5話 檻の内部、支配の首輪
「待て待て、待ってくれって!!」
カイトは立ち去ろうとする美川の肩を掴み、強引に引き留めた。
「離してくれ! 君たちに話すことなんて何もないんだ!」
これから塾があるから帰る、と言い張って、美川は逃げ出すことに躍起になっている。その行く手を阻むように、ヒナの姿をしたカズラがふわりと立ちはだかった。
「別に、信じなくてもいい」
カズラの冷ややかな、けれどどこか見透かすような声が響く。
「だが、得心がいかんな。君は『非科学的なものを信じない』と言いながら、その非科学的なものの象徴ともいえる数珠を、肌身離さず着けている」
「そ、それは……」
矛盾を突かれた美川は、弾かれたように数珠を巻いた左手首を背後に隠した。
「僕が知りたいのはそこだ。非科学的なものを一切信じていないのなら、そんな重苦しいものを身につける必要はないだろう?」
バツが悪そうに、美川は言葉を失って俯いてしまう。そこへ、マコトが諭すように静かに語りかけた。
「それに羽場先生、この後も部活動があるって言ってただろ。美川が最近、塾に遅刻してくるのって、本当は部活が長引いてるからじゃないのか?」
「……っ」
「話してみろよ。同じ塾生として、放っておけないんだ」
それでも美川は固く口を閉ざし、なかなか話し出さない。業を煮やしたカズラが前に出た。
「随分と、溜め込んでいるようだな」
「え……」
「それは『迷い』となる。迷っても抜け出せればそれでいい。だが、出口を見失えば、迷いは『澱み』となり、そこから抜け出せずに繰り返すことになる。……いわゆる『拗らせる』というやつだ」
「…………」
「まあ、一番拗らせているのは、あの女教師の方だがな。話すだけでも構わない。腹の中に溜まったものを、すべて吐き出してしまえ」
「俺もそう思うな。溜め込みすぎるとさ、マジでしんどいんだよ。たまには排気しとかないと、いつか破裂しちまうぜ?」
最後にカイトが明るく、けれど真剣な声で促すと、美川は震える唇をゆっくりと開き、ポツリポツリと語りだした。
*
羽場先生が美術部の顧問になったのは、去年の春。僕たちが二年生に進級した時だ。前任の顧問が転勤になって、新しく赴任してきたのが羽場先生だった。
はじめは、ユーモアたっぷりで面白い先生だと思っていたんだ。「自分には霊感がある」なんて冗談を言って、部員を驚かせたりしてね。
僕はそういうものを信じたりはしないから、当時は笑って聞き流していた。……けど、だんだんとおかしくなっていったんだ。
「霊を追い払う」とか言って美術室で暴れたり、オカルトめいた話を信じ込んでしまう部員に「霊が取り憑いている」と言い出して、執拗に脅したりするようになった。
美術部の空気がおかしくなっていったのは、それからだ。
何故か、先生は三年生を毛嫌いするようになった。
僕たちが二年生の時の三年生を蔑むようになり、僕たちの学年の中でも特にお気に入りの生徒たちを抱き込んで、一緒になって先輩たちをいじめ抜いたんだ。
本当に、酷かったよ。「辞める」と言い出した先輩もいたけど、「辞めるなんて選択をさせて逃しはしない」「ここで辞めた奴が他の場所でやっていけるわけがない」って人格を全否定して、逃げられないようにしていた。
いじめは結局、先輩たちが引退するまで続いた。
そして、僕たちが三年生に進級した途端、今度はその白羽の矢が僕たちに向けられた。
この数珠は、その頃に部員全員へ配られたものなんだよ。
*
話を聞き終えた三人の間に、言葉はなかった。何か言わなければと必死に言葉を探すが、相応しいものが見つからない。
何も言えずにカイトとマコトが目を見合わせていると、静寂を破ってカズラが語り出した。
「問題点は四つだな。まず一つ目」
カズラは右手の人差し指を立てて、『一』を示した。
「『霊』という見えない恐怖を盾に、実体のない脅威を信じ込ませる。自分だけが救い手であると錯覚させて籠絡させる、いわゆるマインドコントロールだ」
次に中指を立てて「二つ目」と言った。
「特定の生徒を『お気に入り』として抱き込み、他者を攻撃させる。これは集団の中に『敵』と『味方』を作るのが目的だな。部員同士の連帯を壊し、全員の意識を羽場個人へ向けさせている。選別と分断を利用した『独裁による統治』といったところだ」
そして、薬指を立てる。
「三つ目。退路の遮断だ。『どこへ行ってもやっていけない』と相手を否定し、逃げ場をなくしている。これは単に『支配できる駒』を失いたくないだけの、自分に自信がない人間がよくやる手だな」
最後に小指を立て、「四つ目」を語った。
「そして、この数珠だ。全員に配ったというが……これを外していると、どうなる?」
美川の語った内容にはその詳細は含まれていなかった。確証を得るため、カズラはあえて質問を投げかけた。
「……酷く、怒られたよ。校則で禁止されてるから、最初はみんな外してた。……けど先生、信じられないくらい暴れ出すんだ。だから、仕方なく……」
「……なるほどな。あの女にとって数珠は、自分と部員の主従関係を確認するためのアイテムなのか。……犬の首輪のようなものだ」
「なんだそれ、気持ち悪い! 美川、そんなもん今すぐ捨てちまえよ!」
「な……、出来たらもうやってる! でも、それをしたら羽場先生が……!」
「バレなきゃいいだろ!?」
「着けてなかったらバレるに決まってるだろ!」
「二人とも落ち着けって!」
マコトが割って入り、カイトと美川の言い争いを仲裁する。それでも、互いに睨み合う二人の視線は険しいままだった。
「まあ、外すのが一番いいのは確かだがな」
カズラは二人の小競り合いを無視し、淡々と話を続けた。
「え、外していいの……? こういうのって、穢れを取るために着けておいた方がいいんじゃ……」
「別に、着けたくない者が無理に持っている必要はない。そこに強制権はないし……何より、君はそういうものを信じていないんだろう? なら、外して手放してしまうのが一番いい」
霊感があると称するカズラに対して警戒心を抱いていた美川だったが、予想に反して「外していい」と助言されたことで、驚くと同時に、心に巣食っていた澱みが少しだけ晴れたような気分になった。
「……けど、難しいよ。外せば怒られるし、手放したら何をされるか……」
「美術部を辞めるのは?」
「カイト、お前と一緒にするなよ。三年のこの時期に辞められるわけないだろ。もうすぐ引退なんだし……」
「俺を引き合いに出すなよ」
カイトの提案をマコトは否定する。それに対して小声でカイトは、反論した。
「……辞めるなんて無理だよ。そもそも僕には、絵以外に何もないんだから……」
悲しげに俯く美川。数々の賞を総なめにしてきた彼にとって、表現の場所を奪われることは、死より残酷な所業に等しい。
「美術部を辞めるのが難しいなら、引退まで耐え抜くしかないな」
カズラは突き放すように冷たく言い放った。
「おい、そんな言い方……!」
「とにかく! 美川、今の君にできることは、あの女に『引っ張られない』ことだ」
踵を返して、カズラが立ち去ろうとする。最後に一度だけ振り返り、鋭い紅の瞳で美川を射抜いた。
「あの女は、君たちを支配できればそれでいいんだ。……持っていかれるなよ。戻れなくなるぞ」
美川はカズラの放つ異様な威圧感に気圧され、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
次回は8月9日(日)19時更新です。




