第16話 開きましたわ
夜の領主館を前に、わたくしたちは三人並んでいた。
昼間の鼠色の外套も黒い服も、もう必要ありません。わたくしはいつもの赤いジャケットに着替え、ようやく普段通りの姿へ戻っている。
やはり、こちらの方が落ち着きますわね。
鼠色も黒も悪くはありませんでしたけれど、少々おとなしく見えすぎますもの。目立たないわたくしなど、わたくしではありませんわ。
「……あの」
隣から遠慮がちな声がして振り向くと、エルンが自分の旅装を見下ろしたあと、わたくしとおじ様を順番に見比べていた。眉を寄せ、言っていいものか迷っているような顔をしている。
「これから領主館に忍び込むんですよね?」
「そうだが?」
おじ様は何を今さらと言わんばかりに腕を組んだ。
昼間と変わらない役人服に、立派な髭。わたくしやエルンよりずっと小柄な身体で胸を張り、今だけ見ればなかなか立派な監察官に見える。
もっとも、夜風が吹いて髪がわずかに揺れるたび、右手だけはさりげなく頭へ伸びていましたけれど。
そこは見なかったことにして差し上げましょう。
「僕たち、この格好で行くんですか?」
エルンの視線が最後に、わたくしの赤いジャケットで止まる。
「普通、こういう時って、もう少し目立たない服に着替えません?」
「そんな予算はねえ」
おじ様が迷いなく即答したので、エルンの目が少し丸くなった。
「服くらい買えるでしょう」
「俺とお前の分を誰が払うんだ。ダリアは昼間のを着りゃいい」
「経費じゃないんですか?」
「領主館へ不法侵入するための服を、国にどう請求すんだよ!」
おじ様は両手を広げて怒鳴ったあと、なぜか少しだけ視線を逸らした。
エルンがじっと見つめる。
「……でも、ガストンさんなら請求しそうですけど」
「しねえよ!」
「今、間がありましたよ」
「細けえな、お前は!」
どうやら一瞬考えたらしい。
「わたくしは地味な服などごめんですわ」
そう告げると、二人の顔が揃ってこちらを向いた。
おじ様は眉間に深い皺を寄せ、エルンは困ったように肩を落とす。
「お前、昼間は着てただろうが」
「あれは変装ですもの。二度も同じ地味な格好をする気はありませんわ」
「今からも変装しろって言ってんだよ!」
「ダリアさん、赤はさすがに目立つと思います」
エルンまで遠慮がちに口を挟んできた。
「でも、似合っているでしょう?」
「それは似合ってますけど……」
「でしたら問題ありませんわね」
「そこは問題ありますよ!」
珍しくエルンまで声を上げたので、思わず口元が緩んだ。
少しずつ息が合ってきましたのね、この二人。
「……もういい。服の話は終わりだ」
おじ様が額を押さえ、大きく息を吐いた。
「今夜中に証拠を押さえなきゃならねえんだ。服選びして朝を迎えてどうする」
「誰も服を選んではいませんけど」
「そういうところだけ拾うな!」
怒鳴った拍子に、また手が頭へ伸びる。
忙しい方ですこと。
ひとしきり騒いで気が済んだのか、おじ様は咳払いを一つすると、領主館へ向き直った。
高い石塀の向こうに、二階建ての大きな館が暗い影となって浮かんでいる。窓の灯りはまばらで、正門の前には二人の衛兵。昼間と違って辺りは静まり返り、時折、巡回らしい足音だけが塀の向こうから聞こえてきた。
「で、本題だ。狙うのは話した通り、ヴァルターの裏帳簿。セドリックの方は見つかれば拾うが、深追いはしねえ」
「裏帳簿って、どこにあるか分かってるんですか?」
エルンが今度は真面目な顔で領主館を見上げると、おじ様は立派な髭を指で撫でながら二階へ目を細めた。
「おそらく執務室かヴァルターの私室だ。脱税の証拠をそこらの棚に放り込む馬鹿はいねえから、金庫か鍵付きの引き出し、下手すりゃ隠し棚だろうな」
「その金庫の場所は?」
「知らん」
エルンの表情が止まった。
「……隠し棚は?」
「知らん」
「鍵は?」
「持ってねえ」
今度は完全に黙り込み、領主館を見上げ、おじ様を見て、もう一度領主館へ視線を戻した。
「なんか……その作戦、ふわふわしてません?」
「どこがだ!」
おじ様の顔が露骨に引きつる。
「『執務室か私室に行く』『金庫か何かを探す』『セドリックさんのことは分からない』ですよね。しかも、まだ入口すら決まってない」
「潜入なんざ現場を見なきゃ決められねえんだよ!」
おじ様は小柄な身体をぐっと伸ばし、二階の端を指差した。
「部屋の位置なら昼間に見てる。執務室は二階の東側、ヴァルターの私室はその奥だ。そこまでは分かってる」
「あ、そこはちゃんとしてるんですね」
「俺を何だと思ってる!」
エルンは少し考えたあと、悪気のなさそうな顔で首を傾げた。
「今日会ってから、ずっと逃げてる人」
「国家監察官だ!」
「両方できますよね?」
「できなくていいんだよ!」
おじ様が顔を赤くして怒鳴り、エルンは本当に不思議そうな顔をしている。
どうやら煽っている自覚はないようですわね。
それが余計におじ様を苛立たせているのだから、なかなか面白い組み合わせですこと。
「それで、わたくしは?」
二人の間へ顔を出すと、おじ様がこちらを向いた。
少しの間、真剣な顔でわたくしを見つめる。
ずいぶん考えているようですけれど、そんなに難しい役目なのかしら。
「勝手なことをするな」
「役割になってませんわ」
「お前にはそれが一番重要なんだよ!」
失礼ですこと。
頬を少し膨らませてみせると、おじ様はますます嫌そうな顔をした。
「エルンは俺と来い。帳簿を見つけたら、品物と金額がおかしくないか横で確認しろ」
エルンは一度頷きかけたものの、すぐに領主館へ視線を戻す。
「それはいいですけど……入口は?」
「だから今から探す」
また眉が下がった。
「やっぱり、ふわふわしてません?」
「お前その言葉気に入っただろ!」
ふふっ。
言われるたびにおじ様が怒るので、わたくしまで少し気に入ってきましたわ。
もっとも、わたくしにも少々ふわふわしているように聞こえますけれど。
おじ様とエルンは塀を眺めたり、館の脇へ続く道を覗いたりしながら、ああでもない、こうでもないと侵入口を探し始めた。
けれど、わたくしには不思議だった。
そんなに悩まなくても、目の前にはこんなに立派な門があるではありませんの。
「正面から入ればよろしいのでは?」
二人がぴたりと止まり、ゆっくりこちらを向いた。
「……何?」
「ですから、正門から」
わたくしは目の前の大きな木の門を指差した。
「あんなに立派な入口があるのに、どうしてわざわざ壁を越えなければなりませんの?」
「忍び込むからだよ!」
とうとうおじ様が両手で頭を抱えた。
「開けてもらえば、忍ばなくて済みますわ」
「それは普通に乗り込むって言うんだ!」
「通してくださるかもしれませんよ?」
「昨日、領主の息子を殴った女を誰が通すんだ!」
「あら」
そういえば、そうでしたわね。
顔に包帯まで巻いていましたし、忘れている可能性は低そうですわ。
エルンが不安そうにわたくしの顔を覗き込んでくる。
「ダリアさん、本気で正面から行くんですか?」
「ええ」
「止められたら?」
「お願いしてみますわ」
「それでも駄目だったら?」
少し考えたけれど、お願いして駄目なら仕方ありませんわね。
「押し通ります」
「物理的にですよね、それ!」
エルンが引き気味に一歩下がる。
どうして分かったのでしょう。
「待て。お前は護衛だ。俺たちと一緒に――」
「では、行ってまいりますわ」
「だから待て!」
おじ様の声を背中に受けながら正門へ向かう。赤いジャケットの裾が夜風に揺れ、やはり昼間の地味な格好よりこちらの方が気分がいい。
「おい、ダリア!」
また背後から声が飛んできた。
「作戦は覚えてるな! 衛兵はあとでこっちにつけるんだ、殺すんじゃねえぞ!」
もちろん覚えていますわ。
せっかくこちら側へ来ていただく予定なのですから、ほどほどにしておきませんと。
数歩進んだところで、今度はエルンの困り果てた声が聞こえてきた。
「……行っちゃいましたよ」
「見りゃ分かる。止まると思うか?」
「……思いません」
「俺もだ。もうほっとけ」
まあ、聞こえていますわよ。
「でも、ダリアさん護衛ですよね?」
「知らん。あいつに護衛されるより、離れてた方が安全な気がしてきた」
思わず足を止めそうになった。
おじ様、そちらも聞こえていますわよ。
「……いや、待て。むしろ好都合だ。あいつが正面で騒げば衛兵が集まる。俺たちは裏へ回るぞ」
「今、勝手に陽動にしましたよね?」
「結果的に使えりゃ作戦だ」
「それ、行き当たりばったりって言いません?」
「現場対応力と言え!」
好き勝手言ってくださいますわね。
わたくし、陽動を引き受けた覚えなどありませんけれど、お二人が好きにするのでしたら、こちらも好きにさせていただきましょう。
正門へ近づくと、門前に立っていた二人の衛兵がすぐにこちらへ気づき、一人が槍を構えれば、もう一人も慌ててその横へ並んだ。
「止まれ! こんな時間に何の用だ!」
「こんばんは」
警戒する一人とは対照的に、もう一人は赤いジャケットからわたくしの顔へ視線を移した途端、みるみる表情を引きつらせた。
「お、お前……昨日の! 赤のダリア……!」
「あら。覚えていてくださったの? ええ、今日はちゃんと赤いですわ」
せっかく戻したのですもの。気づいていただけて何よりですわね。
「領主館に用がありますの。通してくださいな」
「通せるわけがあるか!」
即答されてしまった。
せっかく丁寧にお願いしましたのに。
「では、もう一度だけお願いしますわ」
「何度言っても駄目だ! 立ち去れ!」
「そうですの。なら、仕方ありませんわね」
「何が――」
衛兵が突き出した槍を半歩ずれてかわし、そのまま柄を掴んで軽く引く。前へつんのめった身体をくるりと回してもう一人へ押しつけると、二人は「うわっ!?」「ぐえっ!」と声を重ねながら絡まり、そのまま地面へ転がった。
「い、いきなり何をする!」
「お願いしましたでしょう?」
「だからって殴る奴があるか!」
「殴ってはいませんわ。まだ」
起き上がろうとした一人の肩を軽く押し、もう一度地面へ戻っていただく。
あとでこちら側についていただく方々ですもの。壊してしまっては困りますわね。
これで門番はいなくなったけれど、目の前にはまだ大きな木の門が閉ざされている。
エルンなら鍵を探し、おじ様なら別の入口を探すのでしょうけれど、わたくしならそんな面倒なことをする必要はありません。
閉まっているのなら、開ければいいだけですわ。
一歩下がって腰を落とし、門の中央へ狙いを定める。
「よいしょ」
踏み込んだ勢いのまま踵を叩き込むと、どん、と夜の静けさを押し潰すような音が響き、分厚い木の門扉が大きくたわんだ。
次の瞬間には中央から派手に裂け、留め具と木片を撒き散らしながら左右の扉が内側へ倒れ込む。
……少し大きな音になってしまいましたわね。
「な、な……なんてことを……!」
地面に転がった衛兵が、口を開けたまま壊れた門を見つめている。
「開きましたわ」
「そういう問題じゃない!」
館のあちこちで一斉に灯りがつき、窓が開くと同時に「正門だ!」「侵入者!」「衛兵を集めろ!」と怒鳴り声が飛び交った。
中庭の奥から次々と人影が現れ、五人、十人と増えていく。十人を越えたところで数えるのをやめた。
なるほど。おじ様の言う通り、陽動にはなっているようですわね。
勝手に決められたのは少し気に入りませんけれど、ここまで綺麗に人が集まれば悪い気もしない。
倒れた門を踏み越えながら押し寄せてくる衛兵たちを眺めると、皆様そろって剣や槍を手にしている。
けれど、普通の衛兵が相手なら剣を抜くほどでもありませんわ。
それに、あとで味方になっていただく予定の方々ですもの。おじ様にまた騒がれない程度には、丁寧に扱って差し上げましょう。
腰の剣には触れず、両手を軽く開く。
おじ様とエルンが好きにするのでしたら、わたくしも好きにさせていただきますわ。
自然と口元が緩んだ。
「さて、始めましょうか」




