5話 丑三つの校舎、蠢く澱み
深夜、草木も眠る丑三つ時。
この日もカンナは家を抜け出した。髪を下ろし、私服姿でふらふらと自分の足で歩いて行くのを、カイトは部屋の扉を開け、隙間から見ていた。目立つ黄色のTシャツがどことなく異様に見えた。
眠気まなこを擦りながら、カイトはマコトに連絡を入れた。
『カンナが家から出た』
『了解、そのまま追え』
マコトは随分な命令口調でメッセージを送ってきた。それも無理はない。放課後、カズラと別れた後、事情を知らないマコトを一方的に巻き込んだのはカイトなのだ。
いざという時、ハッキリ自分の主張を言えないマコトの性格を熟知しているカイトにとっては、彼を巻き込むことなど造作もない。
即ち、卑劣である。
それぞれの好みに合わせて寝室を分けている両親の部屋の前を、抜き足差し足で横切る。足音を立てないように階段を下りて、真っ直ぐ玄関に向かった。
そっと鍵を開けて扉を開くと、夜だというのに冷めやらぬ夏の暑苦しい外気に包まれた。
辺りを見渡すが、カンナの姿はどこにもなかった。これは昨夜の出来事と同じだ。
意を決して、カイトは自分が通う中学校へ向かうべく、歩き出した。
*
「マコト!」
道中、マコトと合流した。マコトは民家と民家の隙間の路地で、闇に紛れ込むように息を潜めていた。そこに彼がいると分かったのはトレードマークの眼鏡のレンズが、街灯の灯りを反射して光ったからだ。相変わらず私服は美的センスが壊滅的で、今日は「トレンド」と印刷された、カラフルなTシャツを着ている。
制服姿があまりに良すぎてギャップが大きい。
「何でこんなところにいるんだよ……」
「うるさい! 夜中に子供が出歩いてたら補導まっしぐらだろうが!」
至極当然な意見をカイトに言い放つ。カイトはマコトの正論を躱し、「そんなことより」と話題を変えた。
「カンナ見なかったか?」
「見たぜ。ほら」
言いながら、マコトはスマホで撮影したカンナの写真をカイトに見せた。
「何で追わねえんだよ!」
「合流しろっつったのお前だろ!?」
深夜の路地で喧嘩が勃発してしまう。マコトはあまり積極的に本音を口にしないタイプの人間だが、なぜかカイトにだけはハッキリ言うのだ。
「喧嘩をしている場合か?」
突然、背後から話しかけられた。
路地の奥、夜の帳に染まった闇の中に、二つの赤い眼がこちらを睨んでいた。
それに思わず後ずさると、街灯の灯りが届く場所まで、赤い眼を持つ何者かが歩み寄ってきた。
「か、カズラ!?」
暗闇から現れたのは、カズラだ。カラスのような長い黒髪を靡かせ、眉より高い位置で切り揃えられた前髪を揺らす。十五歳のヒナではなく、白衣に紫色の袴を身に纏った、人型で現れた。
「まったく……、『姉弟同士でどうにかしろ』とは言ったが、ここまでしろとは言っていないぞ」
呆れ顔でカズラが言った。
「何でここにいんだよ! 興味ないって態度してたくせに!!」
「うるさい。近所迷惑だ」
「んだとお!?」
「カイト、落ち着けよ」
マコトにたしなめられ大人しくなるが、カイトはカズラへの威嚇をやめない。
「それで、カズラさんは……」
「カズラで構わないよ」
丁寧に「さん」を付けたマコトに、カズラが返す。改めてマコトは語りだした。
「……カズラは、どうしてここに?」
「気になることがあってな。学校に向かう途中だったんだ」
「気になること?」
「君たちには関係ない。カンナのことは僕に任せて家に帰れ。この時刻に子供が出歩くのは良くないことなのだろう?」
「は!? テメエ昼間は無関心だったくせに!」
冷静にマコトはカズラの話を聞こうとするが、絶賛反抗中のカイトは目くじらを立てる。そんなカイトに呆れながら、カズラは静かに話し出した。
「行ってどうする? 学校はセキュリティとやらが発動中で、人間は簡単に入れないだろう」
「ナメんな! こういうこともあろうかと、一箇所だけ窓の鍵開けといたんだ!」
自信満々に胸を張って豪語するカイト。これで中に入れると高を括っているが、そんな簡単にはいかないと知っているカズラとマコトは、互いに視線を合わせて、肩を竦めた。
*
「な!? 窓、鍵かかってる!!」
学校に到着した三人は、カイトが開けておいたという校舎裏に面した空き教室の窓まで歩いた。だが、開いている筈のその窓は、しっかりと施錠されており、びくともしない。
「そりゃ、生徒が下校したら見回りの先生が最後に、鍵をかけるに決まってるだろ……」
マコトは眼鏡を直しながら呆れている。隣ではカズラもため息交じりに首を横に振る。
そしてカズラは「まったく……」と呟いて、右手の人差し指を立てて窓に向ける。手首ごと時計回りにゆっくりと回すと、クレセント錠が手の動きと同期するように動き出した。
ガチャ、と鳴った音に驚き、カイトたちは騒ぎ出す。
「あ、開いた……」
「スゲー!! 空き巣し放題じゃん!!」
「おい!!」
突拍子もないカイトの感想に、マコトはツッコミを入れた。
「空き巣などそんな真似はしない。気高い僕は、いじめやパワハラとやらを行う不届き者を、面白おかしく化かすのが至極の楽しみなのだ!」
こっちもこっちで自信満々に言ってのける。
マコトは「本当にそういう相手だけなのか?」と疑いの目を向け、カイトはハッキリと「俺たちのことはしっかり化かしてたくせに!」と憤る。
「何を言っている……。僕はヒナの事故でもう懲りた。これからは虚け者どもを化かすことにしたんだ! この学校はやりごたえがあったぞ!」
「やりごたえって……、何をしたんだ……?」
オカルトオタクのマコトが、若干引き気味に、しかし怖いもの見たさで問いかけた。すると、無邪気な子どものようにカズラは目を輝かせて語りだした。
「聞いて驚け! 見えないことをいいことに、イキっている小僧の目の前で、そいつの嫌いなものに化けてやった!! 飛び上がって悲鳴を上げる様は見ものだったぞ!!」
「そ、そういえば五組の高橋が、授業中に奇声あげて騒ぎだして、授業どころじゃなくなったって話聞いたな……」
マコトが記憶を探るように呟いた。
その生徒は学校内でも一二を争うほどの問題児で、隣のクラスにいる、いわゆる表の経済とは違うルールで生きる人間の子息ととても仲がいい。彼の後ろにくっついて、悪い遊びをすることに愉悦を感じているのだ。
ちなみに、その子息のクラスメイトの中にヒロキもいる。
「ああ、あの小僧は大のカエル嫌いでな。やつにしか見えないヒキガエルに化けて見せたら、教室内で大暴れだ」
見物見物、とカズラは嬉々として語る。ケラケラと笑いながら実に楽しそうである。
そんなカズラに業を煮やしたのはカイトだった。
「おい、いつまでここに突っ立ってるつもりだよ。いい加減行こうぜ」
カズラの自慢話に辟易したカイトは、鍵が開いた窓を開け、窓の縁を手すりがわりに、壁をよじ登るようにして中に入った。それに続くように、マコトも同様に中に入った。
「あ! おい! 下手に入るな!!」
カズラの忠告を無視し、カイトは暗い廊下に視線を移した。
「何だ!? これ!?」
視線の先には、黒々とした澱みが蠢いていた。昼間の子供たちの声で賑わう校舎とは雲泥の差だ。
「早まるな」
驚きと恐怖で動けずにいると、窓からカズラも校舎の中に入って来た。先走ったカイトたちをたしなめるように声をかけてくる。声色はどこか気だるげだ。
「今は丑三つ時だ。当然、こうなるさ……」
「丑の刻は、方角でいう鬼門になるから……?」
マコトがカズラに問う。こんな時でもオカルト知識全開なのがマコトなのだ。ちなみに、こういう時カイトは、アニメや漫画に関わる何かがなければ話に加わることはない。
「如何にも。この時刻は、この場所から湧き上がる澱みに満ち溢れる。君たちは八年間の僕との契約を破棄した。人よりあれに狙われやすいし、引き寄せやすい。この先へ進むなら気をしっかり持つことだ。引っ張られるなよ。戻れなくなるぞ」
蠢く澱みに怯える二人の前に、臆することなくカズラは出た。そして振り返り、ギラリと光るその赤い瞳で、カイトとマコトを鋭く射抜いた。
カズラの赤い瞳は、あのきさらぎ駅の「伊佐貫トンネル」の中で見た、動物的な光を放っていた。
次回8月17日(月)19時更新です。




