終話 夢の終わり、現実の始まり
恐る恐る、一人が口を開いた。真っ先に答えを出したのは、カイトだった。
「俺は、この『夢』を止める。俺が会いたかったのは本物のヒナだ。……それが叶わないなら、この『夢』に意味なんてない」
次にマコトが、自分に言い聞かせるように続けた。
「俺も止める。いつまでも、こんな場所に縋っているわけにはいかないから」
三番目は、カンナ。彼女の瞳には、まだ迷いと涙が溜まっていた。
「……私は、『夢』の続きが見たい。ヒナが生きてる世界がいい……」
そして最後は、ヒロキ。彼は投げやりな、それでいてどこか清々しい顔で吐き捨てた。
「俺も止めていい。こんなまやかしの『夢』、クソくらえだ」
「決まりだね。じゃあ──術をかけ直す者、終わらせる者、それぞれ生きたいように生きればいい」
カズラが改めて両手を翳すと、術が発動した。
ドクン、と心臓を直接掴まれたような衝撃が四人を襲う。カズラは冷淡な声で告げた。
「目を開けて、そのまま階段を下りて社の外へ出るんだ。鳥居を潜り抜けるまで、決して後ろを振り向いてはいけないよ。さあ、帰るんだ」
心底面倒くさそうに、シッシッと手で追い払う仕草を見せながら、カズラは四人を送り出す。その不遜な態度に反論する気力さえ、今の彼らには残っていなかった。四人は重い足取りで、境内へ繋がる階段を下り始める。
だがその時、四人の耳元で、か細い声が響いた。
『みんな……、行かないで……』
幼い子どもの声。それは四人を引き留めようとする、純粋な、けれど重たい執着を含んでいた。
「おい、狐野郎! また何か企んでんのか!」
カズラの悪戯だと思ったヒロキが怒鳴りつける。だが、カズラは首を振った。
「僕じゃない。いいから、振り向かずにさっさと行け」
突き放すような一言に、一同は息を呑んだ。声の主は、カズラではない別の存在。
『カイトくん……カンナちゃん……マコトくん……ヒロキくん……』
「ヒナ……なの……?」
カンナがポツリと呟いた。
ここは八年前、ヒナが命を落とした瞬間のまま時間が止まった空間だ。そこに彼女の魂が留まっていたとしても、何ら不思議はない。
『行っちゃ嫌……、寂しいよ……』
「ヒナ!!」
耐えきれず、カンナが叫んだ。カズラの忠告を忘れ、後ろへ振り返ろうとする彼女の肩を、マコトが必死で押さえ込む。
「カンナちゃん、ダメだ! 振り向くな!」
「でも、そこにヒナがいるんだよ!? ここで行かなきゃ、もう二度と会えなくなるんだよ!?」
いつもの凛とした口調は消え、カンナは子供のように泣きじゃくりながら訴えた。それが、彼女の本心だった。
「俺だって辛い! でも、ここで振り向くことは未練に飲まれることだ。そうなれば二度とここから出られなくなる。……俺たちは、生きて帰らなきゃいけないんだ!」
必死に叫ぶマコト。立ち尽くすヒロキ。その膠着状態を破ったのは、カイトの震える声だった。
「ヒナ! 俺たち、もう帰るわ! また来るから……今度はちゃんと遊ぼう、それまで待っててくれ!」
それは、その場を収めるための「優しい嘘」だった。ヒナの死を受け入れた彼らが、再びこの「マヨイガ」へ迷い込むことは、カンナを除いて二度とないだろう。
だが──死者の魂を、その場しのぎの嘘で宥めることはできなかった。
『……嘘。行っちゃダメ。みんな、ズルい。生きてるのが、ズルい』
甘く幼かった声が、一瞬で凍てつくような呪詛へと変わった。
『私だけ死んでるのに、みんなだけ生きてるなんて許さない。……みんなだけ幸せになるなんて、絶対に許さない……!』
背中から浴びせられる生々しい恨みの声。その瞬間、四人は唐突に理解した。
自分たちが「生き返らせたい」と願った幼馴染は、もういない。そこにいるのは、置いていかれた悲しみが歪みきった、得体の知れない「執念」だけだということを。
それでも、四人は足を止めなかった。
一段、また一段。重い呪いを背負いながらも、階段を下りる。
死者と生者は、同じ場所にはいられない。その残酷な真実を噛み締めながら、四人は一歩ずつ、光の差す「現実」へと足を進めていった。
*
「やれやれ。これでようやく一段落、といったところかな……」
静まり返ったマヨイガの中で、カズラは一人呟いた。
社の奥から漂っていた圧倒的な神気は、すでに消え失せている。滅多に人間の前に姿など現すことはない主は、神の世界へと帰還したようだった。
『ねえ、狐さん……。みんな帰っちゃった。ひどいよ……』
霊魂となったヒナの、湿り気を帯びた声がカズラに語りかける。
「そうだね。ひどいね」
カズラは彼女を否定せず、淡々と同調してやる。
『どうしてみんな、私に意地悪するの?』
「どうしてだろうね」
『……私のこと、嫌いになっちゃったのかな?』
答えに窮する問いだった。否定すれば「ならなぜ連れて行ってくれない」と激昂するし、肯定すればそれこそ手のつけられない怨嗟を撒き散らす。それは、今のカズラにとっても避けたい事態だった。
「皆は、ただ家に帰っただけさ。お父さんやお母さんが待っているからね。夕食の時間に遅れたら、ひどく叱られてしまうだろ?」
『……うん』
「ヒナも、もうお休み。傷ついた心も、眠ってしまえば穏やかに癒えていくものだよ」
『……』
ヒナからの返答はなかった。納得して眠りについたのか、あるいは冷めやらぬ怒りに震えているのか。それはカズラにも判別できなかった。
カズラは階段の縁まで進み、四人が去っていった鳥居を見下ろした。
そこにはもう、人影はない。彼らは無事に境界を潜り抜け、それぞれが選んだ「現実」へと帰り着いたようだった。
「……君たちは、これから自分の身に起こる『現実』を、果たして受け止めることができるかな?」
ここにはもういないカイトたちへ向けて、カズラは独りごちた。
「さて……」
カズラは左腕を払うように上げ、変化の術を発動させた。
艶やかな黒髪、漆黒のクリクリとした大きな瞳。そして、清楚な白いワンピース。
そこに出現したのは、紛れもない「十五歳のヒナ」だった。
「僕も、現世へ向かうとしようか」
カンナとの契約──「夢を見続けたい」という彼女の願いは、まだ継続している。カズラはこれからも、カンナの前でだけは、理想的な「親友」として振る舞い続けなければならない。
「……まあ、この術が保つのも時間の問題だと思うけどね」
ヒナの姿をしたカズラは、冷徹な瞳で鳥居の向こうを睨みつけた。
そして、四人が帰った現世へ向かうべく、軽やかな足取りで階段を下り、境界の向こう側へと消えていった。
*
カイトたちが「マヨイガ」から現世へ脱出できたのは、夕刻だった。
あの中では数時間の出来事だと思っていたが、実際には丸一日が経過していたのだ。親たちは血相を変えて捜索に走り回り、警察へ通報する寸前の大騒動になっていた。
「四人で遊ぶのに夢中になって、時間を忘れていた」としこたま叱られはしたが、幸いにも大事には至らず、その日はそのまま解散となった。
それから数日。カイトは表向き、何事もなかったかのように「普通」の日常を過ごしていた。
カンナの様子も、あの日以来変わらなかった。
むしろ、マヨイガでの出来事など記憶から消え失せたかのように、ケロリとしている。
「おいカイト! さっさと起きろ、遅刻するぞ!!」
制服姿のカンナが、ノックもなしに部屋の扉を跳ね上げた。
「開けんなよ、いきなり!!」
着替えの最中だったカイトは、慌てて手近な服で前を隠した。
「……ちっさ」
「やかましいわッ!!」
心底情けないものを見るような目でカイトの下半身を冒涜し、カンナは鼻で笑う。あの社での絶望が嘘のように、彼女は元気そのものだった。
だが、そんな彼女を見るたび、カイトの胸の奥にはドロリとした不穏な感触が広がっていく。
(カンナだけ……ヒナが死んでいることを、忘れてるんだよな……)
カンナの口からヒナの話題が出ることはない。けれど、今まで彼女たちはどこへ行くにも一緒だったはずだ。なんなら親たちの前でも、三人の幼馴染として振舞っていた。現実として、そこに矛盾はなかったのか。
(というか、俺たちは今まで、どうやって過ごしてたんだっけ?)
思い出そうとすると、脳の奥に霧がかかったように曖昧になる。気になる。だが、今さら親にヒナのことを尋ねる勇気はなかった。
ぐるぐると答えの出ない思考を巡らせながら一階へ下りると、母親がキッチンから小言を飛ばしてきた。
「もー、遅いわよカイト!」
母親に急かされながら、食卓に並んだ朝食を口に運ぶ。
ちょうどその時、玄関の呼び鈴が鳴った。「はーい!」と母親が小走りで玄関へ向かう。
「カンナ! お友達がお迎えに来たわよー!」
「はーい、今行く!」
カンナは軽快に返事をしてスクールバッグを掴むと、玄関へと駆けていった。
「ヒナ、おはよう!」
その名前を聞いた瞬間、カイトは口に含んでいた牛乳を派手に吹き出した。ソファで新聞を読んでいた父親から「汚ねえな!」と怒鳴られたが、構っている余裕などない。
カイトは椅子を蹴るように立ち上がり、玄関へと飛び出した。
母親に見送られながら、カンナが外へ出るところだった。
その先に立つ、一人の少女が視界に入る。
カンナと同じ制服に身を包み、モデルのようにすらりとした体型。腰まで届く艶やかな黒髪に、愛らしいクリクリとした大きな瞳。
間違いなく、「ヒナ」がそこにいた。
あの日、井戸の底で命を落としたはずの少女。
成長した姿でそこに佇む「ヒナ」と、目が合う。カイトは喉の奥が引き攣るのを感じながら、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
少女はカイトを見つめ、不敵に口角を吊り上げた。
その黒い瞳の奥で、真紅の光がギラリと不気味に明滅した。
次回「きさらぎ駅編」スタートです。5月31日更新します。




