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世界最強の俺を、幼馴染が全力で落ちこぼれにしてくる件  作者: 浪留
第四章:白冠杯

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第二十三話「白き冠は、名前の隣に剣を置いた。」

 翌朝。


 廊下の床板は、相変わらず踏む場所によって返事をするし、洗面所の水は以前よりずっと素直に出る。窓の隙間風も少ない。第七寮の調子がずっと良い事に、やっぱり、疑問を持つ者はいなかった。


 今日が少し特別な日であることを除けば、それは不自然なくらいにいつも通りだった。


「今日は晴れてよかったわね」

 マルタさんは、今日も変わらず、穏やかに言った。


 食堂の窓からは、白い丘の朝が見える。学園の方角には、いつもより多くの旗が立っていた。

 白地に銀の冠。風を受けるたび、光が揺れる。



 ――白冠杯。

 年に二度、学園中の生徒が、自分の力を記録される場所に立つ日。


 今日はそれが行われる日だった。



「顔、硬い」

 隣でアイリスが言った。


「そうか?」


「うん。昨日の木剣くらい硬い」


「折れかけてないだけましだな」


「折れないでね」


 何気ない言葉だった。

 けれど、少しだけ遅れて胸に残った。


「剣の話か?」


 アイリスは何も応えず、パンをちぎった。

 いつもなら、そこで何か余計な一言を足す。俺が落ちこぼれっぽく倒れないように、とか、審判に要観察されすぎないように、とか。

 でも、その朝のアイリスは、それ以上言わなかった。


 俺は手元の木剣を見る。

 白冠杯の剣術部門で使われる、学園指定の木剣だ。昨日まで振っていた練習用より少しだけ重く、柄の部分には小さな刻印が入っている。

 王立エリュシオン学園―白冠杯剣術部門。

 その文字を指でなぞると、妙に落ち着かなかった。



 今まで、俺の名前が紙に載らなかったわけではない。

 いや、名前なら、何度も書かれた。

 けれど、その隣に並んでいた言葉は、いつも俺の知らない俺だった。


 もちろん、間違いだけではないのかもしれない。それは分かっていた。俺の剣は間違いなく未成熟だったし、術式は不明瞭だったし、要観察なのも、まあ否定しきれない。

 でも、そこには俺が何をしたのかは書かれていなかった。


 俺が止めたもの、俺が戻したもの、俺が守ろうとしたもの。

 そういうものは、紙の上では別の名前になったり、不明になったり、何もなかったことになったりした。

 だから、嫌だった。


 名前が残らないことではない。

 名前と中身が、いつもずれていることが。



「アレン」

 アイリスが俺を見る。


「何?」


「今日は、ちゃんと見てるから」


「ごまかすために?」


「見張り」


「答えになってない」


「私は見張り、だから」


 二回言った。

 たぶん、それ以上の答えをまだ持っていないのだと思った。


 俺は木剣を持ち上げる。

「行ってくる」


「うん」

 アイリスは、少しだけ笑った。


「いってらっしゃい。落ちこぼれ剣士」


「せめて剣士の前を別にしてくれ」


「要訓練剣士」


「それなら少し許す」


「許すんだ」


 軽口を交わして、俺は第七寮を出た。


―――


 寮を一歩出ると、白い丘の朝はいつもより少しだけ眩しかった。


 学園中央広場には、すでに多くの生徒が集まっていた。

 部門ごとに掲示板が立ち、教師や記録官が忙しそうに行き来している。観覧席には上級生や他部門の生徒たちが座り始めていて、白い旗が風に鳴っていた。


 祭りのようだった。

 けれど、ただ楽しいだけの空気ではない。


 ここで勝てば、名前が残る。ここで負けても、名前は残る。

 そして、その記録は課程評価や推薦や、将来の道に繋がる。


 白冠杯は、笑い声の中に、紙と羽根ペンの音が同じくらいの重さで混じる行事だった。



「アレンさん!」


 声がして振り返ると、ノアがコルちゃんを抱えて立っていた。今日は魔術部門の受付へ向かうらしく、胸元に小さな札を下げている。


「コルちゃん、公式魔術です」


「おめでとう」


「ありがとうございます。本人は緊張しています」

 コルちゃんはノアの腕の中で寝ていた。


「寝てるように見えるけど」


「緊張で眠くなっているんです」


「便利な緊張だな」


 少し離れた場所では、フィーネが医療班補助の腕章をつけていた。

「怪我をしないようにしてください」


「優しいな」


「怪我人が増えると、私の仕事が増えます」


「優しくなかった」


「ただし、怪我をした場合は来てください。治します。ついでに、なぜ怪我をしたのか反省もしてもらいます」


「怪我よりも辛そうだ」

 フィーネは否定しなかった。



 戦術部門の掲示板前では、エリオが腕を組んで盤面を見ていた。

「初戦はどうするんだ?」


「正面突破だ」


「聞く前から分かっていた気がする」


「ただし、今回は三方向から正面突破する」


「正面の定義が壊れてきたな」


「定義とは、必要に応じて拡張するものだ」


 …どこまでも都合よく解釈している気がする。



 セラは観覧席へつながる入口の端にいた。

 出場札は下げていない。まだ、出ることは選ばなかったのだろう。

 目が合うと、彼女は何かを言おうとして、唇を小さく動かした。


「……が……って…」


 かすかに聞こえた。たぶん、がんばって、と言おうとしたのだと思う。

 俺は小さく頷いた。

 セラはほっとしたように、さらに小さく頷いた。



 剣術部門の受付へ向かう途中、シオンが木剣を肩に担いで待っていた。

「来たか、アレン」


「来たよ」


「白き冠よ、我が仮初めの剣を記録せよ」


「今日くらい普通に剣って言えないのか」


「仮初めであることに意味がある」


「ないと思う」


 シオンは笑った。

 ただ、その目はいつもより少しだけ真面目だった。


「恐れるな。白冠杯は魂に名を刻む戦場だ」


「また大げさな」


「だが、貴様はそこへ来た」

 そう言って、シオンは掲示板を指した。


 剣術部門―一回戦


 そこに、名前が並んでいた。

 アレン・ノーツ。


 その隣には、微弱とも、不明とも、要観察とも書かれていなかった。

 ただ、剣術部門と書かれていた。

 俺が選んだ場所。剣で立つと決めた場所。


 名前だけが先に歩いているわけではない。

 少なくとも今日は、その名前の隣に置かれた言葉が、少しだけ俺の方を向いている気がした。


 まだ何もしていない。勝ったわけでも、強いと認められたわけでもない。


 それでも、胸の奥が少しだけ熱くなったのを感じた。



 掲示板を見て固まっていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

「アレンさん」


 振り返ると、クレアが立っていた。総合部門の出場札を胸に下げている。背筋は変わらずまっすぐで、制服の襟もきちんと整っていた。

 エルノートの屋敷前で折れかけた木剣を握っていた少女は、今、白い学園の中央に立っている。


「剣術部門に出るのですね」


「ああ」


「では、以前より少しだけ、まっすぐ構えられるようになったか、見せていただきます」


「なんだか緊張するな」


 クレアは少しだけ微笑んだ。

「剣の話ではありますが、剣だけの話じゃありませんよ」


 その言葉に、俺は自然と背筋を伸ばしていた。

 クレアは満足したように、小さく頷く。


 その少し後ろに、ヴァイスグランがいた。

 白金の髪が朝の光を受けている。彼は俺を見ると、静かに言った。


「剣術部門にしたんだね」


「ああ。剣なら、剣として残るかもしれないから」


「なら、見ているよ」


 短い言葉だった。

 けれど、不思議と重かった。



 その時、中央広場に鐘が鳴った。生徒たちのざわめきが少しずつ引いていく。たくさんの音でごまかされていた緊張感が、漂い始めた。

 壇上には、学園長が立っていた。銀の髪を風に揺らし、いつもの少し疲れたような顔で、それでも今日はまっすぐに生徒たちを見ている。


「諸君」


 声は大きくない。

 けれど、広場の隅まで届いた。


「白冠杯は、ただ勝者を飾るためだけの場ではない」

 記録官たちが羽根ペンを構える。白い旗が風に鳴る。


「ここには、勝った名も、負けた名も残る。届いた者の名も、届かなかった者の名も残る」

 俺は、自分の名前が載った掲示板を思い出した。


「測られるものは、それがすべてではない。したがって、測られることを恐れて、何も示さぬまま終わる必要はない」

 父の声が、少しだけ胸の奥で重なった。


 ―測られたものを、全部だと思うな


 けれど、今日は少しだけ違う。

 全部ではないとしても、ここで示せるものがあるなら…それを、俺は自分の名前の横に置きたかった。


「諸君の名が、諸君の行いと共に記録されることを願う」

 学園長はそこで、少しだけ息を吐いた。


「ではここに、第百四十六回、白冠杯の開幕を宣言する」


 歓声が上がった。恐ろしく整えられた楽器の音がそれに重なる。

 白い丘が、一瞬で、激しく空気を揺らす音の嵐に包まれた。


―――


 それから、剣術部門の第一試合は、すぐに始まった。


 いくつもの試合場で木剣が打ち合わされる音が響く。勝者の名が呼ばれ、敗者の名も記録されていく。



 俺の番は、思ったよりも早く訪れた。


「剣術部門、一回戦。アレン・ノーツ」


 名前が呼ばれる。俺は息を吸った。

 俺の名前を呼んだその音は、前の測定の時とは違って聞こえた。

 触れる前に終わらされる声でも、不明として片づけられる声でもない。


 試合場へ上がれ。そして剣を構えろ。ただ、そう言われている声だった。


 相手は同じ学年の、第二課程の男子生徒だった。背は俺より少し高く、木剣の握り方も慣れている。俺の顔を見て、少しだけ眉を上げた。


「ああ、要観察の」


 やっぱり知っているらしい。

 俺より、俺の評価の方が有名だ。


「剣術部門に出るんだな」


「ああ」


「まあ、よろしく」


 悪意は薄かった。

 ただ、軽く見られている。

 それは分かった。


 俺は木剣を構えた。

 肩の力を抜く。

 足を置く。

 相手の剣先だけを見るな。肩と足。重心を見る。間合いで読む。



 シオンの声が蘇る。

 ―目は追っている。だが、剣がそこにいない。


 エリオの声も。

 ―評価されるのは途中式だ。


 クレアの声。

 ―まっすぐ構えていてください。


 そして父の声。

 ―剣は、相手を止めるためだけにあるんじゃない。自分がそこへ行くためにもある。



 奥の方で、いつもの感覚が揺れた。

 止めればいい。そう思ってしまえば、相手の踏み込みも、剣も、何もかも、きっと一瞬止められる。でも、それは剣ではない。

 今日は、お休みだ。



 ――審判が右手を上げる。


「始め」


 相手が踏み込んだ。

 速い。

 けれど、見える。


 俺は、止めなかった。


 ただ、足を出した。半歩、外へ。

 腰を落とす。

 剣を上げる。



 木剣と木剣がぶつかった。



 乾いた音が、白い試合場に響く。


 それはたぶん、俺の名前の隣に残る、最初の音だった。

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