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トライノット ―旅路の結び目―  作者: ヤソタケル


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16/22

第16話 開きましたわ

夜の領主館を前に、わたくしたちは三人並んでいた。


 昼間の鼠色の外套も黒い服も、もう必要ありません。わたくしはいつもの赤いジャケットに着替え、ようやく普段通りの姿へ戻っている。


 やはり、こちらの方が落ち着きますわね。


 鼠色も黒も悪くはありませんでしたけれど、少々おとなしく見えすぎますもの。目立たないわたくしなど、わたくしではありませんわ。


「……あの」


 隣から遠慮がちな声がして振り向くと、エルンが自分の旅装を見下ろしたあと、わたくしとおじ様を順番に見比べていた。眉を寄せ、言っていいものか迷っているような顔をしている。


「これから領主館に忍び込むんですよね?」


「そうだが?」


 おじ様は何を今さらと言わんばかりに腕を組んだ。


 昼間と変わらない役人服に、立派な髭。わたくしやエルンよりずっと小柄な身体で胸を張り、今だけ見ればなかなか立派な監察官に見える。


 もっとも、夜風が吹いて髪がわずかに揺れるたび、右手だけはさりげなく頭へ伸びていましたけれど。


 そこは見なかったことにして差し上げましょう。


「僕たち、この格好で行くんですか?」


 エルンの視線が最後に、わたくしの赤いジャケットで止まる。


「普通、こういう時って、もう少し目立たない服に着替えません?」


「そんな予算はねえ」


 おじ様が迷いなく即答したので、エルンの目が少し丸くなった。


「服くらい買えるでしょう」


「俺とお前の分を誰が払うんだ。ダリアは昼間のを着りゃいい」


「経費じゃないんですか?」


「領主館へ不法侵入するための服を、国にどう請求すんだよ!」


 おじ様は両手を広げて怒鳴ったあと、なぜか少しだけ視線を逸らした。


 エルンがじっと見つめる。


「……でも、ガストンさんなら請求しそうですけど」


「しねえよ!」


「今、間がありましたよ」


「細けえな、お前は!」


 どうやら一瞬考えたらしい。


「わたくしは地味な服などごめんですわ」


 そう告げると、二人の顔が揃ってこちらを向いた。


 おじ様は眉間に深い皺を寄せ、エルンは困ったように肩を落とす。


「お前、昼間は着てただろうが」


「あれは変装ですもの。二度も同じ地味な格好をする気はありませんわ」


「今からも変装しろって言ってんだよ!」


「ダリアさん、赤はさすがに目立つと思います」


 エルンまで遠慮がちに口を挟んできた。


「でも、似合っているでしょう?」


「それは似合ってますけど……」


「でしたら問題ありませんわね」


「そこは問題ありますよ!」


 珍しくエルンまで声を上げたので、思わず口元が緩んだ。


 少しずつ息が合ってきましたのね、この二人。


「……もういい。服の話は終わりだ」


 おじ様が額を押さえ、大きく息を吐いた。


「今夜中に証拠を押さえなきゃならねえんだ。服選びして朝を迎えてどうする」


「誰も服を選んではいませんけど」


「そういうところだけ拾うな!」


 怒鳴った拍子に、また手が頭へ伸びる。


 忙しい方ですこと。


 ひとしきり騒いで気が済んだのか、おじ様は咳払いを一つすると、領主館へ向き直った。


 高い石塀の向こうに、二階建ての大きな館が暗い影となって浮かんでいる。窓の灯りはまばらで、正門の前には二人の衛兵。昼間と違って辺りは静まり返り、時折、巡回らしい足音だけが塀の向こうから聞こえてきた。


「で、本題だ。狙うのは話した通り、ヴァルターの裏帳簿。セドリックの方は見つかれば拾うが、深追いはしねえ」


「裏帳簿って、どこにあるか分かってるんですか?」


 エルンが今度は真面目な顔で領主館を見上げると、おじ様は立派な髭を指で撫でながら二階へ目を細めた。


「おそらく執務室かヴァルターの私室だ。脱税の証拠をそこらの棚に放り込む馬鹿はいねえから、金庫か鍵付きの引き出し、下手すりゃ隠し棚だろうな」


「その金庫の場所は?」


「知らん」


 エルンの表情が止まった。


「……隠し棚は?」


「知らん」


「鍵は?」


「持ってねえ」


 今度は完全に黙り込み、領主館を見上げ、おじ様を見て、もう一度領主館へ視線を戻した。


「なんか……その作戦、ふわふわしてません?」


「どこがだ!」


 おじ様の顔が露骨に引きつる。


「『執務室か私室に行く』『金庫か何かを探す』『セドリックさんのことは分からない』ですよね。しかも、まだ入口すら決まってない」


「潜入なんざ現場を見なきゃ決められねえんだよ!」


 おじ様は小柄な身体をぐっと伸ばし、二階の端を指差した。


「部屋の位置なら昼間に見てる。執務室は二階の東側、ヴァルターの私室はその奥だ。そこまでは分かってる」


「あ、そこはちゃんとしてるんですね」


「俺を何だと思ってる!」


 エルンは少し考えたあと、悪気のなさそうな顔で首を傾げた。


「今日会ってから、ずっと逃げてる人」


「国家監察官だ!」


「両方できますよね?」


「できなくていいんだよ!」


 おじ様が顔を赤くして怒鳴り、エルンは本当に不思議そうな顔をしている。


 どうやら煽っている自覚はないようですわね。


 それが余計におじ様を苛立たせているのだから、なかなか面白い組み合わせですこと。


「それで、わたくしは?」


 二人の間へ顔を出すと、おじ様がこちらを向いた。


 少しの間、真剣な顔でわたくしを見つめる。


 ずいぶん考えているようですけれど、そんなに難しい役目なのかしら。


「勝手なことをするな」


「役割になってませんわ」


「お前にはそれが一番重要なんだよ!」


 失礼ですこと。


 頬を少し膨らませてみせると、おじ様はますます嫌そうな顔をした。


「エルンは俺と来い。帳簿を見つけたら、品物と金額がおかしくないか横で確認しろ」


 エルンは一度頷きかけたものの、すぐに領主館へ視線を戻す。


「それはいいですけど……入口は?」


「だから今から探す」


 また眉が下がった。


「やっぱり、ふわふわしてません?」


「お前その言葉気に入っただろ!」


 ふふっ。


 言われるたびにおじ様が怒るので、わたくしまで少し気に入ってきましたわ。


 もっとも、わたくしにも少々ふわふわしているように聞こえますけれど。


 おじ様とエルンは塀を眺めたり、館の脇へ続く道を覗いたりしながら、ああでもない、こうでもないと侵入口を探し始めた。


 けれど、わたくしには不思議だった。


 そんなに悩まなくても、目の前にはこんなに立派な門があるではありませんの。


「正面から入ればよろしいのでは?」


 二人がぴたりと止まり、ゆっくりこちらを向いた。


「……何?」


「ですから、正門から」


 わたくしは目の前の大きな木の門を指差した。


「あんなに立派な入口があるのに、どうしてわざわざ壁を越えなければなりませんの?」


「忍び込むからだよ!」


 とうとうおじ様が両手で頭を抱えた。


「開けてもらえば、忍ばなくて済みますわ」


「それは普通に乗り込むって言うんだ!」


「通してくださるかもしれませんよ?」


「昨日、領主の息子を殴った女を誰が通すんだ!」


「あら」


 そういえば、そうでしたわね。


 顔に包帯まで巻いていましたし、忘れている可能性は低そうですわ。


 エルンが不安そうにわたくしの顔を覗き込んでくる。


「ダリアさん、本気で正面から行くんですか?」


「ええ」


「止められたら?」


「お願いしてみますわ」


「それでも駄目だったら?」


 少し考えたけれど、お願いして駄目なら仕方ありませんわね。


「押し通ります」


「物理的にですよね、それ!」


 エルンが引き気味に一歩下がる。


 どうして分かったのでしょう。


「待て。お前は護衛だ。俺たちと一緒に――」


「では、行ってまいりますわ」


「だから待て!」


 おじ様の声を背中に受けながら正門へ向かう。赤いジャケットの裾が夜風に揺れ、やはり昼間の地味な格好よりこちらの方が気分がいい。


「おい、ダリア!」


 また背後から声が飛んできた。


「作戦は覚えてるな! 衛兵はあとでこっちにつけるんだ、殺すんじゃねえぞ!」


 もちろん覚えていますわ。


 せっかくこちら側へ来ていただく予定なのですから、ほどほどにしておきませんと。


 数歩進んだところで、今度はエルンの困り果てた声が聞こえてきた。


「……行っちゃいましたよ」


「見りゃ分かる。止まると思うか?」


「……思いません」


「俺もだ。もうほっとけ」


 まあ、聞こえていますわよ。


「でも、ダリアさん護衛ですよね?」


「知らん。あいつに護衛されるより、離れてた方が安全な気がしてきた」


 思わず足を止めそうになった。


 おじ様、そちらも聞こえていますわよ。


「……いや、待て。むしろ好都合だ。あいつが正面で騒げば衛兵が集まる。俺たちは裏へ回るぞ」


「今、勝手に陽動にしましたよね?」


「結果的に使えりゃ作戦だ」


「それ、行き当たりばったりって言いません?」


「現場対応力と言え!」


 好き勝手言ってくださいますわね。


 わたくし、陽動を引き受けた覚えなどありませんけれど、お二人が好きにするのでしたら、こちらも好きにさせていただきましょう。


 正門へ近づくと、門前に立っていた二人の衛兵がすぐにこちらへ気づき、一人が槍を構えれば、もう一人も慌ててその横へ並んだ。


「止まれ! こんな時間に何の用だ!」


「こんばんは」


 警戒する一人とは対照的に、もう一人は赤いジャケットからわたくしの顔へ視線を移した途端、みるみる表情を引きつらせた。


「お、お前……昨日の! 赤のダリア……!」


「あら。覚えていてくださったの? ええ、今日はちゃんと赤いですわ」


 せっかく戻したのですもの。気づいていただけて何よりですわね。


「領主館に用がありますの。通してくださいな」


「通せるわけがあるか!」


 即答されてしまった。


 せっかく丁寧にお願いしましたのに。


「では、もう一度だけお願いしますわ」


「何度言っても駄目だ! 立ち去れ!」


「そうですの。なら、仕方ありませんわね」


「何が――」


 衛兵が突き出した槍を半歩ずれてかわし、そのまま柄を掴んで軽く引く。前へつんのめった身体をくるりと回してもう一人へ押しつけると、二人は「うわっ!?」「ぐえっ!」と声を重ねながら絡まり、そのまま地面へ転がった。


「い、いきなり何をする!」


「お願いしましたでしょう?」


「だからって殴る奴があるか!」


「殴ってはいませんわ。まだ」


 起き上がろうとした一人の肩を軽く押し、もう一度地面へ戻っていただく。


 あとでこちら側についていただく方々ですもの。壊してしまっては困りますわね。


 これで門番はいなくなったけれど、目の前にはまだ大きな木の門が閉ざされている。


 エルンなら鍵を探し、おじ様なら別の入口を探すのでしょうけれど、わたくしならそんな面倒なことをする必要はありません。


 閉まっているのなら、開ければいいだけですわ。


 一歩下がって腰を落とし、門の中央へ狙いを定める。


「よいしょ」


 踏み込んだ勢いのまま踵を叩き込むと、どん、と夜の静けさを押し潰すような音が響き、分厚い木の門扉が大きくたわんだ。


 次の瞬間には中央から派手に裂け、留め具と木片を撒き散らしながら左右の扉が内側へ倒れ込む。


 ……少し大きな音になってしまいましたわね。


「な、な……なんてことを……!」


 地面に転がった衛兵が、口を開けたまま壊れた門を見つめている。


「開きましたわ」


「そういう問題じゃない!」


 館のあちこちで一斉に灯りがつき、窓が開くと同時に「正門だ!」「侵入者!」「衛兵を集めろ!」と怒鳴り声が飛び交った。


 中庭の奥から次々と人影が現れ、五人、十人と増えていく。十人を越えたところで数えるのをやめた。


 なるほど。おじ様の言う通り、陽動にはなっているようですわね。


 勝手に決められたのは少し気に入りませんけれど、ここまで綺麗に人が集まれば悪い気もしない。


 倒れた門を踏み越えながら押し寄せてくる衛兵たちを眺めると、皆様そろって剣や槍を手にしている。


 けれど、普通の衛兵が相手なら剣を抜くほどでもありませんわ。


 それに、あとで味方になっていただく予定の方々ですもの。おじ様にまた騒がれない程度には、丁寧に扱って差し上げましょう。


 腰の剣には触れず、両手を軽く開く。


 おじ様とエルンが好きにするのでしたら、わたくしも好きにさせていただきますわ。


 自然と口元が緩んだ。


「さて、始めましょうか」

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