第18話 国の金だっつってんだろ!
「そこで、何をしている……!」
扉の前で、ヴァルターが死人みたいな顔をしていた。
その後ろには武装した衛兵が五人。ついさっきまで怒鳴り散らしていたらしく顔は真っ赤なのに、開け放たれた隠し金庫と、俺の胸元から覗く革表紙の帳簿を見た途端、その赤みがみるみる引いていく。
まずい。
――いや、違うな。
胸元の帳簿へ手を置いて考え直す。
まずいのは、こっちじゃない。
「何してるように見える?」
「な、何を――」
「お前の仕事だよ」
帳簿を抜いて見せた瞬間、ヴァルターの目がこぼれそうなほど見開かれた。額には脂汗が浮かび、分厚い唇までひくひくしている。
分かりやすいにもほどがある。
「そ、それをどこで……!」
「へえ。中身も見せてねえのに、それが何か分かるんだな」
「っ……!」
今度は頬が引きつった。
少し前までこいつから金を受け取っていた身としては、あまり偉そうなことを言えた立場じゃない。
だが、今は棚に上げる。
棚というものは、こういう時のためにある。
「入町税、商人からの不当な取り立て、王都へ報告した額との差。それから酒、宝石、絵画、絨毯……ずいぶん景気がいいな、領主殿」
「そ、それは領地運営に必要な――」
「宝石が?」
「外交には格式というものがある!」
「酒樽何本分の格式だよ」
帳簿を軽く振ってやると、ヴァルターの丸い顔が赤くなったり青くなったり忙しい。ところが背後に衛兵がいることを思い出したらしく、急に腹を突き出して胸を反らした。
「そもそも貴様らこそ何だ! 夜中に不法侵入し、わしの執務室を荒らしたうえ、金庫まで勝手に開けおって! これは犯罪だぞ!」
「国家監察官の調査だ」
「窓を割って入る調査があるか!」
そこは痛い。
横を見ると、エルンが俺と目を合わせないよう、そっと壁の方を向いた。
こいつも同じことを思ってやがる。
「細けえことはあとだ。問題は中身だ」
「細かくないわ!」
「うるせえな!」
ヴァルターが怒りに任せて金庫へ目を向け、今度は帳簿を見た時よりずっと悲しそうな顔になった。
金貨の袋に金塊、宝石。
どうやら自分の首より、そっちの方が心配らしい。
「……わしの金まで勝手に……」
「国の金だ!」
思わず反射で怒鳴った。
「わしが集めたのだぞ!」
「集めちゃ駄目な金を集めたんだよ!」
頭が痛くなってきた。
こんな男相手に脱税の講義を始めたら、本当に朝までかかる。裏帳簿もある。隠し財産もある。こいつの件は、もう黒を通り越して墨汁にでも漬かっている。
問題は、もう一つだ。
「お前の脱税はあとでゆっくり聞いてやる。それより東倉庫の軍用品。あれは何だ?」
ヴァルターの口が、ぽかんと開いた。
「……軍用品?」
さっきまでとは反応が違う。
怒鳴り返すでもなく、慌てて屁理屈を探すでもない。本当に何を言われたのか分かっていない顔だった。
「とぼけんな。王国軍の管理印が入った木箱だ。番号まで振ってあった。それなのに正式な搬入記録にはどこにもねえ」
「待て。何の話だ?」
「国に黙って軍用品を集めてたとなりゃ、脱税で済む話じゃねえぞ。使い道によっちゃ国家反逆まで――」
「知らん!」
ヴァルターが叫んだ。
今度は本気で血の気が引いている。
「わしは知らんぞ! 軍用品など集めさせておらん!」
……こいつ。
本当に知らねえのか?
帳簿を持ったまま、じっと顔を見る。
脱税を突いた時は目が泳いだ。贅沢品を指摘すれば、すぐ言い訳した。
だが今は、ただただ驚いている。
馬鹿みたいに。
いや、馬鹿なのは元からだった。
「東倉庫は誰が管理してる?」
「そんな細かいことまで、いちいちわしが見るものか! 倉庫も物資もセドリックに任せておる。あやつは仕事が早いし、数字にも明るいからな!」
「……全部か?」
「必要な経費はまとめて報告させておる。わしにはもっと重要な仕事がある!」
「金数えることか?」
「当然だ!」
「威張るな!」
額を押さえたくなった。
だが、これで少し繋がる。
帳簿にあった妙に高い倉庫管理費、輸送費、備蓄費、修繕費。ヴァルターが細かいところを見ていないなら、抜く余地はいくらでもある。こいつなら最後に残った金額だけ見て「少ない」と騒いで終わりそうだ。
「……エルン。こいつ、思った以上に何も知らねえぞ」
「それ、本人の前で言っていいんですか?」
「なんだと!?」
ヴァルターのこめかみに、ぶっとい青筋が浮かんだ。
その時だった。
「随分と賑やかですね」
廊下から、落ち着いた声が聞こえた。
ヴァルターの表情がぱっと明るくなる。
「セドリック!」
助かったとでも思ったんだろう。
俺は逆だった。
喉の奥が一気に乾く。
暗い色の服を着た男が、廊下の奥からゆっくり歩いてくる。髪も服も昼間と同じようにきっちり整っていて、館中が騒ぎになっているとは思えないほど涼しい顔をしていた。
「ちょうどよい! この者たちが執務室へ忍び込み、わしの帳簿を――」
「東倉庫の軍用品」
ヴァルターの訴えを無視して、俺はセドリックへ向き直った。
「あれ、お前の仕業か?」
セドリックは一度だけ俺を見た。
「ええ」
あっさりした返事だった。
「……え?」
横から、ヴァルターの間抜けな声がした。
「待て、セドリック。今、なんと……」
「軍用品の件でしたら、私が手配しました」
「な、なぜだ! わしはそんな命令を出しておらんぞ!」
「存じています」
悪びれるどころか、説明する手間が省けたとでも言いたげだった。
俺は帳簿を開き、さっき見つけた妙な経費の頁を突きつける。
「じゃあ、こいつもお前か。倉庫管理費、輸送費、備蓄費。どれも随分盛ってある」
「よく気づかれましたね」
「認めんのかよ」
「今さら隠す意味もないでしょう」
セドリックはほんの少し肩をすくめた。
「領の運営費から少々。それと、領主様が隠していた資金からも必要に応じて使わせていただきました」
数秒、ヴァルターが固まった。
「……わしの?」
「はい」
「わしの金を?」
「ええ」
顔がみるみる赤くなっていく。
「き、貴様ぁぁぁ! わしの金を勝手に使ったのか!」
「国の金だっつってんだろ!」
また反射で突っ込んでしまった。
セドリックが、ほんの少しだけ疲れたように息を吐く。
「この方は昔からこうなのですよ。金、金、金と際限がない。帳簿を読むのは嫌うくせに、手元の金が少し減っただけで騒ぎ出すので、こちらも随分苦労しました」
「貴様が盗んでいたからだろうが!」
「だから元は国の金だ!」
もう、どっちに怒鳴っているのか分からない。
俺は髭を乱暴に撫でて気持ちを切り替えた。
セドリックは隠す気をなくしている。
それが一番まずい。
「……で、お前は何しに来た。わざわざ領主様の愚痴を言いに来たわけじゃねえだろ」
「ええ」
セドリックの口元に薄い笑みが浮かぶ。
「後始末です。そろそろ、この町での活動も限界だと思っていましたので」
「限界?」
「物資の量も増え、市場でも目立ち始めていたでしょう。そこへ国家監察官が来訪し、倉庫まで見られた。こちらの者の印まで確認されたとなれば、拠点を維持する利点はもうありません」
まるで古くなった倉庫でも畳むような口ぶりだった。
「元々、近いうちに撤収する予定でした。ただ――」
セドリックの視線が俺からエルンへ移り、最後に開いたままの金庫へ向く。
「ちょうどあなた方が領主館を襲撃してくださった。実に都合がいい」
嫌な予感がした。
こいつの場合、その手の予感はだいたい当たる。
「領主は夜間、侵入者によって殺害された。執務室は荒らされ、金庫も破られた。軍用品についても、侵入者が持ち込んだ、あるいは奪おうとしていたことにすればいい」
エルンが困ったように眉を下げる。
「僕、ただの行商人なんですけど……」
「今そこ気にするとこか!」
「でも僕だけ肩書きが弱くないですか?」
「強くていい肩書きじゃねえんだよ!」
こんな時まで妙なところを気にするな。
セドリックはそんな俺たちを見ても、表情一つ変えなかった。
「国家監察官、賞金首、素性の知れない旅商人。三人揃って夜中に領主館へ侵入している。多少筋書きが粗くとも、目撃者が残らなければ問題ありません」
その言葉で、ようやくヴァルターが自分の置かれた状況を理解したらしい。
「ま、待て」
太い首をぎこちなく動かしてセドリックを見る。
「今……領主は殺害された、と言ったな?」
「ええ」
「誰の話だ?」
セドリックが少しだけ首を傾げた。
「あなたですよ」
「わし!?」
見事に声が裏返った。
さすがに少し笑いそうになったが、状況が状況なので我慢する。
「ふ、ふざけるな! お前たち! 何をしておる、セドリックを捕らえろ! 今すぐだ!」
慌てて振り返ったヴァルターの命令に、五人の衛兵は誰一人として従わなかった。
「……おい?」
代わりに、五人がほとんど同時に兜へ手を掛ける。
次の瞬間――そこにいたのは、見覚えのある全身黒のローブ姿だった。
「……またそれかよ」
どういう仕組みだよ、畜生。
「すごい早着替えですね」
隣でエルンだけが妙なところに感心している。
「そこじゃねえ!」
「な、な……!」
ヴァルターは五人を指差したまま二歩、三歩と後ずさり、最後には膝から力が抜けて、その場へ尻もちをついた。
「わ、わしの衛兵が……!」
「彼らは以前から私の部下ですよ」
セドリックだけが何事もなかったように告げる。
「そ、そんな……わしの衛兵だぞ……?」
「あなたはそう思っていたようですね」
ヴァルターは床に座り込んだまま、黒ローブの五人とセドリックを交互に見上げている。
金は抜かれ、倉庫は好きに使われ、最後には自分の護衛だと思っていた連中まで敵だった。
ここまで綺麗に足元を食われた領主も珍しい。自業自得ではあるが、ほんの少しだけ哀れになってきた。
「始末してください」
セドリックが静かに告げた。
五人が一斉に剣や短剣を抜き、袖口から覗く手や首筋など、それぞれ露出した肌のどこかに見覚えのある黒い文様が浮かび上がる。
「やっぱり同じ一味か……」
そのうち一人が、真っ先に床のヴァルターへ踏み込んだ。
「エルン! 領主を守れ!」
「ええっ!? この人をですか!?」
エルンの顔が、こんな理不尽な話があるかと言わんばかりに盛大に引きつった。
「今死なれたら全部こいつに被せられる! 生き証人だ、死なすな!」
「この人とはなんだ! わしは領主だぞ!」
「お前は黙って守られてろ!」
振り下ろされた剣を前に、エルンはため息をつく暇もなくヴァルターの腕を掴み、そのまま横へ引っ張った。
「領主さん、こっち!」
「うわっ!?」
刃が空を切り、ヴァルターは勢い余ってエルンへしがみつく。
「な、なんとかしろ!」
「僕に言われても困ります!」
二人目が間髪入れず踏み込んでくると、エルンはヴァルターを引きずるようにしてかわした。
剣先が壁を叩き、石の欠片が散る。
その衝撃で、開け放たれた金庫の前から小さな革袋が一つ、ころころと俺の足元まで転がってきた。
反射的に拾い上げる。
軽くはない。
だが今は、中身を確かめている場合じゃない。
俺は裏帳簿と一緒に革袋を上着の内側へ押し込んだ。
やっぱりこいつの逃げ足はおかしい。
感心している場合じゃない。
部屋の出口へ目をやる。
セドリックに五人。
こっちは俺、エルン、それから腰を抜かした悪徳領主。
戦力として数えるなら、一人と端数二つくらいだ。
「出るぞ!」
「どこへ!?」
「ここ以外だ!」
俺が廊下へ飛び出すと、さっきまで床に転がっていたヴァルターが急に顔を上げた。
「待て! こっちだ、裏階段がある!」
「最初からそういう役に立つこと言え!」
「わしの館だぞ!」
ヴァルターが先頭へ出る。
もっとも走り方はひどかった。豪華な上着の裾を両手で持ち上げ、小刻みな足取りで必死に廊下を駆けていく姿は、領主というより盗み食いが見つかった太った猫に近い。
俺はその後を追い、エルンが殿につく。背後から五人分の足音が迫ってきたが、今は振り返っている余裕もない。
とにかく走るしかなかった。
裏帳簿は俺の懐にあり、ヴァルターも今のところ生きている。この二つさえ外へ持ち出せば、少なくともセドリックの筋書きは崩せる。
死人に罪を着せるのは簡単だ。
だが、生きた馬鹿が「俺は知らない」と喚き続ければ、全部を一人へ押しつけるのは難しくなる。
今だけは、この馬鹿に生きてもらわなきゃ困る。
「こっちだ!」
ヴァルターが廊下の角を曲がり、その先にある大きな両開きの扉を指差した。
「あの先が中央広間だ! 正門にも出られる!」
「よし!」
中央広間を抜ければ正門側だ。あそこでまだダリアが暴れているなら、合流さえできれば一気に楽になる。
そう思った瞬間――扉の向こうから、腹の底まで震わせるような轟音が響いた。
「今度はなんだ!?」
次の瞬間、大きな扉そのものがこっちへ吹っ飛んできた。
「うわああああっ!?」
ヴァルターが情けない悲鳴を上げる。
エルンが後ろから襟首を掴んで引っ張り、俺も反射的に壁へ身を寄せた。分厚い扉が目の前を横切り、廊下を滑って派手な音を立てる。
舞い上がった埃と木片の向こうに、扉よりずっと広い空間が見えた。
高い天井。太い柱。左右へ伸びる二階の回廊と、中央から上へ続く大階段。そのさらに向こうには、正門へ続く玄関まで見えている。
そして広間のあちこちに、衛兵が転がっていた。
床に大の字で伸びている奴。壁際へ座り込み、もう立つ気もなさそうな奴。槍だけを残してどこかへ逃げた奴もいるらしい。
まだ立っていた数人も、広間の中央にいる女からたっぷり距離を取っていた。
赤いジャケットに淡い栗色の髪。
こんな有様のど真ん中だというのに、ダリアだけが妙に楽しそうだった。
「あら」




