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広沢海渡は画面端からVTuberで逆転する(仮)  作者: 安達ちなお


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第1話 アルバイト・V①

 いよいよ金が尽きたらしい。


「金が無い」


 海渡は、スマホの画面に映し出された数字を睨んでいた。

 49円。

 

 口座の残高だ。

 かつては8桁の数字が並んでいたこともあったのだが、もはや自動販売機でコーラの1本を買うことすら出来ない。


「はあ~世知辛いなぁ。1兆円くらい貰えたりしないかなぁ」


 ベッドの上をゴロゴロと転がると、くたびれたジャージがよれるし、ボサボサの髪が顔にかかる。

 ほんの1年くらい前なら考えられない姿だ。プロゲーマーとして大会に出場し、海外遠征もしていた。それなりのブランドの服を着て、スタイリストに髪の面倒も見てもらって、配信やイベントに大忙しだった。中学生プロゲーマーなんてもてはやされて鼻を高くしていたものだった。人に物にもお金にも恵まれていた。


 それが今は、何もない。

 目を細めてもう一度スマホを見るが、やっぱり数字は変わらない。0が一つくらい増えてくれも罰は当たらないのに。


 お金が必要だ。

 何をするにも必要だ。いや、何もしなくても必要だ。


 いくら切り詰めたって、食費は絶対にかかる。水道や電気を使っても、お金は減っていく。トイレットペーパーひとつ買うのにさえ、お金が必要だ。母さんが残したこの家の固定資産税も払わなければならない。国民健康保険だってある。


 税金を払わなければサシオサエをくらうと聞いたことがある。よく分からないけれど、きっと恐ろしいことなんだろう。そんな事態は、何としても避けたい。切実に避けたい。ヤダヤダのヤダなのだ。

 幸いなことに、今月分の税金は払い終えている。次の納期限は、来月末だったはずだ。まだ時間がある。何としても金を手に入れよう。


 なぁに、きっとどうにかなるさ。そんな風に生来の楽天家の気質が首をもたげてきた。

 だがしかし、守銭奴の魔手はすぐそこまで忍び寄っていた。部屋の外で床が軋む気配があり、逃げ出す間もなく扉が叩かれた。


「海渡。お金、まだかな」


 扉越しに兄貴の声が無慈悲に響く。守銭奴の集金を忘れていた。


「あ……やっべ。そうだよね、もう月末だもんね。でも俺、今から学校に行くところなんだ。あとで用意しておくよ」


 そう答えながら、わざと物音を立てて制服に着替えた。兄貴の攻略法はいくつかある。その一つが、学校だ。死んだ母さんは、高校だけは卒業しろとしつこく言っていた。だから学校を理由にすれば、大抵は引き下がってくれる。金の亡者ではあるけれど、きっと集金より学校のはずだ。


 そんな読みは的中する。床の軋む音とともに、兄貴の気配が遠ざかっていった。

 細く扉を開けてそっと部屋を這い出ると、無人の廊下をつま先で走り、くたびれた運動靴をひっかけて家を脱出した。


 自転車に飛び乗ると住宅街を抜け、海沿いに出た。100円を払って尾道行のフェリーに飛び乗る。

 海の上に出ると、風が心地いい。先月までは冷え込むこともあったけれど、今はすっかり初夏の風が吹いている。


 2026年6月12日、金曜日。

 瀬戸内海に浮かぶ向島むかいしま


 一年前に母が死んでから、この離島に兄の健糸郎と二人で暮らしている。昔は海賊で有名な村上氏がいたとか、さかのぼれば室町幕府を打ち立てた足利尊氏に関係があるとかないとか、いろんな歴史のある土地らしい。母がこの街に愛着を抱いていたから、俺もここが好きだった。


 ほんの5分の船旅を終えてしばらく自転車をこいでいると、ほどなくして学校にたどり着いた。何の変哲もない二流の県立高校だ。校庭では1年生が真新しいジャージを身にまとって体育の授業をしている。


「頑張りんさいよ、後輩ども」


 その姿を眺めながら、くたびれた校舎に入った。

 県立高校の2年生。それが広沢海渡の唯一の社会的身分である。その他は何もない。もう格闘ゲームなんて触れていないし、家にはゲームもパソコンも無い。


 そして唯一残された高校という居場所さえ、出席日数という都合から、危うくなってきている。前に登校したのがいつだったか覚えていないくらいには、久しぶりだ。


 廊下をペタペタと歩いていると、担任の山田先生に見つかった。


「おう広沢、久しぶりだ。元気そうでよかった」


 三十路のおっさんだけど、見た目はずいぶん若い。顔立ちも整っている。けれど話し方の癖が強い。広島の方言に染まっている。


「ほいじゃけど、俺も長く教師やっとるが、お前みたいな、いなげな生徒は珍しいぞ」

「長くって……山田先生、まだ若いでしょ」

「あのさあ、そういう話じゃねんだよ。とりあえず後で職員室に寄っていけよ」

「はーい」


 以前から定時制のある高校に移ってはどうかと提案されていた。きっとその話の続きだろう。だけどまだ決断は出来ずにいる。母さんからは、亡くなる前に高校だけは卒業しろと言われていた。だから退学する気は無い。


 だけど小学生のころから続く不登校の習慣を今更変えるのもなかなか難しいのだ。中学校なんて、本当に数えるほどにしか通っていない。

 別に何か理由があったわけじゃない。単に行かなくなったのだ。だから学校に来れば普通に授業も受けるし、友達とも遊ぶ。


 2年2組の教室に入ると、ちょうど休み時間だった。すぐにご学友から「広沢、ひさしぶり」とか「元気してた?」といった声が飛んでくる。


「めちゃくちゃ元気だよ。暇すぎて学校に来ちゃった。俺の席、どこだっけ」


 自分の席を探していると、「ここだぞ」と呼ばれた。見れば太い眉の女子生徒がこちらに手を挙げている。佐藤葵だ。海苔のような眉と黒い長髪と健全な丈のスカートが、トレードマークだ。


「久しぶりだ。海渡が自分から登校するなんて珍しい」

「来たかったわけじゃないんだよ。守銭奴から逃げるために仕方なく」

「お兄さんのことか」

「うん。今月も金の無心が始まった。こっちは金欠の素寒貧だっていうのに」

「駅前の古着屋さんでアルバイトをしていただろう」

「先月に夜逃げしちゃった。借金と税金の滞納で首が回らなくなって、北海道で漁船に乗ることになったらしいよ。支払いを待ってほしいって言われていたから、三か月分のバイト代がどこかに飛んで行っちゃった」

「それはご愁傷さまだな」


 言葉とは裏腹に、葵の太い眉はぴくりとも動かない。


「金が無さ過ぎて、このままじゃサシオサエになっちゃう。こうなったらマックでハッピーセットでもいっぱい買って、おまけのおもちゃをネットで売ろうかな」


 ずんぐりとした眉毛が間近に迫ってきた。


「駄目だぞ。それは卑怯者がやる汚い稼ぎ方だ」

「葵もハンバーガー食べる?」

「共犯にするな」

「一緒に破滅しようよ」

「しない」


 頑とした答えが返ってきた。決して冷たいわけではない。何があっても動じない女なのだ。

 この間なんて、コンビニのレジで店員さんの接客態度が気に入らないと怒鳴っていたおじいさんを相手に、淡々と話しかけて諭していた。どんな罵声を浴びせられても動じないので、最後にはそのおじいさんにも気に入られてお小遣いまで渡されそうになっていた。


 他にも、どこの言葉を話しているのかさえ分からない外国人に道を尋ねられても慌てず対応していたし、迷子の男の子を見つけて保護者を探すなんてこともしていた。眉毛と同じくらい太い神経の持ち主で、行動力と決断力の塊のような優等生なのだ。


 唯一の欠点と言えば、一人称が変な事くらいだろう。


「もし金欠なら僕に案がある。乗らないか?」


 女の子なのに僕だなんて、やっぱり変だ。いや、昨今の情勢を鑑みるに、こういうのを変なものと感じる方こそが変なのかもしれない。性別やら年齢やらで決めつけてしまうと、どこからかお叱りを受ける。少なくともこの内心は口には出さないようにしよう。

 などという無益な考えを巡らせながらも、思わず身を乗り出していた。


ぜにコの当てがあるんけ?」

「ずいぶん下世話な言い方だが、有体に言えばそうだ。海渡はゲームが得意と言っていただろう」


 どきりとした。


 話の流れで、格闘ゲームの経験があると口にしたことはある。でもプロゲーマーだったことは話していない。今ではもう、大ぴらに話すことも憚られる。


「昔の昔の大昔に、ちょっとだけ触ったことがあるくらいだよ」

「それでもかまわない。放課後に付き合って欲しい。助けて欲しいんだ。きっと稼ぎにもなると思う」

「おっけー」


 放課後は山田先生に呼び出されていたが、まあいいや。物事には優先順位がある。ゲームであろうと現実であろうと、攻略のコツは、目的を見失わないこと。そして目的に向けて効果的かつ効率的に進むことなのだ。

 今はなにより、金だ。サシオサエは絶対に嫌だ。六時間目の日本史を適当に聞き流すと、葵と一緒に素早く学校を抜け出した。


「で、どんな事情で、どんな助けが必要なんだ?」


 自転車を押して海沿いのとおりを歩くと、潮の香りが鼻をくすぐる。


「やむを得ない事情でバーチャルYouTuberユーチューバー)に挑戦しようと思うんだ。助けて欲しい」

「なんだって?」


 何のことだか、さっぱり話が分からない。葵は、相変わらずの太々しい眉で前を見ていた。

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