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世界最強の俺を、幼馴染が全力で落ちこぼれにしてくる件  作者: 浪留
第三章:王立学園

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第十六話「古びた寮は、一度だけ若返った。」

 王立エリュシオン学園は、十五の春に門を開く。


 王国中から集められた少年少女たちは、三年をかけて測られ、分けられ、鍛えられる。

 その分野は


―魔法学

―剣術学

―王国史

―貴族法

―紋章学

―戦術理論

―指揮統率理論

―魔性生物学


 など、多岐にわたる。


 何を知り、何を使い、何を守れるのかを学園は丁寧に測り、そして課程を分ける。

 首席候補たちが集まる第一課程。

 成績と適性に応じて分けられる、第二から第五課程。

 基礎を補うための第六課程。

 測定結果や経歴に説明しづらい点がある者を集める、第七課程。


 そして、三年を終えた生徒たちは、王国騎士団、宮廷魔術師団、王宮文官、王立研究院、あるいはその他の道へ進み、選ばれた者だけが、学園の奥にある上級院――通称、白塔院へ進むらしい。


 つまりこの学園は、人の未来を測って、分けて、行き先まで決める場所だった。


 俺に言い渡された第七寮というのは、寮制度によって決まっている。これは先ほどの過程制度とはまた違う制度であり、第一課程だから第一寮、というほど単純ではない。家柄、専攻、生活管理、推薦経路、その他いろいろな事情によって、寮は過程とは別に決まるらしい。


 ただし、第七寮だけは少し違う。

 判断基準こそ伝えられてはいないが、おそらく、扱いに困る生徒や何か特別な理由がある生徒に割り当てられる寮であり、その人数は他の寮に比べ圧倒的に少ない。

全学年合わせても十人に満たない、小さな寮だった。


―――


 扉が開くと、少し古い木の匂いがした。

 廊下は広くない。白い壁には細いひびが走り、床板はところどころ色が違っている。踏む場所によって、ぎし、と鳴ったり、きし、と鳴ったり。なぜか一箇所だけ、こん、と返事のような音がしたり。

 王立学園の寮というより、王立学園が昔どこかに置き忘れて、最近ようやく思い出した建物に見える。


 ただ、不思議と嫌な感じはしなかった。

 古いが、見捨てられてはいない。誰かが手入れしようとして、でも建物の方が少し追いついていないような。そんな感じがした。


「いらっしゃい。あなたが、今日から第七寮の子ね」


 廊下の奥から、柔らかい声がした。

 出てきたのは、落ち着いた雰囲気の女性だった。淡い色の髪を後ろでまとめ、地味な服の上に白い前掛けをつけている。目元にはいつも笑みを浮かべているのだろう皺があった。


「寮監のマルタよ。よろしくね」


「アレンです」


「アイリスです」


 俺の横でアイリスが名乗ると、マルタさんはそこで初めて、少しだけ目を丸くした。

「あら」


 マルタさんは俺とアイリスを順に見た。

「今年は、初めから二人も来るのね」


「珍しいんですか?」


「ええ。第七寮は、たいてい途中から増える場所だから」


 途中から。

 その言葉に、あまり聞きたくない種類の含みがあった。


「……何かあった人が来る、みたいなことですか」


「何かがあった人もいるし、これから何かがありそうな人もいるわ」


 マルタさんはにこりと笑った。

 できれば、どちらでもない方がよかった。


 アイリスが横で小さく息を吐いた。目線をこちらに移しながら。

 それは、何かがあった、もしくは何かありそうな人を見る目だった。


 …俺を見るな。


「まずは共用室に案内するわね。荷物はあとで部屋へ運べばいいから」

 マルタさんはそう言って歩き出した。


「あ、そこ。三枚目の床板は踏まない方がいいわ」


「壊れてるんですか?」


「返事をするの」


「…返事」

 …床板が?


 俺は三枚目の床板を避けて歩いた。

 踏んでみたい気持ちがなかったと言えば嘘になるけど、初日から床板と会話するのは、入学初日にしては少し早い気がした。



 共用室は、思っていたより広かった。

 古い長机。少し傾いた椅子。大きな暖炉。壁際には本棚と食器棚があり、窓際には観葉植物らしきものが置かれている。らしきもの、というのは、その植物が緑というより、かなり強い意志で暗い色をしていたからだ。枯れているのか、生きているのか。その判定からして難しい。


 天井には魔導灯がいくつか吊られていた。

 ただし、ほとんど点いていない。

 夕方の光が窓から差し込んでいるから暗すぎるわけではないが、王立学園の寮としては少し心細い明るさだった。


「灯りは……」

 俺が見上げると、部屋の中央にいた男が勢いよく振り返った。


「灯りはあと三日で点く!」


 大きな声だった。

 そして、明るかった。

 本人も、声も、顔も、なんというか、全部が明るかった。


 年は俺たちより上だろう。制服は通常課程のものではなく、白塔院の徽章がついている。腕まくりをしていて、足元には工具が散らばっていた。魔導灯の外蓋を外し、細い導線のようなものを引っ張り出している。


「三日後ですか」


「そうだ! 明るい未来だろ!」


 灯りの話題で三日後を明るい未来と呼ぶのは、見当違いも甚だしい。


 男は俺を見ると、工具を片手に、にかっと笑った。

「新入りだな! 俺はトーマス・レンズ! 白塔院の魔導工学にいる! ここでは主に、壊れているものを直して、直っているものをもっと面白くして、たまに怒られている!」


「最後が不穏ですね」


「大丈夫だ! 怒られる時はだいたい直った後だ!」


「直る前に怒られた方が安全な気がします」


 アイリスがはっきりと言った。

 トーマスさんはちゃんと聞こえていたのかいないのか、胸を張っていた。


「この灯りはな、回路が古い。導線も古い。魔力受けも古い。要するに全部古い!」

「だが、古いということは直す楽しみが残っているということだ!」


 底なしに前向きだった。

 たぶん、建物側は少し迷惑しているのではないだろうか。


 マルタさんは慣れた顔で微笑んだ。

「トーマスくんは、時々ここを直してくれるの」


「時々?」


「それ以外は、直す前より不思議になるの」


「マルタさん、それは改良です!」


「たしかにそうね」


 会話からして、信頼関係はあるらしい。

 安全性があるかは分からない。


「それにしても、暗いですね」

 俺は天井の魔導灯を見上げた。


「三日待てば明るいぞ!」


「三日間は?」


「慣れれば歩ける!」


「灯りとしての立場が危ういですね」


 俺は魔導灯の下へ歩いた。


 手加減も遠慮もしないと、昨日そう決めたから。

 もちろん、何もかもを見せびらかすつもりはない。本当の本気が何なのかも分からないし、出していいものでもない。

 でも、目の前で困っているものを、解決できるのにできないふりで見過ごすのは違う。


 たぶん。


 いや、少なくとも、灯りが点くくらいならいいだろう。

 たかが灯りだ。世界の命運ではない。


「通ればいいんだよな」


「え?」


 アイリスの声がした。

 少しだけ警戒している声だった。


 俺は魔導灯の支柱に手を添えた。

 ほんの少しだけ。流れればいい。そう思った。


 次の瞬間、共用室の魔導灯が点いた。

 そこまではよかった。


 続けて、廊下の灯りも点いた。階段の灯りも、奥の倉庫の灯りも点いた。そして、外の古い庭灯まで。

窓の向こうでぽん、ぽん、ぽん、と順番に明るくなっていった。

 たぶん、使われていない塔の上まで。


 部屋が昼みたいに明るくなる。

 が、点きすぎた。


「うおおおおおおお!」

 トーマスさんが叫んだ。


「点いた! 全部点いた! すごい! 俺の三日が消えた! すごいな君! 時短の天才か!」


「時短の天才ではないです」

 アイリスが即座に言った。


「これは定期点検です」


「今のが?」


「はい」


「俺、定期点検してないぞ!」


「していました」


「してたのか!」


「していました」


「そうか! 俺はしていた!」


 納得した。早い。

 トーマスさんは自分の記憶より、アイリスの断言を信じた。

 アイリスはここでも強かった。


 けれど次の瞬間、トーマスさんは魔導灯の内部を覗き込んで、急に声を落とした。

「……いや、そんなわけないな。俺はこの回路をまだ閉じていない。主導線も焼けたままだった。魔力受けの濁りも残っていたはずだ。なのに、濁りがない。導線の劣化もない。交換じゃない。修復でもない。これは、壊れる前の状態を先に置かれたみたいな……」


 ぼそぼそと呟く声だけが、共用室に落ちた。

 アイリスの顔が、少しだけ険しくなる。


「第七寮なので」

 アイリスが言った。


「第七寮なら仕方ないわね」

 マルタさんが微笑んだ。


 乗った。この人自然に乗った。

 俺は二人を見比べた。


 アイリスはいつもの顔をしている。 

 マルタさんも多分、いつもの顔をしている。

 トーマスさんだけが、魔導灯に顔を近づけて小さく震えている。


 俺が何か言おうとすると、アイリスの視線が刺さった。

 黙って。

 目がそう言っていた。

 俺は黙った。

 

「第七寮ではね」

 マルタさんは、点いた魔導灯を見上げながら言った。


「説明できないことには、だいたい名前をつけないの。その方が、よく眠れるでしょう?」


 その言葉は冗談のようで、少しだけ本気に聞こえた。


 第七寮。

 要観察の行き先。測れないものを、ひとまず置いておく場所。

 でも、ここはただの置き場ではないのかもしれない。

 名前をつけずに、そばに置く場所。

 そういう場所なのかもしれなかった。


 その時、二階の奥から扉が少しだけ開いた。

「……まぶしい」


 声がした。

 男の声だった。

 けれど、妙に耳に残る声でもあった。寝起きのはずなのに、響きだけはやたら整っている。


「世界が終わるのなら、あと五分待って……」


 俺は階段の方を見た。

「今の誰ですか」


「ハーブくんよ」

 マルタさんが答えた。


「ハーブ・リムヌス。三年生ね。起きていると、とても綺麗な子なの」

「…でもね、ハーブくんは、めったに部屋から出てこないの」

 マルタさんは穏やかに言った。


「外で見かけると、その日は運がいいって言われているらしいわ」


「今の感じで?」


「起きている時は、本当に綺麗なのよ」


 なるほど。

 第七寮は、情報がひとつ増えるたびに、謎もひとつ増えるらしい。



 共用室の案内が終わると、マルタさんは奥の洗面所へ俺たちを連れていった。


「ここは少し気まぐれなの」


「灯り以外も気まぐれなんですね」


「水が出る時と、出ない時があるわ」


「…かなりの曲者ですね」


 洗面台は古かった。

 蛇口には錆が浮き、陶器の端には細いひびが入っている。壁の配管も少し曲がっていて、いかにも何かを我慢している顔をしていた。


 トーマスさんが誇らしげに言った。

「そこも直す予定だ! 灯りが直ったから、二日後だな!」


「水が二日後」


 生活とは何だろう。

 俺は蛇口を見た。

 流れればいいと、そう思っただけだった。


「待って」

 アイリスが言った。


「まだ何もしてない」


「あなたの“まだ”は信用できない」


「さすがに見るだけでは何も起きない」


「水晶」


「……あれは水晶側にも問題があった」


「水晶のせいにした」


 俺は蛇口に手を添えた。

 今度は本当に少しだけ。

 水が出ればいい。ただ、それだけだった。


 蛇口から、水が流れた。

 透明な水だった。


 よかった。

 そう思った瞬間、壁のひびが消えた。

 床の沈みが直った。

 窓枠の歪みが伸び、廊下の奥で何かが、ぱき、と音を立てる。共用室の椅子の脚がそろい、本棚の傾きが戻り、暖炉の煤が薄くなった。外から光が差す。第七寮の壁が、白くなる。


 白かったらしい建物が、白い建物になった。

 

 沈黙。


 ものすごい沈黙だった。


「……寮が若返った」

 トーマスさんが震える声で言った。


「すごい。建物って若返るんだな」


「若返ってません」

 アイリスが即答した。


「いや、若返ったぞ。壁の劣化が消えた。床材の沈みも戻った。窓枠の歪みも消えた。構造的に若返った」


「見間違いです」


「職人に構造の見間違いはない!」


「あります」


「あるのか!」


「あります」


 押し切ろうとしている。

 俺は白くなった壁を見た。

 さすがに無理ではないだろうか。


「……やりすぎたかもしれない」


「今それ言わないで」

 アイリスの声が低かった。


「かもしれないで済ませるには、寮が若すぎるの」


 若すぎる寮。

 あまり聞かない言葉だった。

 二階の奥から、また扉が開く音がした。


「……夢より綺麗だ」

 ハーブの声だった。


「じゃあ、深い夢か……」

 扉が閉まった。


「ほら、夢です」

 アイリスが言った。


「起きている俺たちはどうなるんだ!」

 トーマスさんが元気よく反論した。


「夢を見ています」


「起きながら?」


「第七寮なので」


 俺は小声で言った。

「さすがに無理がある」


「あなたが言う?」


「ごめん」


 戻す。さすがに戻さなければ。

 手加減も遠慮もしないと、そう決めたけど。でも、寮を新品にするのは、たぶん違う。

 

「戻す」


「戻せるの?」


「たぶん」


「その“たぶん”も信用できない」


 俺はもう一度、壁に手を添えた。

 元へ戻ればいい。ただし、壊れてほしいわけではない。古く。でも、使えるように。

 そんな曖昧なことを思った。


 次の瞬間、白すぎた壁は少しだけ色を戻した。床の傷も戻る。手すりの古さも戻る。第七寮は、さっきまでの“白かったらしい建物”へ戻っていった。


 見た目は。


「戻した」

 俺は言った。


 アイリスは蛇口をひねった。

 水が出た。

 相変わらず魔導灯も点いている。窓の隙間風は消えて、床板は、あまり沈まなくなっていた。


「戻ってない」


「見た目は戻した」


「一番ごまかしにくいやつ」


「ごめん」


 アイリスは深く息を吸った。

 それから、白くなりすぎた記憶を頭の中から消すみたいに、すっと顔を上げた。


「今のは、見間違いです」


「見間違い?」

 トーマスさんが首を傾げた。


「はい。夕方の光と、古い壁の反射で、少し綺麗に見えただけです」


「壁のひびが消えたぞ」


「影です」


「床の沈みも戻ったぞ」


「角度です」


「水が出てる」


「それは良いことです」


「良いことだな!」


 トーマスさんは明るく頷きかけた。

 けれど、すぐに蛇口と壁と魔導灯を順番に見た。

 そして、急に声を落とした。


「……いや、そんなわけないな。壁材の劣化が表面だけじゃなく内部まで均一に戻ってる。床板の沈みも支柱から直ってる。配管は詰まりが抜けたんじゃない。詰まる前の状態に近い。魔導灯の回路も同じだ。これは修理じゃなくて、状態の再指定……いや、でも術式痕がない。魔力の流れも残っていない。何だこれ。建物が一度、自分の古さを忘れたみたいな……」


 ぼそぼそと呟く声だけが、洗面所に落ちた。

 アイリスの顔が、少しだけ険しくなる。

 俺は何か言おうとした。

 でも、その前にマルタさんが洗面台の水を見て、ふんわりと笑った。


「あら」

 そして、何事もなかったように言った。


「第七寮、今日は少し体調がいいみたいね」


 沈黙。


 体調……寮の……?


 トーマスさんが顔を上げた。

「……体調」


 それから、ぱっと笑った。

「それだ! 建物にも調子のいい日と悪い日がある! 配管の巡りがよくて、壁の顔色もいい! なるほどな、マルタさん!」


「ええ。そういうことにしましょう」

 マルタさんは穏やかに頷いた。


「さっきも言ったでしょう。ここでは、説明できないことには、だいたい名前をつけないの。その方が、よく眠れるんだから」


 俺は口を開きかけた。

 寮に体調があるのか。そして壁の顔色とは何か。そもそも、俺がやったと言った方が早くないか。

そんな、言いたいことは、いくつもあった。

 けれど、アイリスがこちらを見た。

 その目が言っていた。


 黙って。

 俺は口を閉じた。


 どうやら第七寮では、建物の体調でだいたいのことが片づくらしい。

 王立学園は広いな。


「そういえば、他にも寮生はいるんですか」

 俺が聞くと、マルタさんは頷いた。


「いるわよ。今、部屋にいる子もいるし、外に出ている子もいるわ」


「さっきのハーブさんは、部屋ですよね」


「ええ。たぶん、もう寝たわね」


 世界の終わりを五分待たせて寝た男…。


「メルは図書館ね」


「メル?」


「メル・アーカイブ。あなたたちと同じ第七寮の子よ。本が好きなの」


 トーマスさんが元気よく言った。

「好きというか、住んでるな! 本棚の隙間に!」


「住んではいないわ」

 マルタさんが穏やかに訂正した。


 少し間を置いてから「きっと」とも言った。

 

 ……すごいなここ。


 その夜、第七寮の魔導灯は、久しぶりに全部点いていた。

 ただし、誰も理由を聞かなかった。

 聞かない方が眠れる夜もある。ここは、そういう寮だから。



 俺は割り当てられた部屋へ向かう前に、共用室の明かりを振り返った。


「アレン」


 アイリスが疲れた声で言った。

「次から、何かする前に言って」


「言ったら止めるだろ」


「止めるよ」


「じゃあ言わない」


「見張りの仕事が初日から渋滞おこしてる」


 それは少し申し訳ないと思った。少しだけ。

 でも、俺はもう、自分を小さくするためにここに来たわけじゃない。


「でも、俺はもう、隠さないって決めたんだ」


「それ困る!」


 その時、二階の奥から小さな声がした。


「……明るい……でも、悪い夢じゃない……」


 ハーブの声だった。

 それだけ言って、また静かになる。

 マルタさんは何も聞かなかったように、共用室のカーテンを閉めている。

 トーマスさんは、点いた魔導灯の下で目を輝かせ、何かをものすごい勢いで書き込んでいた。

 アイリスはそれを見て、俺を見た。


「明日から、たぶん大変だよ」


「今日も十分大変だった」


「今日でこれなら、明日はもっと大変」


「前向きじゃないな」


「見張りだから」


 俺は少し笑った。


 第七寮の灯りは、古い壁を淡く照らしていた。

 昨日までなら、たぶん暗かった場所が、今日は少しだけ、明るかった。

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