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トライノット ―旅路の結び目―  作者: ヤソタケル


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7/22

第7話 少し遊びましょう

「ちょ、ちょっと! 離してください!」


「もう少しですわよ」


「何がですか!」


 エルンの手を引いたまま、カレドの裏路地を駆け抜ける。


 右へ曲がり、積み上げられた木箱の脇をすり抜け、今度は左へ。背後から聞こえていた衛兵たちの怒鳴り声も、角を曲がるたびに小さくなっていく。


 うふふ。あ~、楽しい。


 追われること自体は珍しくもないけれど、今日は隣に妙な方までいる。しかも本人はとんだ災難だとでも言いたげな顔で、こちらに手を引かれるまま必死についてきているのだから余計に面白い。


「こっちですわ」


「だから、なんで僕まで!」


「走りながら喋ると舌を噛みますわよ」


「誰のせいだと思ってるんですか!」


 振り返れば、エルンは眉を吊り上げながらも足だけはしっかりついてきている。まだ文句を言う元気もあるらしい。


 それなら問題ありませんわね。


 もう一つ角を曲がり、人二人が並ぶのも難しい細い路地へ滑り込む。そのまましばらく走ってから足を止め、壁際へ寄って耳を澄ませた。


 追ってくる足音はない。


 どうやら鬼ごっこはここまでらしい。


「ふう」


 振り返った途端、繋いでいた手を勢いよく振りほどかれた。


「もう! いい加減にしてください!」


 エルンは握られていた手をさすりながら、じとっとこちらを睨んでくる。頬まで少し赤いのは走ったせいでしょうけれど、ずいぶんご立腹らしい。


「まったくもう、なんなんですか、あなた!」


「助けて差し上げたのに、その言い草はひどくありませんこと?」


「どこがですか! 僕は最初から一人で逃げようとしてたんです!」


「でも、一人では寂しいでしょう?」


「寂しくないです!」


 食い気味に即答され、思わず目を瞬いた。


 まあ。


 可愛げのない。


「そもそも、僕はあの人たちと何の関係もなかったんですよ。それなのにダリアさんが僕の名前を何度も呼ぶから、完全に仲間だと思われたじゃないですか!」


「ええ。うまくいきましたわね」


「うまくいってないです!」


 エルンが両手で頭を抱え、そのまま深く項垂れる。


 そんなに嫌がらなくてもよろしいのに。


 わたくしと一緒に衛兵から逃げたなんて、あとで酒の席で自慢できる程度には貴重な経験ですわよ。


「だいたい、あの店でも急に殴ってくるし……」


「あら」


 そうでした。


 逃げるのが楽しくて、すっかり忘れかけていた。


 改めて目の前の青年を眺める。


 くすんだ緑色の髪に、長旅には慣れていそうな丈夫な服。腰には剣もなければ、槍を背負っているわけでもない。肩から下げた小さな鞄に至っては、武器どころか昼食が入るかどうかすら怪しい。


 どう見ても商人。


 それなのに、《葡萄樽亭》ではわたくしの拳を二度かわした。


 一度なら偶然。


 二度なら、少し気になる。


 ならばもう一度確かめてみたくなるのは、仕方ありませんわよね。


 わたくしは口元を緩めた。


「では、闘いましょうか」


「へ?」


 エルンが間の抜けた声を出したところへ、笑顔のまま一歩踏み込む。


「ちょっ――」


 右の拳を顔へ伸ばすと、エルンは驚いたように目を見開きながらも、首を傾けるだけで避けた。そのまま左を腹へ送れば、今度は慌てて身体を引き、拳が服の前を掠めていく。


「ちょ、ちょっと!」


 やっぱり。


 足を止めず、踏み込んで蹴りを放つ。


「ちょっ!?」


 エルンが身を沈め、その頭上を靴先が通り過ぎた。ならばと、しゃがんだところへ拳を落とせば、今度は横へ転がるように逃げられる。


「待ってくださいって!」


 当たらない。


 ぎりぎりなのに、面白いほど当たらない。


「うふふ」


「なんで笑ってるんですか!」


「だって面白いじゃありませんの」


「僕は全然面白くないです!」


 エルンが慌てて距離を取る。その顔には早くも「この人から離れたい」と書いてあるけれど、そうされると追いたくなるのだから仕方がない。


 一歩、二歩と距離を詰める。


 拳を伸ばせば避ける。蹴れば下がる。逆から打てば、今度は上体を反らしてかわす。


 しかも全部、紙一重。


 拳が鼻先を通ろうが、蹴りが頬の横を抜けようが、当たる寸前で身体だけがするりと逃げていく。


 なるほど。


 これは楽しい。


「やっぱり、あれは偶然ではありませんでしたのね」


「殴られそうになったら避けますよ!」


 エルンが抗議しながら、また拳をかわす。その必死な顔とは反対に、こちらの笑みは深くなっていった。


「ふふ。ほとんどの方は、避けられませんのよ?」


「そんなこと知りませんよ!」


 そう言いながら、また避ける。


 しかも反撃してこない。


 これだけこちらが好き勝手に打ち込んでいるのだから、一発くらい返してくるかと思ったのに、エルンはひたすら逃げるだけだった。


 右から詰めれば左へ逃げ、蹴りを見せれば後ろへ下がり、逃げ道を塞ぐように踏み込めば、今度は身体をひねって脇を抜ける。


 そのうち、さすがのエルンもすっかり参った顔になってきた。


 息が切れているというより、次はどこから飛んでくるんだと気を張り続けているせいらしい。両手を前へ出し、こちらから目を離さないままじりじりと後退している。


「……つまらないですわね」


「はぁ……そ、それなら終わりにしましょう。ね?」


 エルンがようやく助かったとでも言いたげに大きく息を吐く。


「反撃しませんの?」


「しませんよ!」


「どうして?」


「僕は喧嘩しに来たんじゃありません!」


 両手までぶんぶん振って、本気で嫌そうだ。


 困りましたわね。


 避けるだけでは、こちらばかりが遊んでいるようで張り合いがない。


 ――まあ、実際こちらばかりが遊んでいるのですけれど。


「本気でやらないのでしたら――」


 腰へ手を伸ばす。


 エルンの視線が、その動きを追った。


「え?」


「こちらにしますわ」


 剣を抜いた。


 澄んだ金属音が細い路地に響いた瞬間、エルンの顔が固まる。


「ちょっと待ってください!」


 待たない。


 もちろん、斬るつもりなどない。避けなければ寸前で止めればいいだけのこと。


 ただ、拳ではなく刃が迫ったとき、この方がどう動くのか見てみたい。


 わたくしは握りを軽く整えた。


「さて」


「さて、じゃないですよ!」


 一歩踏み込み、刃を横薙ぎに振るう。


 今までとは違う。


 今の程度なら、拳が当たっても痛いだけで済む。けれど刃物となれば、そうはいかない。


 だからこそ、どんな顔で、どう逃げるのか。


 さあ。


 どうしますの?


 刃が届く、その直前。


 エルンが地面を蹴った。


「――え?」


 消えた。


 少なくとも、そう見えた。


 剣を振り抜いたまま一瞬止まり、慌てて周囲へ視線を走らせる。


 いない。


 左右にも、後ろにも。


 気配を探して顔を上げた。


 二階建ての建物。


 その屋根の上に、エルンが立っていた。


 思わず瞬きをする。


 ……今まで、わたくしの目の前にいましたわよね?


「いい加減にしてください!」


 屋根の上から怒鳴られた。


 エルンは肩で息をするでもなく、こちらを指差して眉を吊り上げている。どうやら今度こそ本気で怒っているらしい。


「僕は暴力は嫌いなんです!」


「あら、そうなんですの?」


「ずっと言ってるでしょう!」


 言い終わるなり、エルンが屋根を蹴った。


 隣の建物へ。


 さらに、その隣へ。


 跳ぶたびに姿が大きく離れていく。


 人が走っているというより、軽い荷物でも誰かが屋根から屋根へ放り投げているみたいだ。


「ちょっと、エルン!」


「もう追ってこないでください!」


「待ちなさいな!」


「嫌です!」


 今度も即答だった。


 そのまま屋根の向こうへ姿が消え、あとには静まり返った路地だけが残された。


 しばらくその屋根を見上げていたけれど、戻ってくる気配はない。


「も~……」


 剣を鞘へ納め、頬を膨らませる。


 せっかく面白くなってきたところでしたのに。

お読みいただきありがとうございます。

全22話執筆済みです。毎日1話ずつ更新予定です。

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