5話 魅入られた友、花子さん召喚
息子の様子が、どこかおかしい。
ヒロキの母がその異変に気がついたのは、夕食でのことだった。
母親の勘というものが実在するとして、それは一体どこまで信用されるだろうか。
黙々と箸を動かす息子を向かいから眺めながら、彼女は胸焼けに似た違和感を抱いていた。
(箸の持ち方が、おかしい……)
箸をバツ印のように交差させて持っているのだ。まるで、初めて箸を持った幼児のようなおぼつかない手つきだった。ヒロキの箸の持ち方は小学生のうちに矯正が済んでおり、普段は正しく持って食事をするはずだった。
それだけではない。食べ方もどこか幼児退行でもしたかのように汚かった。おかずのハンバーグをボロボロと食卓に零しているし、口の周りも酷く汚れている。
「ごちそうさま」
少し舌足らずな声で手を合わせて食事を終えると、ヒロキは口元や服を汚したまま、のそりと席を立った。そして、そのまま真っ直ぐ玄関へと向かい、靴を履き始める。
「ヒロキ? こんな時間からどこへ行くの?」
「カイトくんたちと、遊びに行くの」
「え……!?」
いくら夏の暑さが残っているとはいえ、季節は確実に進み、日が沈むのは徐々に早くなっている。外はもう夜の闇に包まれているというのに、これから出かけるというのか。
「待ちなさい! ヒロキ!」
母親の制止を無視して、バタンと玄関の扉が閉まった。
最近、ヒロキが学校でつるんでいた不良グループの少年たちが、次々と行方不明になっているという事件は耳にしていた。これから遊びに行くという相手が、本当に幼馴染のカイトたちなのかすら怪しい。
胸を突く嫌な予感に突き動かされ、慌てて外へ飛び出したが、夜の住宅街にはすでにヒロキの姿はどこにもなかった。
*
「とにかく君たちは帰るんだ。家にいたほうが、まだ安全だからな」
そう言い残し、カズラは日が沈み闇に包まれた夜の公園を歩み出そうとした、その時だった。
「あっ!」
暗闇の奥から、何者かが足早にこちらへ向かってくる。街灯の明かりに照らされて、その姿が現れた。
小太りでカンナより少しだけ背が高い女性が、汗だくになりながら必死に駆けてくる。
「……! ヒロキのお母さん!」
子どもの頃から見知っているヒロキの母親が、血相を変えて迫ってきた。
「カイトくんたち……! ヒロキは!?」
「ヒロキ?」
「一緒なんでしょ!?」
「おばさん、落ち着いて!」
突然カイトの肩を掴み、激しく揺さぶるヒロキの母。必死で走ってきたのだろう、肩を上下させ激しく息をしている。全身も汗で濡れており、服もびしょ濡れだった。
カズラは彼女が自分の姿を認識していないと察すると、彼らの様子をじっと伺うことにした。
「さっきヒロキがね、あなたたちと遊びに行くって言って、出て行っちゃったのよ!」
「え……、俺たちそんな約束してないけど?」
「本当に!? 嘘じゃないわね!?」
「嘘じゃないってば!!」
切羽詰まった様子のヒロキ母を何とか説得して宥めようとするが、彼女はヒートアップするばかりで話を聞こうとしない。掴まれた肩を揺さぶられるカイトは、そこから逃れようと必死だった。
「本当だよおばさん!」
「ヒロキとは一緒じゃないよ! 私たちも探してるんだから!」
カンナとマコトの強い言葉に、ようやくヒロキの母はカイトから手を離した。
「探してるって……どういうこと……?」
「私たち、今日学校が終わってからヒロキの下駄箱の前でずっと待っていたけど、来なかったんだよ」
「外履きがずっと置きっぱなしで……。通りがかった先生に話して、俺たちだけ帰されてさ」
「……最近あいつ、学校でも様子がおかしかったから連絡を取ろうとしてるんだけど、メッセージも既読にならないんだ」
カイトがトーク画面を表示させ、スマホをヒロキの母に見せた。
「……そんな。でも、あの子普通に学校から帰ってきて、ご飯も食べてたのよ……?」
混乱しているのか、ヒロキの母は記憶を探るようにブツブツと独り言を呟き始めた。
その様子を黙って見つめていたカズラだったが、ふと気にかかることがあったのか、問いを投げかけた。
「母親から見て、ヒロキに変わった様子はなかったか?」
だが、その声はヒロキの母には届かない。普通の人間の目には、カズラの姿を捉えることができないからだ。
カズラは即座にマコトへ目配せし、自分の疑問を母親に尋ねるよう促した。
「……あの、おばさんから見て、ヒロキに何か変わった様子はありませんでしたか?」
「ヒロキに? そうね……。あなたたちと夏休み前に遊びに行ってから、急に口を利かなくなってしまって……。そのうち、ガラの悪い子たちとつるむようになっちゃって……」
自分たちと遊びに行ってから──つまり、あの社での出来事を境に、ヒロキは変わってしまったという。
「今日なんて特におかしくて。学校から帰ってきてからの振る舞いが、なんだか小さな子供に戻ったみたいだったのよ……」
「小さな子供?」
「そうなの! 箸の持ち方とか食べ方が、幼気で……」
ヒロキ母の口から語られたヒロキの姿は、現在の彼とはあまりにかけ離れていた。だが、カイトたちの脳裏には、恐ろしい一つの可能性が浮かび上がっていた。
(ヒナが……ヒロキに取り憑いている……!!)
ヒナは、小学一年生──七歳の時に命を落とした。その頃の自分たちは、まだ正しく箸を持つことすらできなかった。当然、ヒナもだ。
先日の深夜の学校で、ヒナの霊魂が口走っていた「ヒロキくんを連れて行く」という言葉。
七歳のままのヒナがヒロキの肉体を乗っ取っているのだとすれば、それは言葉通り「ヒロキを自分たち側へ連れて行く」という意味に他ならなかった。
「何か知ってるの!?」
カイトたちの不穏な空気を敏感に読み取ったのか、ヒロキの母は再び掴みかかるような勢いで問い質してきた。
だが、ヒナことを話せるわけもなく、「分からない」と頭を振るしかなかった。
落胆し、肩を落とすヒロキの母の姿に、三人はいたたまれなくなった。
「あの……俺たちもヒロキのこと探すから。何か分かったら、家の電話に連絡するよ」
カイトがそう提案すると、ヒロキ母は今にも泣き出しそうな顔で小さく頷き、彼女は一人、夜の公園を去っていった。
*
「ヒロキは、学校で姿を消したようだな」
ヒロキ母の話を聞いて核心を得たカズラは、そう言うと立ち去ろうとする。一人で夜の学校へ向かうつもりだ。
「ま、待って!!」
立ち去ろうとするカズラを引き留めたのはカンナだった。
「構うな。君たちは帰れ、危険だ」
「それはカズラだって同じでしょ? これから学校に行って、ヒナの手がかりを探すつもりなんだよね。分かるよ。私はずっとカズラの隣にいたんだから!」
カズラがヒナとして過ごした八年。カンナは「ヒナの親友」の位置にいた。彼女の正体がカズラであったなら、彼の思考回路や行動パターンを一番理解しているのはカンナなのだ。
「絶対一人で行かせない! 大丈夫! 私たちには心強い味方がいるんだ!」
自信たっぷりに豪語するカンナに、カズラは嫌な予感がした。カイトとマコトも意味が分からないようで、後ろで首を傾げている。
するとカンナは迷いなく公園内の公衆トイレに向かった。
「まさか……」
「『まさか』ってまさか……」
「何? まさかって……?」
引きつった表情を浮かべるカズラ。超がつくほどのオカルトオタクのマコトもピンときたようだ。だが、カイトだけが理解が追いつかないままだ。
カンナは女子トイレに入っていくと、コンコンコン、と扉をノックした。
「はーなーこーさーん、あーそびーましょー」
『はぁーいー』
その直後、一人の少女を連れてカンナは三人の下に戻ってきた。
「その呼ばれ方でいいのですか? 埴山姫さま……」
呆れ気味にカンナが連れてきた少女に向かって問う。
おかっぱ頭に白いブラウスに赤いスカートを穿いた少女「トイレの花子さん」こと、厠の神である埴山姫が、そこにいた。
次回8月26日(水)19時更新です。




