7話 呪縛の終わり、責任の所在
『今日も、お前たちはまだ自分たちの過ちを自覚しないッ!! だから、私はお前たちを部活には、参加させない!!』
羽場の怒号が、今日も美術室に響き渡っていた。
美川の話によれば、母に相談したからどうにかする、と言っていたそうだが……。今日も美川が絵を描くことなく床に正座させられているのを見る限り、すぐに解決するというわけにはいかないようだ。
その様子を、美術室の外からカイトとマコトが固唾を呑んで覗いていた。
「マジでヤバいって、あれ……。もう写真でも撮って、職員室に駆け込んだほうがよくないか!?」
カイトは羽場の暴走をじっと眺めていることに耐えかねて、マコトへ小声で語りかける。
「……行っちゃうか」
「だな!」
思いの外行動力のあるカイトが立ち上がり、こっそり一枚写真を撮った。そして、一階の職員室を目指して階段を駆け下り始めた。マコトも慌ててその後に続く。
だが、その途中の階段で、二人は校長と教頭、それに生徒指導の教師らの一団とすれ違った。彼らは険しい表情で、真っ直ぐに美術室のある四階を目指している。
「なあ……校長先生たち、もしかして……」
「もしかするのか?」
カイトたちの中で「ついに来たか」と期待が大きく膨らむ。二人は職員室へ行くのをやめ、回れ右をして教師たちの後をこっそりついていくことにした。
要するに、野次馬である。
*
「失礼しますよ」
ノックもせず、校長は第一美術室の引き戸を静かに開け、中へと踏み込んだ。
「羽場先生。これは一体、何をしているんですか?」
険しい表情で、校長は羽場を……そして、その足元で正座をさせられている生徒たちを交互に見やる。
「何をしているのかと聞いているんです!!」
「え、ええと……。し、指導、です……」
「指導? 何の指導だね」
「それは……」と羽場は口ごもった。校長の問に答えず、俯いて黙り込んでしまう。
「校長先生、違うんです! この人たちが悪いんです!」
すると、スラリとした背の高いショートボブの女子生徒が音を立てて勢いよく立ち上がった。彼女は机で作業をしていた側の人間だ。羽場が「お気に入り」として抱き込んでいる生徒の一人だろう。
「悪い、というのはどうしてかな?」
「自分たちが、何がいけないのかを自覚していないから、悪いんです!」
「ふむ。では、具体的に彼らの何が悪いのか、私に説明してくれるかい?」
「ええと……。自分たちで考えて行動しないからです!」
「自分で行動しない? それはどういった状況で、何をどうできなかったというんだい?」
「それは……部活中の、態度というか。先生が何も言わなくても、自分たちでやるべきことを見つけるべきなのに、ただ指示を待っているだけで……」
「待っているだけ……ね……」
校長は小さく呟くと、逃げ道を防ぐように女子生徒へ語りかけた。
「では、君が毎日自主的にやっていることを教えてくれるかい?」
「教室に来たら、まずは窓を開けて空気を入れ替えて……。それから道具の準備をします!」
「なるほど。確かに主体性のある行動だ。それを毎日欠かさずやっているのだね?」
「そうです!」
「では──君と同じように、今そこで机に座って作業をしている他の生徒たちはどうかな? 彼らも君と同じように、自分で考えて準備をしているんだろう?」
「そ、それは……、そうです! ちゃんとやってます!!」
「本当に?」
「……はい」
「具体的には?」
「え……?」
「彼らが具体的にどのような行動をとっているかだよ。教えてくれるかい?」
「……せ、先生に言われなくても自分で考えて、窓を開けたり、道具の準備をします」
「それだけ?」
「え……、はい……」
「それじゃあ、同じことの繰り返しだ。誰でもできる。そんなに人数は必要ない」
女子生徒は一瞬言葉に詰まったが、やっていると言い張った。だが、彼女の主張も穴がある。誰でもできること、人数を必要としない作業を「やらなかった」という理由で、非難しているにすぎない。
つまり、特定の生徒にはやらせないように陽動して、それをさも当然のように指摘する。モラハラの類だ。
それを察した校長は「ふむ」と頷いたあと、羽場に向き直った。
「羽場先生。正座している生徒たちは、自発的にそうしているんですか?」
校長の問いに、羽場は答えなかった。
「先生。もし彼らが自ら反省し、自主的に正座を続けていたとしても、教師としてそれを止めなければならない。ましてや、あなたが強要したというのであれば、それは明白な『体罰』です」
校長は静かに、だが断固とした口調で羽場を諭した。しかし羽場は、話を聞いているのかいないのかも分からない。焦点の定まらない目で、ただ石のように突っ立っているだけだった。
「座っているみんな! もう立っていいですよ。自分の荷物を持ってきなさい。……別室でゆっくり話を聞かせてもらいます」
教頭のその掛け声で、生徒たちはようやく長い呪縛から解放された。
カイトとマコトは、息を潜めてこの決定的瞬間をスマホのカメラに収めていた。
*
この日、美川は塾には来なかった。美術部での出来事について、先生たちに詳しく事情を話していたのだろう。
そして翌日。部活動が休止になり、時間が空いた美川も一緒に学校の図書館に集まっていた。そこで事のあらましを蒸し返すことはなく、二人はカイトの夏休みの宿題を手伝うことにした。
カイトは悲鳴を上げながら、真っ白だった問題集を解き進めていった。
そして午後。マコトと美川は塾へ向かう。その後ろを、魂が抜けたような顔をしたカイトがトボトボと歩いていた。
「おい、シャキッとしろよ。だらしないな」
前を歩くマコトが振り返り、遅れるカイトに向かって小言を投げた。
「お前ら……あんなに図書館で勉強したのに、塾でもまた勉強するのか? イカれてるだろ。実はドMか?」
「また同じようなことを……。お前が普段から勉強しなさすぎるだけだ」
「でも、だいぶ進んだじゃないか」
美川がフォローするように笑う。確かに、手付かずだったカイトの問題集は、半日でかなりのページが埋まっていた。このまま毎日しっかり続ければ、夏休み中に終わるだろう。……「やれば」の話だが。
「くっそー……せっかくの夏休みが、宿題に潰される……」
今にも泣き出しそうな顔で項垂れるカイト。マコトは呆れたように見ていたが、ふと、その表情が険しいものに変わった。
カイトたちの後方から歩いてくる集団を、過剰に気にしているようだ。その異変に気づき、カイトも振り返った。
「おい、優等生さまだぜ」
カイトたちと同じ制服を着た四人組。だが、制服を着崩し、見るからに態度の悪い一団だ。カイトにも見覚えがあった。マコトと同じサッカー部に所属していた部員たちだ。カイトも一時期サッカー部にいたので、それが分かったのだ。
彼らとマコトの間には、夏の大会での遺恨がある。試合当日に体調を崩したマコトを一方的に逆恨みしており、以前も塾へ行く途中で絡まれたことがある。非常に厄介な連中だった。
「今日も塾か?」
「お高く止まってんなあ、阿久津」
「テメエのせいで試合に負けたってのによ!」
四人は三人を囲い込み、逃げ場を塞いだ。マコトがこの道を通ることを予測して待ち伏せていたのだろう。
マコトは反論せず、グッと奥歯を噛みしめて押し黙った。その様子を見て、カイトはマコトが自分一人で何かを抱え込もうとしているのを察した。
「……それ、そんなに悪いことか?」
カイトは黙っていられず、元サッカー部員たちに語りかけた。予期せぬ口出しに、相手だけでなく、マコトも美川も驚愕の表情を浮かべる。
「テメエ、何口出ししてんだよ!」
「関係ねえ部外者はすっこんでろ!!」
「関係あるに決まってんだろ。友達なんだから」
迷いなく言い切る。呆気に取られるマコトをよそに、相手の少年たちは鼻で笑った。
「友達だから、だってよ。痛いわー」
「キモ!」
「悪いに決まってんだろ! こいつが試合に出られなかったせいでチームが負けたんだ。友達だってんなら、『悪いこと』をしたこいつを咎めるのが筋だろ!」
カイトを嘲笑いながら、再びマコトを責め立てる。カイトは怪訝そうな表情を浮かべたまま、淡々と続けた。
「……交代しなかったのか?」
「は?」
「普通そういう時、選手を交代させるだろ? マコトは体調不良を隠してフル出場したのか? 交代もせずに足を引っ張り続けたのかって聞いてるんだ」
「……いや、途中で交代したよ」
「交代したんなら、マコト一人が責められる必要なんてないよな。チームに迷惑をかけないように判断したんだから」
「それは監督が言ったからで……!」
「監督がそう言うのは当たり前だろ」
「…………」
カイトのストレートな物言いに、四人は言葉を詰まらせた。だが、それが余計に気に食わないのか、別の角度からカイトをなじる。
「偉そうに抜かすなよ! テメエなんて、すぐにサッカー部辞めただろうが!!」
「そうだよ、辞めてやったよ! だって、あのサッカー部はおかしかったもん!」
カイトは一歩も引かずに言い返した。
「体育の授業でも思うけどさ。人にはそれぞれ向き不向きがあるのに、『できない』とか『失敗した』ってだけで、なんでそんなに責められなきゃいけないんだよ」
「はあ? 体育の話なんてしてねえんだよ!」
「なら、なんでマコトと交代した奴は責めないで、マコトばっかり責めるんだよ? 当日に体調を崩したマコトが百パーセント悪いって言うなら、代わりに試合に出た奴がちゃんと点を取り返せなかったから負けた、とも言えるだろうが」
「それは……っ」
カイトの主張に、彼らはぐうの音も出ない。マコトはカイトにだけ見えるように小さく首を振り、「それ以上はよせ」と目で訴えた。
だが、カイトの勢いは止まらない。
「……もしかして、交代してピッチに出たのって、お前か?」
マコトを先頭立って責めていた少年の顔が、みるみる青ざめていく。強張った口元が、何よりの答えだった。
「つまり、自分のせいで負けたと思いたくないから、マコトに当たってるだけなんだな」
図星だった。マコトの不調により急遽交代したのは、彼だった。控え選手としてベンチにいた彼は、自尊心を爆発させてピッチに立った。だが、理想通りのプレーはできず、結局試合は敗北。そのやり場のない鬱憤を、マコトにぶつけることで発散していたに過ぎない。
「確かに、体調管理を怠ったマコトにも非はあるかもしれない。けど、負けた責任を全部こいつに押し付けるのは違うだろ」
「じゃあなんだよ、俺が悪いって言うのかよ!!」
「そんなこと言ってないだろ。俺は試合を見てないから、誰が悪いなんて分からない。けど、サッカーはチームでやるもんだろ。フォローし合うのが当たり前なんじゃないのかよ」
「けど、こいつが……!!」
「あのさ……。お前、試合に負けたのが悔しいのか? それとも、この先サッカーができなくなるのが不安なのか? どっちなんだよ」
その言葉を投げた瞬間、相手の目の色が変わった。図星を突かれた怒りと、隠していた動揺が混ざり合う。
「カイト、もうよせ! こっちに来い!」
今にも取っ組み合いになりそうな二人を引き離すため、マコトがカイトの腕を掴んで強引に移動させる。
「止めるなよマコト! もっと言ってやらないと気が済まない!」
「もう十分だ! いいから行くぞ!!」
マコトに引かれるようにして、三人はその場を後にした。背後から悪態が聞こえてきたが、それ以上追ってくる者はいなかった。
「……ありがとうな。カイト」
並んで歩き出し、塾の入り口が見えてきたところで、マコトは短く感謝を伝えた。
次回8月11日(火)19時更新




