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3話 儚い夢、身代わりの誘い

『将来の夢は、プロ野球選手になることです!!』


 小学校の卒業文集で、ヒロキは自信満々に将来の夢を語った。中学生になったら野球部に入って、思いっきり白球を追いかける──。そう心に決めて、中学進学と同時に念願の野球部へと入部した。


「一年六組っ!! 深沢ヒロキですッ!!」


 校庭のど真ん中。入部したばかりの一年生部員たちが横一列に並ばされ、大声でクラスと名前を叫ぶ。


「声が小さいッ!!」

「一年六組ィッ!! 深沢ヒロキですッ!!!!」


 喉が潰れるのではないかと思うほど叫んだ。入部してからというもの、練習でグラウンドを駆ける先輩たちの横で、この謎の儀式が毎日続いている。


(昔の古い野球漫画でこんなシーンがあったな……。一体、何のためにやるんだ?)


 顧問の教師は後ろ手で腕を組み、一年生をギロリと睨みつけていた。ヒロキと目が合うと、突然頭を掴み、被っていた野球帽を力任せに地面へ叩きつけた。


「何だこの髪は!!」


 大して長くもない髪を容赦なく掴まれ、ぐいと引っ張られる。


「痛っ……!」


 思わず小さな悲鳴が漏れた。それにさらに激高した顧問は、至近距離で怒鳴り散らす。


「髪が長いッ!! お前、やる気があるのかッ!! 明日までに丸刈りにしてこいッ!! それができなかったら即退部だッ!!」


 唾を吐き捨てるように言い放ち、顧問は隣の部員の前に移動した。今度は彼の番だ。

 ヒロキと同じようにクラスと名前を叫ばされ、同様に「声が小さい」と一喝されて身だしなみの説教が始まる。今度はユニフォームのサイズが合っていないという内容だった。


(いや、成長期なんだから、少し大きめのユニフォームを着てたっていいだろ……)


 野球の用具は高額だ。長く使うことを見据えて、あえて大きめのサイズを注文した部員は多い。

 なぜそんな親の懐事情や子どもの成長すら分からないのかと、ヒロキの胸の内に顧問への疑問がふつふつと湧き上がる。


(髪の毛だって、プレイに支障がなければ自由でいいはずだ。少年野球チームのときは、こんなに細かく言われなかったのに……)


 そんな小さな不満が、少しずつ、しかし確実にヒロキの心を蝕んでいった。


 家に帰って髪のことを母親に相談したが、平日の夜からすぐに予約の取れる美容院も理容院も見つからず、ひとまず数日はそのままでいるように言われた。

 仕方なく翌朝、髪を切れないまま学校へ登校し、朝練に向かったのだが──。


「髪を切れって言っただろッ!! なんで切ってこないんだッ!!」


 待っていたのは、顧問からの容赦のない罵倒だった。


「今からすぐに予約が取れる店がなかったんですよ」

「口答えするなッ!!」


 自分の意志ではどうしようもないことで怒鳴り散らされ、理不尽にも入部早々、部活への参加を禁止されてしまう。

 数日後、ようやく理容院の予約が取れて髪を丸刈りにした。顧問からは「早く髪を切ってしまえばいいものを」と嫌味な小言を言われはしたが、どうにか部活への復帰だけは認められた。


 高圧的で、自らの絶対的な権力を誇示するような顧問。彼への不信感と不満を、ヒロキは日ごとに募らせていった。





 生徒が次々と行方不明になり、学校は臨時休校となった。羽場の懲戒免職以降、短期間で続く不祥事に、教師たちはてんやわんやの大騒ぎだ。

 気苦労の絶えない教師たちの心境とは裏腹に、夏休みが明けてすぐに降って湧いた連休に浮き足立っているのは生徒たちだった。事の重大さなどどこ吹く風で、誰もが足取り軽く下校していく。おそらく、ほとんどの生徒がこのまま遊びに行くのだろう。


 だが、そんな周囲の呑気さなど、今のカイトには関係ない。頭にあるのはヒロキのことだけだ。

 カイトは一目散にヒロキのクラスへと走った。ちょうどホームルームが終わったところだったようで、教室からはぞろぞろと生徒が出てくるところだった。


「ヒロキ!!」


 大声とともにヒロキの教室に駆け込む。まだ残っていた生徒たちが、カイトに訝しげな視線を向けた。そんな不躾な目など構うことなく教室内を見渡したが、どこにもヒロキの姿はない。


「美川、ヒロキは!?」

「え!?」


 美術部の件で知り合った美川を見つけて話しかけた。美川は驚きながら、キョロキョロと教室を見回す。


「さあ……? もう帰ったんじゃない?」


 それはつまり、ヒロキは学校に登校してはいたものの、いつの間にか姿を消していた、という意味だった。


「まずい……」


 今度はヒロキが行方不明になるかもしれない。カイトは焦燥感に駆られながらヒロキのクラスを後にした。

 背後から「なにあいつ、誰の知り合い?」と囁き合う声が聞こえたが、構っていられるはずもなかった。

 真っ直ぐ昇降口まで駆け下りると、カンナとマコトがヒロキの下駄箱の前で佇んでいた。


「カンナ! マコト!」

「カイト、来たか」

「ヒロキは? 教室にはいなかったんだ」

「いや、まだ帰ってはいないみたいだ。外履きが残ってる」


 マコトが指さした下駄箱には、確かにヒロキの靴が入っていた。上履きはなく、代わりに登校の際に履いてきたであろうスニーカーがある。

 ひとまず、三人はその場でヒロキを待つことにした。


「おい! そこで何やってる!? いい加減に帰れ!!」


 それから約一時間。人影もまばらになり、ほとんどの生徒が下校し尽くした頃、通りがかった男性教師に鋭く怒鳴られた。


「友達を待ってるんです」

「何?」


 反発心の強いカイトが教師に言い返すと、すかさずカンナがそれに続くように教師へ語りかけた。


「ずっと待ってるのに、来ないんです。教室にもいなくて……。だから、ここで待ってるんですけど……」


 カイトをそのまま女の子にしたような顔立ちのカンナは、つり目ながらも小柄で愛らしい容姿をしている。目の前の教師は、彼女が不安げに見つめた途端、コロリと態度を変えた。解せん。


「どこのクラスの、誰を待ってるんだ?」

「四組の、深沢ヒロキです」


 その名前を口にした瞬間、男性教師の表情が目に見えて曇った。

 ヒロキは、現在行方不明になっている生徒たちと頻繁に行動を共にしていた。教師たちも当然その事実は把握している。となれば、次に姿を消すかもしれない人物として、ヒロキを注視しているはずだった。

 一人で何事かを考え込んでいた教師だったが、「分かった」と短く返事をした。


「深沢のことは先生たちが捜して、自宅に連絡を入れておく。お前たちはもう危ないから帰れ」

「え……、でも……」

「いいから帰れ! ほら、行った行った!」


 シッシッと追いはらうように、手をパタパタと振る。

 まるで邪魔者扱いかのようにカイトたちを追い返そうとする教師に、強い不信感を抱きつつも、促されるまま、三人はしぶしぶ昇降口を後にした。





「ここ、どこだ!?」


 ヒロキは暗闇の中をがむしゃらに走っていた。もう、どれくらい走り続けているか分からない。体力には人一倍自信があったが、流石に限界が近づいていた。

 たまらず立ち止まり、激しく肩を上下させて息を整える。周囲を見渡すが、上下左右、すべてが底知れない暗闇だった。時間の感覚すら、すでに麻痺している。


「なんで俺がこんな目に遭うんだよッ!!」


 行き場のない怒りを剥き出しにして叫ぶ。

 ここがどこなのか、いつからこの場所に囚われているのか、てんで見当もつかない。


 思えば、中学に進学してからというもの、嫌なことばかりが続いていた。

 念願の野球部に入ったものの、顧問をはじめとする指導者たちと折り合いが悪く、自分の才能を認めようとしない彼らとの揉め事が日に日に増えていった。

 結局、二年生に進級すると同時に野球部を辞めてしまった。

 だが、部活動への所属が必須であるこの学校では、必ずどこかの部活籍を置かなければならない。仕方なく、クラス替えで仲良くなった竹本に誘われるがまま、同じ柔道部に入部した。


 どれだけ柔道着を汗まみれにさせても、格技場から見える校庭では、今も野球部が白球を追いかけていた。その姿を目にするたび、胸をきりきりと締め付けられた。野球を奪われた喪失感からは、どうしても解放されなかった。


(なんで、俺ばっかり……)


 野球部の隣のコートでは、サッカー部のレギュラー陣が声を掛け合って練習していた。その中には、マコトの姿があった。

 マコトは、類稀なる、いや、超のつくほどのオカルトオタクだ。サッカーボールよりもツチノコを追いかけている方が似合うような奴が、サッカー部のレギュラーなのである。

 本気で競技に向き合っている奴らが大勢いる中で、あんな中途半端な奴が重宝されているなんて、到底納得がいかなかった。

 マコトだけじゃない。カンナは背が低いくせに女子バレー部のレギュラー。カイトにいたっては、勉強も部活も中途半端なくせに、毎日呑気にヘラヘラと笑って過ごしている。


(クソッ……! 何もかも、なんで上手くいかないんだッ!!)


 そうして不満を募らせていく日々の果てに、あのヒナの真実を知った。

 自分たちは八年もの間、ヒナが生きているという「偽りの思い出」を現実として見せられていたのだ。──だったら、理想の自分になれる「都合のいい夢」だって見られるはずだ。そう縋ろうとした。


『僕がこの場でかける術は「ヒナの死」に関することだけだ。今現在、君たちの身に現実に起こっていること──例えば、部活の挫折や学校の成績の不安なんかを、無かったことにはできないよ』


 あのマヨイガで見出した小さな希望は、カズラという、赤い瞳の狐の冷たい一言によって、粉々に砕け散った。


(もうどうでもいい……。こんな理不尽な現実が終わらないなら、いっそ、どこかへ消えてしまいたい……)


『じゃあ、私の代わりに死んで。ヒロキくん……。私がヒロキくんの理想の夢を見せてあげる……』


 不意に、愛らしい子どもの声が響いた。

 それは紛れもなく、八年前に死んだはずのヒナ本人の霊魂。暗闇の奥から、ヒロキのすべてを肯定するように、優しく、甘く、死へと誘い込んでくるのだった。

 ヒロキはそれに「分かった」と答えた。

次回8月24日(月)19時更新です。

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