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6話 澱みの渦、怪異の少女

「こんなところに、今、カンナがいるのか?」


 カイトは、豹変した校舎を眺めて恐怖で動けずにいた。教室の中では黒いナニカが蠢き、パチパチと目のようなものが瞬いてすらいる。

 肌を突き刺すような冷え冷えとした空気は、夏の猛暑が残る外とはまるで違う。吹雪の中に放り出されたような感覚だ。


「目を合わせるな。襲ってくる」

「お、襲う?」


 不安気にカイトが問う。マコトも同じ目を向けた。その目には、普段見せないような、この危機をどう脱するかカズラに縋るような熱が宿っていた。

「あれは、きさらぎ駅にいた車の男と同じ部類のものだ。美川がつけていた数珠に溜まっていた澱みの正体だよ」


「あれの!?」


 マコトが反応した。

 美川が身につけていた数珠とは、彼が所属していた美術部の顧問・羽場が部員に配っていたパワーストーンだ。

 マコトはその数珠に溜まりに溜まった澱みを吸い込んでしまい、大変な目にあった。それを思い出して身震いする。


「あの数珠は、この学校の澱みと美川自身が抱えていた澱み、そしてあれを渡した羽場自身の澱みを含んでいたんだ」

「……羽場先生は、どうして数珠を配ったんだろう? 支配する人間を増やしたいってだけで、そこまでするかな?」

「だよな……。パワーストーンって結構高いし……」

「パワハラだよ」

「え?」


 思わず聞き返してしまう。それはつまり、学校の教師たちの間で、それが出回っていたというのか。


「羽場は、君たちの学年の主任教師から、酷いパワハラとやらを受けていた。その鬱憤を、自分が受け持った部活の部員たちで晴らしていたにすぎない」


 カズラの目は、どこか遠くを見据えているようだった。校舎内に蔓延る澱みは彼を避けていく。お陰でカイトたちは澱みに襲われずに済んでいる。

 カズラの背中を見つめて、二人は静かに話の続きに耳を傾けた。

 彼の話を要約するとこうだ。


 羽場は、学年主任から「部活で成果を出せ」と圧力をかけられていたらしい。コンクールの受賞者の人数が少ないと、部活の活動費を削られることもあったという。足りない分は、自腹で費用を捻出していたそうだ。

 学年主任は十年以上この学校で教鞭を振るうベテランだ。上司にあたる校長や教頭すら何も言えないほどだった。そんな環境の中、羽場は誰にも部活のことを相談することが出来ずに、一人孤立していった。怪しい宗教にハマってしまったのには、そういった経緯がある。

 そして、何も知らない生徒たちの呑気な態度に怒り狂い、凶行に及んだのだ。三年生だけをいじめることから始まり、信じている神の教えに従い、数珠を生徒に配って支配した。自腹を切った活動費の代金を部員たちから徴収したこともあったという。

 最後の最後、全てが露見し、教師を続けられなくなってしまった。

 そうして、本来は被害者であったはずの羽場が、加害者になったのだ。


「この学校の異常なほど澱みが多い。関わる者たち全てを狂わせていく……。だから、カンナのことはもう諦めろ」

「は……、何で急にカンナの話になるんだよ……!」


 突拍子もなく告げられた言葉に、カイトはカズラに掴みかかろうとした。それを後ろからマコトが止めに入る。


「以前、この時刻とは違う時間帯に忍び込んだことがあるが、こうじゃなかったのでな。気が付かなかったよ。まさかここまで澱みが溜まっているとは思わなかった。おそらくカンナは、この澱みに既に魅入られている」

「まだ分かんないだろ!!」

「カイト、落ち着け!!」


 マコトは憤怒するカイトを力技で抑えようとするが、興奮したカイトはなかなか大人しくならない。


「魅入られてるって、カンナちゃんはこの黒いものに憑かれてるのか?」


 暴れるカイトを羽交い締めにしながら、マコトがカズラに尋ねた。


「そうだろうな。ここはきさらぎ駅と同じような場所になってしまっているんだ。カンナは僕の術が解けて、今まで見えていなかったものが見えるようになった。こういうものにも気がつくようになったんだろうな」


 カズラは 振り向かずに淡々と語り続ける。二人は黙ってその背中を見つめていた。


「あの子は一人で色々と抱え込みやすい……。誰にも相談出来ずに悩みに悩んで、この学校の澱みに引き込まれてしまったんだろう。こういうものに飲まれると抜け出せなくなるからな。もしかしたら、カンナ()()()()へ行ってしまったのかもしれない……」


 カズラは不意に立ち止まって、ゆっくりと振り返った。


「カイト、きさらぎ駅に迷い込んだ君になら分かるだろ。抜け出せないことが良くないんだ。カンナは抜け出せなくなった……。だから、諦めろ」


 今なら君たちだけは、連れて帰れる。とカズラは続けた。


「……嫌だっ!」


 絞り出すようにカイトは叫ぶ。


「それでも俺は、カンナを諦めたくない!!」


 カイトは泣きそうな表情で、震えながら叫んだ。


「ふざけんなよ……! 諦めろって、そんな簡単に言うなよ……!! カンナは、俺の姉貴だぞ? 母さんの腹ん中からずっと一緒なんだよ……!! 諦めてたまるかよ!!」


 カイトは澱みが蠢く廊下を駆け抜けていった。


「カイト!!」


 空気を切り裂くように自分の名前を叫ぶマコトの声を背中に浴びて、カイトは澱みの中を掻き分けていく。


(待ってろ、カンナ……!)


 双子の片割れである姉を救うがために、カイトは闇の中を、一人進んでいった。





───駅を手入れするのは、気が淀まないようにするためだ。風船も膨らませすぎれば破裂するだろう? 感情も同じだ。溜め込めば、いつか決壊し、それが「迷い」に繋がる。


 カイトは、きさらぎ駅でのカズラの言葉を思い出していた。右も左も真っ黒で、平衡感覚が奪われ、どこを走っているのかが分からなくなっていた。


「カンナ、どこだ?」


 見渡す限りの、闇。

 カンナどころか、よく知る学校の姿すら分からなくなってしまっている。


「うわっ!」


 足を取られ、転んでしまう。澱みは闇の中に引きずり込もうとズルズルと、カイトの足に纏わりついてくる。


「クソッ!! 離せよ!! カンナッ!! カンナーーーッ!!」


 澱みに引きずられながら、カイトは渾身の力で叫んだ。


「助けてーーー!!」


 カンナに助けを求めたのだった。


 シュバアンッ!

 空を、鋭い何かで切り裂いたような音が轟いた。気づけば、カイトの周りに蠢いていた澱みが消え去っている。


「え!? ナニナニ!?」


 何が起こったのか理解できなかったカイトは、床に伏せた状態のまま、半泣きになりながらゆっくりと起き上がり、脱力したまま座り込んだ。

 その場がどこか分からなかったが、澱みが消えたことで、校舎一階の廊下であることに気が付いた。


『まったく……、姉を助けに来た勇敢な人間の子だと思ったら、姉に助けを求めるとは呆れた奴だ……』


 廊下の突き当たりにある女子トイレに、仄暗い灯りが灯っている。声はそこから聞こえてきた。

 どことなく「マヨイガの社」で聞いた神の声に似ている。


『入れ小童こわっぱ。姉を救わんとしたその勇気に免じて、お主と連れを救ってやろう』


 キィ、と女子トイレの扉が勝手に開いた。逆光で見えにくいが、人影も見える。その人影はトイレから出て、真っ直ぐカイトに駆け寄って来た。

 カイトは何がやってくるのかと、身構える。


「カイト!」


 現れたのは、双子の姉のカンナだった。髪は下ろしたままの、家を出ていった時と同じ黄色Tシャツを着ている。

 間違いなくカンナだ。


「え!? カンナ!?」

「カイト、大丈夫か?」


 駆け寄って来た彼女は、紛れもなくカンナだった。腰を抜かして座り込んでいるカイトに手を差し伸べる。

 恐る恐るその手を掴むと、彼女の確かな体温と、温もりが伝わってくる。


「か、カンナ……、どこ行ってたんだよ」


 鼻水を垂らしながら、心底情けない表情をカンナに向けた。


「その話は後! 早くこっちに来い!」


 カンナに腕を引かれて、カイトは女子トイレに駆け込んだ。


「た、助かった……」


 トイレの入り口の向こう側が再び澱みに埋め尽くされると、助かったことに安堵したカイトはホッと息を吐いた。


「ありがとう、花ちゃん……。カイトを助けてくれて」

「花ちゃん?」


 背後で誰かと会話をするカンナ。誰と話しているんだろう、と振り返ると、赤い吊りスカートをはいた、おかっぱ頭の女の子が立っていた。


「と、トイレの花子さんだッ!!」


 その少女を指差して、カイトは女子トイレのど真ん中で叫んだ。

次回8月18日(火)19時更新です。

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