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2話 夢の終わり、マヨイガの顕現

 翌朝、新学期初日。

 なかなか寝付けなかった上に、夜中に家を抜け出して走り回ったせいで、案の定、最悪の寝不足になっていた。

 結局、あのあとカンナを見つけることはできず、朝方になってから一人こっそりと家に戻った。しかし、脳が冴え渡ってなおさら眠れず、文字通り一睡もできなかったのだ。

 母親に小言を言われながら、重い頭で朝食のトーストをかじる。

 正面にはカンナが腰掛けていた。黙々と箸を動かす彼女は、いつも通り隙がない。しっかり制服を着こなし、髪もピシッと整えている。


(夜中に家を抜け出したってのに、なんでそんな平然としてやがるんだ……)


 昨夜──いや、今日の未明。カンナが学校の敷地内へ入り、そのまま校舎の中へと消えていくのをカイトは見た。鍵のかかった昇降口の前で、カイトは途方に暮れながらも、じっと校舎を見つめたまま夜を明かしたのだ。しかし、どれだけ待ってもカンナが中から出てくる気配はなく、東の空が白み始めたところで、カイトは諦めてトボトボと家に帰ってきた。

 そうしたら、いつの間にかカンナは自分の部屋のベッドで眠っていたのだ。キツネにつままれたような気分だった。


(またカズラ(あいつ)が何か仕掛けたんじゃないだろうな……)


 八年もの間、自分たちを化かし続けてきた、稲荷神社の神々の眷属「カズラ」。彼は今も、カンナにだけは彼女の望んだ「夢」を見せ続けているはずだった。

 淡々と食事を進めるカンナの顔をじっと睨みつけていると、突然、玄関のインターホンが鳴り響いた。──その瞬間、カンナの肩が小さく跳ねるのを見た。

 母親が呼び鈴に応じ、玄関まで小走りで行く。ドアが開き、何やら外の相手と会話をしているようだ。この時間の来客。カイトの脳裏に、今は亡き幼馴染の姿をした「人外」の顔が浮かんだ。


「カンナ! お友達が迎えに来たわよ!」


 廊下からの母親の声に、カンナの表情が劇的にこわばった。


「嫌ッ……!!」


 悲鳴に近い拒絶だった。


「え……?」


 思わず、カイトの口から声が漏れる。両親も、明らかに反応のおかしいカンナに訝しげな視線を向けた。その視線にハッと我に返ったカンナは、バツが悪そうに、そして何かを恐れるように激しく俯いた。


「今日は、一人で行くって伝えて……」

「けど、約束していたんじゃないの?」

「いいから、早く断って!!」


 押し殺した、だが刺すような強い口調。不思議に思いながらも、母親は再び玄関へと戻り、相手に断りを入れ始めた。


(待てよ……。今来たのはカズラだよな。だったら……!)


 あいつなら、昨夜のカンナの奇行について何かしら知っているかもしれない。相談できるのはあいつしかいない。カイトは食べかけのトーストを無理やり口の中に放り込むと、スクールバッグを掴んで玄関へ突っ走った。


「待って! そいつと約束してたの、俺だから!」

「は?」

「え?」


 ヒナの姿をしたカズラと、母親のハモった声が玄関に響く。


「それってつまり……あんた、この子はあんたの彼女……!?」

「違うからっ!! 全くもって、微塵もかすってねえから誤解すんな!!」


 目を輝かせて盛大に勘違いを始めた母親に、全力でツッコミを入れる。チラリとカズラを見ると、心底ヘドが出そうなほど嫌そうに顔を歪めていた。

 頼むからヒナの可愛い顔でその表情はしないでくれと、カイトは内心で頭を抱える。だいたい、俺だってこんな奴とそういう関係だと思われるなんて死んでもごめんだ。


「照れちゃって、まあ可愛いわねぇ!」

「うっせえッ!! 黙れババア!!」


 お約束の捨て台詞を吐き捨て、カイトは掴みやすかったカズラの右腕をガシッと掴むと、そのまま引っ張るようにして家を飛び出した。

 家から少し離れた角まで一気に歩いたところで、カズラが乱暴にカイトの手を振りほどいた。


「止めろ。もう終いだ」

「え……?」


 驚いて振り返る。カズラはツンとした態度のまま、カイトに掴まれていた方の手首を不機嫌そうに擦っていた。


「カンナは夢から目覚めた。もう、僕が彼女の前に現れる理由も、役目も終わったんだ。帰る」


 踵を返し、冷たく立ち去ろうとするカズラ。カイトは慌ててその背中に食い下がった。


「待ってくれ、頼むから!!」

「何だよ、しつこいな!」

「カンナの様子がおかしいんだよ! あいつ、本当に夢から目覚めたのか!?」

「あん?」

「家を抜け出して、夜中に学校に行ってるんだ!」

「新学期の宿題とやらだろう。カンナは君と違って真面目だからね」

「俺を引き合いに出してディスるな! 話がそれるだろ! カンナが家を抜け出したのは『夜中の午前二時』だぞ!? 絶対におかしいだろ!」


 カイトは必死にカズラの衣服を掴んで縋り付く。


「きさらぎ駅の時も、パワーストーンの時も、お前なんだかんだ言って色々助けてくれたじゃんかよ!」

「あれは致し方なくだ。今回は、君たちが自ら望んで僕の手を離した結果だろう。今更僕が何かを感知する必要も、手を貸す必要もない」


 カズラは冷ややかに言い放ち、再び立ち去ろうとカイトの手を冷たく振り払う。

 その背中に向けて、カイトは喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。


「学校の敷地に入って消えたんだよ!! 昇降口には鍵がかかってた!! あいつは幽霊みたいに消えたんだ!!」

「……知らん。自分でやれ」


 カズラは一瞬だけ足を止めたが、すぐに興味を失ったようにスタスタと歩き去ろうとする。


「──ヒナが死んだのは、お前のせいだろ!!」


 カイトの叫びが、朝の通学路に鋭く響き渡った。

 カズラの身体が、今度こそ完全に硬直する。強張った表情のまま、ゆっくりと、恐ろしいほどの眼光を宿してカズラが振り返った。


「……何だと?」

「お前が今受けてる罰は、ヒナを死なせたことへの償いだろ!? けどな、それは神様がお前に課した罰であって、ヒナ本人に対しての償いはまだ終わってねえだろ!! だからお前の罰は今も継続中だ! 本当にヒナに償いたかったら、ヒナの顔を使って逃げるな! 俺を手伝え!!」


 勢いに任せた、子供のめちゃくちゃな屁理屈。

 だが、その屁理屈は、人外の胸の最も深い傷に容赦なく突き刺さった。

 カズラ──ヒナの顔をしたその表情が、今度こそ心底嫌そうに、そして苦々しく歪みきっていた。





 面倒なことになった。

 カズラは一人、神社へと戻るべく、十五歳のヒナの姿のまま不機嫌に街中を歩いていた。

 先ほどのカイトとのやり取りが、苦々しいトゲのように頭の奥に突き刺さって離れない。

 人間の子供というのは、本当に厄介極まりない。自分の身勝手な言い分を、ああも堂々と押し通してくるのだから。やはり、はじめから関わるべきではなかったのだ。

 カイトはあろうことか「ヒナの死」を都合よく引き合いに出し、カンナの奇行を止めさせるために自分を巻き込もうとした。その強引さが、カズラにはひどく不愉快だった。


「どうしたものか……」


 物思いに耽っているうちに、いつの間にか目的の神社へと辿り着いていた。小さくひとりごちて、一歩、鳥居をくぐる。


──その瞬間、視界が唐突に真っ白な光景へと包まれた。


(霧……?)


 辺りを満たした不自然な白いモヤが、単なる気象現象ではないと気づくのに、そう時間はかからなかった。いつも見慣れているはずの境内の様子が、明らかに違う。だが、カズラの記憶のどこかに、強烈な既視感が走った。

 この、肌にまとわりつくような、もの寂しい空気は──。


「ヒナのマヨイガか……!」


 霧の向こうに浮かび上がったのは、八年前の姿のまま時を止めた、あのやしろだった。間違いなく、かつて霊魂となったヒナが創り出した「マヨイガの社」そのものである。


(何故、今になって顕現する……。もう、あの祀りは終わったはずなのに……)


 年に一度の祀りはすでに終わりを告げたはずだった。カイトたちはカズラが見せる「夢」を終わらせる契約を交わし、カンナだけが、彼女自身の望んだ「夢」を見続ける契約を結んだはず。


(まさか……!!)


 カズラの脳裏に、ある最悪の結論が沸き上がる。


『カズラ』


 思考を遮るように、社の奥から、自身の絶対的なあるじ御声みこえが木霊した。

 カズラは即座にその場に跪き、恭しくこうべを垂れる。


「──ここに」

『少女の霊魂が、マヨイガの境界を越え、現世うつしよへ出ました。……連れ帰りなさい』

「御意」


 主の命令とあれば、否応はない。

 カズラは十五歳のヒナの姿から、お馴染みの人型へとその身を変化させた。そして、再び鳥居をくぐり、異界から現世うつしよへと足を踏み出す。

次回は8月14日19時更新です。

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