1話 積み重ねていく日々、燻る不穏
「幸福の石」編スタートです。1話目はちょっと長めの四千字です。
「幸福の石」とは、パワーストーンや宝石の総称だ。それを身につけることで、幸運や平和、喜び、そして成功がもたらされる。……少なくとも、世間ではそのように語られている。
*
中学最後のサッカーの県大会は、一回戦敗退だった。
大会当日、マコトは重い寝不足による不調で、早々に控え選手と交代させられた。レギュラーであったマコトへのチームメイトからの風当たりは、残酷なほど酷いものだった。
『お前のせいで試合に負けたんだ』
試合が終わった後、帰りのバスの中で口々に浴びせられたバッシング。その言葉は、今も耳の奥にこびりついている。
最悪の形で中学最後の部活を引退したマコトは、今は毎日塾へ通っている。夏休みの間は、こうして受験に備えて勉強をするよう母親から言われているのだ。
今、マコトは正に塾の教室にいる。授業は既に始まっており、講師は黒板の半分以上を既に白い文字で埋めていた。
チラリとマコトは、トレードマークの眼鏡越しに、右隣の席を見た。空席で誰も座っていない。この席の主は、マコトと同じ中学に通う男子生徒だ。マコトが塾に通い出すより前から通っている生徒なのだが、最近はどうも様子がおかしい。
そこに、教室の扉が重々しく開き、生徒が一人入って来た。彼こそマコトの隣の席の生徒だ。面長で眼鏡をかけた、マコトより少し短い髪の少年。
「遅れてすみません……」
「美川、遅刻何回目だ! もう授業終わるぞ!」
美川と呼ばれた生徒を、講師の怒声が突き刺す。美川は目に見えて縮こまり、深く俯いてしまった。
「ったく……、少しでも授業受けていけよ」
講師の言葉に力なく頷いた美川は、トボトボと教室を歩き、マコトの右隣の席に腰を下ろした。
「美川、後でノート見せてやるよ」
あまりの落胆ぶりに同情したマコトは、小声で申し出た。美川も「ありがとう」と、消え入りそうな声で小さく返した。
その時だ。マコトの目が美川の左手首に釘付けになった。パワーストーンで作られた数珠が、異常なほど──五つも、重ねて付けられていた。
(なんだ……? この数珠……)
数珠の石の中には、どろりと黒ずんだ何かが溜まっていて、本来は美しく輝いているであろう石たちはどれも不気味にくすんでいた。そして、その黒い澱みが石の外へと漏れ出し、空気に乗って、マコトの口と鼻の中へ吸い込まれていった。
「うっ……」
マコトは思わず、喉の奥を突かれたような苦悶のうめき声を上げた。
(何だこれ……、気持ち悪い)
この日の授業は、突如として襲ってきた得体の知れない体調不良のせいで、マコトはまともに受けることができなかった。
*
『ごめん、今日も塾で遊べない』
カイトは、メッセージアプリでマコトに遊びの誘いを入れたが、にべもなく断られてしまった。双子の姉のカンナも部屋に籠りきりで出てこないし、相変わらずヒロキも連絡を入れても音信不通で、一向に返信が来ない。
「あー……、暇だ」
夏休みも半ばを過ぎて、カイトはとにかく遊びたかった。一学期の成績が悲惨だった報いで、カイトは毎日二時間、自室での勉強を強いられている。
今日の分の勉強は、もう終わった。終わったことにする。
「塾って昼間から夜まで勉強三昧なのに、なんであいつ平気なんだ? ドMか?」
勉強嫌いのカイトにとって、マコトが自ら進んで塾に通い詰めるという行為は、到底理解できないものだった。
「完全に、みんなバラバラになっちゃったな……」
ベッドの真ん中で大の字になり、カイトはポツリと独り言をこぼした。
すると、メッセージアプリの通知音が小気味よく響いた。カイトは放り出していたスマホを手に取り、マコトとのトーク画面を開いた。
『これから会えないか?』
たった一言、そう送られてきたメッセージ。部活を引退した後、カイトが「きさらぎ駅」に迷い込んで以来、初めてのまともな連絡だった。
急にどうしたんだろう。
カイトは疑問に思いながらも、すぐにマコトと待ち合わせ場所を決め、家を飛び出していった。
*
待ち合わせ場所は、子供の頃は幼馴染みんなでよく遊んだ公園だ。
公園の隅のベンチに力なく腰掛けているマコトを視界に捉え、カイトは小走りで駆け寄る。
「マコト!」
マコトは深く俯いて座っていた。名前を呼ばれると、ゆっくりと、重そうに顔を上げた。
その顔面は、驚くほど真っ青だった。
「カイト……」
「どうしたんだよ具合悪いのか? 真っ青じゃねえか」
「実はさ……」
マコトは今日、塾で起きた不可解な出来事をポツリポツリと語りだした。
「美川ってやつ、知ってるか?」
「美川って美術部の?」
「そう、あいつ俺と同じ塾に通ってて、席が隣なんだけどさ……」
マコトと同じ塾に通う美川は、二人と同じ中学に通う美術部の生徒だ。クラスは違うが、絵のコンクールでよく賞を受賞し、全校集会などで表彰されているのをカイトも覚えていた。
「左手にジャラジャラ数珠をつけてんだよ。その数珠に、黒い何かが溜まっててさ……。俺、授業中にそれを吸い込んじゃって、それからずっと体調が悪いんだ」
「黒い何か?」
「分かんねえ……。靄みたいだったけど……」
浅い呼吸を繰り返すマコト。その話を聞く限り、これはただの風邪や体調不良ではない。ましてや「家に帰って休め」と言って解決するような様子でもなかった。ぐったりとベンチに沈み込むマコトを前に、カイトは焦燥感に駆られた。
カイトの脳裏に真っ先に思い浮かんだのは、きさらぎ駅に迷い込んだ際に助けてくれた、稲荷神社に祀られている神の眷属──カズラの姿だ。
『あまり、深入りするなよ。戻れなくなるぞ』
亡くなったヒナのために、あの井戸へ献花をしに行った際、神主から告げられた言葉が脳内で再生される。
カズラは現在、死んだヒナのふりをして現世に留まっている。狐のくせにスマホを使いこなし、ヒナのアカウントを通じて連絡は取れるのではないか、と思うのだ。
だが、あの「マヨイガの社」で一度は決別した相手だ。これ以上関わるのは、危険ではないのか。
(こういう時、どうすればいい? 救急車じゃない……えーと、えーと、これはお祓いとかが必要なやつだよな)
苦しげな親友を前に、カイトは激しく葛藤し、考え込んだ。
(そうだ!)
ふと、ある場所が頭に閃く。
「マコト! 行くぞ!」
カイトはマコトの左腕を強引に掴んで立たせた。そのまま、背を向けて公園を後にする。
「どこに行くんだよ……っ!」
息も絶え絶えに、マコトが問い返した。
「神社!」
短くそう答えて、カイトはマコトの手を引き、自分たちにとって曰く付きとも言える稲荷神社へとひた走った。
本格的なお祓いは無理でも、あそこの神様に参拝すれば、少しはマシになるかもしれない──。そんな藁にもすがるような思いだった。
*
カイトはマコトの手を引き、街の中を急いだ。背後からは、マコトの苦しげで荒い息遣いが絶えず聞こえてくる。一刻も早く神社に向かわねばと、カイトは近道をしようと細い脇道へと足を踏み入れた。
「は!? 工事中?」
だが、選んだ道には『工事中』と書かれた看板が無機質に鎮座し、通り抜けることができなかった。
「どうして……」
公園に向かう時は、こんな工事なんてしていなかったはずなのに。
釈然としない思いを抱えながら踵を返し、別の道へ向かう。すると今度は、踏切で立ち往生することになった。
「こんな時に!?」
運悪く遮断機が下りたが、なかなか電車がやって来る気配はない。遮断機は下りたまま微動だにせず、ただ踏切の警報音だけが、耳障りな音量で鳴り続けていた。待ちぼうけを食らっている人々や車の運転手たちも異変に気付いたようで、周囲は不穏なざわめきに包まれている。カイトは隣で、より一層激しく肩で息をするマコトを盗み見た。
先程よりも更に血の気が引いたマコトの顔は、今にも地面に崩れ落ちてしまいそうだ。
「どうなってんだよ……。この時間に、電車なんてないはずなのに……」
「神社に行かれると、不味いのかもな……」
「え……?」
マコトは、喉の奥から絞り出すような声で語りだした。
「俺の中に入ったものが……、はぁ……っ、妨害してるんだ。道を変えろ。たぶん、この踏切は一生開かない……」
理屈では説明がつかなかった。だが、今のマコトの目には、カイトには理解できない根拠があっての発言に違いない。そう確信させるだけマコトのオカルトオタクっぷりには信頼があった。
「分かった……!」
カイトは再び踵を返し、何かに追われるように別の道へと駆け出した。
*
「うっ……」
苦悶の声が漏れた。スルリと、カイトの手からマコトの左手が力なくすり抜けた。異変に気づいたカイトは、弾かれたように後ろを振り返る。
マコトは地面に膝をつき、激しくうずくまっていた。すぐさまカイトはマコトに駆け寄った。
「マコト、大丈夫か!?」
「き、気持ち悪い……」
その顔色は、真っ青を通り越して、どす黒く変色していた。さっきより明らかに悪化している親友の姿を目の当たりにし、カイトは激しく狼狽えた。
(これ、マジでヤバいんじゃ……)
今すぐ救急車を呼ぶべきではないか。そんな予感に急かされるように、スマホを取り出して「119」と打ち込んだ。
『今の君は肉体も、魂も、意識も──「彼岸」に持っていかれやすい状態にある』
震える指が通話ボタンに触れようとした瞬間、きさらぎ駅でのカズラの言葉が鮮明に蘇った。
カイトは「マヨイガの社」でカズラとの契約を拒否した。それはマコトも同じだ。ならば、今のマコトも彼岸に引き寄せられやすい「体質」になっているはずだ。
直感が告げている。やはり、神社へ行くのは間違いじゃない。
「マコト、おぶされ!」
カイトは呆然とするマコトの反応を待たず、強引にその体を背中に担ぎ上げた。
そしてそのまま、重さを振り払うように街中を足早に進んで行った。
カイトが直接マコトの体に触れ、運んでいるおかげだろうか。先ほどまでの露骨な邪魔が入ることなく、着実に神社へと近づいていく。
(あの角を曲がれば、神社だ……!)
目的の角を右に曲がった、その瞬間。頭のてっぺんを叩きつけるような激しい衝撃が二人を襲った。
「「うわッ!!」」
マコトと声が重なる。
二人の頭上には、滝のような雨が猛烈な勢いで叩きつけていた。
「なんだこれ……、にわか雨か!?」
空は晴れ渡っているにも関わらず、そこだけが豪雨だった。視界を奪われ、あれほど速かった歩幅は亀のように遅くなる。
マコトに取り憑く「何か」による、最後の悪あがきなのだろうか。転ばないよう、一歩ずつ慎重に泥を蹴って進む。
やがて神社の入り口である鳥居に辿り着き、二人は倒れ込むようにその下を潜り抜けた。
すると嘘のように、全身を叩いていた雨がピタリと止んだ。振り返れば、鳥居の向こう側だけがカーテンのように雨に煙っている。
「た、助かった……のか?」
「うえっ……、ゲボッ、ゲホッ!」
カイトが胸を撫で下ろした瞬間、背中のマコトが激しく咽び返った。見れば、マコトの身体から黒い靄が、不気味な煙となって立ち上り、空へと抜けていくところだった。
「あれ? ……楽になった……?」
すっかり顔色の戻ったマコトを見て、カイトは大きなため息を吐き出し、一番下の石段に座り込んで脱力した。
「良かった……、マコト、無事で……」
「ありがとうな。カイト」
もう少し安堵の余韻に浸っていたかったが、びしょ濡れになった服の冷たさに我に返る。立ち上がって衣服を絞ろうとした、その時だった。
「君たち、どうしたんだ?」
石段を登りきったその先に、あの強面の神主が立っていた。
2話目は今夜19時に投稿します。




