4話 「いい子」の枷、双子の繋がり
「いい子」って、なんだろう?
大人に迷惑をかけない子供?
姉として進んで兄弟の面倒を見る子供?
世の中のルールやマナーを守る子供?
私は「お姉ちゃん」だから、双子の弟の面倒を見てきたし、幼馴染たちのお目付け役として頼りにされてきた。
けど、時々それが耐えられなくなる。
ある日、ポロっとそれがこぼれ落ちた。
本当に些細な、小さな不満。
「甘えないの! お姉ちゃんなんだから!」
何に不満を思って、どんなことを言ったのかは覚えていない。だが、母のその一言で、弟のカイトには許されて、姉の私には許されないものがあると、その時思い知らされた。
それからというもの、私の我慢の日々が始まった。
けど、もう疲れてしまった……。もう、終わりにしたい……。
*
部活動がなくなった学校の放課後は、あっという間に静かになった。カイトは校舎四階、第一美術室の表札がかかった入り口を潜った。夏休み中、美川たち美術部員が体罰を受けているところを目の当たりにした教室だ。
マコトには塾があると断られたので、カイト一人で第一美術室に向かったのだ。
教室の照明は消えていて、純粋な日の光のみが教室内に入り込んでいる。夕方といえど、夏なのでまだ日が高い。それでも、なんだか薄暗いという印象が、美術室にはあった。
(あれ……、美術室って、こんな感じだったっけ?)
美術室の空気はやけに淀んでいるように感じた。カイトの記憶の中の美術室は、もっと明るかったはずだ。
視界の端々では、白や黒のナニカがチラチラと見え隠れする。
「おい、何をボサッと突っ立っている」
「おどひゃッ!?」
背後から突然話しかけられ、カイトは酷く驚いた。振り向いた先にいたのは、制服姿の十五歳のヒナに化けたカズラだった。
「お、驚かすなよ!!」
「あん? 話しかけただけだろ」
不機嫌を隠しもせず、ヒナの愛らしい顔を歪めるカズラ。その顔は止めてほしいと思いつつも、カイトは本題に移る。
「そんなことよりカンナだ。お前、きさらぎ駅で言っていたよな。俺たちが双子だから、カンナも直に夢から覚めるって……。そのせいでこんなことになったのか? あいつに何が起こってる?」
「知らん」
カズラはカイトの質問にはまともに答えず、冷たく切り捨てた。
「知らんって……、何だよそれ!!」
「落ち着け。今カンナの身に何が起こっているかは、僕には分からない。だが、夢から覚めてしまったのは間違いない」
「それだよそれ! 何で突然夢から覚めるんだよ!」
「お前たちが双子だからだ」
「意味わかんねえし! 俺たちが双子だからって、なんでカンナの夢が覚めるんだよ!」
「……! 君、まだカンナから何も聞いていないのか?」
面食らったように、驚いた表情をヒナの顔に浮かべるカズラ。
「どういうことだよ、それ……」
「双子のシンクロニシティというものを知っているか?」
「双子は、離れていても同じタイミングで同じ行動をとるとか、そういうのだろ? でも、俺たちそんなこと経験したことなんてないぜ」
記憶を探っても、カイトとカンナが同じ行動をとったことはない。カイトは落ち着きがなく、幼少期から両親をはじめ、周りの大人たちを困らせてきた。
反対にカンナは、比較的大人しく行儀も良く、大人を困らせることはない「いい子」だった。
同じ行動をとる? そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ない。
「……いや、君たちは双子特有の繋がりがある。カイト、君はマヨイガで僕の術を拒んだが、カンナは逆の選択をした。だからこそ、カンナにかけた僕の術が解けたんだ」
「いやいや、なおのこと分かんねえよ。そこで同じ選択をするのが双子のシンクロニシティってやつじゃねえの?」
「そうとも限らないさ。君が現実を生きて、現実を見つめている限り、カンナも君に引っ張られて現実に気が付く。だから僕は、遠くない未来にカンナの術が解けてしまうと思っていたんだ」
淡々と眉一つ動かさず語り終えたカズラの目は、真剣そのものだった。真っ直ぐカイトの目を見て語っていたカズラだったが、赤く光る瞳を伏せてカイトに背中を向けた。
「今、僕に分かることはそれだけだ。後は姉弟同士でどうにかするんだな」
ヒナの美しい黒髪を揺らして踵を返す。「待てよ!」と引き留めようとカイトは手を伸ばしたが、一瞬瞬きをした隙にカズラは消えてしまった。
行く手を失ったカイトの右手は、何もない空間に向かって空しく伸びていた。
───あれは……カンナにとって、触れてほしくない傷になった。
きさらぎ駅で、確かにカズラはそう言った。カンナからはその話は一切語られない。一体、カンナの身に何が起こっているのか、カイトには見当がつかなかった。
「双子だっていうなら、なんで俺にはカンナのこと、全然分からないんだよ……!」
カズラを掴みそこねた右手を下ろし、力強く握り込む。
結局、カンナの奇行の正体は分からず仕舞いだ。
いつの間にか陽光は茜色に陰り、真っ赤に染め上げた放課後の美術室に、カイトは一人取り残された。
*
あれは、夏休みの前日、終業式の日の出来事だった。カズラは死んだヒナのふりをして、カンナの前で振る舞っていた。
「ヒナ! 一緒に帰ろう!」
「うん! カンナちゃん、一緒に帰ろう!」
ヒナらしい無邪気な受け答えでカンナに笑いかける。
そうしてカンナと並んで昇降口を出た。小柄なカンナはヒナの肩ほどしか身長がない。頭の高い位置で結んでいる髪は、彼女なりの身長のかさ増しだ。だが、あまり意味をなしていない。
「今日、病院に行かなきゃいけないんだ……」
肩を落としてカンナはヒナ──もといカズラに愚痴をこぼす。
「どこか悪いの?」
「別に身体のどこにも不調はないよ。けど、学校から病院に行くようにって、通知が届いたんだ」
「学校から?」
「そう、全然身長が伸びないから、検査を受けろって言われたんだよ」
面倒くさいなとため息交じりに呟くカンナ。「そうだね。大変だね」とヒナが言いそうな言葉を選んで、表面的な受け答えだけをする。
「じゃあ、部活もお休みするの?」
「うん……、まあ、レギュラーだけど、一日くらい練習休んだって、誰にも迷惑はかけないからいいんだけどね」
その物言いが、カイトとそっくりでカズラは思わず笑ってしまいそうになるが、グッと我慢した。
「けど、確かに身長伸びないのは心配だね。大きな病気じゃなきゃいいけど……」
ヒナを意識してカンナに語りかける。こういう言い方ならカンナの地雷に触れることはない。
「みんな大げさんだよ。身長ならこれからグングン伸びてくるに決まってる! 私はまだまだ成長期なんだからな!」
胸を張って言い張るカンナがなんだかおかしかった。
そう思いながら、カズラはカンナに気が付かないように観察した。すれ違う生徒たちに比べて、確かにカンナは小さい。中学校の制服を着ていなければ、小学生と見間違うほどだ。双子の弟のカイトは年相応に成長しているのに、姉のカンナは成長が止まるというのもおかしな話だ。
(身長……、か……)
カンナにおかしなところはない。それは人外であるカズラから見ても明らかだ。
(まあ……、人間の医学技術のほうが、分かることもあるか……)
そう考えて、この話への興味は失せてしまった。とっとと今日のヒナとしての役目を終えたいと考えていると、背後からカンナを呼ぶ声が聞こえた。
「カンナーー!」
声に反応して、カンナと同時に振り向く。呼び止めたのはカンナのクラスメイトや同じ部活の女子生徒数人だった。
「ねえねえカンナ、今日部活休むんだよね?」
「ならちょっと付き合ってよ!」
「……悪いけど、これから病院なんだ。予約をとっているから、家に帰らないと……」
「病院が午後からならどうせ、三時過ぎでしょ?」
「ならいいじゃん!」
「それはそうだけど……」
断るカンナを無理にでも連れて行こうとする女子生徒たち。彼女たちの目は、何か企みごとをしているような卑しい光を孕んでいた。
「ちょっとだけだから、いいでしょ?」
カンナの予定など気にもせず、女子生徒の一人が強引に彼女を連れて行こうとする。カンナはチラリとこちらを見て、ヒナを気にする素振りを見せた。
先ほどから女子生徒たちは、ヒナに扮したカズラには目もくれない。おそらく、カズラの姿は彼女たちの瞳に映っていないのだろう。
彼女たちが、カンナの都合も気にしないほどの阿呆であることは言わずもがな。そんな人間では、人に化けているカズラの存在にすら気がつかないだろう。
カズラは小さくため息をついた。
「ほら、早く早く!」
「え、あ……!」
言葉遣いは凛とした口調だが、元来気が弱いカンナは上手く断ることも出来ずに、女子生徒たちに連れて行かれてしまった。一人残されたカズラは、今日の仕事は終わったと、自分の本来の職務を全うすべく、自分がいるべき次元へと帰っていった。
だが、まさかこの後、カイトがきさらぎ駅に迷い込んでしまうとは思ってもみなかった。
だから、カンナの身に、この後何があったのかも、カズラは知らない。
そして今夜も、何かに誘われるように、カンナは家を抜け出していったのだ。
次回8月16日(日)19時更新です。




