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世界最強の俺を、幼馴染が全力で落ちこぼれにしてくる件  作者: 浪留
第三章:王立学園

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第十九話「見えない一手は、歓声の外に立っていた。」

 ヴィオラ先生が、乾いた音を立てて手を叩いた。


「全員、整列しろ」


 訓練場の空気が、そこで切り替わった。

 さっきまでざわついていた生徒たちの声が、すっと引いていく。


 白い石で囲まれた訓練場の中央には、透明な防壁に囲まれた小さな塔があった。

 塔の中心に、青い魔導核が浮いている。その周囲には、訓練用の魔導人形。

 剣を持つもの。

 杖を構えるもの。

 盾を前に出すもの。

 どれも人間ほどの大きさで、顔には何もない。ただ、目にあたる部分だけが、淡い青で静かに光っていた。


「今日の課題は、戦術基礎実習。中央区画に配置された魔導核を回収し、指定地点まで帰還する」

 ヴィオラ先生は淡々と言った。


「第一課程と第七課程。それぞれ七名で同時に開始する」


 少し離れた場所で、第一課程の生徒たちがこちらを見る。

 白く整った制服。落ち着いた立ち姿。

 そして、その中心にいるレオンハルト・ヴァイスグラン。

 隣には、クレア・エルノートの姿もあった。


「評価項目は、作戦遂行、役割遂行、損耗管理、魔力使用効率、不測事態への対応。勝つことだけが目的ではない」


 ヴィオラ先生の視線が、俺たちを順に刺す。

「勝ち方を、記録できる形にしろ」


 記録。

 その言葉が、胸の奥に引っかかった。

 俺は少しだけ嫌な予感がした。


―――


 班分けはすぐに決まった。

 第七課程側は、俺、アイリス、シオン、エリオ、ノア、フィーネ、セラ。

 第一課程側は、ヴァイスグラン、クレア、さっきこちらを見ていた男子生徒たち、ほか数名。


 エリオ・ラングレーは、訓練場の見取り図を見るなり言った。

「第一課程は、おそらく正攻法で来る」


 細い指が盤面をなぞる。

「ヴァイスグランを中心に前衛を固定。クレア・エルノートが補助術式と紋章解析。後方支援を二枚、回収役を一枚。無駄がない」


「すごいな」

 俺は素直に言った。


「じゃあ、こっちはどうする?」


「正面突破だ」


「今の分析は何だったんだ」


 エリオは真顔だった。

「誤解しないでほしい。これは考えなしの正面突破ではない。考え抜いた結果、正面突破だ」


「一番怖いやつだ」


「正面は厚い。だからこそ、第一課程は我々が正面から来るとは考えにくい」


「いや、第七課程だから逆に考えそうだけど」


「そこをさらに読んで、正面から行く」


「もう正面に行きたいだけじゃないのか」

 エリオは少しだけ笑った。


「嫌いではない」

 否定はしなかった。


 フィーネ・アステルが、腕を組んで作戦図を見ていた。

 整った顔立ちだが、目が冷たい。治癒士という言葉から想像する柔らかさは、あまりない。


「負傷率が高すぎます」


「勝率も高い」


「治療する側の都合を無視しないでください」


「君がいるから成立する作戦だ」


「最悪の褒め言葉です」

 フィーネは即答した。


「シオンを前衛に置くのは妥当です。ノアの召喚獣で一瞬の誘導、セラの言葉で仕掛けを鈍らせる。アイリスは補助。そこまでは分かります」


「なら問題ない」


「問題は、あなたが最後に必ず押し切ろうとすることです」


「押し切らなければ、勝機は逃げる」


「押し切った後に怪我人が出たら、私の仕事が増えます」


「それは頼りにしている」


「二回目の最悪です」

 フィーネは冷たく言った。


 俺は恐る恐る聞いた。

「俺は?」


 エリオがこちらを見る。

「予備」


「え」

 扱いがひどすぎないか。



 その時、第一課程側から小さな笑い声が聞こえた。

「第七課程が戦術基礎ね」


「基礎の前に、保護じゃないのか」


 何人かが笑う。

 ヴァイスグランが、すぐにそちらを見た。


「やめろ」


 静かな声だったが、よく通った。

 笑っていた生徒たちは、気まずそうに目を逸らす。


「実習前に相手を侮るのは、戦術ではなく油断だ」

 その言葉に、少しだけ空気が締まった。


 俺はヴァイスグランを見た。

 やっぱり、あいつは眩しい場所に立っている。けれど、眩しいだけの人間ではないらしい。


―――


 開始の鐘が鳴った。


 第一課程は、美しかった。

 ヴァイスグランが前に出る。その動きに合わせて、周囲の生徒たちが迷いなく位置を取った。

 前衛が魔導人形の進路を塞ぎ、後衛が支援術式を重ねる。クレアは魔導人形の反応範囲を読み、短い言葉で仲間へ伝えていた。


「右の盾持ち、反応が半拍遅いです。そこを抜けます」


「了解」


 第一課程の生徒たちは、クレアの言葉を疑わなかった。

 誰かが指示を出し、誰かが受け取り、誰かが動く。

 無駄がない。

 何をしているのかが、外から見ても分かる。

 強さというものは、見える形をしていると、それだけで人を納得させるのだと知った。


 一方、俺たち第七課程は、見た目だけならかなり怪しかった。

「封印されし前衛、出る」


 シオンが木剣を構えて走る。

 魔力は出ていない。ただし、速い。

 魔導人形の腕が振り下ろされる。シオンはそれを木剣で弾いた。

 硬い音が、訓練場に響く。


「今の、普通にすごいな」


「普通ではない。我が封印の一端だ」


「そこは普通でいいんだよ」


 ノアはコルちゃんを両手で掲げた。

「コルちゃん、お願いします」


 コルちゃんは、くしゅん、と小さなくしゃみをした。火の粉がひとつ、魔導人形の視界の前で弾ける。

 魔導人形が一瞬だけ反応をずらした。


「今のは作戦です」

 ノアが言った。


「本当に?」


「作戦です」


 コルちゃんは、少し誇らしげに鼻を鳴らした。

 たぶん、くしゃみの続きだった。

 予期せぬくしゃみは、作戦ということになった。


 セラ・リュミエルは、後方で両手を握っていた。

 声は小さい。ほとんど風に消えるような声だった。


「……止まって」


 けれど、訓練場の端で動き出しかけていた小さな仕掛けが、一瞬だけ迷った。

 言葉が、ほんの少しだけ世界の足を掴んだように見えた。



 エリオの指示は的確だった。

「シオン、右。ノア、火を出させるなら今。セラ、その仕掛けだけ止めろ。アイリス、左の視線を切ってくれ」


 正面突破なのに、意外と細かい。いや、たぶんエリオは頭がいい。ただ、最終的に正面へ向かうだけだ。


 問題は、最後だった。

 中央区画の手前、盾を持った魔導人形が道を塞ぐ。第一課程側も、別ルートから同じ場所へ迫っている。

 ヴァイスグランの白い術式が、視界の端で鮮やかに広がった。


「今だ」

 エリオが言った。


「押し切る」


「やっぱり」

 俺が呟くより早く、シオンが踏み込んだ。


「封印されし我が剣よ――」


 木剣が盾を叩く。

 魔導人形の体勢が崩れる。

 だが、訓練用にしては反応が重かった。盾の奥で、魔導人形の核が一瞬だけ強く光る。

 嫌な音がした。

 金属が鳴ったのではない。魔力が軋む音だった。

 次の瞬間、魔導人形の腕が、想定より速く振り抜かれた。


 シオンは避けきった。いや、正確には、“ほとんど”避けた。

 肩に重い衝撃が入る。


「ぐっ」

 シオンの体が後ろへ流れた。


「止まりなさい」


 フィーネの声は、戦場の中で妙に冷えていた。

 彼女は走り寄ると、シオンの肩に手を当てる。


「肋骨にひび。肩の筋も痛めています。ついでに判断力も損傷していますね。そちらは治療不能です」


「この程度、封印の代償にすぎぬ」


「怪我です。名前を変えれば格好よくなると思うな」


「治らぬのか」


「生まれつきです」


「重い診断だ」


「我が右腕は――」


「今治しているのは左肩です」


 フィーネの手から淡い光が流れる。

 口は悪い。けれど、処置は速く、正確だった。



 その間にも、魔導人形は待ってはくれない。

 盾を持った一体が、こちらへ踏み込んでくる。別の一体は杖を構え、訓練用の火弾を作り始めていた。さらに奥では、剣を持った人形がシオンの隙を狙っている。

 俺は少しだけ、〈止まれ〉と念じる。

 強くではない。

 ただ、ほんの少しだけ、今は動かないでほしかった。


 盾を構えた魔導人形の足が、ぴたりと止まり、杖を構えた人形の火弾は、ふっと形を崩す。剣を振り上げていた人形は、その剣を下ろした。

 まるで急に、戦う理由を忘れたみたいに。


「この魔導人形、人生を思い直したのね!」


 アイリスが即座に言った。

 無理がある。魔導人形に人生はない。

 たぶん。


「いや、今のは――」

 エリオが目を細める。


「迷いよ。魔導人形にも、たまには迷う時があるの」

 アイリスは言い切った。



 今度は奥の一体が動いた。杖を構え直し、赤い光を灯す。

 俺はまた、ほんの少しだけ思う。

 〈やめろ〉

 杖の先の光が、しゅん、と小さく萎んだ。

 魔導人形は首を傾げるように動きを止める。


「あの魔導人形は、きっと故郷が寂しくて帰りたくなったんだわ」

 アイリスが言った。


「魔導人形に故郷ってあるのか?」


「工房」

 広すぎる。


 戦闘中の混乱の中では、誰もそこに深く突っ込む余裕がなかった。

 エリオだけが、盤面を見る目で魔導人形たちの停止位置を追っていた。



 その時だった。


 中央の魔導核が、低く震えた。

 空気が一段、重くなる。


 その場しのぎの停止は、あくまで目の前の魔導人形だけに効いていた。

 訓練場全体を動かしている中央の魔導核までは、まだ止まっていなかった。


 最初に反応したのは、ヴィオラ先生だった。

 ほんの一瞬だけ、彼女の目が細くなる。


「……違う」


 その声は小さかった。

 けれど、いつもの冷静な声ではなかった。


 次の瞬間、魔導核の青かった光が濁る。

 青に、赤が混ざる。


 血のように濁った光が、塔の中心から脈を打つように広がった。

 それに呼応するように、魔導人形たちの目が、一斉に赤く変わる。


 ぎ、と、金属の首がこちらを向いた。

 訓練場の外周に張られていた防壁が、低い音を立てて閉じる。


 逃げ場が、消えた。


「停止信号が入っていない」

 クレアの声が向こう側から聞こえた。


「制御核が暴走しかけています!」


「なっ……!」

 ハイルマン先生の顔色が変わった。


「待ちなさい、これは実習用の出力では――停止だ! 停止命令を出しなさい!」


 第一課程側の補助教師が慌てて制御盤へ走る。

 だが、制御盤の上の石板は赤く明滅するだけで、命令を受け付けていなかった。


「そんなはずはない。第一課程の生徒が中にいるんだぞ!」

 ハイルマン先生の声が、初めて整わなくなった。


「ど、どうすれば……!」

 さっきまで綺麗に並んでいた言葉が、今は足元から崩れているように聞こえた。


 ヴィオラ先生は動かなかった。

 いや、動けなかったわけではない。目だけで状況を追っていた。

 第一課程側

 第七課程側

 閉じた防壁

 赤く染まった魔導人形

 そして、中央の魔導核


「全員、防御姿勢。実習は中止だ」

 声は低かった。けれど、よく通った。


 その言葉が終わる前に、第一課程側の魔導人形が動いた。


 速い。

 とても訓練用の速度ではない。


 盾を持った人形が地面を蹴り、第一課程の後衛へ迫る。

 ヴァイスグランが前に出た。

 剣で軌道を逸らす。同時に、白い防御術式が展開された。

 火花が散る。


「下がって!」

 クレアが叫ぶ。


 第一課程の生徒たちはすぐに後退したが、一人だけ反応が遅れた。

 魔導人形の杖が赤く光る。

 ヴァイスグランが庇うように防御壁を張った。

 白い壁が、赤い光を受け止める。


 衝撃が訓練場を揺らした。

 地面の砂が跳ねる。

 空気が熱を持つ。

 誰かの短い悲鳴が、防壁にぶつかって消えた。


 第一課程は崩れていない。けれど、崩れないために必死だった。

 それは第七課程側も同じだった。


 シオンは治療途中で立ち上がろうとし、フィーネに襟を掴まれた。

「動くなと言いました。耳は飾りですか。飾りなら外してください。邪魔です」


「だが、前が」


「前に出る前に骨をくっつけます」


 ノアはコルちゃんを抱きしめたまま、震える魔導人形を見ている。

 セラは何か言おうとして、唇だけが動いた。

 エリオの指示が、一瞬止まる。


 左右から二体の魔導人形が迫る。

 片方は第一課程へ。

 もう片方は第七課程へ。

 防壁は閉じている。

 逃げ場はない。


 ヴァイスグランが第一課程側を守っている。白い光が広がり、赤い衝撃を受け止める。けれど、その壁は第一課程側を守るだけで精一杯だった。いや、精一杯という言葉でも足りなかった。


 ヴァイスグランの足元の砂が、じり、と後ろへ削れる。

 白い防御壁の表面に、細かなひびのような光が走る。

 彼の握る剣が小さく震えていた。

 それでも、ヴァイスグランは退かなかった。


「下がれ」

 短い声だった。


 第一課程の生徒たちが、息を呑みながら後退する。

 彼は強い。間違いなく強い。

 けれど、その強さでも、全部は守れない。


 白い壁の向こうで、魔導人形の赤い光がさらに強くなる。

 ヴァイスグランの額に、初めて汗が浮かんだ。


 あと一撃。

 たぶん、次を受けたら壁は割れる。

 第一課程の生徒は守り切れない。そう見えた。

 第七課程側へ迫る魔導人形までは、当然、その守りは届かない。


 フィーネはシオンから手を離せない。

 エリオは次の指示を組み立てている。

 ノアはコルちゃんを庇い、セラは声を出せない。


 アイリスが、俺を見た。


 その目だけで、言いたいことは分かった。


 やめて。

 でも、めて。


 無理な注文だ。

 でも、しょうがない。


 俺は、中央の魔導核を見た。

 壊したいわけじゃないし、倒したいわけでもない。


 ただ、終わればいい。

 これ以上、誰も怪我をしなければいい。

 第一課程も、第七課程も関係ない。あの核が、訓練の終わりを思い出せばいい。

 閉じるべきものは閉じて。止まるべきものは止まって。戻るべきものは戻ればいい。

 そう思った。


 ――その瞬間、音が遠くなった。


 赤い光が見える。

 白い壁が見える。

 シオンの肩に流れる治癒の光が見える。

 ノアの震える指が見える。

 セラの開きかけた唇が見える。

 クレアの焦った目が見える。

 ヴァイスグランの防御壁に走るひびが見える。


 全部が、ひとつの盤面みたいに見えた。


 けれど、俺はエリオみたいに戦況を読んだわけじゃない。

 ただ、そこにある終わっていないものが、ひどく歪んで見えた。


 だから、思った。



 ――〈〈 終われ 〉〉――



 中央の魔導核の奥で、濁っていた青い光が、一度だけ白く揺れた。

 それは、ほんの一瞬だった。

 けれど、その一瞬で、訓練場のすべてが息を止めた。


 魔導核の濁りがほどける。

 暴れていた赤が、青の奥へ沈んでいく。

 防壁の線が、正しい位置へ戻る。


 ヴァイスグランの白い防御術式の光が、中央の白い揺れと重なった。

 赤く光っていた魔導人形たちの目が、ふっと消える。


 第一課程へ迫っていた腕が止まる。

 第七課程へ振り下ろされかけていた刃が、空中で止まる。

 杖の先に集まっていた赤い火が、音もなくほどける。

 閉じていた防壁が、ゆっくりと開いた。


 停止。


 訓練場全体が、息を吐くように静かになった。

 誰も、すぐには動けなかった。

 砂粒が落ちる音だけがした。

 まだ誰も、何が起きたのか分かっていない。


 ………。


 その沈黙の中で、アイリスが一歩前に出た。

「ヴァイスグランさん、ありがとうございます!」


 明るい声だった。

 あまりにも明るい声だった。


「今の、防御術式で制御核まで押さえてくれたんですよね! さすがです!」


 アイリスは、俺の手柄をヴァイスグランへ投げた。

 投げ方が雑だった。

 でも、周囲は見事に受け取った。


 第一課程の生徒たちが、一気にヴァイスグランの方を向く。

「ヴァイスグランが止めたのか?」


「やっぱり……!」


「あの暴走を防御術式で抑え込んだのか!」


「さすが首席候補筆頭!」


 ハイルマン先生も、ようやく息を吐いた。

「……ヴァイスグラン君が」


 その声には、安堵が混じっていた。

「そうか。君が制御核を……」


「違います、先生」

 ヴァイスグランはすぐに首を振った。


「僕は防いだだけです。制御核を止めたわけではありません」


 だが、ハイルマン先生はその否定を、ほとんど聞いていなかった。

「見事な判断でした。さすがです、ヴァイスグラン君」


「先生、本当に違います」


「謙遜は美徳ですが、今は皆が無事だったことを喜びましょう」


 聞く耳がない。

 称賛というものは、時々、人の言葉を塞ぐのだと思った。


 クレアだけが、少し離れた場所から周囲を見ていた。

 彼女の視線が、一瞬だけこちらへ動く。

 俺はまた、何も言えなかった。


 ヴァイスグランは強かった。

 実際に、誰かを守っていた。だから、全部が間違いというわけではない。でも、全部が正しいわけでもない。

 俺は、その輪の外に立っていた。


 第一課程の誰かが、こちらを見て笑った。

「結局、最後はヴァイスグラン頼みだったな」


「第七課程、意外と粘ったけどさ」


「まあ、落ちこぼれにしては頑張ったんじゃないか?」


 落ちこぼれにしては。

 その言葉が、訓練場の砂の上に落ちる。


 俺は手を握った。けれど、何も言わなかった。

 言えば、何かが壊れそうだったから。


 隣で、アイリスが少しだけ唇を噛んでいた。

 彼女は俺を守った。たぶん、良かれと思って。

 けれど、守られた場所は、いつも少しだけ暗かった。


―――


 実習後、ヴィオラ先生は記録板を手に、結果を読み上げた。

「第一課程。作戦遂行、良。役割遂行、良。損耗管理、良。魔力使用効率、良。不測事態への対応――」


 そこで、ヴィオラ先生の視線がハイルマン先生へ向いた。

「不可」


 訓練場の空気が、少しだけ止まった。

 ハイルマン先生の笑みが固まる。


「……セイン先生。それは、生徒への評価では?」


「合同実習の記録だ。引率教師の対応も含める」

 ヴィオラ先生は淡々と言った。


「制御核暴走時、停止命令は不発。防壁閉鎖後の初動、遅延。生徒への退避指示、混乱。最終的には取り乱しが見えた。よって、不測事態への対応、不可」


 ハイルマン先生の頬が、わずかに引きつった。

「それは、予想外の異常で――」


「不測事態とは、予想外の異常のことだ」


 ヴィオラ先生は切った。

 その声に、温度はなかった。


「第一課程生徒の対応は良。特にヴァイスグランの防御判断は評価する。だが、教師側の対応は不可だ」


 ハイルマン先生は、呆気にとられたような顔で、それ以上何も言わなかった。

 ヴィオラ先生は記録板へ視線を戻す。


「第七課程。作戦遂行、可。役割遂行、可。損耗管理、不良。魔力使用効率、可。不測事態への対応、可。総合評価、要改善」


 エリオが小さく息を吐いた。

「エリオ・ラングレー。作戦立案、良。役割遂行、良。損耗管理、不可。不測事態への対応、可」


「成功はしています」


「成功して怪我人を出した。戦術としては進んだ。指揮としては戻れ」


「厳しいですね」


「優しくしてほしいなら、第一課程へ行け。ここは第七課程だ」


 エリオは黙った。

 でも、その目は沈んでいなかった。

 何かを考えている目だった。


「フィーネ・アステル。役割遂行、良。損耗管理、良。不測事態への対応、良。発言、不可」


「評価項目に発言が含まれているのですか」


「今、追加した」


「横暴です」


「シオン・エルレイン。役割遂行、良。前衛適性、高。損耗管理、不可。魔術使用、確認できず」


「封印中だからな」


「記録にはそう書かない」


「ノア・アニマ。召喚獣運用、限定的有効。損耗管理、良」


「限定的に褒められました」


「セラ・リュミエル。術式干渉、微弱。自己制御、要訓練」

 セラは小さく頷いた。


「アレン・ノーツ」


 名前を呼ばれた。

 少しだけ、胸が固くなる。


「作戦遂行、後方待機。役割遂行、不明。戦術貢献、不明。制御核反応時、近傍にいたため、要観察継続」

 また、不明。


「……はい」

 俺は短く答えた。


 何かをした。でも、記録には残らない。

 何かを守った。でも、別の名前で呼ばれる。

 そういうことに、少しずつ慣れていくのが怖かった。


―――


 演習が終わった後、ヴァイスグランはまだ周囲に囲まれていた。


「本当に僕ではない」


「またご謙遜を」


「君たちは、まず人の話を――」


「素晴らしい判断でした!」


 ヴァイスグランは困った顔をしていた。

 称賛の中心にいるのに、少しも嬉しそうではなかった。

 俺は、それを遠くから見ていた。


 白い名前。

 正しく測られ、正しく期待され、正しく称えられる場所にある名前。

 そこへ、俺のしたことが吸い寄せられていく。


 それは、ヴァイスグランのせいではない。きっとアイリスだけのせいでもない。

 誰かを褒めたい時、人は褒めやすい名前を探す。そして俺の名前は、まだそこに置かれていない。



「帰ろう」

 アイリスが言った。


「うん」

 歩き出す。


 背後では、まだヴァイスグランを称える声が続いていた。

 俺は今日も、何もできなかった生徒として訓練場を出る。




 シオンの肩は動くようになっていた。

 ノアはコルちゃんを抱いたまま笑っていた。

 セラは小さく息を吐き、エリオは盤面を見直し、フィーネは怪我人の再発防止について怒っていた。

 第一課程の生徒たちも、緊張から解き放たれたように、ヴァイスグランを賛美している。


 みんな、助かった。


 けれど。

 白い歓声が遠くなるほど、胸の奥には、言葉にならないものだけが残っていった。


※※※


 その日の夕方。

 誰もいなくなった訓練場で、エリオ・ラングレーは盤面を見ていた。


 作戦は成功した。結果だけなら、悪くない。

 けれど、勝ち筋が一つ、盤面に残っていなかった。出力異常も、制御核の暴走も、作戦には入っていなかった。入っていないものまで噛み合って、結果だけが成功している。

 そんな盤面は、気持ちが悪い。


 正面突破は嫌いではない。むしろ好きだ。

 だが、見えない一手を見えないままにしておくほど、エリオ・ラングレーは雑な戦略家ではなかった。


「……成功しすぎたな」

 彼は小さく呟いた。



 けれど、その功労者の名を呼ぶことはしなかった。


 まだ、盤面にない一手には、名前がなかったから。

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