表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
113/364

S2第八十二章 当局(とうきょく)の思惑(おもわく)

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

東京都港區某等級管理設施 B2會議室 06:47

 その部屋は、想像していたよりも広かった。

 壁面は予算をケチった跡の見える無機質なコンクリート色。天井には冷白色の蛍光灯が埋め込まれ、窓は一つもない。中央に置かれた楕円形の長テーブルは古く、重々しい。その天板に刻まれた長年の摩耗による深い傷跡は、磨かれることもなく、剥き出しのまま放置されていた。

 俺たちが足を踏み入れた時、政府側の連中はすでに「配置」を完了させていた。

 八名。全員が長テーブルの壁側に陣取り、その後ろには三名の自衛官が、まるで壁に固定された三本のネジ(ボルト)のように直立している。テーブルの上には水差し、ファイル、そして一台のICレコーダー――「これは公式な記録だ、弁えろ」という空間言語が、そこには充満していた。

 奴らは俺たちが座るのを待ち、俺たちは奴らが口を開くのを待った。

 沈黙が十秒ほど続いた後、上座の端に座る中年の男が喉を鳴らし、口火を切った。

【政府側:自己紹介】

桐島(キリシマ)慎二(シンジ)」男は四平八穏――若い頃から今の今まで、ずっとこのトーンで喋り続けてきたであろう口調で言った。「内閣官房 特殊事態対処室 室長補佐。本日は内閣委任の下、記録および決議の伝達を担当する」

 隣の、濃紺の制服を纏った男が続く。「雨宮(アマミヤ)(シズカ)神楽機関(カグラ) 調査一部 部長だ」彼は一瞬言葉を切り、その視線で弥生(ヤヨイ)を射抜いた。「……旧知の間柄だな」その一瞥は中立で、いかなる判断も含まれていなかった。

 その隣、チャコールグレーのスーツに細フレームの眼鏡をかけた女が、資料を整然と押し出した。「白石(シライシ)亜紀(アキ)霊務局(れいむきょく) 局長代理。今回は霊能評価および事態の等級分けに関する技術諮問を担当する。指揮および決断には関与しない」

 ――この最後の一言は「何かあっても私のせいにするな」という意味だ。台湾の役所でバイトしたことのある俺には、その手の言い回しは嫌というほど分かる。

 次に神代(ジンダイ)清枝(キヨエ)が、弥生を盗み見てから口を開いた。弥生は見ていなかった。「神代清枝、神代家当主代理。本件における神代家の利害陳述、および知情確認を代表する」最後の数文字を、誰かに言い聞かせるようにゆっくりと紡いだ。

 最後は知事だ。彼は肩書きを名乗らず、ただこう言った。「藤堂(トウドウ)誠一郎(セイイチロウ)。東京都知事だ。君たちがどこの何者なのか、ここで確認させてもらう」

 壁際に立つ三名の自衛官が、左から順に短く応じた。

橋爪(ハシヅメ)龍二(リュウジ)。陸上自衛隊 第一師団 副師団長」

松浦(マツウラ)(ヒロシ)。海上自衛隊 護衛艦隊 情報長」

岡田(オカダ)(ジュン)。航空自衛隊 情報部 部長」

 名乗り終えると同時に、彼らは言葉のスイッチを切り、再び無機質なボルトへと戻った。

【我ら側:自己紹介】

 そして、連中の視線が一斉にこちらへと注がれた。

老高(ラオガオ)が最初に口を開いた。

(ガオ)國城(グォチャン)台湾嘉義(カギ)出身。台北市警察局刑事警察大隊、第一捜査隊小隊長だ」一呼吸置き、「……現在は停職中だがな」

 (リン)さんが続く。その語調は平坦で、まるで出張申請書を淡々と読み上げているかのようだった。

(リン)小葳(シャオウェイ)台湾台南(タイナン)出身。同じく台北市刑大第一捜査隊所属。……私も停職中だ」

 小希(シキ)が膝の上の布包みの位置を微調整した。発せられた声は低かったが、一語一語に確かな質量が宿っていた。

「シユ。小希(シキ)と呼んで。台東(タイトウ)出身のパイワン族よ。元は森林保護官(レンジャー)をしていたわ」

 言い終えると、彼女は腰に提げた青い蓋の魔法瓶を軽く叩いた。

「――彼女(・ ・)も、ここにいるわ」

「彼女」とは誰か。即座に問い質す者はいなかった。小希がそう告げた瞬間、魔法瓶の表面に細い、しかし鮮明な靛藍(いんでんらん)色の紋様が浮かび上がったからだ。それは生物の脈動のように二秒ほど静かに発光し、やがて自ら吸い込まれるように消えていった。

 霊務局の白石(シライシ)が、手元のメモ欄に何事かを書き加える。

(イェ)綺安(キアン)台湾苗栗(ビョウリツ)出身。現役のアイドルよ」

 (イェ)綺安(キアン)は、まるで「現役の将校だ」とでも言うような峻烈な口調で言い放った。そのギャップに、対面に座る桐島(キリシマ)が思わず瞬きを繰り返した。

 最後に、エリスが立ち上がった。

「アストリッド・ローゼンバーグ。デンマーク人です。デンマーク王立霊務局(RDOB)――Royal Danish Occult Bureauの特階調査員。今回はあくまで個人として協力しており、デンマーク政府の立場を代表するものではありません」

 白石が「RDOB」の文字を記録する。その瞳の奥に、微かな、しかし隠しきれない驚愕の色が走ったのを俺は見逃さなかった。

その時、部屋の隅にある置物棚から声が響いた。

「諸君、それがしは――」

アピスが棚から飛び立ち、煎餅の袋を抱えたまま、空中で彼なりの「威儀」を正した姿勢をとる。大きく息を吸い込み、朗々と告げた。

「――デンマーク王国皇室奉納、雪の精霊アピ――」

「黙れ」俺が遮る。

 そいつは硬直した。

「スイーツ精霊、大人しく煎餅を食ってろ」

 アピスは空中でふらふらと漂い、極めて心外だと言わんばかりの、それでいて懸命に尊厳を保とうとする複雑な表情で俺を睨んだ。やがてゆっくりと棚へと戻り、煎餅の袋をより一層強く抱きしめてぼやいた。

「……本精霊の紹介機会を剥奪するとは。東洋と西洋の霊格外交に支障をきたすぞ」

 誰も相手にしなかった。桐島(キリシマ)慎二は、そいつがいた虚空を五秒間ほど無言で見つめ、やがて精神レベルでの決断を下したようだった。

「……よろしい。今日のこの状況を、私は受け入れることにする」

 (リン)さんは、馬三娘(マー・サンニャン)の入った赤い蓋の魔法瓶を、おもむろにテーブルへと置いた。

「こちらは馬三娘(マー・サンニャン)酆都城(ほうとじょう)体系、鬼差(きさ)体系における馬頭御使(めずぎょし)です。現在は瓶に封じられておりますが、霊能は正常に稼働しています」

 赤い蓋の魔法瓶が置かれた瞬間、楕円形の長テーブルの空気が凍りついた。それは冷気というよりは、墓所の底に沈殿する「死」そのものの重圧。白石(シライシ)亜紀の眼鏡の奥の瞳が、その異質な霊能反応を捉えて鋭く細められた。


桐島(キリシマ)慎二が口を開いた。彼は林雨瞳(リン・ユートン)を真っ直ぐに見据える。悪意はないが、その問いは解剖刀のように鋭く、そして直截的だった。

(リン)さん。失礼を承知で伺いたい。あなたの経歴は会計士だ。このチームには刑事、森林保護官、そして霊務局の特階調査員までいる。その中で、あなたが実際に提供する『協力機能』とは一体何なのかね?」

 (リン)さんは彼を見つめたまま、何も答えない。

 彼女はただ右手を上げ、指に嵌めた指輪の石をテーブルの方へと向けた。そして、そのまま吸い付くように圧しつけた。

 指輪の隙間から、禍々しい紫色の光が裂け出した。爆発的な拡散ではない。それは極めて制御された――しかし、周囲三メートル以内のあらゆる霊能防護を強制的に剥ぎ取ってしまうことを確信させる、圧倒的な圧制感。長テーブルの木目がその光に焼かれ、内部から浮き上がる。焦げたような、古びた異臭が室内に満ち、それが約四秒間続いた。

 彼女が手を離すと、指輪は静寂を取り戻し、光も異臭も霧散した。

「……これで、十分かしら?」彼女は言った。

 桐島(キリシマ)は答えず、ただ視線をゆっくりと手元のファイルへと戻した。

 次は、俺の番だ。

周士達(ジョウ・シーダー)。台湾台北出身。システムエンジニア上がりで、今は『この商売』をやってる」

 その商売が何なのか、説明するつもりは毛頭なかった。

 (リン)さんが言葉を重ねる。「林雨瞳(リン・ユートン)。台湾台北出身。元・会計士。今は同じく『この商売』を」

「元」という一言を、彼女はひどく淡々と、まるで遠い過去の遺物を確認するかのような響きで付け加えた。

 そして、桐島(キリシマ)が再び口を開く。

「伺いたいのは――」彼は両手をテーブルに置いた。攻撃性はない。だが、その問いの重さだけで十分だった。「台湾から来た君たちの今回の目的だ。事態収拾への協力以外に、何らかの『利益』に関する思惑が含まれているのかね?」

 俺は即座には答えなかった。ただ、隣で老高(ラオガオ)がスマホを叩きつけるように裏返した気配だけを、肌で感じていた。

「利益に関する思惑、か」俺は言った。「面白い言葉を選ぶじゃないか」

「これは標準的な手続き上の質問だ――」

「ああ、そうだな」俺はテーブルの上のコップを脇に退け、桐島(キリシマ)慎二と視線を真っ向から合わせた。「なら、俺からも標準的な質問をさせてもらおうか」

 俺は声を低く、爆発寸前の静寂のような平坦さで言葉を継いだ。

「一番最初、秦広王(しんこうおう)のところへ泣きついて、『日本の六本の釘がもう限界だ、助けてくれ』と(わめ)き散らしたのは、どこのどいつだったかな?」

 テーブルの向こう側で、数人の表情が微かに、しかし確実に動いた。

「用が済んだ途端に利益がどうこう、目的は何だ、だと? 俺たち台湾人はな、自分の家業を背負い、職を停められ、命を懸けてあんたらの国のリベットを打ち込みに来たんだ。それを今さら、使い捨ての割り箸みたいに扱うつもりか?」

 沈黙。

 桐島(キリシマ)は答えなかった。

 東京都知事、藤堂(トウドウ)誠一郎が、その沈黙を切り裂くようにテーブルを軽く叩いた。

「次だ」

 誰を庇うでもなく、誰を助けるでもない。ただ、提示された不都合な問いをそこに置き去りにしたまま、冷酷に先を促した。

 最後は、弥生(ヤヨイ)だった。

 彼女は座ったまま動かなかったが、その唇が開く前から、部屋の空気は目に見えて引き締まった。阿皮斯(アピス)さえも、煎餅の袋を置いたほどだ。

神代(じんだい) 弥生(やよい)

 声に修飾はない。ただの住所を読み上げるような響き。

「元・霊務局管理対象人員」彼女は続ける。「元・神代家在籍者」

 神代(ジンダイ)清枝(キヨエ)の指先が、テーブルの上でピクリと動いた。

 弥生(ヤヨイ)は彼を見ようともせず、ただ告げた。

「――いかなる家族(クラン)にも、属していない」

 その「属していない」という言葉が空気に定着するまで、彼女はまる三秒間を費やした。

「……絶縁は、私自身の決定」

 言い終えると、彼女は顔を上げ、視線を俺の方へと滑らせた。

 ほんの一瞬。だが、その瞳を逸らす直前、彼女は極めて小さく、しかし誰もが聞き取れる明瞭さでこう言った。

「……私は今、士達(シーダー)のものだから」

 その一言が落ちた瞬間、部屋の中の「平穏」という名の薄氷が砕け散った。

 数人の官僚たちが、戸惑いを隠せぬまま視線を弥生から俺へと移した。「何と言えばいいか分からないが、とりあえずこいつの顔を見ておこう」という、滑稽なまでの同調。

 そして神代(ジンダイ)清枝の顔に、ある感情が浮かび上がった。憤怒ではない。もっと冷たく、鈍く、そして明確な殺意――「どうやってこの男を地図上から抹消してやろうか」と、その一点に特化したプレッシャーが、物理的な質量を伴って俺に降り注いだ。

 自衛隊の三人は、無反応だった。橋爪、松浦、岡田。その表情は一ミリの狂いもなく固定され、感情の領域にその言葉が触れることを頑なに拒んでいた。

 知事の藤堂(トウドウ)が、鼻で一度だけ笑った。短く、意味深な一瞥。

(……おい。今、俺の死亡フラグがスカイツリーより高く積み上がった音がしたんだが?)

 (シキ)林雨瞳(リン・ユートン)が、同時に俺を振り返った。

 二人は、笑っていた。

 それは「微笑ましい」といった類のものではない。口角を吊り上げ、瞳を細め、その(かたち)が美しければ美しいほど背筋を凍らせる、そんな類いの笑みだ。――「後でじっくり、一滴残らず清算してあげる」という、確信に満ちた笑み。

 三方向からの殺気が、同時に俺を貫いた。神代(ジンダイ)家は抜き身の「刀」、小希は獲物を引き裂く「爪」、そして(リン)さんは何も言わず、ただ負債を積み上げさせ、最悪のタイミングで全額回収する「帳簿」のそれだ。

 俺は禁煙飴を一つ剥き、口に放り込んだ。沈黙を貫く。

 ……甘かった。

弥生(ヤヨイ)さん」雨宮(アマミヤ)静が口を開いた。声は低いが、その重みは無視できない。「あなたのデータに関する扱いだが――」

「それは、あなたが保持する資格のあるデータではないわ」弥生(ヤヨイ)が遮る。先ほどの微かな柔らかさは霧散し、一人の観測者としての峻烈さが戻っていた。「旧案の優先権が適用されるのは、新案に対処能力がない場合のみ。今、この場に対処している人間がいる以上、その条項は失効しているはずよ」

 雨宮はペンにキャップを嵌め、置いた。それ以上の追及を止めた。

「弥生――神代(ジンダイ)家としては、お前の出席資格に疑義がある」神代(ジンダイ)清枝が口を開く。

「私の資格?」弥生(ヤヨイ)は淡々と返した。「私はこの結界の末端同定者であり、この部屋で最も完全な観測記録を持つ人間よ。それを認識できないというのなら、私を認識する必要すらないわ」

「貴様は、絶縁された身だぞ――」

「絶縁はあなたたちの決定。私の消失ではないわ」

 彼女は手元の資料をめくり、もはや彼を視界に入れることさえしなかった。

 知事の藤堂(トウドウ)誠一郎がテーブルに手を置き、場を制するように全員を見渡した。

「君たちが何者かは確認した。さて、私には真っ先に問わねばならんことがある」

 彼は、俺を射抜いた。

「あの三隻の船は、いつ立ち去る」

「……分かりません」俺は答えた。「ですが提督は六釘の完了を受け取り、灯火を落として待機している。ここでの話が片付けば、去るはずです」

「ワイスマン」知事はその名を噛みしめるように繰り返した。「……それは何者だ?」

「背景から説明します」(イェ)綺安(キアン)が口を挟んだ。

 彼女は許可を待たず、コップを脇にやってスペースを作ると、毅然と告げた。

「ハインリヒ・フォン・ワイスマン(Heinrich von Weissmann)。リヴァイアサン・バイオテック、地脈エネルギー部最高執行責任者。亡霊工学博士です」

 桐島(キリシマ)慎二がペンを動かす。「亡霊工学(ネクロ・エンジニアリング)……そんな領域が……」

「ヨーロッパには存在するの」綺安(キアン)が突き放すように言った。「あなた方の分類システムにはないだけ。彼の専門は地脈操作。その地の龍脈の結節点を見つけ出し、暴き、エネルギーとして抽出する――結果として、その土地の霊能基盤は崩壊するわ」

 霊務局の白石(シライシ)亜紀が、身を乗り出した。「……その男は、今どこにいるの?」

「正確な位置は不明よ」(イェ) 綺安(キアン)が言った。「けれど、奴が日本へ向かっている。それだけは確実だわ」

 そして、(シキ)が口を開いた。

 彼女は滅多に語らない。だが、その唇が動くとき、部屋の空気は静謐な重力に支配される。

「――大武山(だいぶざん)

 二言だけだった。

 一拍置いて、彼女は続けた。「台東(タイトウ)。北大武山。あそこは私の場所、パイワン族の祖霊が眠る山よ。数ヶ月前、ワイスマンの連中が入り込んだ。奴らは主龍脈(しゅりゅうみゃく)の三つの節点に、何らかの細工を施した」

 言葉は決して速くない。だが、一語一語が硬い石のように結実している。

「調べに行ったけれど、節点の中身は奪い取られていた。いくつかは完全に(から)で、残ったものも最後の一層が辛うじて皮一枚で繋がっている状態だった」

 彼女は言葉を切り、視線を卓上から上げ、対面に並ぶ当局者たちを射抜いた。

「台湾には『護国結界』なんてものは存在しない。だから奴は易々と侵入し、思うがままに蹂躙した。私たちには、ただ見守ることしかできなかったわ」

 数秒の沈黙。

「今、奴は日本で同じことをしようとしている。けれど、日本は台湾とは違う」

「何が違うというのかね?」知事が問う。

「あなたたちには、護国結界(システム)があるわ」アストリッドが引き継いだ。「結界は『殻』よ。ワイスマンは外からは入れない。だから、内側から崩すしかない。その方法こそが、結界を固定する節点を一つずつ排除すること。――六本の『釘』は、その節点そのものよ」

 彼女はルーン石をテーブルの上で軽く回した。

「六本の釘がすべて失効すれば、結界は崩壊する。そうなれば、奴は直接入り込み、日本の龍脈に対して大武山で行ったのと同じ『解剖』を開始できるわ」

「だがな」老高(ラオガオ)がスマホを置き、口火を切った。「六本の釘は今、すべて座に収まっている」

「ええ。だから今の奴には、内側から動かす手立てはないわ」綺安(キアン)が言葉を重ねる。「奴に残された選択肢は二つ。迂回路を探すか、あるいは――力ずくで押し通す(ハード・プッシュ)かよ」

「力ずく、だと?」海上自衛隊の松浦(マツウラ) 宏が眉を寄せた。「規模はどの程度だ?」

「分からないわ」綺安(キアン)は平坦な、それゆえに恐ろしい声で言った。「けれど、奴が来るなら、私たちはここで迎え撃つだけよ」

 藤堂(トウドウ) 知事がテーブルに手を置き、その場にいる全員をゆっくりと見渡した。

「……理解した。七割方は把握したよ。残りの三割は強いて問わん。だが、いくつか確認させてもらう」

 彼は指を折った。

「第一に、あの三隻の船――山口多聞(ヤマグチ タモン)は、湾口における『協防』であり、脅威ではないということ」

「……そうです」俺は答えた。

「第二。ワイスマンが来た時、君たちはここに留まること」

「……いるよ」

「第三。神代(じんだい) 弥生(やよい)」彼は弥生を直視した。「お前はもはや神代家の人間ではない。だが、この結界において重要な位置を占めている。私は知事の権限を以て、お前を『東京都特殊事態協力者』に任命する。有効期限は七十二時間、事態が終息するまでだ。この期間、神楽機関も霊務局も、お前を単独で連れ去る資格はない」

 弥生(ヤヨイ)は彼を見つめ、沈黙の後、静かに応えた。「……ありがとうございます」

 それは感謝というよりは、一種の「確証」だった。誰かが自分を見て、記録し、明確に言葉にした。その事実を噛み締めるような、静かな重み。

神代(ジンダイ) 清枝(キヨエ)の顔色が一段と沈んだが、それ以上口を開くことはなかった。雨宮(アマミヤ) (シズカ)はペンにキャップを嵌め、沈黙する。その仕草は、この点においてこれ以上の争いを放棄したことを意味していた。

「もう一つ、確認だ」老高(ラオガオ)が言い、全席が静まり返るのを待ってから、一通の資料を長テーブルの中央へ放り出した。

「ワイスマンが来る前に、あんたたちが動かせるリソースが何かを知っておく必要がある。隠し事なしの、実数だ。人員、フィールド、そして決裁権」

 桐島(キリシマ) 慎二が応じる。「リソースの調度に関しては、現行の特殊事態管理条例に基づき、国家安全保障局の承認を――」

「ああ、分かってる。複雑なフローに、山のようなハンコが必要なんだろ」老高が遮る。「だがあんたはここに座っている。それなりの『権限』を持ってな。上限を知る必要はない。知りたいのは一点だ。俺たちが街中でワイスマンの一部を捕捉した時、あんたらの部下は隔離を手伝うのか、それとも俺たちの邪魔をしに来るのか。どっちだ?」

 橋爪(ハシヅメ) 龍二が半歩前に出た。「私が答えよう。私の部隊は超自然現象には干渉しない。だが隔離と封鎖なら、二十分以内に三個街区を完全にクリアできる」

 松浦(マツウラ) 宏。「湾口の封鎖は維持する。山口艦隊と歩調を合わせ、不必要な激化は避ける」

 岡田(オカダ) 純。「空域管制は実施中だ。君たちが撤退路を必要とするなら、一条の回廊を確保してやる」

 三つの言葉、三人の男。余分な修飾を削ぎ落とした、軍人特有の簡潔さだった。

 知事は持参した魔法瓶に口をつけ、一息ついてから語り始めた。

「この都市には多くの人間がいる。その大半は今日目覚めた後、昨夜のうちに誰かが自分たちの玄関や窓の『建て付け』を点検していたことなど露ほども知らない。彼らは出勤し、コーヒーを飲み、東京湾の不審船のニュースを眺め、政府が適切に対処中だという言葉を鵜呑みにする」

 彼は魔法瓶をテーブルに置いた。

「だが、ここは彼らが住む場所だ。彼らの都市だ。もし君たちがここで一戦交えるというのなら、私は最悪の事態を知っておかねばならん」

 数秒の沈黙の後、(イェ) 綺安(キアン)が口を開いた。

「最悪の事態は、ワイスマンが護国結界の破壊に成功し、龍脈の節点を完全に露出させること。そうなれば、この都市の霊的基盤は底から崩落するわ。地震でも火災でもない。もっと長く、緩慢で、気づきにくい変質――台湾の大武山(だいぶざん)の節点が空になった後、あの山の何かが決定的に変わってしまったように。二度と、元には戻らない」

 知事は数秒間沈黙し、重々しく頷いた。

「ならば、結界を崩させるな」

 会議が散会したのは一時間後のことだった。

 藤堂(トウドウ) 知事が最後に席を立ち、扉の前で一度だけ振り返った。俺を見るのではなく、テーブルの上の二本の魔法瓶を二秒ほど凝視し、何も言わずに去っていった。

 俺が馬三娘(マー・サンニャン)の魔法瓶を手に取ると、掌をチリッと焼くような感触があった。微かだが、確かな反応。

「……ありがとう、と言っているわ」(リン)さんが言った。

「自分で言えばいいだろ」俺が吐き捨てると、魔法瓶が手の中でコツンと虎口に当たった。

「ありがとう」林さんの声音が、どこか別の何かに取って代わられたように響く。「……彼女が言っているのよ。私じゃなくてね」

 俺は魔法瓶を彼女に突き返し、その話題を切り上げた。

 出口では弥生(ヤヨイ)が待っていた。神代(ジンダイ) 清枝と雨宮(アマミヤ)が先に退出するのを待ち、俺たちに「出発よ」とだけ告げて、振り返らずに歩き出す。

 部屋の隅では阿皮斯(アピス)が煎餅の袋をきっちり結び、懐にねじ込んで浮上した。「それがしの紹介機会を剥奪したこと、重畳不敵。遺憾の意を表明するぞ」

「……次だ、次」

「次とはいつだ?」

「知るかよ。今日じゃないことだけは確かだ」

 阿皮斯は二秒ほど黙り込み、「……ならば、受理しよう」とぼやいた。

 廊下で、老高(ラオガオ)が隣に並ぶ。

「知事という男、案外――」

「話しやすいだろ」俺は応じる。「必要な情報を提示すれば、自分でケツを拭く覚悟があるタイプだ」

 数歩、沈黙が続いた後、奴が言った。

「なら、俺たちはこの街をそのままにしておいてやるとするか」

 俺は答えず、上着の内ポケットにある山口(ヤマグチ)の預かり物を上から押さえた。

 それは、依然として冷たいままだった。

 禁煙飴を一つ剥き、口に放り込む。

 甘い。

 事態が好転したわけじゃない。だが少なくとも、俺たちはまだ生きてここにいる。ワイスマンはまだ動いていない。東京の灯も、まだ消えていない。

 十分だ。今は、それで十分だ。


「とても面白い」★四つか五つを押してね!


「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ