2話 きさらぎ駅の謎、予期せぬ再会
藁にもすがる思いで、「きさらぎ駅」というワードを検索バーに叩き込む。すると、その名を含むページがずらりとヒットした。
ひとまず、胸をなでおろす。GPSが機能しないせいでインターネットも繋がらないのでは、という最悪の不安は回避された。
しかし、検索結果に並ぶのは「異界駅」という不穏な三文字だった。
十年以上も前、ネット掲示板に怪奇体験がリアルタイムで実況されたもの。現在もなお、ネット都市伝説の金字塔として有名であると、その記事には記されていた。
「え……じゃあ、俺、マジで異界に来ちゃったのか?」
ひらがなで書かれた脱力感のある駅名。周囲には民家の一軒も見当たらず、ただ草木が鬱蒼とした山と草原が広がっているだけだ。カイトの地元も田舎ではあるが、ここまで徹底的に「何もない」場所は珍しい。
ネット記事にある「きさらぎ駅」の特徴は、今カイトが立っている無人駅の景色と、無慈悲なまでに一致していた。
カイトは貪るように情報を集め始める。ヒットするのは考察サイトや、都市伝説の経緯を解説する動画ばかりだ。
彼は、この騒動の発端となった最初の投稿者がどうなったのかを調べた。詳細がまとめられた記事を見つけ、食い入るように画面を見つめる。
『帰宅途中、電車で居眠りをしている間に、見知らぬ駅に停車した』
「そういえば、あの時も……」
カイトも確かに、耐えがたいほどの睡魔に襲われていた。あの異常な眠気は、異界へ誘われる前触れだったのだろうか。
『運転席の窓には遮光幕が下ろされており、乗務員を確認できない』
「……あれ? どうだっけ……? ……見てなかった」
パニックで飛び降りてしまったため、運転席の様子など確認する余裕もなかった。時すでに遅し。運んでくれた電車はもう、影も形もない。
カイトは途方に暮れ、古びたベンチにだらしなく体重を預けた。ギイ、と頼りない音が静寂に響く。
見上げた空は、晴れているのにどこか薄暗かった。花火大会の最中なのだから夜のはずだが、夜より明るく、かといって昼間にしては暗すぎる。光源が見当たらないのに、周囲の景色だけが奇妙にハッキリと見えるのだ。
「ここ、あの時の社と同じなのか……?」
既視感があった。先日閉じ込められた、あの稲荷神社の社。あそこも八年前で時が止まった異常な空間だった。決定的な違いは、ここには視界を遮る霧がなく、どこまでも「何もない」景色が開けていることだ。
(あの時は、マコトの知識に助けられたっけ。……あ、マコト!?)
ふと、記事の中にあった一節を思い出す。
「そうだ! たしか、きさらぎ駅に迷い込んだ人は、携帯で助けを呼んでたはずだ。なら──」
一筋の希望に震える指で、メッセージアプリを開く。そして、迷わず無料通話のボタンを押した。
数回の無機質なコール音の後、相手が電話に出た。
『……おい。今、何時だと思ってんだ……カイト……』
「マコトーーーッ!!」
電話口から聞こえてきたのは、眠りを妨げられたことに憤る、声変わりが始まったばかりの少年の声。
オカルトマニアの幼馴染・マコトだ。大会で不在だが、遠征先にもスマホを持っていると踏んでの、いちかばちかの賭けだった。
そう、かつての投稿者と決定的に違うのは、カイトにはこの手の怪異に精通した「最強の専門家」が友人としていることだ。
「マコト! 助けてくれ! 変な駅に迷い込んじゃったんだよ!」
『あ? 変な駅?』
「きさらぎ駅だ! 俺、都市伝説の『きさらぎ駅』にいるんだよ!」
「きさらぎ駅」──その単語を口にした瞬間、マコトの空気が一変したのが、電波越しにもはっきりと伝わってきた。
*
相部屋の部員に気づかれるとまずいからと、マコトが部屋を抜け出す間、一度通話が中断された。数分後、再び繋がったスマホから低い声が漏れる。
『それで? 本当なのか? 今、本当にきさらぎ駅にいるんだな……』
「ああ……看板にそう書いてある」
『写真を撮れ! すぐだ!』
「分かったよ」
カイトは通話を繋いだままカメラを起動した。不気味な駅名標、誰もいないホーム、闇に消える線路──いくつかの写真を収め、マコトに送りつける。
『クソ……羨ましすぎる……』
「はあ?」
こっちは危機的状況だというのに、何とも緊張感のない態度だ、とカイトは呆れた。
『いや、なんでもない。カイト、お前「きさらぎ駅」についてはどこまで知ってる?』
「ここがどこか検索して、異界駅だってことは知ったよ。十年以上前の掲示板に書き込まれた怪奇実況だってことも……」
『なら、どんな末路を辿ったかも知ってるんだな』
カイトは「ああ」と頷き、画面で読んだばかりの内容を頭の中で反芻した。
「電車の中で強い眠気に襲われて、気づいたら無人駅。線路を伝ってもと来た道を戻ろうとした……って書いてあったな」
『概ね合ってる。あの都市伝説の不可解な点は、妙なリアリティだ。ネタだという説もあるが、投稿主が乗った私鉄も時刻も実在する。その現実とのリンクが、信憑性を増した要因なんだ。それに、線路を歩く途中で遭遇する怪奇現象も、日本の歴史や逸話に酷似しているものが多い……』
「片足の老人とか、太鼓と鈴の音のことか?」
『そうだ。まず片足の老人だが、あれは「人柱」にされた者かもしれない』
「人柱……生贄ってことか?」
電話越しのマコトが、重々しく肯定した。
『生贄が逃げ出さないように、あるいは「神の所有物」である証として、あえて体の一部を欠損させたという説がある。古くから建造物の建設中に生き埋めにされた者の怨念という説もな』
「説明がまどろっこしいよ。結局何が言いたいんだ」
『つまり、その老人は──「死人」ってことだ』
「死人」という言葉が、カイトの胸に重くのしかかる。真っ先に脳裏を過ぎったのは、この世を去った幼馴染、ヒナの姿だった。
「……だから、なんだって言うんだよ」
カイトは震える声で、先を促した。
『掲示板では「危ないから線路の上を歩いちゃ駄目だよ」と話しかけてくる。一見、事故を心配した注意に聞こえるが、別の捉え方もできる。「線路を逆に進まれて、現実へ帰られたら困る」ってな』
「っ……!」
『老人は、迷い込んだ人間を異界に留めようとしている。その後に遭遇する「車で送る」と言ってくる男も同じだ。投稿主はその男の車に乗ったきり、音沙汰がない。きさらぎ駅から生還するには、引き止める人間に会っても絶対について行っちゃいけないんだ』
「……確証はあるのかよ」
『あるわけないだろ。その後、投稿主がどうなったかなんて誰にもわからないんだからな』
「帰れたって後日談があったぜ?」
『あれが本人だと言い切れるか? 文体も違うし、そもそも匿名の掲示板だ。誰かが成り済ましている可能性だってある』
カイトは黙り込むしかなかった。あの社の時は、カズラが外へ出してくれた。だが今はカイト一人だ。突然、底知れない不安が襲いかかる。
「俺、帰れるかな……」
『……やるしかないだろ。他に道はないんだ』
「……おう」
『帰る前に、きさらぎ駅の写真と動画をもっと撮ってきてくれよ!』
「今この状況でよくそんなこと言えるな!」
スマホのバッテリーを確認すると、すでに半分を切っていた。それを伝えると、マコトから「いざという時のために温存しろ」と忠告される。不安を振り切るように通話を切り、何枚か写真を撮影した後、電源を落とした。
カイトはホームの端に立ち、線路を見下ろした。
普段は何気なく利用しているが、ホームから線路までの高さは意外なほどある。飛び降りた際、足をつっかえて転んでしまいそうな高さに、カイトは少しだけ尻込みした。
ゴクリと生唾を飲み込み、恐る恐る足を伸ばした──その時。
ガサガサッ、と背後で物音がした。
心臓が跳ね上がり、驚きのあまりホームから足を踏み外しそうになる。
(……何の音だ!?)
バクバクと暴れる鼓動を抑えながら、必死にホームの縁にしがみつく。
ザッ、ザッ、ザッ──規則的な足音が近づいてくる。
背筋を冷たい汗が流れ、恐怖で顔を上げることすらできない。
「おい、何をしている」
頭上から投げかけられたのは、どこか乱暴な言葉。
男とも女ともとれる中性的な声音。その声には、はっきりと聞き覚えがあった。
ゆっくりと顔を上げると、そこには赤い瞳があった。
稲荷神社の社で因縁のある狐──カズラが、珍しく目を見開いてカイトを見下ろしていた。
次回更新は6月7日、午前10時頃を予定しています。




