第8話 雪色の来訪者
「少し匿ってください!」
《ボルク商店》の扉を押し開け、そのまま店の中へ飛び込んだ。
店番をしていたボルクさんが、帳簿から顔を上げてぎょっとする。
「……なんの騒ぎだ、こりゃ」
「話すと長いんですけど、とりあえず外から見えないところに!」
「お、おう」
返事もそこそこに店の奥へ回り込み、棚の陰へ身を滑り込ませる。ボルクさんが呆気に取られているのを横目に、しばらく耳を澄ませてみた。
表通りから衛兵の声は聞こえてこない。
屋根から屋根へ飛び移り、そのあとも何度か路地を曲がってきた。さすがにここまでは追ってこないだろう。
「……ふう」
棚へ背を預け、ようやく息を吐いた。
今日は昼飯を食べて、少し町を見て、宿へ戻るだけの予定だった。
それがどうして、金髪の青年を殴り飛ばした女性の仲間にされ、衛兵から追われ、最後にはその女性本人から拳と蹴りと剣まで飛んでくることになったんだろう。
カレドに来てから、予定というものがあまり役に立っていない。
「で?」
頭上から声が降ってきた。
顔を上げると、ボルクさんが腕を組み、棚の向こうからこちらを見下ろしていた。
「何やった」
「僕が何かした前提で聞かないでくださいよ」
「店に飛び込んできて『匿ってくれ』なんて言う奴を見て、何もしてないと思えるほど俺は素直じゃねえ」
「本当に何もしてないんですって!」
「じゃあ話せ。暇だから聞いてやる」
「……長いですよ?」
「だから暇だって言ってんだろ」
仕方なく棚の陰から出た。
そこから、《葡萄樽亭》へ入ったところから一通り説明する。
赤い服の女性が、衛兵からアルヴィン様と呼ばれていた金髪の青年を殴り飛ばしたこと。その連れの人たちとの乱闘になり、なぜか僕が盾にされたこと。
その女性――ダリアさんが、ついでみたいに僕まで殴ろうとしてきたこと。
さらに衛兵がやって来ると、アルヴィンという青年が好き放題に話を盛り、気づけば僕まで仲間扱いされていた。
そして一緒に逃げたあと、今度はダリアさん本人から殴る蹴るの攻撃を受け、最後には剣まで抜かれた。
全部話し終える頃には、もう一度昼からやり直したような気分になっていた。
ボルクさんは黙っている。
ただ、さっきから肩が小刻みに震えていた。
「……ボルクさん?」
「ぶっ……ははははは!」
突然、店いっぱいに笑い声が響いた。
ボルクさんは腹を抱え、棚へ片手をついている。
「悪い、悪い! いや、しかし……あの馬鹿息子が女にぶっ飛ばされたのか!」
「僕まで衛兵に追われてるんですけど! ……って、息子?」
笑っていたボルクさんが顔を上げた。
「お前、知らなかったのか?」
「衛兵が『アルヴィン様』って呼んでいたので、偉い人なんだろうとは思ってましたけど」
「アルヴィン・バルネス。領主ヴァルターの息子だよ」
「……それ、もっと早く知りたかったです」
「知ってたら殴られずに済んだのか?」
「殴ったの僕じゃないですよ!」
「そこも面白い」
「だから面白くないですって!」
こっちは商人なのだ。
町の衛兵に顔を覚えられて喜ぶ商人なんて、たぶん盗品でも扱っている人くらいだと思う。
「いやあ、すまんすまん」
ボルクさんはまだ笑いを堪えながら、目尻を指で拭った。
「だが、胸がすっとしたのも本当だ。あの馬鹿、一度くらい痛い目に遭えばいいと思ってたんだよ」
「そんなにですか?」
「そんなにも何もあるか。親父も親父なら息子も息子だ」
笑っていた顔が、みるみる渋くなる。
あ。
これは長くなる顔だ。
「領主が何年この町から搾ってると思ってる。入町税だ、商売の許可料だ、街道維持費だ、荷車の通行料だと、名目を変えちゃ次から次へ金を取りやがる。少しでも文句を言えば、今度は書類に不備があるだの、許可が足りないだの言い出す始末だ」
「それは……大変ですね」
「大変なんてもんじゃねえ。昔はもっと行商人が来てたんだぞ。それが今じゃ、カレドって聞いただけで道を変える奴までいる」
ボルクさんは鼻を鳴らし、店の外――領主館があるらしい方角へ顎をしゃくった。
「そのくせ、町から集めた金がどこへ消えてるのかは誰も知らん。領主の館だけは年々立派になってるがな!」
「なるほど……」
一度始まったボルクさんは止まらなかった。
税金の話から役人への不満へ移り、牢へ入れられた知り合いの話へ飛び、そこからなぜかアルヴィンの飲み代を店側が負担しなければならないのかという話になった。
「去年なんか西通りの酒屋で、あの馬鹿が取り巻き連れて朝まで飲みやがってな。樽を三つも空けたんだぞ!」
「三樽も?」
「ああ!」
「それで払わなかったんですか?」
「『領主家の視察だ』で終わりだ!」
「お酒を三樽空ける視察って、何を調べてるんでしょう」
「俺が知るか!」
そこまで怒鳴ったところで、ボルクさんはさらに何か思い出したらしく、指を一本立てた。
「それだけじゃねえぞ。親父のヴァルターもな――」
「エルン!」
店の扉が勢いよく開いた。
「ひっ!」
肩が跳ねた。
またダリアさん!?
反射的に棚の陰へ逃げかけて――声が違うことに気づく。
知っている。
とてもよく知っている声だ。
入口を振り返った。
見間違えるはずもない。
腰まで流れる白銀の髪。淡い青紫の瞳。小柄な身体を包んでいるのは、白を基調にした足元まである長いワンピース。
整った顔立ちは昔から変わらず人形みたいなのに、少し吊り気味の目元だけは、飾っておくには少々気が強すぎる。
カレドの赤茶けた町並みの中に立っていると、故郷の雪景色がそのまま店先へ迷い込んできたみたいだった。
「……オルレア?」
「もう!」
名前を呼んだ途端、オルレアが白銀の髪を揺らしながら、ずかずかとこちらへ歩いてくる。
小さな身体なのに、近づいてくる勢いだけは妙にある。
「あなた、こんなところで何をしているんですか!」
「え?」
「手紙には『次はカレドへ向かいます』としか書いてないし、来てみれば領主の息子と騒ぎを起こして、衛兵に追われて、知らない女の人と手を繋いで町中を逃げ回ったって!」
「情報が早い!」
僕だって、さっき起きたことを今ようやく説明し終えたところなのに。
「しかも、そのあと屋根の上まで逃げたそうですね!」
「そこまで!?」
カレドの噂話は足が速すぎる。
僕より速いんじゃないだろうか。
「まったくもう! わたしがどれだけ――」
オルレアが勢いよく振り上げた手を、途中でぴたりと止めた。
「どれだけ?」
「……どれだけ呆れたと思っているんですか!」
ぷいっと顔を逸らした。
言い直した。
「心配してくれた?」
「してません!」
今度は勢いよくこちらを向く。
早い。
聞き終わるより先に否定された気がする。
「まだ最後まで言ってないよ」
「言う顔をしていました!」
「顔で分かるんだ……」
「分かります! 何年一緒にいると思っているんですか!」
そう言いながらも、淡い青紫の瞳は僕の顔から腕、服へと忙しなく動いていた。
「怪我は?」
「ないよ。どこも」
両腕を広げてみせても、まだ疑わしそうだった。
オルレアは僕の袖を掴んでぐいっと引き寄せると、自分の目でも顔や腕を確かめ、ようやく小さく息を吐いた。
「……なら、いいです」
「やっぱり心配してくれた?」
「してません!」
ぱっと袖を離された。
戻るのも早い。
「おい」
横からボルクさんの声がした。
振り返ると、僕とオルレアを交互に見ながら妙な顔をしている。
「その子って、お前が言ってた婚約者か?」
「はい。オルレアです」
「婚約者です」
ほぼ同時に答えた。
オルレアはすぐに背筋を伸ばすと、さっきまでの勢いが嘘みたいに丁寧に頭を下げる。
「オルレアと申します。エルンがお世話になっています」
「あ、ああ。ボルクだ」
ボルクさんも軽く頭を下げたあと、改めてオルレアを上から下まで眺めた。
「……北にいたんじゃなかったのか?」
「いましたよ」
「いました」
僕とオルレアの声が重なる。
ボルクさんは眉を寄せ、今度は僕らを交互に見比べた。
「……北って、そんなすぐ来られる距離だったか?」
「どうしました?」
「いや。なんでもねえ」
首を傾げる僕をよそに、ボルクさんは口元へ手を当てたまま、それ以上追及しなかった。
「しかし、よくこの店が分かったな」
「エルンがいましたので」
「……そうか」
ボルクさんの眉間の皺が、もう一本増えた気がする。
何か言いたそうだったけれど、それも飲み込んだらしい。
「で、お嬢ちゃんはどうしてわざわざカレドまで?」
「婚約者の財産形成が順調か、確認しに来ました」
オルレアが胸を張った。
「確認?」
「はい。エルンは昔から、放っておくと人の言うことをすぐ信じますから」
「そんなことないよ」
「あります!」
「ないって」
「あります!」
一歩ずつ詰め寄られ、最後には胸元へ指まで突きつけられた。
押し切られた。
「それに、手紙も簡単すぎます!」
今度は腰へ手を当てる。
「『元気です』『商売は順調です』『次はカレドへ行きます』。それだけで何が分かるんですか!」
「元気で、商売が順調で、次にカレドへ行くこと?」
「そういうことを言ってるんじゃありません!」
頬がぷくっと膨らんだ。
怒られた。
難しい。
「そもそも、もう少しちゃんと書けないんですか。食事はどうしているとか、泊まっているところはどうだとか、困ったことはないとか!」
「書いたら長くなるよ」
「長くていいんです! ちゃんと読みますから!」
「読むの大変じゃない?」
「だから読みます!」
ずいっと顔を近づけられたので、思わず一歩下がる。
「そっか」
「……なんですか、その顔は」
「いや。そんなに僕の手紙読みたいんだなって」
「ち、違います!」
オルレアの頬が今度は別の意味で赤くなった。誤魔化すように白銀の髪を耳へかけ、視線を店の棚へ逃がす。
「婚約者として確認する義務があるだけです!」
「義務なんだ」
「義務です!」
久しぶりに会ったけれど、この辺はまったく変わっていない。
少し安心した。
「それよりエルン。その赤い服の女性です」
「ああ、ダリアさん?」
オルレアの顔がぴたりと止まった。
「名前まで覚えているんですか! しかも『さん』付け!」
「名乗られたからだよ」
「……ふーん」
明らかに納得していない顔だった。
「で、どんな人なんです?」
「背が高くて、赤い服で……すごく綺麗な人かな」
「綺麗!?」
淡い青紫の目が、ぱっと大きくなる。
「そこだけ拾わないでよ」
「拾います! その綺麗な人と手まで繋いで逃げたんでしょう?」
「勝手に掴まれたんだって!」
オルレアの視線が、すっと僕の右手へ落ちた。
「……ふーん」
「なんで手を見るの」
「見てません」
どう見ても見ていた。
「しかも、そのあと殴りかかってきて、最後には剣まで抜かれたんだよ」
「剣?」
途端にオルレアの顔から不機嫌さが消えた。
さっき確認したばかりなのに、もう一度僕の顔から足元まで眺め、怪我がないことを確かめる。
それから、ようやく眉間の皺が少し緩んだ。
「……無事ならいいです」
「心配してくれた?」
「してません!」
そこだけは即答だった。
「もうその人には会いませんね?」
「僕だって会いたくないよ」
「ならいいです」
オルレアは小さく頷き、ようやく肩から力を抜いた。
それにしても、こうして顔を見るのは久しぶりだ。
手紙ではやり取りしていたけれど、やっぱり実際に会うのとは違う。
「来てくれて嬉しいよ」
「なっ……急に何を言うんですか!」
オルレアは頬を赤くし、また白銀の髪を耳へかけた。
今日はよくそこへ髪を逃がしている。
「別にあなたに会いに来たわけではありませんからね。ちゃんと稼いでいるか確認に来ただけです!」
「分かってるよ」
「本当ですか?」
「本当」
「では、知らない女の人と町中を走り回っている暇があったら、一枚でも多く銀貨を稼いでください!」
「あれは好きで走ったんじゃないってば!」
「結果は同じです!」
「同じじゃないよ!」
「同じです!」
「……なあ」
少し離れたところから、ボルクさんの呆れた声が飛んできた。
見ると、帳簿へ肘をつき、いつからそうしていたのか頬杖までついている。
「いちゃつくんなら、店の中じゃなくて宿でやってくれ」
「いちゃついてません!」
真っ赤になったオルレアの声が、店いっぱいに響いた。
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