならない」
「待て」俺が呼び止める。奴の足が止まった。
「十四箇所と言ったな。今は残り二十二箇所だ。数が合わねえぞ」
「ええ。ですが本来、私の計画には二十箇所あれば十分。君は一箇所を潰したが、ここには君が清掃したところで私の起動シーケンスには影響しないノードが九つ含まれている。つまり君が真に対抗すべきノードは、その十四箇所というわけだ」
奴は西京のポケットから一通の封筒を取り出し、床に置いた。
「その十四箇所の位置が記されている。これは私からの『贈り物』だ。譲歩ではない。制限時間内に君がそのすべてを清掃できるかどうか——エンジニアリング的な興味だよ。私は、その答えが知りたい」
俺は封筒と、奴の顔を交互に見た。
「……あんた、狂ってるな」
「おそらくね」奴は弁明もせず、ただ静かに言った。「死を研究しすぎたのだよ、周さん。ある一点を越えれば、境界など曖昧になる。——では、健闘を祈る」
霧が消えるような演出も、派手なエフェクトもなかった。奴はただ、俺が気づかなかった通路へと歩を進め、その扉が壁と同化して消えるまで、淡々と去っていった。
俺は床の封筒とデバイスを見下ろす。
デバイスを手に取り、指輪を接触させた。
AN-03の核は、八秒後、何事もなかったかのように静かに光を失った。振動一つ、欠片一つ零さずに。
封筒を開ける。中には十四の地点が整然と書き連ねられ、各地点の深度、防護層数、そして括弧書きで「解決への助言」まで記されていた。
吐き気がするほど几帳面な筆跡だ。
俺はその紙を折り畳み、ポケットにねじ込む。
通信機を取り出し、林雨瞳へ繋いだ。
「ターゲットを十四箇所に絞る。座標を送るからルートを再構築してくれ。この十四箇所以外は霊務局に放り投げていい。俺たちはここに集中する」
『了解』彼女の声が返る。『——士達、ワイスマンは?』
「逃げたよ。だが、とんでもない『宿題』を置いていきやがった」
通信の向こうで、彼女がわずかに沈黙した。
『……面白いじゃない』
T-0h+03:10 千代田区・靖国神社
AN-01。例の十四箇所の中で、最後に残された場所だ。
靖国神社の本殿から五十メートルも離れているというのに、肌を刺すような霊場の重圧を感じる。これはワイスマンが造り出したものではない。元からここに在るものだ。数百万の名の積み重ね。その名の数だけ「死」があり、その「死」の数だけ何かがここに残留している。
AN-01は、その肥沃な死の土壌に深く根を張る植物のように鎮座していた。土地そのものが問題なのだ。
右隣に立つ林雨瞳は、何も言わずに前方を凝視している。
俺は言った。
「——指輪を出す」
林雨瞳が手を掲げると、副指輪の紫光が短く明滅した。
「空間構造は安定。転送への干渉はありません」彼女は低く、確かな声で告げる。
「よし」俺は応える。「あんたは核を探せ。俺は外で霊体の反応を抑え込む」
彼女が静かに奥へと消えていく。
俺は背後を振り返り、広がる闇を見据えながら、鎌を完全に解放した。
靖国神社の霊場が、俺の侵入に呼応して揺らぎ始めた。それは攻撃的な敵意ではない。もっと根源的な——「覚醒」に近い。無数の名、無数の死が遺した残滓が、自分たちの拠って立つ空間構造を弄る者の存在を察知したのだ。何が起きているのかも理解できぬまま、彼らは本能的に集まり始める。火に引き寄せられる蛾のように。だが、その「火」の正体は彼ら自身だった。
俺は動かず、ただそこに立ち、彼らの接近を許した。
「国王位階」の指輪は、霊場に対して天然の「親和性」を持つ。彼らと対話することは叶わない。だが、この指輪の存在を誇示し、『ここにお前たちを理解する者がいる』と刻み込むことはできる。そうすれば、彼らは大抵——足を止める。
足を止め、そして散っていった。
「見つけたわ。深度十四メートル、防護九層。——士達、入ってきて」
奥から雨瞳の声が響く。
俺は足を進めた。
AN-01の核は、これまで目にしたどのノードよりも巨大だった。直径は一メートルに迫り、AN-03よりもさらに広大な空間の中空に浮遊している。放たれるのは、禍々しいまでの深紅の光。その色は、山口が漏らしたある言葉を俺に思い出させた。
——『大戦期に蓄積された信仰は、並のそれとは格が違う。そこにはあまりにも多くの、死に対して決断を下した者たちの意志が宿っている』
その光には、言葉にできない圧倒的な「重量」が宿っていた。
俺は手を伸ばし、指輪をその核へと近づける。
核が、微かに——震えた。
拒絶ではない。それは「認識」の震えだ。
死が、死神を認めたのだ。
「散れ」
俺がそう呟くと、核は二度ほど大きく震動し、外縁から内側へと瓦解を始めた。ゆっくりと、だが確実に。燃え尽きる灯火のように、深紅の光が消えていく。一瞬、空間を支配していた重圧が霧散し、長く止めていた息を吐き出すような解放感が場を満たした。
【AN-01、消去完了。】
雨瞳は隣に立ち、空虚になった空間を見つめてから静かに言った。
「……十四箇所、すべて終わったわね」
俺は時計に目を落とす。
T-0h+04:17。
十四の目標。四時間十七分。
「……これなら文句ねえだろ?」
俺は誰もいない空間へ、あるいはどこかで見ているであろうワイスマンへ向けて毒突いた。
返答はない。
代わりに、通信機が悲鳴を上げた。松浦宏からだ。
『周さん! 海上が……大和の霊能強度が低下しています。山口将軍が抑え込んでいるようです!』
彼は一息つき、さらに声を荒らげた。
『ですがワイスマンが……東京湾南口の観測機が捉えました。奴が何かを起動させました。霊能数値が、計測不能な速度で上昇しています!』
俺は靖国神社の境内を駆け抜け、大鳥居の外へと躍り出た。
南の空——海の向こうを睨む。
その方角で、何かが形を成そうとしていた。
俺は携帯を手に取り、山口へと回線を繋ぐ。
「提督」俺の声が鋭く響く。「ワイスマンが動いた」
山口は一秒の沈黙の後、こう答えた。
「……分かっている。大和はこちらで引き受ける。貴公は岸へ退き、東京湾を見ろ。その正体を見極めねば、次の一手は決まるまい」
「そいつは、一体何なんだ?」
山口の声は、かつてないほど重く響いた。
「リヴァイアサンだ。……今、海から這い上がってきた」
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




