終話 現実を生きるということ
きさらぎ駅編最終話です。
カイトはあの「マヨイガの社」以来、初めて稲荷神社へ足を運んだ。目の前には、威厳を放つ重厚な赤い鳥居が立っている。
「よし……!」
気合を入れ、石段へと歩を進めた。一段、また一段と階段を上がっていくにつれ、徐々に息が上がり、肩が上下に揺れる。
「着いた……っ!」
最後の一段を登り切り、ゼェゼェと荒い息を吐き出す。乱れた呼吸を整えながら周囲を見渡すと、あの日と変わらぬ境内の景色がそこにあった。
視線を、ある一点に向ける。
ヒナが転落した井戸だ。鬱蒼と雑草が生い茂り、本体の姿は見えない。よく見れば、何かを囲うフェンスと、ボロボロになった「立ち入り禁止」の看板が据えられていた。
ふと、水の入ったバケツに、真新しい花束が生けてあるのを見つけた。しかも二束。一つはヒナの家族だろうが、もう一つは一体誰が供えたのか。不思議に思いながらも、カイトは持ってきた花をバケツに加え、パンッ、パンッと両手を合わせて祈った。
「こら。なんだそれは」
頭上から野太い男の声が降ってきた。驚いて振り向くと、そこにはおよそ堅気には見えない強面の男が立っていた。
「え!? 何って……花を……」
「違う。今、手を叩いただろう。作法が間違っている」
「え……? でも、お祈りする時っていつも……」
「それは神社に参拝する時の作法だ。君は、その井戸へ慰霊のために来たのだろう? ならば手は叩かず、合わせるだけでいい」
「は、はい……」
至極真っ当なアドバイスだった。男の格好をよく見ると、カズラと似た白衣に浅葱色の袴を身につけている。どうやらこの神社の神主らしい。
カイトは神主の言う通り、静かに手を合わせ直した。
(あれ……? ここの神主って、もっと年取ってたような……)
手にした竹箒で掃き掃除を再開した男を見やる。カイトの記憶では、神主はもっと高齢だったはずだ。
ヒナが死んだあの日、井戸に真っ先に駆けつけた誰かは、紫色の袴を穿いていた気がする。紫の袴といえば、カズラ。妙な共通点に、顔のあたりがむず痒くなった。
「お参りが済んだなら、本殿にも参拝していきなさい」
「え!?」
「何を驚いている。神社に来たなら、神様にご挨拶をして帰るのが筋だろう」
「は、はい……」
注文が多すぎる、と毒づきながらもカイトは社の前へ向かった。賽銭を入れ、鈴を鳴らして、勢いよく手を叩く。
「違う。やり直しだ」
再び指導が入った。カイトは何が正解か分からず、あたふたと慌ててしまう。
「あそこに作法が書いてあるだろう」
神主が指したのは、賽銭箱の横にある小さな看板だった。そこには参拝の作法が記された紙が貼ってある。
「お賽銭を入れ、鈴を鳴らす。まずは二礼だ」
後ろから頭を抑えられ、二度、深く下げさせられる。
「ここで二拍手」
促されるまま、パンパンと二回手を叩いた。
「最後に一礼」
また頭をぐいと下げさせられ、ようやく解放された。
「これで終わりだ」
「お、教えていただいて、ありがとうございます……」
「全く、最近の親はこんな作法もまともに教えないのかね」
嫌味な言葉を投げ、神主はまた掃き掃除に戻った。
あまり関わるのはよそうと、カイトはそそくさとその場を後にしようとした。
「君!」
呼び止められ、カイトはこわばった表情で振り返った。
「今日は、白いワンピースの女の子は一緒じゃないのか?」
「え……」
白いワンピース、と聞いて連想したのはヒナだ。だが神主が指しているのは、ヒナに化けていた「カズラ」のことだろう。
「い、いえ……今日は一緒じゃないです」
「そうか」
カズラとこれからも一緒に過ごすのか、カイトには分からない。いずれ、人外であるカズラとは離れなければならないはずだ。
(離れるってなんだ? 望んでいたことじゃないのか)
そう思い至った瞬間、カイトの胸に得体の知れない不安が込み上げた。あんなに嫌っていたはずの偽物。なのに、今は離れることが寂しくさえ感じている。
「あまり、深入りするなよ。戻れなくなるぞ」
神主の一言に、カイトは射抜かれたように立ち尽くした。深入りするな。──この神主は、カズラの正体を知っている。
「あの、それって……」
恐る恐る問おうとしたが、強面の神主は掃き掃除の手を止めず、淡々と告げた。
「あっちに、どんどん引っ張られてしまう。そういう人生は、普通とはまた違った意味で苦労するぞ。特に、周囲に理解されない。それはしんどいぞ」
「……」
背筋に、ぞわりと嫌な寒気が走った。「きさらぎ駅」や「マヨイガ」。無事に戻れたから良かったものの、もしあのまま出られなかったら……。
カイトは、自分の足元が知らぬ間に奈落の縁を歩いていたかのような、底知れない恐怖に襲われた。
*
時間は少し遡り、マコトが出場しているサッカーの試合会場──。
マコトはピッチ脇のベンチで、頭からタオルを被り、監督の横に腰掛けていた。
「全く……! こんな大事な試合の前日に夜更かしなんかしやがって。てめえ、レギュラーとしての自覚あんのか!」
「……すみません」
頭ごなしに怒鳴られ、マコトは縮こまった。
昨夜、カイトから連絡があって以来、次々に送られてくる「きさらぎ駅」の実況と写真に興奮が冷めず、どうしても眠れなかったのだ。
極度の寝不足による不調。マコトは試合中にイージーミスを連発し、ついにベンチへ下げられてしまった。
「今日中に調子を戻しておけ。明日の試合で同じヘマをしたら、ただじゃ済まさねえぞ!」
「……はい」
力なく返事をして、マコトは項垂れた。
中学最後となる夏の大会。より良い成績を残し、高校での活躍を期待されている立場だ。とはいえ、親友のピンチを前に、自分だけ安眠できるほど薄情にはなれなかった。……決して、きさらぎ駅の生写真が欲しかったから、という理由だけではない。(たぶん)
それに、カイトを恨むつもりもなかった。スマホの電源を切れと言ったあとに、自分だけ寝てしまえばよかったのだ。そうしなかったのはマコト自身の判断であり、甘えだ。
(きさらぎ駅……俺も行きたかったなぁ)
監督の怒号を遠くに聞きながら、マコトはどこか他人事のように「異界」へ想いを馳せた。
(ああ……試合も受験も、どうでもいい。好きなことだけやって生きていけたらいいのに)
マコトたちの通う中学校は部活動が必須で、同時に勉学にも気を抜くことは許されない。
特にマコトの母親は教育熱心で、県内屈指の偏差値を誇る私立高校への進学を当然のように迫っている。
(あんな高校に行ったら、サッカーなんてできるのかな……)
進学してしまえば、待っているのは勉強三昧の日々。今のようにボールを追いかける余裕など、なくなるのではないか。
(早く帰って、カイトが無事か確かめたい。それできさらぎ駅の話をたっぷり聞きたい。もう、勉強も部活も、全部どうでもいいんだ……)
マコトは試合中、ずっとそんなことを考えていた。
「明日の試合は完璧に仕上げろ」という監督の忠告は、結局この試合に敗退したことで帳消しとなった。
そのまま部活を引退し、受験勉強に専念すべく塾へと詰め込まれる日々が始まるとは、この時のマコトはまだ想像もしていなかった。
ピッチに響き渡る勝者の歓声を聞き流しながら、マコトはただ、重苦しい現実への不満を募らせていた。
次回「幸福の石編」開幕
7月24日金曜日 2話連続で投稿します。
1話目、朝7時
2話目、夜19時




