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世界最強の俺を、幼馴染が全力で落ちこぼれにしてくる件  作者: 浪留
第五章:夏休み

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第二十七話「夏期休暇は、課題とともに訪れる。」

 白冠杯が終わってから数日が経ち、王立エリュシオン学園の空気は、少しずつ緩み始めていた。

 もちろん、授業がなくなったわけではない。朝の鐘は相変わらず律儀に鳴るし、講義室には羽根ペンの音が並ぶ。訓練場では木剣の音が響き、魔術棟では時々、誰かの失敗らしい小さな爆発音もする。

 けれど、どこかが違っていた。廊下を歩く生徒たちの足取りが、ほんの少しだけ軽い。掲示板の前では、白冠杯の結果表よりも、夏季休暇中の課題一覧や帰省申請の紙を眺める者が増えている。食堂では、白冠杯の反省より、どの馬車で王都を出るか、実家から迎えが来るか、夏の間にどの講習を取るか、そんな話題の方が目立つようになっていた。

 どうやら、ここにも、夏は来るらしい。


 窓の外では、いつもより強い日差しが白い石畳を照らしている。校舎の壁は眩しすぎるくらいに光を返し、広場の噴水だけが少しだけ涼しげな顔をしていた。風はある。けれど春の風とは違って、袖口から入ってくるというより、首筋に残る熱を少しだけ動かしていくような風だった。

 白冠杯の旗は、まだいくつか残っている。けれど、もう以前までのような熱はない。歓声は消え、木剣の音も遠くなり、あの日の悔しさも痛みも、少しずつ日常の中へ沈んでいく。

 俺の肩には、まだ少しだけ違和感が残っていた

 三回戦で負けた時に打たれた場所だ。フィーネに治してもらったので、怪我というほどではないけれど、完全に何かが無くなったわけでもない。腕を回すと、奥の方に小さな熱がある。それが、なんだか嫌ではなかった。


 そんなことを考えながら、第七寮の廊下を歩いていると、床板がぎい、と鳴った。

 いつもの音。

 白冠杯が終わっても、夏が近づいても、第七寮の床板は相変わらず踏む場所によって返事をする。ただ、最近はその返事が少しだけ得意げに聞こえる。

 …気のせいだと思いたい。


 食堂へ向かう途中、窓の外から明るい声が聞こえた。どこかの寮の生徒たちが、休暇中の予定を話しているのだろう。そんな内容の会話が、白い朝の中を軽く跳ねていた。


 ―夏休み。

 旅をしていた頃の俺にとって、休みという言葉は少し曖昧だった。

 歩く日もあれば、泊まる日もある。雨で進めない日もあれば、父が「今日は動かない」と言って本当に一歩も動かない日もある。けれど、それは休みというより、旅の一部だった。だから、学園で迎える夏休みというものが、俺にはまだよく分かっていない。

 分かっているのは、授業が減ることと、それでも課題は減らないこと。

 そして、アイリスが朝から俺の顔を見て笑うことくらいだった。


「おはよう、三回戦敗退剣士」

 食堂に入った瞬間、アイリスが言った。


「朝の挨拶に棘を混ぜるな」

「じゃあ、おはよう、要訓練剣士」

「変わってないぞ」

「夏休み前だから、復習してあげようと思って」

「親切の形が鋭い」


 アイリスはいつもの席でパンをちぎっていた。

 窓から差す光が、栗色の髪を少し明るくしている。白冠杯の時より、表情は軽い。


「肩、まだ痛いの?」

「少し」

「悔しさは?」

「それも少し」

「少し?」

「かなり」

「正直でよろしい」


 俺は向かいの席に座り、パンを手に取る。

 負けた後にも朝は来るし、敗退者にもパンは焼ける。夏休みは、落ちこぼれにも平等に近づいてくる。


 世界は意外と容赦がなくて、少しだけ優しい。


―――


「白冠杯、お疲れさま」


 マルタさんは、今日も変わらず穏やかだった。食堂の奥からスープの鍋を運びながら、まるで俺が勝って帰ってきたみたいな顔をしている。

 白冠杯の間は、朝も夜もどこか慌ただしかった、だからこうしてマルタさんがスープをよそいながら、ゆっくり言葉を挟んでくれるのは、少し久しぶりな気がした。


「負けましたけど」

「ええ。きちんと負けられたのは、よいことね」

 さらっと言われて、俺は少し黙った。


「きちんと負けるって、何ですか」

「自分の足で立った場所で、結果を受け取ることかしら」

 マルタさんは、スープを器によそいながら言った。


「第七寮も、少し嬉しそうだったわ。あの夜、廊下の軋みが少し誇らしげだったの」

「そんなこと分かるんですか」

「長く住んでいるとね、なんとなく分かるのよ」

 分かりたくない。いや、でも少し分かってしまうのが嫌だった。


 スープをよそい終えて、空いている席に座ったマルタさんが言った。

「夏休みに入ると、寮に残る人も少なくなるから、寂しくなるわね。アレンさんたちは、どうするの?」

「俺は……」


 答えかけて、少し止まった。

 実家、帰省。そういう言葉は、俺にはまだうまく馴染まない。

 父は旅に出ているだろうし、村に戻るわけでもない。かといって、エルノートへ行く理由もない。学園に残るのが、一番自然な気がした。


「たぶん、残ります」

「私も」

 アイリスが当然のように言った。


「何でお前も残るんだ」

「見張りだから」

「夏休みも?」

「見張りに休暇はない」

「職業意識が高すぎる」

「しかも無給」

「それやっぱり俺のせいなのか?」

「半分くらい」

「残りは?」

「趣味」

「趣味で見張られるの、怖いな」


 そんな会話の最中も、アイリスは変わらずに、平然とパンを食べている。マルタさんはそのやり取りを聞いて、にこにこと笑っていた。



 第七寮は、どんな時も平常運転だ。

 もっとも、第七寮の場合、そもそもの平常がかなり怪しい。だから、この言葉には少しむず痒さが残るけれど、とりあえず、いつも通りではあった。

 今日も、朝食が終わってから外へ出るまでに、ひと事件起こった。

 トーマス先輩が「夏季寮内快適化魔導冷却装置――試作一号」という新しい魔導具を作っていたのだ。

 名前だけ聞けば、とても快適そうだった。だが実際には、寮内の一角が夏を通り越して冬になっていた。いつも部屋で寝ているハーブ先輩まで、廊下の端に避難している。

 壁にもたれて眠るその姿は、だらけきっているのに、妙に絵になっていた。だらけている部分に目をつむれば、やはり「美少年」という言葉がよく似合う人だと思う。ただ、目をつむると、その美少年も見えなくなるという、難しい問題は解決できそうもない。


 廊下に白い息が浮かぶ中、トーマス先輩だけは満足そうに頷いていた。

「局所的な冷却には成功した」

「冷却しすぎです」

「これは、季節を前借りしている可能性があるな」

「それたぶん、借りてはいけないものです」


 こんな一大事件にも動じなくなってきたあたり、俺ももう、この寮にかなり染まってしまったのだろうか。

 ……少しだけ嬉しいのが、腹立たしい。


―――


 食後、俺とアイリスは学園中央棟へ向かった。掲示板に、夏季休暇中の課題一覧が張り出されるらしい。…休暇とは何だろう。

 学園に来てから、この疑問は何度か頭に浮かんでいる。休むための期間なら、課題というものはおかしい。逆に、課題のための期間なら、休暇という呼び方はおかしい。

 これまでも、休日というものは定期的に訪れていた。ただ、そのどれもに「休日課題」なるものは存在し、俺の頭を悩ませる一つの原因になっていた。つまり、学園は何かを少しごまかしている。アイリスと一緒だ。

 …これを言ったら怒られそうなので、黙っておこう。


 中央棟の掲示板前には、すでに生徒が集まっていた。

 掲示板にはこの休暇中に関することが書かれている。俺はその一番下にある文字を見つけて、少しだけ嫌な顔をした。


 王国史―英雄記録調査課題

 題目『英雄とは、何をもって記録されるか』


「王国史が、休暇にまで追ってくる」

「逃げ切れると思ってたの?」

「少し」

「甘い」

 アイリスはいつでも容赦がない。


 俺は掲示板を睨む。なんだか、見覚えのある痛み方をする題目だった。


「記録、ね」

 後ろから声がした。


 振り返ると、メル先輩が本を抱えて立っていた。小柄な少女だ。第七寮で稀に見かけるが、寮にいる時間より図書館に沈んでいる時間の方がずっと長い。桃色がかった髪は少し乱れていて、曇りがかった眼鏡をかけている。腕の中の本は明らかに持ちすぎだった。


「メル先輩。いつからいたんですか?」

「本がここに来た時から」

「やっぱり本が基準なんですね」

「本は、持ち主より正確です」

 そういうものなのだろうか。


 メル先輩は掲示板を見上げた。

「英雄記録は、重いです」

「重い?」

「残ると重いです。でも、消されると、もっと重いです」

 その言い方が、妙に耳に残った。


「消されても、重いのか?」

「紙は、けっこう覚えています。人が思っているより、ずっとしつこく」


 メル先輩は抱えていた本の背を指で撫でた。

「でも、普通は読めません。読めないものは、ないものにされやすいです」

 俺は少しだけ黙った。


 読めないもの、ないものにされるもの。それは、どこか他人事とは思えなかった。

 アイリスも、何も言わなかった。ただ、少しだけ視線を下げている。


 その時、別の方向から賑やかな声が近づいてきた。

「夏季課題か。ふ……封印を解くにはちょうどいい季節だ」


 シオンだった。右腕の包帯は、いつもより厳重に巻かれている。白冠杯決勝でほどけたことを、本人なりに反省しているらしい。


「包帯、増えてないか?」

「耐久性を上げた」

「封印具として?」

「もちろん」

 …でも、ただの包帯だよな?


 シオンの後ろには、ノアがコルちゃんを抱えて歩いていた。今日はルミちゃんもタルちゃんもいない。多分、あの白冠杯で頑張りすぎたから、当分お休みなのだろう。

 少し遅れて、エリオとフィーネも来た。


「課題は正面突破する」

 エリオが掲示板を見るなり言った。


「本に正面とかあるのか?」

「ある。表紙だ」

 …つまりは普通に読むだけじゃないのか?


 フィーネはその隣で、すでに何かを記録していた。

「夏季休暇中の不規則な生活は、学力、体力、精神衛生のすべてに悪影響です。各自、起床時刻、就寝時刻、食事内容、運動量、課題進捗を提出してください」

「先生みたいなこと言ってる」

「そうではなく医療補助として、です」

「提出先は?」

「私です」

 やっぱりただの先生じゃないか。


 セラは、掲示板の端にいた。

 暑さのせいか、いつもよりさらに声が小さい。


「……あつ……い……」

 その一言で、近くの小型冷却術式が一瞬だけ止まった。暑さが増した。


「……ご、ごめ……」

「いや、今のは冷却術式が弱いのが悪い」


 俺がそう言うと、セラは小さく頷いた。すると、止まっていた冷却術式が恐る恐る再起動した。

 術式にも遠慮があるらしい。


―――


 掲示板前が少しだけ騒がしくなってきた頃、白い制服の少年が近づいてきた。

 レオンハルト・ヴァイスグラン。白冠杯総合部門の優勝者。

 その名前は、まだ学園中の空気に少し残っている。彼が歩くと、近くの生徒たちが自然に目を向ける。けれど彼自身は、それを当然のように受け取りすぎるでもなく、嫌がるでもなく、静かに歩いてくる。

 その少し後ろに、クレアの姿もあった。

 クレアは掲示板の課題を見て、すでに何かを考えている顔をしていた。紋章学か、貴族法か、あるいはエルノートの名を戻すための何かか。

 彼女はたぶん、休暇というものを休む期間として扱わない。


「ノーツ君」

 ヴァイスグランが俺を見た。


「英雄記録の課題を見ていたのかな」

「見たくなくても、見える場所に貼ってある」

「それは学園の上手いところだね」

「上手いのか、逃げ道を塞いでいるのか」

「両方だと思うよ」

 ヴァイスグランは少し笑った。


「英雄記録を調べるなら、家の資料室を使うといい」

「ヴァイスグラン家の?」

「そう。家には、英雄庁に提出された公的資料の写しがいくつか残っている。夏季課題には十分だと思う」

「英雄庁?」


 俺が聞き返すと、ヴァイスグランは静かに頷いた。

「王国に認められた英雄の功績を記録し、支援し、必要な場へ橋渡しする機関だよ。英雄の称号や公式記録、式典、過去の功績調査なども扱っている」

「英雄って、そんなにきっちり管理されてるのか?」

「英雄は、人々の憧れであると同時に、王国の制度の一部でもあるからね」


 制度の一部。

 英雄という言葉には、もっと遠くて眩しい響きがあると思っていた。けれど、ヴァイスグランの口から出たそれは、思ったよりも整っていて、思ったよりも冷たかった。


「私の家は、代々その英雄庁と関わりが深い。英雄を多く輩出した家として、記録の保管や式典への協力を任されることもある」

「名誉なことですね」

 クレアが言った。


 ヴァイスグランは、少しだけ目を伏せた。

「表向きはね」


 その一言だけ、夏の廊下に少し涼しく残った。

 その傍らで、アイリスの目がほんの少しだけ動いた事に、この時の俺は気が付かなかった。


「もちろん、見せられるのは公の資料だけだよ」

 公の資料。その言葉は、妙に耳に残った。つまりは公ではないものもあるのだろうか。


「公ってことは、誰でも見られるのか?」

「誰でも、というほどではないね。けれど、隠されているものではない」

「隠されていないものと、全部見えているものは違います」

 メル先輩が小さく言った。


 ヴァイスグランは、少しだけ目を細めた。

「その通りだね」


 なんだか、空気が少しだけ変わった気がした。


―――


「どうかな」


 彼は言った。

「夏季休暇の間に、一度うちへ来ないか」


 俺は少しだけ考えた。

 英雄とは、何をもって記録されるか。

 白冠杯で、俺は少しだけ知った。名前の隣に何かが置かれることの重さを。勝ちも、負けも、そこに自分がいるなら目を逸らさずに済むことを。

 でも、英雄の記録はきっと、それだけではない。


「分かった」


 俺は頷いた。

「行く」


 アイリスが、ほんの少しだけ息を止めた気がした。

「私も行く」

「早いな」

「見張りだから」

「夏休みも?」

「見張りに季節は関係ない」

 さっきも聞いたような気がする。


 クレアも静かに頷いた。

「私も、よろしければ同行させてください。英雄記録と家名の関係には、以前から関心があります」


「もちろん」

 ヴァイスグランは頷いた。


「歓迎するよ」


 メル先輩は本を抱え直した。

「資料室……」

「メル先輩も行くんですか?」

「資料室が呼ぶなら」

「呼ぶのも本の仕業なんですね」

「本は、人より先に呼びます」

 やっぱりよく分からない。でも、たぶん来るのだろう。


 ヴァイスグランは穏やかに笑った。

「では、日程は追って知らせるよ。公的な資料だけでも、課題には十分なはずだ」


 公的な資料だけ。その言葉が、また耳に残る。

 公にされたもの。では、公にされなかったものは、どこへ行くのだろう。



 窓の外では、夏の光が白い石畳を照らしていた。休暇は、もうすぐそこまで来ている。けれど、どうやら夏休みというものは、ただ休むためだけの時間ではないらしい。


 少なくとも、俺の夏休みは、

 記録の外へ、少しだけ足を踏み出そうとしていた。

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