第20話 ドラゴンじゃありません
「ようやく本番ですの?」
ダリアさんは剣を下げたまま、楽しそうに口元を吊り上げていた。
その視線の先で、セドリックさんの身体はまだ変わり続けている。
黒い文様が首筋から全身へ這い、皮膚の下から別の身体が押し出されるように肩や背中が膨れ上がった。伸びた腕が床につき、指先から生えた太い爪が石を引っかく。腰から伸びた尾が床を這う頃には、人だった頃の面影は顔にも身体にもほとんど残っていなかった。
最後に四本の脚が床を踏みしめると、どん、と腹へ響くような音が広間に落ちた。
天井へ届くほどではない。それでも、ついさっきまで人が立っていた場所を暗い灰色の鱗に覆われた巨体が占めている光景は、十分すぎるほど異様だった。
「ば、化け物だぁぁぁっ!」
領主さんの悲鳴を合図に、広間の端に残っていた衛兵さんたちが一斉にざわめいた。剣を構えるどころか後ずさりする者、取り落とす者、そのまま出口へ走り出す者までいる。
動ける衛兵たちは、倒れていた仲間や黒装束を引きずりながら、我先に広間の外へ退いていく。
「下がれ! もっと下がれ!」
「外だ! 外へ出ろ!」
「待て! わしも連れていけ!」
衛兵さんたちに紛れて逃げようとした領主さんの襟首を、ガストンさんが慌てて掴んだ。
「お前は駄目だ!」
「なぜだ!?」
「証人だからだよ!」
「こんな時まで!?」
「こんな時だからだ!」
怒鳴り返すガストンさんも、さすがに顔が引きつっている。それでももう片方の手はしっかり懐を押さえ、あの帳簿が無事か確かめていた。
「おいおい……化け物が出て、領主館まで壊れ始めてんぞ。これ、報告書にどこから書きゃいいんだ……」
「今それ考えるんですか?」
「今から考えとかねえと、あとで俺が困るんだよ!」
顔は青いのに、頭の半分はもう報告書らしい。
やっぱりガストンさんだった。
そんな僕たちをよそに、セドリックさんがゆっくりと頭を持ち上げた。長く伸びた顎の隙間から白い息が漏れ、低くなった声が広間を震わせる。
「驚きましたか」
口調だけは、人の姿だった頃と変わらない。
「我々が長い年月をかけて集めてきたものは、金や情報だけではありません。人ならざる者の血、術、そして力。それらをこの身へ取り込む方法もまた、組織が得たものの一つです」
太い前脚が一歩出る。爪が石床へ食い込み、小さな欠片がぱらぱらと転がった。
「この姿こそ、その成果ですよ」
「まあ」
ダリアさんが嬉しそうに目を細め、大きくなったセドリックさんを下から上まで眺めた。
「ずいぶん可愛らしくなりましたこと」
「ダリアさん」
「何ですの?」
「たぶん今、褒めるところじゃないです」
「あら。褒めてはいませんわよ?」
笑顔のまま言った。
セドリックさんの喉から、ぐるる、と低い音が漏れる。
怒ったらしい。
次の瞬間、その顎の奥が赤く光った。
「ダリアさん!」
「見えていますわ」
むしろ待っていたように、ダリアさんの笑みが深くなる。
火球が飛び出した。
床へ着弾した瞬間、炎と石片がまとめて弾ける。ダリアさんはその直前にはもう横へ跳んでいて、続けざまに飛んできた二発目、三発目も、身体を沈めたり柱を回り込んだりしながら軽々とかわしていった。
赤い上着の裾が翻るたび、そのすぐ後ろで炎が弾ける。柱の表面が焦げ、倒れていた長机が粉々に吹き飛んでも、本人はますます楽しそうだった。
「まあ! 今度はずいぶん派手ですこと!」
「こっちまで来てますよ!」
流れてきた熱に思わず身を引き、僕はガストンさんたちの前へ出た。
「領主さん、もう少し下がってください!」
「どこへだ!」
言われてみれば、その通りだった。
広かったはずの大広間が、巨大な獣が火を吐き始めた途端にひどく狭く感じる。
四発目の火球をダリアさんが身を翻してかわした瞬間、セドリックさんが床を蹴った。
巨体からは想像できない速さだった。
「来ますわね」
ダリアさんは逃げるどころか、嬉しそうに腰を落とした。
セドリックさんは一気に間合いを潰し、そのまま右の前脚を大きく横へ振るう。黒い爪が空気ごと薙ぎ払い、ダリアさんは剣を立てて真正面から受けた。
甲高い音が響く。
刃は止めた。
けれど、勢いまでは止まらない。
「まあ……!」
ダリアさんの身体が真横へ弾き飛ばされ、床へ足をついても勢いを殺し切れず、そのまま壁際まで滑っていった。
「ダリアさん!」
セドリックさんは追撃の手を緩めない。
四本の脚で床を蹴り、今度は身体ごと押し潰すように突っ込んでいく。
「おい、ダリア!」
ガストンさんまで声を上げた。
轟音が響き、石壁が砕けた。木片と白い埃が一気に舞い上がり、領主さんが悲鳴より先に頭を抱える。
「わ、わしの館が……!」
「そこ心配してる場合か!」
崩れた壁の向こうは真っ白で何も見えない。
けれど、僕には何となく分かった。
「上です!」
セドリックさんの頭が跳ね上がる。
ダリアさんは崩れかけた柱を蹴り、高く宙へ舞っていた。
「あらあら。危ないですわね」
落ちてきた石片を剣で払いながら、まだ笑っている。
「髪に埃がつくでしょう?」
「そこなんですか!?」
「大事でしょう?」
空中のダリアさんへ、今度は長い尻尾が唸りを上げて迫った。
さすがに空では逃げ場がない。
ダリアさんは両手で剣を構え、真正面から受け止めた。
鈍い衝撃音とともに、身体がまた大きく飛ばされる。
けれど今度は、その勢いさえ利用した。
空中で身体を捻って一度、二度と回り、床へ両足をつく。まだ後ろへ滑っていたけれど、剣先を軽く床へ触れさせると、そのまま綺麗に止まった。
「ふう」
乱れた髪を片手で耳へ掛け、剣の刃を眺める。
「尻尾まで硬いのね。これは少々、斬り甲斐がありますわ」
笑みは消えていない。
むしろ、さっきより楽しそうだった。
「分かりましたか」
セドリックさんが胸を張るように上体を起こした。
「人間がどれほど技を磨こうと、肉体そのものが違えば限界がある。剣技も読み合いも、この姿の前では些末なものに過ぎません」
前脚で床を踏み鳴らし、勝ち誇るように顎を持ち上げる。
「これが竜の力です。人が畏れ、敬い、決して届くことのできぬもの――これこそが、ドラゴンの力だ」
「……違います」
気づいたら、口から出ていた。
広間が少し静かになる。
セドリックさんの大きな頭が、ゆっくりこちらを向いた。
「何?」
「あなた、それドラゴンじゃないですよ」
「……エルン?」
ガストンさんまで僕を見る。
ダリアさんは一瞬きょとんとしてから、何か面白そうなものを見つけたみたいに口元を緩めた。
「何を根拠に言っている」
「根拠というか……見れば分かります」
「見れば?」
本人がドラゴンだと言うなら、話は別だ。
改めて見る。
「まず、小さいです」
一瞬、誰も何も言わなかった。
「……何?」
「ドラゴンはもっと大きいですよ。ずっと」
セドリックさんの尻尾が、ばしん、と床を叩く。
「大きさだけで竜を語るつもりか」
「いえ。それだけじゃありません。翼もありませんし」
「翼を持たぬ竜もいる!」
「いますけど、あなたとは身体の作りが違います。前脚も短いですし、首も太すぎます。尻尾の付け根も違いますね」
「貴様……」
「エルン」
ガストンさんが何とも言えない顔で呼んできた。
「何ですか?」
「お前、今それ全部言う必要あるか?」
「だって違うじゃないですか」
「違うのはもう分かった!」
分かってくれたならいいと思う。
でも、セドリックさんは分かってくれていない。
「私は炎を吐く。この鱗、この爪、この力を見てもまだ分からぬか!」
「火を吐けるだけですよね?」
「……何だと?」
「天候は変えられます?」
セドリックさんが黙った。
「風は? 雲を呼んだり、雷を落としたりできます?」
「黙れ」
「空も飛べませんよね」
「黙れと言っている!」
「あと鱗も――」
「エルンさん」
ダリアさんが口元へ手を添え、肩を小さく震わせていた。
「なんですか?」
「あなた、意外と容赦ありませんのね」
「僕、普通に説明してるだけなんですけど……」
「そこが面白いのですわ」
ますます楽しそうに笑われた。
セドリックさんからは、さっきまでの余裕が完全に消えている。
「貴様ごときに……竜の何が分かる」
「少なくとも、あなたよりは知ってます」
思ったまま答えると、セドリックさんの爪が床を抉った。
「私はこの力を得るために、どれほどの時間と代償を払ったと思っている! 人には到底扱えぬ力を、この身へ――」
「でも、ドラゴンじゃありません」
「黙れぇぇぇっ!」
もう話をする気はないらしい。
セドリックさんが僕へ向かって突進してきた。
「エルン!」
ダリアさんの声から、初めて笑いが消えた。
「馬鹿、逃げろ!」
ガストンさんも領主さんを引っ張りながら叫んでいる。
僕は動かなかった。
巨大な前脚が頭上へ持ち上がり、さっきダリアさんを吹き飛ばした爪が、そのまま僕へ振り下ろされる。
轟音とともに床が割れ、石片と白い埃が周囲へ弾け飛んだ。
「エルン!」
ガストンさんの声が聞こえる。
僕は片手を上げていた。
その手のひらの上に、セドリックさんの前脚が乗っている。
「……な」
重い。
でも、それだけだった。
押し潰そうとさらに力を込めているらしく、腕へ掛かる重みは増していく。けれど僕の腕より先に床の方が悲鳴を上げ、足元から蜘蛛の巣みたいな亀裂がじわじわと広がっていった。
「う、嘘だろ……」
ガストンさんが、領主さんの襟首を掴んだまま固まっている。
ダリアさんも珍しく目を見開いていた。
そんな顔をするんだ。
でも今は、それより少し腹が立っていた。
ドラゴンが人間から怖がられているのは知っている。大きいし、強いし、昔は人間の町を襲った者だっていたらしい。
だから僕たちは、人の町では人の姿をして暮らしている。
商売をして、お金を稼いで、普通に話をする。オルレアだって、故郷のみんなだって、今はそうしている。
それなのに、人を襲い、怖がらせておいて、その姿をドラゴンだと名乗られるのは違う。
どうにも、それだけは我慢できなかった。
「……やめてください」
「何?」
「ドラゴンの評判を落とすのは、やめてください」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
受け止めていた前脚を横へ払うと、セドリックさんの巨体が大きく傾く。その懐へ一歩踏み込み、今までなるべく使わないようにしてきた拳を、初めて自分から握った。
人を殴るのは嫌いだ。
軽く叩いたつもりでも大変なことになるから、できるだけ避けてきた。
でも今回は、人ではない。
それに――少しくらいなら、いいだろう。
腹へ拳を叩き込む。
一瞬遅れて、広間の空気が震えた。
「――ぐぉっ!?」
四本の脚が揃って床から浮いた。
セドリックさんの巨体が真後ろへ吹き飛び、太い柱へ背中から激突する。柱をへし折っても勢いは止まらず、その向こうの壁まで巻き込みながら瓦礫の中へ消えていった。
広間が、しんと静まり返る。
僕はしばらく自分の拳を見つめ、指を開いたり閉じたりしてから小さく息を吐いた。
「……ちょっと強かったかな」
「エルン」
ガストンさんの声が妙に低い。
振り返ると、領主さんの襟首を掴んだまま目を見開いていた。
「はい?」
「お前、今……何した?」
「殴りました」
「見りゃ分かる!」
額を押さえた手が、そのまま無意識に頭まで上がり、カツラの位置まで確かめている。
「腹が立ったら、あの化け物が柱ごと飛んでくのか!?」
「普段はやりませんよ!」
「そこを聞いてんじゃねえ!」
ダリアさんもまだ少し目を丸くしていたけれど、それはほんの一瞬だった。
やがて驚きが消え、代わりに口元がゆっくり持ち上がっていく。こちらを見る目まで妙に輝き始めた。
「まあ……」
「なんですか?」
「やっぱり、あなた面白いですわね」
「今それどころじゃないですよ!」
「今だからですわ」
昨日から何度も見た顔だけれど、今までで一番楽しそうだった。
その時、崩れた瓦礫が大きく揺れた。
石を押し退けながら、セドリックさんが再び姿を現す。何枚もの鱗が砕け、片方の前脚を庇うように引きずっていた。さっきまでの悠々とした態度は跡形もなく、荒い呼吸に合わせて巨体が大きく上下している。
「き……貴様……!」
長い顎の隙間から熱い息を吐きながら、こちらを睨みつける。
「何者だ……! 人間に、今のような力が出せるはずがない!」
「ああ、それは――」
「本当に、何をしているのよ。エルン」
聞き慣れた声が頭上から降ってきた。
身体がぴたりと固まる。
まさかと思って見上げると、二階回廊の半分崩れた欄干の上に、小柄な女の子が立っていた。
白銀の髪に、長い白のワンピース。薄い青紫の目を細め、腕を組んだまま、明らかに機嫌の悪そうな顔でこちらを見下ろしている。
「……オルレア?」
「やっと気づいたの?」
「なんでここに!?」
オルレアは欄干から一歩踏み出した。
けれど落ちることはなく、その身体はふわりと宙へ浮く。そのまま階段でも下りるように広間まで降りてきて、僕の目の前へ着地すると、すぐに腕を組み直した。
「あなたが心配だからに決まってるでしょう」
「北に戻ったんじゃなかったの?」
「戻る途中だったわよ。でも嫌な予感がしたから引き返したの」
「いつからいたの?」
「あなたたちが屋敷に入る前から」
「ずっと!?」
「ずっと」
横で聞いていたガストンさんの目が一気に大きくなる。
「いたなら手伝えよ!」
「エルンが本当に危なくなったら出るつもりだったの!」
「火の玉が飛び交って壁まで壊れてたんだぞ!」
「エルンは平気だったじゃない」
「結果論だ!」
オルレアはガストンさんの抗議などまるで聞いていない。
僕の顔から足元までじっと見て、服の破れも怪我もないと分かると、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「怪我は?」
「ないよ」
「本当に?」
「本当に」
「ならいいわ」
ふん、と鼻を鳴らす。
素直に心配したと言えばいいのに。
そこへダリアさんが、興味深そうにこちらへ近づいてきた。
「あら。そちらの方は?」
「ああ、オルレア。僕の婚約者です」
「婚約者?」
ダリアさんの目が、ほんの少し楽しそうに細くなった。
嫌な予感がする。
オルレアもダリアさんをじっと見た。
「エルン。この人、誰?」
「昨日知り合ったダリアさん。いろいろあって、一緒にここまで来たんだ」
「……昨日、ずいぶん楽しそうに手を繋いで逃げてた女?」
「言い方ぁっ!?」
オルレアが僕の腕を掴む力を少し強める。
ダリアさんは何も言わず、ただ面白そうにこちらを眺めていた。
絶対、余計なことを考えている。
まずい。
でも、もっとまずいものが後ろにいる。
「くだらん……!」
瓦礫の向こうから、セドリックさんの苛立った声が響いた。
オルレアがそこで初めて、興味なさそうにそちらへ顔を向けた。
巨大な四足の姿を上から下まで眺め、眉間へ小さく皺を寄せる。
「……何、あれ」
「セドリックさんです」
「それは名前でしょ」
「本人はドラゴンだって言ってます」
オルレアの眉が、ぴくっと動いた。
「ドラゴン?」
「はい」
もう一度セドリックさんを見る。
「どこが?」
「僕もそう言ったんだけど」
「一緒にしないでほしいわね」
即答だった。
セドリックさんの爪が、ぎり、と床へ食い込む。
「黙れ、小娘」
「あ?」
短い声だった。
でも僕には分かった。
駄目なやつだ。
「今、何て?」
「何者か知らんが、貴様のような小娘に竜の何が分かる」
「オルレア」
「分かってるわよ」
分かっていない時の声だった。
横顔を見ると、口元こそ笑っているのに、目だけがまるで笑っていない。
セドリックさんは、それにまったく気づいていなかった。
「私は竜の力を得た。この鱗、この爪、この炎を見ても理解できぬほど愚かなのか。貴様のような貧弱な小娘など、私の爪一つで――」
「あっ」
思わず声が漏れた。
ダリアさんが不思議そうにこちらを見る。
「どうしましたの?」
「今のは駄目です」
「何が?」
「たぶん全部です」
その横で、ガストンさんの顔まで引きつった。
「エルン。俺たち、逃げた方がいいか?」
「はい」
「誰が?」
「全員です」
「早く言え!」
ガストンさんは即座に領主さんの襟首を掴み、そのまま出口へ向かって走り出した。
「なぜわしまで!」
「お前を置いていけるか!」
「優しいのか!?」
「証人だからだっつってんだろ!」
ダリアさんだけは動かなかった。
むしろ、これから何が始まるのか楽しみにしているように目を輝かせている。
「ダリアさんも逃げてください!」
「もう少し見たいですわ」
「見てる場合じゃありません!」
「そうかしら?」
そうです。
絶対に。
オルレアが一歩前へ出た。
「……ねえ。あなた、今わたしのこと何て言った?」
セドリックさんは鼻で笑った。
「貧弱な小娘だと言った」
オルレアがにっこり笑う。
その笑顔を見た瞬間、僕はもう止めるのを諦めた。
「そう」
小さな身体が、ゆっくり宙へ浮かぶ。
白銀の髪が、風もないのに大きく広がった。
「じゃあ――見せてあげる」
次の瞬間、屋敷全体が悲鳴を上げた。
オルレアの身体が一気に膨れ上がり、白銀の鱗が人の輪郭を飲み込んでいく。太い脚が石床を踏み抜き、長い首が天井を押し上げ、背中から伸びた巨大な翼が左右へ開いた瞬間、梁がまとめて持ち上がった。
轟音とともに屋根が弾け飛ぶ。
「うわあああああっ!」
遠くで領主さんの悲鳴が上がった。
「風! おい、風が――カツラ! 俺のカツラが飛ぶ!」
ガストンさんは領主さんの襟首を片手で掴んだまま、もう片方の手で必死に頭を押さえている。
「ガストンさん、そこですか!?」
「ここだよ! 一大事だろ!」
巨大な翼がさらに開く。
巻き起こった風が大広間だった場所を一気に吹き抜け、割れた窓枠や木片を外へ吹き飛ばし、残っていた壁まで大きく揺らした。
僕も腕で顔を覆いながら後ろへ下がる。
なのにダリアさんだけは、崩れてくる石を軽やかに避けながら、巨大になったオルレアを見上げて目を輝かせていた。
「まあ! 素敵ですこと!」
「だから避けてくださいって!」
「見えていますわよ!」
本当に楽しんでいるらしい。
ようやく風が弱まり、腕を下ろした僕は改めて前を見た。
さっきまであれほど大きく見えたセドリックさんが、嘘みたいに小さくなっている。
もちろん、縮んだわけじゃない。
オルレアが大きすぎるのだ。
領主館の屋根より遥かに高い頭。建物そのものを覆ってしまいそうな翼。地面へ置かれた前脚一つを取っても、セドリックさんの身体がひどく頼りなく見える。
だから言ったのに。
ドラゴンは、もっと大きい。
「な……なんだ……」
セドリックさんの声が震えていた。
さっきまで自慢げに広間を踏み鳴らしていた前脚が、今はじりじりと後ろへ下がっている。
「なんだ、これは……こんな……こんなものが……!」
巨大なオルレアの瞳が、ゆっくり足元へ向いた。
『何ですって?』
同じ声のはずなのに、空気そのものが震えるほど大きい。
セドリックさんの身体がびくりと跳ねた。
「ま、待て……! 私は、私は竜だ! 貴様と同じだ! 同じ竜として話を――」
『一緒にしないで』
「ひっ……!」
初めて、情けない声が漏れた。
オルレアの巨大な前脚が、ゆっくりと持ち上がる。
「ま、待て! 待ってくれ! 私は竜だぞ! 同族だ! 話せば分か――」
『誰が』
低い声に、セドリックさんの口が止まった。
オルレアの巨大な瞳がぎろりと細くなる。
『誰が、貧弱な小娘ですってぇぇぇぇぇぇっ!』
「ひぃっ――!」
ぱん。
妙に軽い音がした。
「ぎゃああああああああああああっ!?」
巨大な前脚に横っ面を叩かれ、セドリックさんの黒い巨体が視界から消えた。
残っていた壁を突き抜け、庭を飛び越え、外塀までまとめて吹き飛ばしながら、そのまま空へ打ち上がっていく。
「ま、待てぇぇぇぇぇぇぇっ! 私は竜だぁぁぁぁぁぁぁぁ――!」
声も身体も、見る間に小さくなっていった。
黒い点が一つ。
それもやがて、夜の空へ完全に消える。
しばらく、誰も何も言わなかった。
あれだけ騒がしかった場所に、崩れた瓦礫がぱらぱらと落ちる音だけが響いている。
僕はセドリックさんが消えた空をしばらく眺め、それから巨大なオルレアへ視線を戻した。
「……そこだったんだ」
巨大な顔が、ゆっくりこちらを向く。
『何か言った?』
「何でもないです」
即答した。
その横では、とうとう我慢できなくなったらしいダリアさんが、お腹を押さえて声を上げて笑っていた。




