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1話 現実の続き、行き着くは異界駅

新章突入「きさらぎ駅編」開幕です。

 俺は、誰もいない小さな無人駅のホームに立ち尽くしていた。

 途方に暮れ、仕方なく汚れたベンチに腰掛け、どんよりとした空を仰ぎ見る。こうして黄昏れてから、一体どれほどの時間が経過しただろう。

 何度目かになる作業でポケットからスマホを取り出し、マップアプリを開く。だが、画面の中の青い点は暗闇を彷徨うばかりで、やがて「現在地が判定できません」という無機質なメッセージが表示される。

 ホームの中央に佇むのは、「きさらぎ駅」と書かれた古びた看板。

 どうやら俺は、とんでもない場所に迷い込んでしまったらしい。


「ここにマコトがいてくれたらな……」


 思わず独り言が漏れる。こういう時、一番頼りになるのはオカルトマニアの幼馴染、マコトだ。だが、あいつは今ごろ県大会のために遠征中。ここにいるはずもない。近ごろはこうしてマコトとはすれ違う事が多い。

 俺は脱力しながら、どうしてこんな事になったのか、これまでの経緯を振り返り始めた。





 時は遡り、半日前──。


 カイトは一枚の用紙を手に、険しい表情を浮かべていた。

 視線の先にあるのは「通知表」。一学期の終業式、つい先ほど配布されたばかりの代物だ。

 結果は──体育を除いて、見事なまでに真っ赤だった。

 パタン、と通知表を閉じ、カバンの中に放り込む。


「……見なかったことにしよう」


 カイトはキリッとした顔を作り、夏の陽炎が揺れる通学路へと踏み出した。


「ただいまー」

「おかえりなさい」


 玄関の扉を開けた瞬間、カイトはギョッとして後ずさった。そこにいたのは、仁王立ちで待ち構える母親だ。笑顔なのに、その背後には般若の幻影が見える。

 おかしい。今日はカンナを連れて病院へ行くはずではなかったか。


「随分早かったわね。部活は?」

「そ、そういう母さんこそ……カンナを病院に連れて行くんじゃなかったの?」

「ごまかすんじゃないわよ! 今日は普通に練習があるでしょうが!」


 鬼の形相で詰め寄られ、カイトは言葉に詰まる。

 カイトたちが通う中学校は「文武両道」を掲げ、特に運動部の活動には凄まじい熱を入れていた。レギュラー争いは熾烈を極め、土日祝日返上の練習は当たり前。今日も午後はすべて部活動に充てられているはずだった。

 だが、カイトは今、自宅にいる。つまり、バックれたのだ。


「いーだろ別に! 俺レギュラーじゃねーし。試合に出ないのに練習したって意味ねーよ!」


 口答えした瞬間、母の顔が真っ赤に震えだす。落雷の予兆だ。


「いいから通知表を出しなさい!」

「今じゃなくていいだろ! それよりカンナはどうしたんだよ」

「まだ帰ってこないのよ……病院予約を入れているから早く出かけたいのに」


 双子の姉・カンナはまだ帰宅していないらしい。

 その言葉を聞いた瞬間、カイトの脳裏を過ったのは──あの「狐」の顔だった。

 先日、稲荷神社の夏祭りで遭遇した、人型の狐を名乗る存在。幼馴染のヒナがすでにこの世にいないという残酷な真実。

 ヒナの死を受け入れたカイトたちに対し、カンナだけはその現実を拒絶し、「死を忘れる夢」を見る契約を選んだ。


(……まさかあの狐、カンナに何かしてんじゃねーだろうな)


 嫌な予感が背中を這う。相手は神の使いを自称しながら、人間を小馬鹿にするような危険な存在だ。未成年の失踪は、この世でもあの世でも大事(おおごと)になりやすい。


(引き返して、探しに行った方がいいか……?)


 思考に沈み、突然黙り込んだカイトを、母がいぶかしげに見つめる。


「ぼさっとしないで、早く出しなさい!」


 痺れを切らした母の剣幕に押され、カイトは渋々通知表を差し出した。

 広げられた紙面を見た瞬間、母の叫びが屋根を揺らす。


「何この成績! あんた、今年受験生なのよ!?」


 赤点のパレードに母が絶句している隙を突いて、カイトは二階の自室へ滑り込んだ。


「こら! カイト!! 降りてきなさい!!」


 階下からの怒号を無視して、扉を閉め、鍵をかける。


「あー、聞こえない聞こえない!」


 耳を塞いでベッドにダイブした。

 成績のことなど、今は考えたくもなかった。


「数学なんて将来いつ使うんだよ。英語? 日本にいるんだから日本語で十分だっつの!」


 不貞腐れながらスマホを取り出す。明日から中学最後の夏休み。そして今夜は花火大会だ。楽しまなければ損だ。


「マコトは大会でいねーけど、ヒロキとカンナは大丈夫だよな」


 メッセージアプリで二人に「花火大会に行こう」と送る。

 ふと、ヒナに化けたあの狐──カズラの顔が浮かんだが、あえて頭を振って消した。

 しばらくして、玄関が開く音がした。


「ただいま……」


 カンナが帰ってきたのだ。

 カイトは部屋を出て、廊下から階段下を見下ろす。母が小言を言いながら、カンナを急かしている。


「荷物置いてきなさい。すぐに出かけるわよ」


 階段を上がってきたカンナに、カイトは声をかけた。


「なあカンナ、今夜、一緒に花火大会行かねーか?」

「私はいい。ヒロキでも誘えば」


 素っ気なく断られ、カンナは自室へと消えてしまった。


「なんだよ、アイツ……」

「カイト! あんたは家で勉強してなさい!」


 母の視線を避けるように、カイトは慌てて部屋に引っ込んだ。

 やがてカンナと母が家を出ていき、静寂が訪れる。父の帰りは遅い。家には、カイト一人だ。


「……これ、チャンスなんじゃね?」


 口うるさい監視の目は消えた。夜まで遊び放題だ。

 カイトは期待を込めてヒロキとのトークルームを開く。メッセージには「既読」がついた。


「よし、既読ついた。『これから遊びに行こうぜ』と……」


 だが、そこから返信が途絶えた。

 五分、十分。いつもなら秒で「行く!」と返ってくるはずのヒロキから、一向に言葉が返ってこない。


「おかしいな……あいつ、何してんだ?」


 首を傾げながら、カイトは嫌な胸騒ぎを振り払うように、他の友人を誘うべく指を動かした。





「スッゲー! このたこ焼き、タコが二個入ってる!!」


 カイトが買ったばかりのたこ焼きを頬張ると、中からタコが二つも出てきた。そんな些細な幸運に、一気にテンションが上がる。


「うわ、マジじゃん、すげー!」

「ってことは、どれかタコが入ってないハズレがあるぞ」

「探せ探せ!」


 友人たちと笑い合いながら、一つ一つたこ焼きを割って中を確かめる。だが、結局「ハズレ」は見つからなかった。


『お待たせいたしました。ただいまより、第七十四回、稲荷花火大会を開始いたします。夜空に咲く大輪の華を、どうぞごゆっくりお楽しみください』


 打ち上げ開始のアナウンスが響き渡る。この地域では稲荷神社とは無関係な催しにまで、何にでも「稲荷」をつける風習がある。

 オカルトオタクのマコト曰く、それだけ地域に根付いている証拠なのだという。だが、あの社での出来事があって以来、カイトはその「ありがたみ」を素直に実感できずにいた。

 激しくも鮮やかな轟音が響き、夜空に光の華が咲き乱れる。爆音に混じって、どこからか「たまやー!」と叫ぶ声が聞こえてきた。

 観客も、隣にいる友人たちも、皆楽しそうだ。

 ああ、楽しいはずなんだ──。

 また一つ打ち上がった花火が、夜空で大きく開花し、一瞬の輝きのあとに煙だけを残して消えていく。

 その光景が、今の自分の心境を映し出しているようで、カイトは胸が締め付けられた。賑やかな祭りの真ん中で、心の底には冷たい寂しさが沈殿していく。


(ここに、あいつらが……皆がいれば、もっと楽しかったのにな……)


 幼馴染たちの顔が浮かぶ。社での神隠し以来、まともな会話などなくなってしまった。


(昔に、戻りたいな……)


 現実を生きると決め、カズラと契約したのは自分自身だ。今更、元に戻りたいなんて言えるはずがない。それでも、一筋の後悔がカイトの心を支配していった。


「悪い皆……俺、もう帰るわ」

「え!?」

「なんでだよ、これからじゃん」

「いや、実は今日カンナが病院に行っててさ。なんだか急に心配になってきた」


 小さな嘘をついた。カンナが病院に行ったのは事実だが、心配だから帰るわけではない。ただ、この場にいるのが耐えられなかった。


「カンナって、あの双子の? どっか悪いのか?」

「いや、学校から一度診てもらえって言われたらしくて。たぶんもう帰ってるだろうから、様子見てくるわ」

「……そっか。じゃあ、またな」


 形だけの挨拶を交わして、友人たちの輪から離れる。

 祭りの喧騒の向こう側から、「だったら最初から来んなよな」という吐き捨てられた悪態が、なぜか鮮明に耳に届いた。





 カイトは家路につくため、下り電車に乗り込んだ。

 窓の外には、今もしきりに花火が打ち上がっている。車内の乗客たちは、夜空を彩る光の華をひと目見ようと、窓際に鈴なりになっていた。おかげで反対側の座席はがら空きで、カイトは吸い込まれるように腰を下ろした。

 やがて発車のベルが鳴り、静かにドアが閉まる。ガタン、と小さな振動とともに電車が動き出した。

 ポケットからスマホを取り出し時間を確認するが、花火が始まってからまだ一時間も経っていない。


(いつもなら、もっと楽しかったはずなのに……)


 これまでは、あいつらと一緒にこの景色を見ていた。メンバーが違うだけで、こうも心の内側は冷めてしまうものなのか。


(……いや、違うな。あの社であんなことがあったからだ。あの日さえなければ、今も笑ってられたのに)


 後悔の波に揺られながら、カイトは窓に頭を預ける。規則的な走行音と心地よい揺れ。蓄積した精神的な疲労に抗えず、カイトはいつしか深い眠りに落ちていった。




──ふと、嫌な静けさに目が覚めた。


(しまった! 寝過ごしたか!?)


 慌てて飛び起きると、電車はちょうどどこかの駅に停車したところだった。乗り過ごした焦りから、カイトは弾かれたようにホームへ降り立つ。

 そこは街灯もまばらな、小さな無人駅だった。周囲にはカイト以外の人影はなく、虫の声一つ聞こえない。

 次の電車を確認しようと、ホームの柱を見渡す。だが──。


「時刻表……なくね?」


 どこを探しても、見慣れた時刻表も、近隣の駅名を示した路線図も見当たらない。それどころか、駅全体に生活感がまったくないのだ。


「ここ、マジでどこだ……?」


 困惑と不安に押し潰されそうになりながらホームを歩くと、暗がりにぽつんと佇む駅名標を見つけた。


(……よかった、これで場所がわかる)


 すがるような思いで、カイトはその名を読み上げる。

 古びた看板に記されていたのは──「きさらぎ駅」という、聞いたこともない名前だった。

本日中に中に2話目投稿できればと思います。

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