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黒猫の魔導書  作者: 巌沢雪乃
序章 元騎士団長、転生する

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武器屋

「ふむ」


 目が合ったまま固まっていたソニアと商人であったが、やがて彼は顎に手を当てて深く頷いた。

 なんだ、とソニアが警戒したのも束の間、商人はクイっと丸眼鏡を指で持ち上げ、顔の皺を深くさせて満面の笑みを浮かべた。


「ようこそいらっしゃいましたぁ!さぁさ、気になった物があればお手に取ってじっくりとご覧くださいませぇ!」


 豹変という言葉は、まさにこのことを言うのではなかろうか。

 あまりに唐突な変化に、スージーすら彼の顔を見て固まってしまっている。


「えっと、持ち合わせが…」


 何か勘違いをしているのでは、と思い訂正しようと口を開くも、ごつごつとした大きな掌が目の前に翳されたことで言葉を止める。


「えぇ、えぇ。みなまで言わずともわかっておりますとも!さぁ、遠慮なさらず!お連れのお嬢さんもよければぜひに!」


 声が大きく、なんだなんだと周囲の人が視線を向けるが、すぐに興味を失ったかのように立ち去っていく。

 なんとなく断りづらい雰囲気を感じた二人は「じゃあ…」と各々で気になった物を手に取ってみた。


 スージーがまず手に持ったのは、つい先ほど話題に出ていた装飾が過多な長剣であった。しかし重かったのか、持ち上げ切る前にゆっくりと元に戻していた。


 対して、ソニアが手に取ったのは振りやすそうだと感じた短剣である。

 いざ手に取ってみたそれは、やはり装飾が過剰であった。明らかに高価な商品であるし、人通りが多くすぐ近くを人が歩くことが多いため、試し振りはできそうにない。


 一応いくらなのかを聞いてみると、金貨10枚と言う回答が返ってきた。ちなみに長剣の方は金貨15枚だそう。


「わぁ…!」


 最初こそ高価すぎる商品を恐る恐ると見ていたスージーだが、いくら触っても商人が笑顔でい続けるため、「かっこいい!」と声を弾ませて本格的に鑑賞を始めていた。


 ソニアもいくつか商品を見ていたが、どちらかと言うと商人の目の方が気になっていた。


 騎士でいる間に商人と関わる機会は多くあった。その間にさまざまな人種と出会ったのだが、目の前の彼の目は、商人の中でも特に相手を品定めするような人々と同じ目をしているように見えた。

 気にしていては落ち着けないな、と視線を商品に落とす。


 一本のシンプルな短剣がある。長さも持ち手の太さも、体格に対して少し大きめかなといったサイズ感のものなのだが、今後順調に体が育っていけばちょうど良くなりそうだ。


 しかし、その短剣に触れようという気はあまり起こらなかった。その理由を語るために、一つ前提の知識がある。


 ソニアは魔力を直接見ることが可能だ。それにより、魔晶と魔石の違いを見分けることができる。

 その違いとは何か?端的に言えば魔力の質である。


 魔晶が持つ魔力はとても静かで、穏やかにその場でゆらめいているように見える。


 対する魔石は、魔物の獰猛さをそのまま切り抜いたのかと思うほど、魔力はうねり、ねじれ、絡み合っている。

 持ち主である魔物が強力であればあるほど、魔力は激しく暴れる。


 さて、目の前の短剣。これを魔力視するとどのように見えているか。答えは簡単、未だかつて見たことのない荒々しい魔力の奔流が渦巻いているのだ。

 荒々しく、刺々しく、殺伐とした魔力は、ただ触れるだけで肌を切り裂いてしまいそうである。


 試しに手を近づけてみれば、魔力が次々と近付いてまとわりついてくる。短剣には触れていない。ただ魔力に触れただけで、ソニアは背後から巨大な目によって凝視されているような錯覚を覚えた。


 体に違和感もなく、魔力もまとわりつくばかりで特に動きもない。


 ソニアは魔力視を解いた。意を決して短剣に触れ、持ち上げる。


 赤黒い鞘に収められたその短剣は鉄にしては軽く、しかし確かな重みを感じる。

 試しに柄を握り、ゆっくりと鞘から引き出す。思っていた以上の滑らかさで姿を見せた剣身の色は漆黒で、陽の光を浴びると透き通るような深紅の光沢を見せた。


「……!」


 美しさに、ソニアは息を呑む。世の中にこのような金属が存在していたのかと驚いた。


 気付けば、他の商品を見ていたはずのスージーですらその光景に見惚れていた。


 最後まで剣身を抜いた時、背後に感じていたプレッシャーが徐々に収まり、やがて目を瞑るかのように沈黙した。


「これはこれは……」


 商人は後退した額に滲んだ汗をハンカチで拭き取り、眼鏡を再び持ち上げた。


「確認ですが、それを抜く時に何か違和感はありましたかぁ?」


 質問に対して首を横に振る。むしろ、過去に握ったどの剣よりもスムーズな抜剣ができた。


「では……今、何かに見られている、もしくは首に刃を突き付けられている…そんな感覚は?」


 これに対しても首を横に振る。


「最後に、その短剣でこれを斬れるか試してもらってもいいですかな?もちろん、もし損傷があっても弁償など結構。こちらのわがままですのでぇ」


 そう言って取り出された台の上に置かれたのは、厚い石の板であった。


「流石にこれは」

「いえいえ、大丈夫ですから大丈夫ですからぁ!」


 有無を言わせぬ圧を感じ、仕方なく鞘を陳列台に一度置き、右手で短剣を握り、柄に左手を添える。


 いくら切れ味がよかろうと、剣で石など切れるわけがない。それこそ岩を切るほどの剣の達人がいると噂を聞いたこともあるにはある。しかしそれは自分ではない。

 なぜ店主がこのようなことをさせるのか、というより、なぜこんなことになってしまったのか。


 疑問がいくつか湧いては消えていったがひとまず目の前に集中だ。


 狙いは中央、ここを斬れと言わんばかりに台が切り抜かれ、石板が浮いた状態になっているその場所に、意を決して手に持った短剣を振り下ろす。


 キンッ……と、甲高い音がした。


 台に置かれた厚みのある石板は、驚くことに綺麗な断面を残してあっさりと切断されていた。

 対して手元の短剣には傷ひとつついておらず、果たしてこれは現実なのか、と思った。

 気付けば立ち止まって様子を眺めていた見物人らも、その光景に思わず口を開けて驚いている。


「お見事です!!」


 商人は大袈裟に拍手をする。


 その音に現実に引き戻された人々は、よくわからないけど、と拍手をし始めた。

 それが落ち着いた時、商人は眼鏡を指で押し上げ両手を掲げて周囲を見渡した。


「本日限りの即興芸、世にも奇妙な岩斬り、お楽しみいただけましたでしょうか!さて、これにて終演です!ご観覧ありがとうございました!」


 大袈裟にお辞儀をする商人に人々は拍手をし、やがて自分らの目的を思い出したかのように散り散り立ち去って行った。


「さて、何も説明しない……そんなわけにはいかないですよねぇ。店仕舞いをするので少々お待ちください!おっと、その短剣は差し上げますので、このベルトをお使いください」


 「いや……」と声を発する前に押し付けるように手渡された帯剣用のベルト。屋台の商品を忙しなく片付ける商人は、とても声がかけられそうな雰囲気になかった。


 ソニアは少し考え、短剣を鞘に仕舞いベルトで腰に固定した。


 何が起きているのか理解のできていなかったスージーは、ここでようやく硬直を解除してソニアに駆け寄った。


「さ、さっきのすごかったねぇ!それもらったの?あれどうやったの!?」


 自分以上に慌てているスージーを見て、ソニアは少し冷静になった。そして少し微笑み、「それをこれから確認します」と返し、商人をもう一度見る。


 彼が商品を仕舞い切るにはもう少しだけ時間がかかりそうであった。

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