終話 偽りは本物に、思い出は追想に
「マヨイガの社・再顕編」最終話です。
スタジアムが消え、霧に包まれた空間に変化した。ヒロキの服装も、ユニフォームから神主が撮影した映像に映っていた衣服に変化している。
これでやっと、ヒロキを取り戻せる。そう思ったのも束の間だった。
ヒロキの背後の霧の中から、空洞のように暗く窪んだ目の、ユニフォーム姿のヒロキが現れた。後ろからぬうっと両腕を伸ばして本物のヒロキを羽交い締めにする。
「ヒロキ!!」
三人は慌ててヒロキの腕を掴んで、引っ張る。それでもびくともせず、三人もろともズルズルと霧の中へと引きずり込まれる。
「ヒナ!! やめろ!!」
三人の背後からカズラが叫んだ。
するとユニフォーム姿のヒロキがグニャリと歪む。歪みが収まると十五歳のヒナに変化し、ヒロキを抱え込んでいる。
よく見ると、霧も生き物のようにヒロキの身体にまとわりついた。
「それ以上続けるとモノノケに成り下がる。ヒナ、……ヒロキを放すんだ。生ける者の魂を君がいる場所へ連れて行くことはできない!」
言葉を選びながら、カズラはヒナの説得を試みる。しかし───。
『嫌だ!! ヒロキくんは、私の代わりに死んでくれるって約束したもん!! 私はヒロキくんになって、生きていくの!!』
ヒロキを連れ去ろうとする力がさらに、強くなる。
カズラは、ヒナが放った言葉に驚愕し、ヒロキに視線を移した。
「ヒロキ、まさかヒナと成りかわりの契約をしたのか!?」
「し、仕方なかったんだ!! ヒナが『ここにいれば、俺の理想を現実にしてくれる』って言うから……!!」
「馬鹿め」と悪態をつきたくなったが、カズラは喉まで出かかったそれをなんとか飲み込んだ。
ヒロキに、現実世界に戻る意思が芽生えた今、何としてでもヒナを説得しなければならない。そちらのほうが優先事項だ。
もう、ヒロキを引っ張る三人も限界が近い。
「ヒナ、竹本という小僧に罰を与えたのも君だね?」
なるべく、ヒナに反感を与えないように言葉を選びつつ、竹本の死の真相を追及する話題へと変える。
すると『あいつッ!!』とヒナは鈴のように美しい声を濁らせて、竹本への怒りを爆発させた。
『カイトくんが……!! カンナちゃんが……!!
マコトくんが……、くれたお花を蹴ったの!! ひどいの!! 許さない!! 許さない!! 許さないッ!! だから、懲らしめたの。悪いことをしたら、いけないんだって教えたの!!』
カイトたちの背筋に悪寒が走る。
ヒナは虫も殺せないような優しい性格だった。それが今や、平気で人の命を奪うような危険な悪霊へと変貌していた。
「ヒナ、もう十分だ。君の弔いを侮辱したやつには罰が下っている。もうやめよう。ヒロキを返してくれ。彼の母君が帰りを待っているんだ」
『私のお母さんも、私の帰りを待ってるの……。「気を付けて行きなさい」って、「いってらっしゃい」って、お母さん言ってたのに、私死んじゃって帰れなくなっちゃった。お母さんが待ってるから、帰らなきゃいけないの!!』
ヒロキの帰りを待ち続けている。それを引き合いに出して説得するつもりが、逆に逆撫でしてしまった。
全員に霧が襲いかかる。それは単なる気象現象などではなく、無数の水滴が集まることで束となり、手足のように伸縮する、ヒナの身体そのものだった。
霧に襲われる中、別の景色が見えた。だが、それは、今、目の前で起こっているものではなく、誰かの記憶のようだった。
今よりも幼いカイト、マコト、カンナ、ヒロキがいる。
それは、ヒナの記憶だ。
彼女の記憶が、瀑布の如く流れ込んでくる。
*
『いってらっしゃい。気を付けてね。危ないことしちゃダメよ』
お母さんはいつものように、私を送り出してくれた。気温が高いと具合が悪くなるから、涼しいところで遊びなさいって言われた。それで皆で話し合って、神社で遊ぶことにした。
神社は木の陰がいっぱいで涼しいから、ここならいいだろうって、マコトくんが言ったの。
皆で鬼ごっこをしていたら、白い狐さんを見つけた。
「白い狐さんがいるよ」と言って指さしてみたけど、皆「そんなのはいない」って言うの。でも、私には白い狐さんがはっきり見えていたから、いるって何度も言った。だけど、誰も信じてくれなかった。
「そんなに言うなら捕まえてこい」と、カイトくんが言ったから、私は白い狐さんを追いかけた。
気がついたら、私は死んでいた。
『ヒナを生き返らせて!!』
神社で泣きながら皆が手を合わせて、神様にお願いしてた。
それで私は自分が「死んでいる」と知った。
痛かった。
どこが痛いのか分からなかったけど、とにかく痛かった。
皆の泣き声が、神社の中に響き渡って、私の魂を揺さぶる。
ただ呆然と、その様子を見ていたら、いつの間にか「私」がいた。
その「私」と目が合うと、その目がギラリと赤く光るのが見えた。
あの時追いかけた白い狐さんだと気付いた。
狐さんは、私になって皆と一緒に帰っていった。
違う、それは私じゃない。気付いて! 皆!!
私の声は届かない。皆、狐さんを「私」だと思っている。そのまま偽物の私と一緒に帰ってしまった皆を眺めて、私は一人、この神社で泣いた。
それから、私はここから出られずにいる。
*
(ああ……、そうか……、そうだよな……)
ヒナから流れ込んでくる、彼女が死んだ時の記憶。
自分が死者になってしまったという悔しさと、何に対してのものか分からない怒り。そして、生きたいという、底しれない願いが、抱えきれないほどにカイトたちの中に流れ込んできた。
それでも、ヒナは死者で、自分たちは生者である現実は変わらない。
だからこそ、これだけはヒナに言わなきゃならない。
「ヒナ!! ごめん!! あの時、からかってごめん!!」
カイトは叫ぶ、あの日の後悔を。そして本来伝えなければならない、言葉を。
「白い狐のこと、信じてやれなくてごめん!! ずっとヒナのこと忘れててごめん!!」
「私もごめん!! でも、ヒナが私の親友なのは変わらないよ!! それだけは信じて!!」
「俺もごめん!! これからは絶対に忘れない!! だから頼む!! ヒロキを!! 皆を返してくれ!!」
「ヒナ!! マジでごめん!! ヒナのこと忘れてたうえに、代わりに死んでやるって約束守れないことを許してくれ!!」
「ヒナごめん!!」と心からの謝罪の言葉をカイトは叫んだ。
説得できるか分からない。だが、今のカイトたちにできる精一杯のことをする。
「俺たちはこの先、生きていくけど、これからは絶対にヒナのことは忘れない!! また会いに来るから!! ヒナ!! 俺たちを!! 皆を返してくれ!!」
肉体を失い、魂だけとなったヒナの心に、その言葉は、届いた。
たちまち霧は消え、元の神社の境内に姿を変えた。八年前の神社ではなく、今の神社の境内だった。
行方不明になっていた少年たちも、現実世界に戻ってきている。もちろん、物言わぬ骸と成り果てた竹本も。
現実世界に戻ったと分かると、少年たちは一目散に逃げていった。
そんなことはお構いなしに、カイトたちは、ヒナと向き合う。これから、今までのケジメをつけなければならない。
「ヒナ……」
カイトが名前を呼ぶと、ヒナは十五歳の姿から、みるみる八年前の七歳の姿になった。
それを見て、なんとか説得できたかと、カズラは胸を撫で下ろした。
「ヒナ……、行こう。君が向かう場所への入り口は既に現れている」
カズラはある一点を指さした。そこには、「お狐さんの駅」と看板に書かれた駅がぼうっと現れていた。
ヒナの小さな手を掴んで、促すように手を引こうとする。
だが、ヒナは動かない。
「ヒナ?」
この期に及んで何を? とカズラは表情を険しくする。そっとヒナの顔を覗き込むと、幼くクリクリと愛らしい瞳に、涙をいっぱいに溜めていた。
そして、ヒナは心の内を絞り出すように絶叫した。
『うぇえーーーん!! 嫌だよぉ。私だけ死んじゃうなんて嫌だよぉ……!! えぇ~〜〜ん……!! もっと皆と遊びたいぃい……!!』
ヒナの魂に、心に澱となって巣食っていた怨念が、今ここで噴出した。
皆と遊びたい。もっと一緒にいたい。
それが、ヒナの一番の望みだ。だが、死者となった彼女の望みは葉うことはない。
「ごめん……、ヒナ……」
「ごめんね……」
「俺たちも、ずっとヒナと一緒にいたかったよ……」
「遊べなくてごめんな……」
少年たちは、幼いヒナの身長に合わせてしゃがみ込み、彼女の小さな身体を優しく抱きしめた。それに応えるように、ヒナも皆を抱き返す。
しばらく、幼い少女の泣き声が境内に響き続けた。
*
『絶対だよ……。絶対だからね』
泣き止んだヒナは「お狐さんの駅」の前で、念を押すように何度も同じ言葉を繰り返す。
「うん、絶対だ。絶対また会いに来るよ」
「毎年、お盆になったら私たちはこの神社に来るからね」
「その時、また会おう」
「皆で思う存分、遊ぼうぜ!」
『うん! 絶対!!』
彼らのやりとりを眺めて、カズラは「性懲りもなくまた誓約を結んで……懲りないな」と呆れていた。
だが、これで主の命令を遂行できるし、自分の役目も一つ終えることができた。
『狐さんも一緒?』
「………もちろん、一緒さ!」
「間があったぞ、おい」
本心を隠そうともしないカズラに呆れながら、再び会う約束をする。
今年のお盆はもう過ぎている。会えるのは来年だ。その頃のカイトたちは、中学を卒業して高校に進学していることだろう。
「やっと終わったか! トロトロしおって!」
呆れた口調で吐き捨てたのはハクだった。随分と横柄な態度だが、そんなことよりも誰もが、この事にツッコミを入れた。
「「「お前、まだいたのか」」」
「うるさい!!」
どさくさに紛れて高天原に帰ると豪語していたくせに、帰りそびれてしれっとまだ現世にいる。
「こうなったからには、アタイはあの小娘どもを思う存分からかってから、帰るさ」
胸を張って言い切るハクに呆れながらも、コックリさんをした女子生徒たちへ同情する。
「僕がヒナを黄泉の入り口まで送っていく。君たちは真っ直ぐ家に帰れよ」
「分かってるよ……」
酷く素っ気ないカズラから目を逸らし、改めてヒナと向き合う。カイトたちは溢れそうになる涙を必死に抑えながら、ヒナを見つめた。
ヒナもまだ、その大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて、泣くのを堪えている。彼女もまた、幼馴染たちの顔を忘れぬように、順番に胸に刻むように見つめている。
「それじゃあ、ヒナ……、またね……。忘れないからねっ……!!」
『ぐす……、うん、みんな……、またね……。バイバイ』
悲しげで名残惜しげな表情をしている。けれど、彼女は本来の居場所である彼岸に向かうべく、心の折り合いを付け、旅立つ決意を固めていた。
名残惜しげに手を振るヒナ。それに応えるように、カイトたちも手を振る。
カズラに手を引かれ「お狐さんの駅」の入り口へ歩み出していった。
彼女は振り返り、何度も手を振る。
後ろ髪を引かれる思いで、カイトたちも手を振り続けた。
そして、暗い駅の中へとヒナとカズラは静かに姿を消した。
今までの不可思議な出来事が嘘であったかのように、夜の静寂に包まれた境内だけが残った。
偽りの追想は、本物の思い出となり、少年少女たちの心に、刻み込まれた。
次回終章です。
8月30日(日)19時更新です。




